空の骸
魔道士の塔には幾つか使われていない部屋がある。
まだ塔が物見の塔だった頃の備品を丸ごと放りこんである、まあ物置だが、それは、多少埃っぽい事といつ中身が雪崩るかわからないリスクを抜かせば、勉強の合間に昼寝したい学生達や、余り他人に見せたくない個人個人のお宝や恥ずかしいものを隠しておくのに最適として、こよなく利用されていた。
そして今日、物置部屋を利用しているのは我らが勇者と大魔道士、ダイとポップの二人だった。
「ん、ふ……っ」
ガラクタと壁の隙間にポップを押しつけて、ダイは長いキスをしていた。ぺしぺし、と抗議するようにポップが肩を叩くのに、不満げな様子を隠しもせずに離れる。
「何? ポップ」
「いや……何かお前、ヤケに余裕なくねえ? いつもなら幾ら間が空いたって、まっ昼間からこんな所に連れ込むような真似しなかったろ?」
「……そう?」
ポップの疑問ももっともだ。
しかし、ポップを野放しにしておくとロクな事を考えない、というのはよく知っているダイだったが、あわよくばつまみ食いまでしてやろうと画策されたのは、先日の『人魚のしずく』事件が初めてで、ダイとしてはこれはちょっと見逃せなかった。もっと、この頭の中を自分で一杯にしておかないと。
その為には少々強引でも、文字通り精気を絞り取って、代わりに自分の精気を注いでおこう、とダイは考えたのだった。昼間から寝室にこもるのもアレだし、塔の執務室はスタンが使っているし、外出するとレオナがうるさいし……ということで、選んだ場所だった。
「たまには良くない? こーいう所も。それとも、ベッドが無いと嫌? クッションでも持ち込めば良かったかな……後、毛布とかも」
「いや、そーいう事じゃなくてだ……っ!?」
突然ダイがポップの口を手で塞いだ。
「シッ! 黙って……!」
ダイはベルトの裏側に仕込んだ投げナイフを壁のある一点に向けて抜き放った。カッカッ、と音を立てて突き立った三本のナイフの壁辺りから、薄茶色の影が浮かび上がった。
「……オスカー!?」
ポップが叫んだ。ポップの直弟子で、今はカールに派遣されているオスカーだ。ダイも顔だけは見た事があった。
彼の特技は幽体離脱で、こうして時間も空間も関係なく、しょっちゅう飛び回っては遊んでいる。
『お久しぶりです、マスター』
「何がお久しぶりです、だ。誰が帰ってこいと言った」
ポップが毒づくと、
『嫌だなあ。これも仕事の一環ですよ。はい、カールで足りなくなった物のリストです。大抵の物はアバン様が手配してくださいますが、魔法のかかった品は、やはり魔道士の塔製でないと』
「それでこんな場所を探すのか。デバガメ野郎。備品の事なんかはスタンの管轄だ。スタンに渡せ」
オスカーが幽体の指に、これは確かな物質のメモを挟んで手渡そうとするのをポップは撥ねつけた。
『マスターの顔が見たかったんですよ』
「オレは特に見たくないぞ」
……相変わらずポップと直弟子の中でも上位ナンバーの間には、深くて暗い河があるらしい、とダイは思った。会話の端々にトゲがある。
せっかくいい場面だったのに……と、かなり腹立たしく思わない事もないが、仕方ない。潔く諦めて、ダイは手を叩いた。
「はいはい、そこまでそこまで。とにかく、ここにいても埒があかないようだし、執務室に戻ろうよ」
スタンの方が適役みたいだし、と続けたダイをポップとオスカーは今、初めて存在に気付いたかのように見た。魔法使いのこういう所がダイは嫌いだ。
二人以上揃うと、一般人にはついていけない会話をえんえんと交わしてくれる。
「そうだな。そうするか……ところで、ダイ」
ポップが物置のドアを開けながら尋ねた。
「お前、ベルトにいつも、投げナイフなんか仕込んでるのか?」
「え、だって……魔道士の塔に丸腰でなんか入れないよ。何があるかわからないし。実際、今日も役に立ったし」
ダイもしれっと答えた。塔を何だと思ってるんだ、とはそこを根城にしている魔道士の頭領たるポップの弁。魔法使いの方でも、一般人(この場合勇者だが)の偏見には悩まされているようである。
