スタンの言葉にオレはサンドイッチを吹き出すところだった。マスターたるもの、弟子の前でみっともないまねをするわけにはいかない。
「な、なにを言いだすんだ、いったい」
「だって、ここ最近魔道士の塔にいらっしやることが多くなりましたよ。マスターがここに帰ってくるのは、オレたちの指導のためじゃなくて、ただのうっぷんばらしだってことくらい気づいてるんですからね。それだって、まあ……オレたちにはありがたいことですが。で、最初はベンガーナでのお仕事のほうがうまくいってないのかなーと思ってましたが、せっかく帰っていらしても、お城のほうには出掛けられない。そりゃ塔と城とは徒歩ではけっこう離れてますが、マスターはルーラが使えるんだし、距離なんかどってことないでしょう。そうすると、やっぱり、ダイ様なりレオナ様なりと、顔を合わせたくない理由がおありになるんでしょう?」
「………」
「何があったのか知りませんが、早く仲直りしてくださいね、マスター。勇者様と大魔道士様がケンカしているなんて、対外的にあまり聞こえのいいこっちゃありませんよ。女王様ともね」
オレは顔をしかめてみせた。ケンカしているわけじゃなくて、反対に仲が良くなりすぎたから顔を出しにくいんだなどということは、口が裂けても言えないことだった。
「……心配すんな。ケンカしてるわけじゃない。いずれ、時が……解決してくれるだろうことなんだ。オレは今ちょっと、自分の置かれた立場に戸惑ってるだけなんだ。戸惑ってるのはオレだけで、ダイもレオナもミョーに達観してやがっててよ……それが腹立たしいといえば腹立たしいけどな」
「結局マスターは普通のひとですからね」
「なんだ、そりゃ。それじゃまるでオレが小物みたいじゃねーか」
スタンは顔をくしゃくしゃにして微笑した。
「だって本当ですよ。だから、師匠とか先生じゃなくて、マスターなんて呼ばせてる。おんなじ意味でも、ふだん使わない聞き慣れない単語を用いて、自分はそんな上等なものじゃないと思いたがってる。あなたはこの塔の主人であり、熟練した魔道士であり、私たちの教師だ。その意味ではまことにうってつけのネーミングだと思わざるをえませんが……そんなあなただからこそ、私たちはあなたを塔のあるじに戴いているのでしょうね」
「誉められてんのかけなされてんのか、よーわからんな」
オレは首をかしげてつぶやいた。
「もちろん誉めことばですよ。オレたちは、あなたが魔道士の塔のマスターで良かったと思っていますよ。たしかに修業はかなりキツイし、逃げだすものも昔は多かったですがね。そのへんは、今はオレとハーベイがフォローしてます。いっそ、ベンガーナへ出てってくれて、かえって良かったくらいだ」
「それは誉めてねえだろう!」
オレは声を荒げたが、けっして本心からではなかった。
こんな会話をは塔をひらいた三年前から日常茶飯事だったし、オレとしては、へたに崇拝されるよりも、これくらい不遜なほうが好ましかった。
「あ、そう聞こえましたか、すみません。でもオレたちは……魔道士の塔の者たちは、みんなあなたが好きですよ、マスター。マスターが普通のひとだったから、オレたちは、ここにいられる……こんな、端っことはいえ城の一画に、場所をもらって勉強することができる。どんなに優しくしてくださっても、私たちにはダイ様だのレオナ様だのいうお方はやはり雲の上の方で、でもマスターは自分から地上におりてきてくださったような、そんな気がするのです」
スタンはやけにまじめな顔をした。
「いえ、誤解なさらないでください。私たちはなにも、マスターがごくふつうの庶民の出だからとか、そんことを言いたいわけではないのです。マスターにしても、大魔王に戦いを挑み、勝った、有名なアバンの使徒のひとりです。それもかなり重要な。吟遊詩人のサーガなどでは勇者様に次いで、詩によっては一番目に歌われるお方です。そんなかたが不承不承なりと弟子入りを許してくださり、修業までつけてくださって、喜ばぬ者かがおりましょうか。魔道士の塔の者は全員あなたのしもべです。もし、マスターが……」
「オレはダイと喧嘩なんかしてない。レオナともだ。だいたい多少のいざこざなんか、オレとダイに限らずよくあるこったろうが。それ以上くだらんことをしゃべる気なら、当分魔法で声が出ないようにしてやるぞ。脅しだと思うなよ。オレはやると言ったらやる男だ」
「すみません、もうやめます」
