「ご苦労、みんな。お疲れさん。お礼になんか質問したいこととか見てほしいことがあったら受けつけるぞー。ひとり一問ずつだ」
「大サービスじゃん、ポップ」
「黙れ」
「はい、並んで並んで」
わっとマスターを取り囲もうとした連中を、抑えて列をつくらせたのもスタンだった。
こまめなやつだ。僕には点数稼ぎにしか見えないのだけど。
「ハーベイ? 並ばないのか?」
「僕はいい」
「おまえこそどうなんだ、スタン? オレに質問したいことはないのか?」
いきなりマスターが言った。
マスターが僕ら学生に、個人的に声をかけるのは実は珍しい。
マスターはいつもそ知らぬ顔で、我関せずと放任主義を貫いていたからだ。
僕も他の学生達も、こっそり息を呑んでスタンの返事を待った。
スタンは、
「ありません。あれば、自分から質問に行きます」
しれっとして答えた。
スタン以外の者が言ったら、総スカンを食らいかねない返答だった。
「なるほど」
マスターは妙に納得したようだった。
そして、手招きして隣にスタンを来させると、皆を見回して、言った。
「これからは、魔法に関係ない数学とか歴史とか、語学でもなんでもいい、質問があったらスタンの所に持ってくように。オレは忙しい。スタンで間に合わない質問だけオレの所に持ってこい」
「ええっ!?」
どよめきが走った。これは、スタンがマスターの代わりに教鞭を取るというのに等しい。
マスターがそんなことをするのは十回に一回くらいしかなかったけど、それでもこれは事件だ。
「待ってください! それじゃあ、スタンはマスターの助手……というか、そういうことになるんですか!?」
誰かが叫んだ。
僕もそれが聞きたかった。
「助手っつーなら助手だな。まだ正式じゃないけど。しかしんなこたあおまえらが気にすることじゃない。おまえら何しにここに来てるんだ? オレの助手になるためじゃあるまい?」
全員押し黙った。
重苦しい沈黙が僕らを襲った。
「もう。イキナリすぎるんだよ、ポップは」
それを救ったのは、長い間マスターとコンビを組んで、相棒の気性も性格も知り尽くしている勇者様だった。
「何がイキナリだ。オレはずっと前から考えてたんだぞ」
「言うタイミングがいきなりなんだよ」
「こんなとこでもなきゃ言う機会ないじゃないか。オレにわざわざ、朝礼でも開いて重々しくああだこうだと宣言しろとでもいうのか」
「そんなことしなくたって、学生達はほとんどこの教室にいるんだから、ちょっと入ってみんな聞けとか言えばすむでしょ。それに、言いかたも言いかただよ。スタンだけ特別熱いみたいじゃないか」
「あほか。オレにとっては、スタンだってただの弟子だ」
「それを言ってほしかったんだよ、みんなは」
「………」
マスターは負けたという表情で言い直した。
「……まあそういうわけだから、今後はスタンに質問してくれ。スタンがオレに聞きたいことがあると言ったら、この案はチャラだったんだけどな。できるな? スタン」
「わかりました、マスター。ですが」
「なんだ?」
いつも従順なスタンの言葉に違うものを感じとって、マスターは聞き返した。
「質問に答えるのは午前中だけでいいですか? 僕も、自分のために勉強したいですから」
「あーいいよ。午後からは好きにしろ」
「ありがとうございます」
スタンは嬉しそうに頭をさげた。
顔をあげると、開いているのか開いてないのかわからない線目がさらに細くなっていた。
みんなは少し動揺していたようだったけど、やがて誰かがおずおずと拍手をした。
それは全員に伝染して、室内は拍手とおめでとうコールに包まれた。
「やったな、スタン! うらやましいぞ」
「いいなあ。オレも早くマスターに認められたいよ」
「ちっくしょー、オレだって……」
少々手荒にスタンはもみくちゃにされていた。
冗談めかしてはいるものの、みんな内心では嫉妬したり悔しかったりしているのだろう。
そこをなんとかオブラートでくるんで、祝福しているのが心が広いというか大人だというか。
──くだらない。
僕はひとり離れた席からこの茶番劇を見ていた。
僕はいやだ。こんなのは欺瞞だ。みんな、自分を騙してるんだ。
悔しいなら悔しいと、はっきり言ったらいいのにどうして誰一人として怒らないんだ?
なあなあで、それでいいと思ってるのか?
