今日が明日の続きであるために
『この門を入る者、すべての希望を捨てよ』
ダイはドア上部に彫られた文字を無言で見上げた。
「………」
一体いつこんなものを彫ったのか。
大体これはドアであって門ではないし、先日までは、ごくフツーの木製のドアだったはずだ。
塔の連中のやることはわからない。
ここは魔道士の塔。
パプニカの城の敷地の端っこにある、ポップのひらいた魔道士養成学校──と思いきや、詳細は謎に包まれている。
ダイはこの塔が嫌いだった。
特に意味はない。ただ、なんとなくだ。
塔にいるポップはポップを慕う学生達に囲まれて、ダイにはどこか近づきがたい雰囲気を持っていた。
だから、よっぽどのことがないかぎり、ダイはこの塔に足を向けたことはなかった。
来るときは大抵ポップと一緒で、それも入り口ではなく直接、執務室の窓からお邪魔することが多かった。
ダイはひとつ大きく息を吸うと、
「……よし。行くか」
ちいさくつぶやいて、ドアに手をかけた。
塔の中は真っ暗だった。まさしく漆黒の闇だ。
外はまだこんなに明るいというのに、どうやればこんな闇をつくれるというのだ。
舌打ちしながらダイが一歩踏み出したときだ。
「──うわっ!?」
そこには床がなかった。
いや、あるにはあったはずだが、床板はダイの重みのかかるまま、がくんとふたつに割れた。
ダイは重力に引き寄せられて、そのまま地の底まで落ちていった。
「やったあ♪」
「誰だっ、最初にひっかかったバカはっ!?」
頭上で複数の、はしゃいだ声がする。
ダイは地の底、つまり地下室でそれを聞いた。
「………」
これが平均年齢十八・五歳のやつらのやることだろうか。まるで幼児並みだ。
ここのボスがアレだからなあ、と、ダイは諦めに似た気分で立ち上がった。
「こら。君達」
声をかけると、上の喧騒がぴたりと止まった。
代わりにひそひそとうろたえたようなささやき声がして、突然、
「逃げろっ、勇者様だっ!!」
の叫びとともに、足音がどたどた遠ざかっていった。
少なくとも五人いたな、とダイは見当をつけた。
「まったく……」
ひとつ息を吐いて、ダイは飛翔呪文で一階へ戻った。
そこは多少薄暗くはあったものの、もう闇に包まれてはいなかった。
「おかしな場所だな……」
ダイは感慨深げにつぶやいた。
魔法使いという人種の集まっている所なのだから、何が起こっても不思議ではないが、どうもここの空気は、ほかのどの場所とも違っている気がする。
ダイは改めて塔の中を見回した。
古い塔だ。
もともと使われなくなった物見の塔を、ポップがレオナから貰いうけて改装した塔だった。
石づくりの廊下や壁にはこまかなひびが縦横に走っている。
目に見えるほどの深い亀裂もある。
こんなものを見れば、とてもじゃないが一般人なら危険すぎて使う気になれないだろう。
塔の学生達はそうではなかった。
この塔が崩れることなど有り得ない、と信じきっているようで、さっきのように思いきり廊下を走り回ったり、大掛かりないたずらのために床をぶち抜いたりもする。
あまり掃除熱心でもないようで、隅にはほこりも溜まっているし、天井にはサイケデリックな色彩の蜘蛛が巣をかけている。
しかし廃墟でない証拠には、どこからか隠れてこちらを窺っている人の気配もした。
仮にも勇者を落とし穴にかけてしまったので、さすがにまずいと思っているのだろう。
「………」
ダイは怒ってはいなかった。
そんなささいないたずらより、もっと腹の立つことがあったからだ。
今日はそのために塔を訪問したのだった。
ダイは、自分が来ても取り次ぎにも出てこない塔の連中に内心で舌打ちしながら、ポップがいるはずの執務室に向かおうとした。
「ようこそいらっしゃいませ、勇者様」
おだやかな声がした。
見ると、階段から背の高い、塔では一番年かさの男が、ゆっくりと降りてくるところだった。
「スタン」
「はい、勇者様」
スタンと呼ばれた男はにっこり笑って返事をした。
もっとも、この男はいつも笑っているように見える。
茶色の瞳はいつもほとんど閉じているほどに細められ、そのせいで日がな微笑しているような印象を与えるのだ。
「スタン、ポップはいる?」
「アポイントメントはお取りですか?」
そして、そのやわらかな印象とは裏腹に、とんでもなくキツイ言葉を吐くのでもスタンは知られていた。
ダイは言い募った。
「なんだよ。親友に会いに来るのに予約がいるの!? いいから早くポップを出してよ。オレ、ポップに聞きたいことがたくさんあるんだから」
「申し訳ありませんが、それは出来ません。勇者様」
スタンはおだやかな態度のまま拒絶した。
「なんで!?」
ダイは叫んだ。
ダイの大声にもスタンは全く動じたようすもなく、あわせていた手をほどいて手招いた。
「まずは、こちらへ。先程の非礼もお詫びせねばなりませんし、勇者様ともあろうおかたを、玄関先で追い返すわけにも参りません」
「………」
ダイはすがめた目でスタンをにらんだ。
スタンは本当にかすかに苦笑した。
「マスターは今、不在ですが、勇者様のお聞きになりたいことは、僕達でほぼ事足りると思いますよ。さあ、どうぞ」
>>>2001/10/29up