オレよりいつつむっつ年上のスタンは、オレに叱られて素直に詫びた。
「まあ……気持ちだけありがとう、心配かけて悪かったよ。でも今回のことは、お前らに相談するわけにはいかねえからさあ。もーすこし見守ってやっててくんねえか? いつか、は……わかっちまうことかもしんねえからさ……」
本当はわかられちゃ困るし、多少のいざこざというわけでもなかったが、オレはとりあえずそう言うことにした。
「はい……マスター。ですが」
「なんだ?」
なにか言いたげなすにオレがいぶかしく思ったときだった。
「──ポップ!」
今、いちばん聞きたくない声が聞こえてきた。
「ポップ! 帰ってたんなら顔だしてくれればよかったのに! 水臭いんだから。全く、オレがベンガーナに行く回数よりも、ポップが帰ってきてくれる回数のほうが全然少ないってどういうこと!? ポップってば、オレが嫌いなの? そんなことないよね。だって、オレたち……」
「わ──────っ!!」
あわててオレは大声と身振り手振りでダイの言葉をさえぎった。
「……スタン!!」
「いや、その……お食事を取りに行ったときに、やはりダイ様にお知らせしておいたほうがいいかなー、なんて、ハーベイが。オレじゃないっス。ハーベイっす」
「なにが雲の上のお方だ。騙された」
憎憎しげに舌打ちしたオレに、スタンはしれっと言い返した。
「マスターを心配すればこそですよ」
「ポップ、おかえり! なんだ、夕飯食べちゃったの?」
険悪なふんいきを察しもせずにダイはつかつか歩いてきて、ほとんどスタンが食べた、サンドイッチの残骸の載った皿を見た。
「じゃ、あとは寝るだけだね。今日は泊まっていくよね、オレの部屋でいい? だって、ポップの部屋って誰も掃除してないんだもの」
オレは無言で思いっきりダイの頬をひっぱたいた。
「だ、だって……ポップの部屋ってこの塔のてっぺんじゃない。階段に通じるドアもふさいじゃってるから窓からしか出入りできないし、そもそも誰も入れないように、結界張っていっちゃったし。おかげでオレがポップを偲びたくなっても、ジャンク屋二号店から失敬してきたウサギのぬいぐるみを抱くしかないんだもん。あ、オレそいつにうさポップって名前つけてんだよっ」
「ヘンな名前つけんなッ!! それに、どーもぬいぐるみが足りないと思ってたら、きさまが持ってってたのかッ!?」
ちなみにジャンク屋二号店とは、オレのひらいている武器屋の名前である。
「ウサギだけじゃないよ。ワニとミドリガメもいる。特にミドリガメはお気に入りなんだ、だってポップと同じ色なんだもん」
「オレが葉緑素持ってるみたいなこと言うなっ」
オレが緑色の服を好んで着ているのは事実だが。
「いったい何の話をなさってるんだろう?」
「さあ……知らないほうがいいような気がする……」
小声でささやきあう弟子ふたりの声が聞こえる。
オレは瞬時に状況を思い出して、とにかくふたりからダイを引き離すことにした。
「ハーベイ、スタン!! 覚えてろよ。この借りは、近いうちに絶対返してやるからな。首ねっこ洗って待ってやがれ」
びし! と人差し指つきつけて言ってやった。
弟子どもはにっこり笑いやがった。
「お待ちしています」
ハモッて返事した弟子どものほうを見もせずに、どうも事情を呑みこめてないダイを連れて歩きだす。
やつらはもしかして感付いているのかもしれない。
でもへたに言いふらしたりはしないだろう。
(そんなふうにしつけた弟子じゃないからな)
オレはダイの手をひいて、塔からじゅうぶん離れたと思うところまで連れだした。
おあつらえむきに時刻は夜。
夕陽はもう完全に西の空に沈んで、かろうじてお互いの顔が見える明るさだった。
「ダイ。オレがこっち帰ってきて嬉しいか?」
「もちろんだよ!」
間髪いれず答えが返ってきた。オレは満足した。
まだ迷いがぜんぶふっきれたとは言いがたいけど、少なくとも塔のヤツラだけは、オレたちを祝福してくれるだろう。
それでいいじゃないか。とりあえずは。
「ダイ。ツラぁ貸せ」
「………?」
よくわかってない表情でダイが顔を突き出す。
オレはその顔を両手でおしつつんだ。
「───!!」
うすやみでもわかるほどダイの顔が真っ赤になっている。どもりながらダイは言った。
「ポポポポップ、今のは……!」
「知らんのか。キスだよ。お前がよくオレにやってくるヤツ」
そして、これがオレからの、初めてのキスだったりするのだった。
< 終 >
>>>2000/9/2up