MIND ESCAPE
「マスター。失礼します」
そう言って僕は魔道士の塔に入った。
グレイトマスター・ポップ様は、ここで塔を統括しているのだが、普段まともにいた試しがない。
しかし、今日はどうやら違ったようだ。
「んー。なんだ、スタン?」
マスターは帆船模型をつくる手を休めずに言った。
広い机の上には木クズやらナイフやらが散乱している。
僕はちらっとそれを見たあと、
「このあいだ実施した実力テストの結果です。一応、ご報告しておこうと思いまして」
「いらん。実力テストだって、おまえが勝手にしたことだろう」
「そうですが。マスターならともかく、最近みんなの勉強を見ることになった僕には、各人がどれほどの能力を持っているのか知っておきたかったのです。それによって、指導の仕方も変わってくると思いますし」
「……おまえって、ほんっとマメだなー」
感心しているのか呆れているのかわからない口調でマスターは言った。
たぶん、後者だと思う。
それはともかく、ようやくマスターが顔をあげてくれたのをさいわいに、僕はたたみかけた。
「やっぱり理数系が弱いですね……みんな、埃をかぶった文献などを調べるのは大得意なのですが、薬を調合したり人体の構造を知ろうとかいう努力はあまり無いようです。ここは医師養成学校ではないので、特に問題ないと言えばそうなのですが」
「おまえはどう思うんだ? スタン」
「僕ですか?」
僕はひとわたり頭をめぐらせて、
「僕は……基本的なことだけでも、教えておいたほうがいいと思います。特に医術に関しては。ケガ人の応急処置くらい出来なくては、ただの頭でっかちの集団になってしまいます」
「いいこと言うなあ。じゃ、それで井家」
「かまいませんか?」
「オレに聞くな。おまえが決めるんだ」
「ここの責任者はマスターじゃありませんか?」
「スタン。オレが何かあれしろこれしろと言ったことがあったか?」
マスターはちょっと意地の悪い笑みを浮かべて僕を見守っている。
マスターは何も言わない。何も指導しない。
僕達は勝手にここに集まって、勝手に勉強しているのだ。
そういえば僕だって、マスターにお伺いを立てて勉強したことなんかない。
「………」
黙ってしまった僕にマスターは、
「おい、落ち込むなよ。別に責めてるわけじゃない。ただこれからは、おまえを中心にこの塔を運営していってもらうつもりだから、どう考えてるのか聞いてみたかっただけだ」
「落ち込んでなんかいませんよ」
「……そーいうやつだよな、おまえって」
マスターはがっくりと肩を落とした。
僕はそれには構わず聞いた。
「マスター。僕を中心にってどういう意味ですか? ハーベイもいるし、大体マスターは何をするつもりなんですか?」
のちにマスターはパプニカを出奔してベンガーナで武器屋を開くことになるのだが、このときははぐらかされてしまった。代わりにマスターは別のことを言った。
「スタン。ハーベイは真面目にやってるか?」
ハーベイとは、僕と同時期に塔の運営役を任された学生のことで、この塔の最年少だ。
けっこうかわいい顔をしてるんだけど、生来の気性の激しさというか険の強さが表に出ていて、どちらかというと敬遠されてる。
「はあ……まあ、それなりにアレですね」
「具体的に言え」
「まったく変化ありません」
マスターの要望にこたえて僕は本当にハッキリ言ってやった。
マスターはまた頭をかかえた。
僕にはよくわからないのだけど、マスターに限らずときどき人は、僕に対してかける言葉を失うらしいのだ。
まあ向こうにはなくても僕にはあるので、こちらから話しかければ済むことだ。
「ハーベイはあの調子ですし、最年少ということもあってか皆ハーベイに教えを乞うのはプライドが許さないみたいですね。始めはうまくやっていけるかな? とも思ってたんですけどね」
「……おまえさあ、もうちょっとフォローしてやろうとか思わない?」
「何をですか?」
マスターは今度こそ完膚なきまでに打ちのめされたようだった。
何がそんなにショックだったのか知らないけど、僕はマスターが立ち直るまで無言で待った。
「オマエのこと、みんな面倒見がいいとか言ってるけど、ぜってー違うな」
「へええ。僕にそういう評判が立ってたとは知りませんでした」
「これだよ。まあいい、おまえに聞きたいことがある。おまえから見て、ハーベイの評価はどうだ?」
「魔法力は一番あるんじゃないですか。頭もいいし、今すぐ一人立ちして魔法使いを名乗ることもできますね」
マスターは軽く手をふって、
「違う違う。好きとか嫌いとか、ナマイキだとか、もー少し感情的なことだ」
「なんとも思ってません」
「………」
情けなさそうにマスターは口をつぐんだ。
それから言いにくそうに付け足した。
「おまえ、ハーベイに嫌われてるって自覚ある?」
僕はハーベイの態度を脳裏に思い描いて、導きだされた結論を言った。
「ああ。そう言われるとそんな気がしてきました」
「そこだよ。おまえが問題なのは。おまえって誰にでも親切だけど、内実カラッポだよな。オレ、おまえのことがよーわからんのよ。ハーベイなんか何考えてるか一発で見て取れて小気味いいくらいだけど、おまえが何を考えて、何のためにこの塔にいるのか、全然。このさいだから言ってみろ。スタン、どうしてこの塔に来た?」
マスターは珍しく真摯に僕の目を見返してきた。
しかし隠すほどのこともなかった。
理由は単純で明快。
「勉強がしたかったからです」
僕は言った。
マスターはまだ僕の返事を待ち続けているようだった。
「他意はありません。とりあえず、パプニカで、僕みたいな子百姓のせがれでも受け入れてくれて、高水準の学問が出来る所がここだっただけです。マスターには感謝しています。タダみたいな月謝で僕らをここに置いていてくれるんですから」
そう、僕ら学生も一応授業料を払っている。
しかしそれは、毎朝パン屋の仕事を手伝ったり魚市場で働いたりすれば、足りてしまうほどの金額だ。
マスターはこの塔だけでなく、ほど近いところに赤いレンガづくりの建物を建てて、そこを寮として使わせてくれている。食事も出る。だから、ほかの国の出身者も安心してここで暮らせるのだ。
月謝を払っているのでさえも、押しかけ弟子の僕達が気兼ねなく勉強できるように、との配慮からではないかと僕は思っていた。
>>>2001/10/19up