「魔法使いになりたいわけじゃないんだな?」
「大魔道士であるマスターを前にして言うことじゃないかもしれませんが……ありません」
僕は本心を言った。
嘘をついたところで、マスターにはわかってしまうだろうとの思いの方が強かった。
「将来なりたいものとかはあるか?」
「ずうっとここで勉強できたらいいなあとは思ってますけど」
マスターは苦笑した。
「ずうっとって、キサマ何歳だ。二十五だろう、確か。二十五にしちゃ異様に腰が低くて不気味だが、それも持って生まれた才能だろう。よしわかった! この塔はオマエにやる」
「は?」
意味がつかめずに、僕は阿呆のような声をもらした。
「聞こえなかったのか? この塔はおまえにやる、と言ってるんだ」
「いや、それは聞こえたんですけど」
「だから、この塔はスタン、貴様に任すと言っているんだ。オレの助手とか代行じゃなくて、正式に。良かったじゃないか。ずっと塔で勉強できるぞ」
「待ってください! もらえるわけないじゃありませんか!?」
「オレがやると言ってるのに、物わかりの悪いヤツだな。日頃の聡明さはどこへ隠したんだ? この塔はオレのものだ。オレがやると言ってるんだから、ありがたく受け取れ」
マスターはだんだん腹が立ってきたようで、以後の方はかなりはすっぱな感じになっていた。
「で、ですが……」
「おまえのうろたえた顔見るってーのも楽しいよな」
急に機嫌が良くなった。
「冗談だったんですか?」
「まさか。本気だ。もっとも、まだ少し先の話になるだろうが。この塔はオレの名前だけで保ってるようなモンだからな。おまえじゃ権威が足りない。それに、運営資金も今はオレがいるからいいが、いつまでもオレが面倒みてやるわけにはいかないしな。そのうち審議案を出して、パプニカの国庫から予算を調達してやるよ。そのためにも、できるだけ早く使える人材を育成しないとな」
「マスター……?」
この、僕より八歳も年下の大魔道士は、いったい何処を見ているのだろう。
勇者とともに世界を救って、この若さでたくさんの弟子(押しかけだけど)をかかえ、更に高みを、マスターは見ている。
僕には想像もつかないことだった。
大魔道士である、というのは、僕のような平々凡々な人間には、とても務まらないだろう。
「マスター、何を考えているんですか? とても無理です。僕にはマスターの代わりなど出来ません。それにハーベイは? ハーベイも、僕と同じく塔を任されたじゃないですか」
「おまえの弱音を聞くっつーのも面白いがな」
マスターはひと呼吸おいて、
「心配はいらん。権威だの資金繰りだのは、オレが道をつけといてやる。おまえはそこを歩いていけばいい。どう歩くかはおまえの自由だが。ハーベイのことは気にするな。あいつはこの塔の中だけで満足するタイプじゃない。確実に世界へ出てゆくタイプだ。だからこそ、あいつを候補に選んだんだ」
「候補……?」
「スタンにはまだ言ってなかったな」
マスターは机の引き出しから何かを取り出した。
「これを見ろ、スタン」
それはつくりかけの、鋳型のように見えた。
四つ葉のクローバーが象徴的にデザインされている。手のひらに包めそうなほどちいさい。
「正式名称は決まってないが、これが、アバンのしるしならぬ『ポップのしるし』だ。これを持つ者はもはや押しかけではない、直弟子だ。しかし簡単にくれてやるわけにはいかない。試験を受けてもらう。合格して初めて、これを与えられる資格を得られる」
「直弟子……」
僕は、魔法使いになりたくてこの塔に来たのではなかった。
勉強できるなら、どこでも良かった。
しかし。
「その候補に……ハーベイも入っているわけですね」
「そうだ」
マスターの答えは簡潔だった。
僕はマスターの手の中のその鋳型をにらみつけるように強く見た。
──欲しい、と。
初めて思った。
僕にはあまり、何かが欲しいとかそんな希望を持ったことなんてなかったのだけど。
「くれるものなら貰っておきます。貰うためには試験に合格しなきゃならないみたいですが、僕は確実に合格する自信がありますし。しかし……」
「しかし、なんだ?」
僕は真正面からマスターを見据えた。
「僕は、魔法使いになる気はありません。魔法力も大してありません。それでも、僕を直弟子にしてくださいますか?」
「もちろん。オレは、魔法使いを育成しているわけじゃないぞ」
「ここは『魔道士の塔』じゃなかったんですか?」