冗談じゃない。
僕は違う。僕は、……今はまだマスターにとってはスタンと同じラインかそれ以下だけど、いつか、マスターに僕を認めさせてみせる。
先にマスターに仕事を任されたことで、僕はスタンに水をあけられてしまっているけれど、一番弟子の候補に僕も入っているのだ。これくらいの差、すぐに取り返せる。
もちろん、僕はマスターの弟子になりたいわけじゃない。
僕は対等になりたいのだ、マスターと。
マスターや勇者様や、いつかパプニカを超えて、世界中の国々が僕の名を知るように。
グレイト・ルーン・マスター──大魔道士の称号は、今はマスターの、ポップ様だけのものだ。
僕はそれを奪い取ってやる。
『マスター』の称号は、僕にこそふさわしいのだ。
僕はそのためにここにいる。この、魔道士の塔に。
力をつけるためなら、あえて敵の力を借りることさえいとわない。戦略と言ってくれ。
実際に勝つことはできないかもしれないけれど、隣に並ぶくらいはできるはずだ。
僕がそんな考えに没頭していたときだった。
「そうそう。魔法に関係ないことはスタンだけど、魔法に関係あること、火炎呪文の出し方とかアイテムの使い方とかは、ハーベイに聞くように」
「──え?」
もう少しで僕は、その声を右から左に聞き流すところだった。
僕は驚いてマスターを見た。
周囲がざわめいていた。
スタンのときはしぶしぶながらも認めたくせに、僕だと承服できないらしい。
ちいさく僕は舌打ちした。
マスターはこの雰囲気にまったく頓着せず、
「十三歳とこの塔の最年少だが、実力はホンモノだ。性格もかなり難有りだが、ま、それを言っちゃあオレだって自慢できたもんじゃないし」
「本当だよね」
勇者様がやけに実感をこめた様子で言った。
「ダイは黙ってろ。いいか、わかったな? これは命令だ。一般の勉強全般がスタン、魔法学がハーベイだ。ふたりで協力して魔道士の塔を運営してくれ。頼んだぞ、スタン、ハーベイ」
「はい、マスター」
いい子ちゃんのスタンが即答した。
僕は……まだ少し戸惑っていた。
「よろしくやろう、ハーベイ」
スタンは僕に近づいて、右手をさしだした。
その意味がわからないほど僕は馬鹿じゃない。でも、僕は……馴れ合いは、嫌だ。
「言っとくけど、おまえの考えてることってオレにはお見通しだからな、ハーベイ」
机に行儀悪く腰かけて、マスターは言った。
その肩に左腕をかけて勇者様がよりかかっている。
なんだかとても、うらやましかった。
「オレ達っていいコンビだと思うだろ?」
僕の胸中を見透かしたようにマスターは笑った。
「………」
確かに、勇者様と大魔道士様なら釣り合いは取れるけど、僕は別に、スタンと手なんか組みたくないぞ。まったくお断りだよ、こんなやつ。
いつでもへらへらして、何を考えているのかわからないやつ。
二十代も半ばになって、恥ずかしげもなくこの塔にいるやつ。
大体僕は、この線目が嫌いなんだ。
起きてるのか寝てんのかもわからなくて、苛々する。
「オレが大魔道士になったのは、アバンの使徒になってからだけど、ダイとコンビを組んだ後だってのも、覚えとけよな」
そう言ってマスターはひらりと机から降りて、もう後も見ずに僕達が教室にしている部屋から出ていった。マスターはなぜか、止める間も口を出すスキもなく行動するのが得意だ。
このときもそうだった。
僕達はどうも釈然としない雰囲気のまま、マスターと勇者様の後ろ姿を見送った。
「えーと……とにかくよろしく、ハーベイ」
こりずにスタンは手をのばしてきた。
まあ、年下の僕に自分から下手に出られるというのは、評価してやってもいいかもしれない。
単に、プライドが足りないだけかもしれないけど。
「……よろしく」
ぼそっと、それはたぶんスタンにかろうじて聞こえるくらいの声だったと思うけど、スタンは破顔した。そして、手を強く握りかえしてきた。
「ふたりで頑張ろうな、お互い」
……このノリに慣れるには、しばらく時間が必要かもしれない。
それでも、……まあ、いいか。
「頼んだぞ、ハーベイ! スタン!」
「すっげえ難しい質問して、困らせてやるからな!」
「おまえそこまでレベル高いか?」
教室のあちこちでこんな軽口が飛びかっている。
まあ、いいか。
こうして、僕とスタンは魔道士の塔を管理することになった。
< 終 >
>>>2001/10/15up