※ 明日に吹く風 ※
自らがリカバリィの呪文を唱えて活性化させた緑なす草原に、ポップは立っていた。
国の中心部では、国王崩御に皆、悲しみに暮れているはずだ。しかし一方では偉大なる王を讃え、厳粛な葬儀を執り行うための準備がなされている途中だろう。
アルキード王は素晴らしい王だったが、世継ぎを設けなかった。婚姻はしている。パプニカ女王レオナのもとには一粒種の王子ディーノが産まれ、女王は次代パプニカ王とするために、厳しくそして優しく、愛情を注いだと聞く。
王ダイは自分が国政にかかわれなくなる日が来ることを予見して、いちはやく王制から共和制に移行していた。代表を選出し、その者に国政を任せ、そしてそれを助ける何人もの補佐を置いた。
老いた王は時として、その者達に助言を与えながら静かに余生を送った。
傍らには常に、年若い魔法使いがいた。
皆はその魔法使いを知っていた。大魔道士と呼ばれ、王ダイと共に世界を救ったと言う。しかしこの国の民にとってはその部分こそ付け足しで、彼は王ダイが即位する以前より民の為に尽力してくれた医師であり教師であり、すべての者の憧れに近い存在だった。
国民は例外なくなんらかとの混血であり完全な人間ではなかった。クロコダインについてきた者達は、どこかから同族の女性を連れてきてこの国に住んだ。噂を聞きつけて、他の国では暮らしにくい亜人間達もアルキードに移住してきた。
国王と国務大臣は快く彼等を迎え入れた。
そしてその国務大臣こと、大魔道士ポップが普通の人間では有り得ないことも、いつしか人々の知る所になった。
彼に幼少の頃、面倒をみてもらった子供達がどんどん成長して彼を追い越していくのに、彼はそのままだった。防衛大臣ヒムのような、金属生命体ならともかくただの人間が、いつまでもそのままなど有り得ない。
これについては諸説紛々乱れ飛んだ。
強大な魔法力で老化を抑えているのだとか、時間を操れるのだとか、いやいや冒険時代に何者かに呪いをかけられたのだとか。しかしそういう俗説はアルキード国外のことで、アルキード国内にはひとつの波紋も呼ばなかった。彼等はポップを愛し、自分と同じように今の子供がポップに懐くのを喜んだ。
そしてもう一人、ポップと同じ境遇の者がいる。
護衛隊長ラーハルト。彼もまた、齢を取らず従順に国王に仕えていた。
ラーハルトは国王だけに仕え、余り人前には出なかったので、ポップ程その不老ぶりが知られていたわけではなかった。それに一応は成人していたので、魔族との混血ということもあり、それほど奇異とは見られなかった。しかしそれとて限度があり、ラーハルトに拾われてきた者の中には、少々いぶかしく思う者も少なくはなかったが。
そのラーハルトも距離を置いて、ポップと同じく草原に立っていた。
「葬儀に出なくていいのか?」
「ダイの魂はここにあるよ。からっぽの体の葬儀になんて出なくてもいいさ」
ポップはそう言ってダイの剣を見せた。
非力な魔法使いのポップにはダイの剣は片手で持つには重過ぎる。両手でしっかりと抱きかかえ、その重みに幸せそうに笑う。
「今頃デュオ達大わらわだろうなあ」
「大丈夫だろう。そんなにヤワには育てていない。あの子達は、オレ達がいなくても立派にやっていけるさ」
その言葉にポップはちょっと困ったような顔をした。
「それなんだけどさ。おまえ、ホントーに考え直す気ねえの? オレのお守りしたって何にも出ないぞ」
「貴様のお守りなどする気はない。オレがやるのはダイ様の剣の護衛だ」
顔色ひとつ変えずにラーハルトは言った。
ポップとラーハルトはいずれ来るこの日の為に、自分の身の降りかたを考えていた。
二人はしばらく黙っていた。
「……オレさあ、ダイのこと好きだったけど、実を言うとそれが愛とか恋とかいうものかどうか、よくわかんなかったんだよな」
ポップはおずおずと話し始めた。
ラーハルトはそのまま耳を傾けている。
「恋というなら、マァムに感じた気持ちの方こそ恋と言えるんじゃないかと思う。まあ今はマァムもいい齢になって、孫の一人や二人いるかもしれないけどさ」
ポップは草の上に腰を下ろした。
「でも、ダイがこうして死んじまって……、思い出すのはダイの事ばかりだ。マァムやメルルじゃないんだ。オレってやっぱり、ダイを愛してたんだなあ」
「わかりきったことを言うな。そんなこと、傍で見ていたオレにだってわかる」
「相変わらず可愛げのないヤローだな、おまえ」
ポップは苦笑した。
「まあいいさ。んじゃ行くか。今日の為に用意した場所へ」
二人は肩を並べて歩き出した。
それはアルキードが一望に見渡せる山の中腹だった。山は、リカバリィと植林の成果で見事な森を形成している。そうして……そこに、それはあった。
そこはちいさな洞窟だった。一見して、ただの洞穴にしか見えないが、狭い入り口を抜けると中は案外広く、中央に、人ひとりやっと寝られるくらいの大きさの、平らな岩があった。
「うーんついにこの日が来たなあ」
感慨深げにポップが言った。
「偶然この洞穴を発見して、手を入れて……もう何年になるかな? 木を鬼のように植えて、誰も入れないように結界を張ってさ。ようやく、その努力が実るってワケだ」