「それはオレが大魔道士だから来ている名称だろう。ここがおまえのものになったら、好きな名前をつけるといい。『アバンの使徒』だって、勇者から戦士から、オレみたいな魔法使いまでいるぞ」
「つまりマスターは、僕に幅広く人材を育成せよとおっしゃっているわけですね」
「おまえが決めるんだ。オレは消える」
「………」
この歳になって恥ずかしいが、僕は、僕以外の人間に責任を負ったことがなかった。
興味も必要もなかったからだ。
僕は農家の次男坊で、家は兄が継いでくれたし、それほど貧乏小作農というわけでもなかったから、僕は一人で、ワガママを通してここに来ることが出来たのだ。
「……ずいぶん軽く言ってくれますねえ……」
僕はしかめっつらをつくりながら言った。
「おまえにはそのくらいでちょうどいい。おまえ、言ったよな。応急手当てくらい出来なくてはただの頭でっかちの集団になっちまうって。おまえは優秀だから、応急手当てならぬ塔の運営くらい出来なくては、せっかくの才能が宝の持ち腐れだ。大丈夫、スタンならできる」
僕はもっとお気楽に、身軽に生きていきたかったのだけど──、
「……わかりました、やります。いずれ僕も、なにがしかの仕事をして生計をたててゆかねばならないのですし。それが魔道士の塔で出来るなら、こんな好条件な職場はあません。つつしんで、受けさせていただきます」
僕は深々と頭をさげた。
マスターは我が意を得たりとばかり笑った。
「ようやく言ったな。塔を頼むぞ、スタン」
「はい」
すとん、と、何かつっかえていたものが取れたような気分だった。
僕は初めて自分から選んで厄介ごとを引き受けたのだった。
僕はかなりこまめに立ち回っていたけれど、別にみんなのためを思ってしたことじゃなかった。
ただ僕はけっこう片付け魔というか、ごたごたしたことが嫌いなのでそう振舞っているうちに、皆が僕を頼りにしていたらしい……というのが真相だった。
その評判はつい今しがた、目の前のマスターから聞かされたのだけど。
「さ、んじゃ、さっそく初仕事だ。この部屋片付けてくれ」
妙に嬉しそうにマスターが言った。
「この部屋もおまえのものになるんだからな。自分の部屋をキレイにするのはとーぜんだよな」
「今のあるじはマスターなんじゃ……」
「こまかいこと言うなって。頼むよー、オレが掃除苦手なのは知ってるだろ? 模型のパーツがあっちこっち行っちゃってわからなくなってるんだ」
「……マスター……」
思いきり脱力しながらも僕は、素直に片付けをはじめた。
部屋に入ったときから実は気になっていたのだ。これも性分なのだろう。
「……ん?」
僕はとんでもないものを発掘してしまった。
「マスター! こ、これってベンガーナ王からの親書なんじゃ……!!」
「あ、そこにあったのか。どこ行ったかと思ってたんだけど」
「ンなおおざっぱな……こんな大事なもの、その辺に置いとかないでくださいよ」
「もういいよ、捨てても。依頼の品はほぼ完成したし」
なんでもなさそうにマスターは言った。
「依頼の品って……?」
僕がつぶやくと、マスターは帆船模型を指差して、
「これだよこれ! 王様に最新鋭の軍艦の設計を頼まれたんだ。最初は図面ひいてたんだけど、それだけじゃ物足りなくなってさ。いいデキだろ?」
無邪気にマスターははしゃいだ。
「見てくれよ。この帆なんか、タマネギの皮で染めぬいてあんだぜ。この色を出すのがどーにも難しくってよー」
1/1スケールモデルのときも、タマネギの皮で染めろとでも言うのだろうか。
いったい何万個タマネギが必要になるか見当もつかない。
「遊んでるとばかり思ってました」
「失礼な。遊びなら自分の部屋でつくるよ」
僕はかなり疑わしく思った。
マスターの部屋はたぶん、もう床面積が見えないほど散らかり放題に散らかりまくっているはずだからだ。
「ちなみに、この謝礼も塔の運営資金に回される。将来的にはこんな仕事も塔に依頼されるワケだ。今回はオレがやったけど、次からはおまえに任すからな。それまでに土木工学や技術も磨いとけよ」
「………」
なんつー奥の深い人だ。まだまだ僕は甘かった。
魔道士の塔を率いるというのは想像を遥かに超えて骨の折れる仕事らしい。
まあ、もう覚悟を決めてしまったので、いまさら動じはしないけど。
「はい、マスター。明日から設計図の書き方や模型の制作などもカリキュラムに入れることにします」
「その意気だ」
マスターは晴れやかに笑うと、帆船模型を仕上げるべく最後の作業をはじめた。
< 終 >
>>>2001/10/25up