執務室は妙に片付いていた。
ポップが最近、いない証拠だ。
ポップがいるときは、部屋はいつも書類や書類でないものが散乱し、雑然として、お菓子を用意してその中にこもりたくなるような、そんなあたたかな雰囲気があった。
今は、塔主代理のスタンが恐らく片付けたのだろう。
几帳面なスタンの性格そのままに、書類は書類ばさみに綴じられ棚にきちんと並べられ、いつもは床にまで転がっているペン類も、インク壺のそばのペン立てに整然とととのえられていた。
雑多なものがそれぞれしかるべき場所に整頓されているだけだというのに、なぜ、この部屋はこんなによそよそしい? そう、ダイは思った。
「勇者様。お茶が入りましたよ」
スタンが呼んだ。
執務室は応接室も兼ねており、色褪せたソファセットが壁の一面に貼りつけるようにして置いてあった。
このソファセットも、ポップが塔を貰い受けたとき一緒にくっついてきたものだ。
打ち捨てられた塔の中にはもう使われなくなったがらくたがたくさん詰まっていた。
塔の備品は、そうしたものを修理したりこれまたどこかから拾ってきたりしたものがほとんどだ。
そういう塔の姿勢はダイは嫌いではなかった。
ポップほどの財力と知名度があれば、新たに塔を建設したり、備品をすべて新しく揃えるくらい、わけもないことだったからだ。
「勇者様?」
いぶかしげにスタンが再度呼んだ。
ダイははっともの思いから覚めて、ぎこちなくスタンに顔を向けた。
差し出されたお茶を、ソファに座って口をつける。
「ハーベイだ。入るぞ」
ノックもなくドアをあけて小柄な少年が入ってきた。
もう一人の塔主代理、ハーベイだ。
「いらっしゃいませ、勇者様。今しがた勇者様を罠にかけて遊んだバカどもはきつく叱っておきました。ですが、まだ気がおさまらない、というのでしたら遠慮なく……」
「ああ、それはいいよ。ありがとう、ハーベイ」
なげやりに感謝してダイはハーベイの言葉をさえぎった。
ハーベイはぺこりと会釈したが、それほどかしこまっているようではなかった。
ポップと同じ黒髪と紫の目の美少年は、相手が誰であれ、下手に出るということが嫌いなのだ。
ハーベイはスタンの隣に腰をおろした。
それでダイはポップの一番弟子ふたりと正面から向かいあう格好になった。
「……君達は承知しているの? ポップのことを」
いきにりダイは切り出した。
ダイがここに来た用件も、説明せずとも二人にはわかっているだろう事柄だった。
「マスターがベンガーナで武器屋を始めるという件ですか? もちろんですとも」
平然とハーベイは答えた。
塔の学生はポップのことをマスターと呼ぶ。
それは大魔道士──グレイト・ルーンマスターの略であり、教授を願うマスターであり、彼らの仕えるマスターという意味でもある。
スタンはハーベイの言葉に補足した。
「今日も、朝早くから瞬間移動呪文でベンガーナへお出かけになられましたよ。ラウール君を連れて。勇者様もラウール君は知っておいでですよね、式典のさい、どさくさまぎれにウチの塔に入った学生です。あのときは大変でしたものね」
スタンが言うのはつい先日おこなわれた、平和記念祝誕祭のことだ。
ポップは祭りを自己流に祝うために色々と策を練り、そのいけにえに選ばれたのが、ルドルフとラウールという青年だった。
ダイは苛々したように、
「ああ、覚えてる。でも、そうすると、君達は黙ってポップを行かせたんだね。ポップがベンガーナに何の用があるのか、知らないわけでもないだろうに。それじゃあ塔は、ポップのやることに全面的に賛成なの!? 君達はそれでいいの? 自分達の塔主が、君達を捨ててベンガーナへ行ってしまっても!?」
最後はほとんど怒鳴り声だった。
スタンとハーベイにしても、さっきの学生達にしても、塔はいつもとまるで変わらぬように見える。
こんなに激昂しているのは自分だけなのか。
いや、そんなはずはないと、ダイは頬を紅潮させ、歯を食いしばって、なんとか自分が爆発するのを抑えていた。
「………」
スタンが言いよどんでいると、
「何を怒っておられるのかわかりませんが。勇者様」
代わりにハーベイが後をひきとって続けた。
ハーベイは物覚えの悪い生徒に対するように小柄な肩をすくめ、
「マスターがいないのはいつものことです。だからマスターがいなくても、それが多少長期に渡ろうと、塔の運営にはひとつの支障もありません。塔は、実質的には僕達が運営しているのですから。かえっていないほうがさっばりしていいです」
「ハーベイの言うのは極論ですが、総意としてはおおむねそんなところです。マスターがいなくても塔は存続してゆきます。何の変化もありません」
「君達は……っ!!」
ダイは愕然とした。
ポップの一番弟子を名乗るふたりが、これほどまでにクールに物事を捉えているとは思わなかったのだ。
「で、でも……、この塔はポップが創設した塔じゃないか。創設者がいなくなって、それでいいの!? ポップのいなくなった塔に、レオナが今までどおり出資を続けるかなんて、わからないじゃないか!」
「それは大丈夫です」
またもハーベイが答えた。
「パプニカは、これからも継続して塔の後援を続ける手筈になっています。今朝がた、正式な公文書が届きました。もちろん、レオナ姫の署名入りです」
「そんなの、オレ知らないよ!」
ダイは悲鳴のような声をあげた。
何か重要なことを決定するときには、レオナはいつも婚約者であり、未来の夫であるダイに相談するのが習慣になっていた。
「……マスターは、勇者様には内密に事をお運びになったようですからね」
スタンは気の毒そうに言った。
「マスターのなさることに抜かりはありません。マスターは、誰にも自分の邪魔をされたくなかったんです。勇者様にも、たぶん」
「──どうして!?」
驚いてダイは叫んだ。
「勇者様に反対されれば、自分がそうしたくなくともその通りにしてしまう、ということを恐れたのだと思います。勇者様はそれだけの影響力を持っているのです」
「……だって……」
ダイはひとつ息をついで、
「だって、信じられないよ、そんなの。オレが反対するなんて、いや、それは今回のことは反対だけど、それだって、ポップがベンガーナに行くなんて言い出さなきゃ、反対なんかしなかったのに」
「マスターはそれが嫌だったんですよ、勇者様」
どこか同情するような視線をスタンはダイに向けた。
ダイは愕然としてスタンを見た。
「……マスターのお考えになることは、僕らごときの浅知恵には手に余ります。しかし、これだけは言えます。マスターが、勇者様の御為にならないことをなさるはずがありません。ですから、今回のこの一件にも、きっと何か隠された深い意味があるのだと思います」
おごそかにスタンは言った。
この表情に騙されてはいけないと、知ってはいたけれど。
「……うん」
ダイはうなずいた。納得したわけではなかったが。
ダイはおもむろに立ち上がった。
「今日は帰る。でも、諦めたわけじゃないからね。ポップが戻ってきたらすぐに知らせて。オレ、オレが絶対ポップを引き止めてみせるから!」
>>>2001/11/2up