オスカーはポップの直弟子ナンバー2だ。
ナンバー2というのはポップ版アバンのしるしとも言える、シャムロック・バッジと呼ばれる四葉をかたどった銀のバッジを与えられた順番だ。
ナンバー1は執務室の主であるスタンと、後輩の魔法指導を受け持つハーベイ。この二人は全く同等の一番で、実はナンバー2も二人いる。
その同じナンバー2のシャムロック・バッジを持つエドモスと二人で、オスカーはカールに派遣されている。カール国王となったアバンから、魔法の講師を差し向けてほしいと頼まれたのだ。人選したのはポップだが。
「メモの配達なんかは下っぱにやらせろ。ルーラの練習にもなる」
執務室に移動して、ポップはオスカーに噛み付いていた。
「もしくは、生身の体でルーラを唱えて戻ってくるなら許してやらん事もない。お前の幽体離脱は特技というより体質だからな、実体が無くて軽くて楽ちんだとか思ってンだろ。魔法力も必要ないしな」
執務室には黒い革張りのちいさなソファセットが据えつけてあって、ダイとポップ、オスカーとスタンに分かれて向かい合わせに座っていた。ハーベイは、学生達への講義で席を空けていた。
オスカーは薄茶色の髪を揺らして挑戦するように言った。
『ある能力は活用しないともったいないと思いませんか? マスター』
「認める。が、お前の場合安易に多用し過ぎだ。そんな事じゃ、いつか足もとを掬われるぞ」
『例えば?』
「そうだなあ……」
ポップはきょろりと部屋を見渡すと、立ち上がってスタンの執務机の上からインク壺を取り上げ、中身を窓から捨て、にこやかにそれを構えて振り返った。
オスカーはにわかに不安そうにたじろいだ。
『あ、あの、マスター?』
「例えばこういう時じゃないか? 自分より力のある者の前で調子に乗り過ぎ、その逆鱗に触れる……というのは?」
『マスター!? ち、ちょっと待って……!!』
オスカーの制止も聞かず、
「誰が待つかあっ! 壺の中で好きなだけ反省しろ。――封印!!」
ポップが叫ぶと同時に、たちまち室内に竜巻のようなものが沸き起こり、竜巻は、オスカーの幽体もろともインク壺に吸い込まれていった。
逃げるヒマもあらばこそだ。ダイはぽかーんと、今起こった出来事を把握しようとした。
「え、えーと、……もしかしてオスカー、その壺の中に入っちゃったの!?」
スタンが冷静に、ポップが呆れたように答える。
「そのようですね」
「見てわからなかったのか!? どこに目ェつけてんだ」
インク壺の蓋をしっかり閉めて、ポップはお手玉するように壺を投げ上げた。あの場合、中に入っているオスカーはどうなるだろう。目が回ったりしないだろうか。
ポップはインク壺をスタンに放った。
「これを備品と一緒にカールに送ってやれ、スタン。目録にオスカーの幽体在中、と書いてな。後はエドモスが何とかするだろう」
「わかりました」
「……って、今、出してあげないのっ!?」
仰天してダイは叫んだ。
「可哀想だよ。そりゃちょっと困った奴だけど、何も、インク壺に閉じ込めなくても」
「……心が広いな、ダイ? さっきいい所でジャマされたの、もう忘れたのか?」
白い目をしてポップが言う。
――そうだった。
あれ。でも、いい所で邪魔されたって……?
「ごめん、ポップ! オレが間違ってたよ!」
ダイはポップに抱きついた。ポップの薄い胸に頭を擦り付けてぐりぐりする。
「そうだよね! オレ達の仲を邪魔したんだもん、少しくらいキツい罰受けたって当然だよね!」
「……席を外しましょうか?」
スタンは気を利かせているつもりらしい。
「いや、いい! ここにいろ。オレ達が出て行く。お前は残って執務を続けろ。だーかーらー、いい加減に離れろ、ダイ!!」
ポップがダイを張り倒してこの話は終わったと思われたのだが、終わらなかった。
それは翌々日、カールまで備品を届けたはずの学生が、泣きそうな目で執務室のドアをノックした事から始まった。
>>>2010/04/30up