「あんまり嬉しそうに言うな。情けない」
「だーから、おまえは戻って好きにしろって言っただろうが」
いそいそと、ポップはその平らな岩に近付いた。
「オレは全魔法力を使って、ここで眠りにつく。もう二度と目覚めない。おまえに強要はしてないんだからさ。今からでも遅くない、デュオ達のところに帰れよ」
デュオ。ラーハルトが拾ってきた子供。最初の最初からアルキードにいて、ダイの即位を見、選ばれて共和制の代表になった。
もう既に子供ではなく、外見だけならラーハルトより年上だ。そのデュオにも黙って、二人はここにいる。
「オレの執るべき道はひとつ。……ダイ様をお守りすることだ。ダイ様亡き後は、残されたダイの剣を。そのダイの剣をおまえが持っている以上、オレはここにいて、おまえを守る」
ラーハルトのかたくなな言葉にポップは困ったように息を吐いて、
「ま、好きにしろよ。んじゃ、ここを出て、入り口にフタをしてくれるか? その後おまえがどうしようが、オレは構わないからさ」
暗に、おまえは自由だ、と言っている。
ポップはラーハルトを巻き込みたくはなかったのだ。
ポップは一人で、ダイの剣と共に眠りにつくことに決めた。
それをラーハルトに打ち明けると、ラーハルトはその眠りを妨げる者のないよう自分が護衛につく、と言い出したのだ。
何度も口論をして、ラーハルトの意志が固いと知ると、ポップも止める事をやめた。
ラーハルトはじゃあな、と軽く言って洞穴から出て行った。
大きな岩を転がし、入り口の穴を塞ぐ。
完全に穴が塞がれてしまうと、中は真の暗闇となった。
「………!?」
ポップは目を剥いた。ダイの剣が燐光を放っていた。
蒼い燐光。ダイの魂の色だ。
ポップは自分でも知らず、涙を流していた。
「ここにいるんだな……ダイ。本当に、ここに……」
ポップは剣に話しかけた。
「愛してるぞ、ダイ。オレ馬鹿だったから、おまえが生きてる時にはわからなかったけどさ。オレ今泣いてるけど、それは悲しいからじゃないんだ。おまえを、心から愛してるからなんだよ」
燐光が更に大きくなったようだった。
「ウソじゃねえって。本気だってば。……心配するなよ、浮気なんかしないから。どっちにしろ穴は塞いじまったし、オレの魔法力は大き過ぎてこんな所じゃ使えない。これで永遠に一緒だな、ダイ」
ポップがダイ亡き後ここで眠ろうと思ったのは、もう充分普通の人間としては生きたし、それ以上の生を求めようと思わなかったからだ。
実際もう死んでいるのだし、こんな死人がいつまでもアルキードにはびこっていたら、為にならないと思った事もある。
しかし旅に出るにしろ、非力な魔法使いとこのダイの剣の組み合わせは余りにも異様だ。大体、ポップにはこんな重いものを持って歩く趣味はない。
せっかくダイがくれたものだが、実はポップはこの贈り物をそんなにありがたがってはいなかったのである。そう、この洞穴に入って、一人になるまでは。
「オレさあ、おまえ……ダイの剣がここにあっても所詮ダイの代わりにはならないと思ってたんだ。どうせなら、あんなに忠実なラーハルトにやった方が有効に使えるんじゃないかとさえ思ってた。……でも、そうじゃなかったんだな。おまえ、ダイなんだ。形は違うけど」
ポップはほれぼれとダイの剣を見ながら言った。
「あの時ダイは何と言っていたっけ? オレが死んだらオレの魂はこの剣に依り憑いて、永遠にポップのもとにいる……だっけ? よくまああれだけ恥ずかしいことを堂々と言えるもんだ。でも、嬉しいよ。あの時は訳がわからなかったけど、今ならわかる……オレは、ダイに側にいて欲しかったんだ。レオナより誰より、オレがてい欲しかった。そしておまえはその通りにしてくれた……これ以上、何を望むだろう?」
ポップは鞘を抜いて、冷たい刀身に静かにくちづけた。
「今度はオレがいる番だな。いくらダイでも剣には足がついてないしな。オレ達はこの洞穴で永遠の眠りにつく。オレ達の邪魔をするものはもう何も無い。レオナもオレの異常も、おまえの王としての重圧も……何も無いんだ。天と地の間にオレ達は二人きり、今度こそ──……」
ポップは何を言おうとしたのか。
やり直そう、とも幸せになろう、とも言わなかった。
ただダイの剣を抱きしめて横たわり、目を閉じた。どこからか祝詞が聞こえてくるような気がした。
汝はこの女を妻とし、この女が病めるときも健やかなるときも、汝が貧しいときも富めるときも常にこの女を子の母として尊敬し、その幸福を守り、愛しみ育むことを神の前に誓いますか。
汝はこの男を夫とし、この男の子の母となり、この男の家を守り、この男の墓に入り、ともに眠るまで貞節を尽くすことを神の前に誓いますか。
この誓いは唯一にして永遠のものです。この誓いをたて、それからそれに背くものは神の罰を受けるでしょう。なんぴとか、この結婚に成立せざる正統な理由を知るものは、たったいま神の前に手をあげてそれを申し述べなさい。
そうしてポップは眠りにつく。
──ダイとの、幸せな夢に揺られながら。
< 終 >
>>>2004/11/2up