雨のち晴れルヤ
「リヴァイ……もう一度……」
とろとろと、眠りに入っていこうとした時、またもエルヴィンの手が伸びてきた。
エルヴィンに背中を向けて横向きで寝ていたリヴァイは、振り向くと、
「エルヴィン……」
「ん?」
甘いマスクに甘い表情。いい男だなー、とは思うのだが。
「寝ろ」
みぞおちに強烈な拳を繰り出した。
その一撃でエルヴィンは落ちて、これで静かになったとリヴァイは安心して眠りについた。
翌朝。
「……リヴァイは残ってくれ。話がある」
朝会の後、本日のタイムテーブルを確認していた時より難しい顔をして、エルヴィンが呼び止めた。
団長と兵士長なのだ、二人で協議する事もあるだろう。が、今回に限ってはそうではないと言い切れる。
朝食の席からエルヴィンは顔をしかめていた。
向かいに座って一緒に食事を摂るリヴァイは平然としていたが、エルヴィンの方は時折り口を開きかけてはやめる、という動作を繰り返していた。さすがに食堂で痴話喧嘩をするのははばかられたらしい。
というのも、二人の仲が円満なら普通に適当な会話をしているからで、こう、片方がむっつり押し黙っているのは何かあったな……、というのが傍から丸わかりなのだ。日々の安寧の為に、調査兵団のトップ二人にはうまく行って貰わなければ困る。
追い払われた、いや解散した幹部達の内、ハンジ分隊長は退室したばかりのドアに耳をくっつけて中の様子を窺っていた。同じ分隊長であるミケは呆れながら忠告した。
「おい、ハンジ。悪趣味だぞ。やめとけよ」
「だってー。喧嘩して亀裂が決定的になってまたリヴァイに出て行かれたら大変じゃなーい? そうならないように見張ってないと。私の行動はみんなの為でもあるんだよ」
確かに二ヶ月間、リヴァイ不在だった時のあの暗黒の空気は二度と吸いたくないが、だからといって盗み聞きはよくないと思うが……、言ってもムダだろうと思ったので放っておいた。ミケに出来る事は、中で本格的な喧嘩が始まったら入っていって止める事か、喧嘩とは違うものがおっ始まったら速やかにハンジの首根っこをひっ掴んで退散する事だ。なるべく後者には当たりたくない。
まあ朝だから大丈夫だろう。と、ある程度楽観的にミケはハンジの後ろに立った。
ハンジは実に楽しそうに盗聴している。
「……断るにしても、もう少し穏便な方法は取れないのか? 口で嫌だ、と言えば済む事だろう」
「それで解放された事があったかよ!? 眠いのに、いつまでも腹だの胸だの撫でくり回しやがって。そうやってなし崩しに相手させるのが、いつものテだろうが」
ぐ、とエルヴィンは返答に詰まった。
ジト目で睨みつけるリヴァイに、エルヴィンはぺろん、とシャツをめくった。
「見ろ。お前が殴った痕がくっきり残っている」
指の形までわかりそうなほど濃いアザが出来ているのを見てリヴァイは、
「……エルヴィン、少し腹が出て来たんじゃないか?」
「そ、そうか?」
エルヴィンは動揺した。
「暗い所じゃよくわからなかったが……まあ、団長になってデスクワークが増えたからな。多少肉がついても仕方ないよな。まだ充分シマッてるから、気にしなくていいぞ、エルヴィン」
ぽんぽんと、エルヴィンのおなかを叩きながら言う。
「なら、お前が私の夜の運動に付き合ってくれればよくないか? リヴァイ」
「あとそれから、今日から自分の部屋で寝るから」
微妙にオヤジくさいエルヴィンの誘いをリヴァイは無視した。
「何故!?」
「だってもう暑いし。くっついてると寝苦しいし。手ェ出してくるし」
「恋人同士なんだから当たり前だろう!?」
「世の中にはレスの夫婦もいるし、当たり前ってこたあないだろ。愛してるなら、俺の言うこと聞いてくれるよな? エルヴィン」
「………」
どう言い返してやろうかとエルヴィンが考えている隙にリヴァイがするり、と首に手を回してきて、自身は爪先立ちになって、そっと唇を重ねた。
「――じゃあな。また冬にな。寒くなったら潜り込みに行くから」
さ、演習場行くぞ、とリヴァイは促した。先に立って歩き始める。
ドアを開けると、ハンジが逃げていくのが見えた。ミケは突っ立っていた。置いていかれたのかもしれない。ちら、とミケを見上げてから、リヴァイは顎で部屋の中を示した。エルヴィンはまだ中にいて、うずくまって頭を抱えている。フォローしろ、という事か。ミケは、
「エルヴィン。ほら、行くぞ」
と、声をかけた。対するエルヴィンの反応は、
「……リヴァイが冷たい……」
というものだった。あれだけすったもんだしてくっついておいて、数ヶ月で気温に負けるとは不幸極まりないが、今はエルヴィンを演習場まで連れて行かなければ。団長が姿を現さないと、色々と始まらないのだ。わかったわかった、とミケはエルヴィンを宥めながら何とか立たせた。
エルヴィンはまだぷつぷつ言っている。
「……大体今回が初めてじゃないんだ、あいつが暴力に訴えたのは。持ち帰り仕事を終えて、ようやっと隣の寝室に行ったら、あいつが私のお下がりの上だけ着て寝てて、それはそれは美味しそうな足がむき出しで晒されていたので、ちゃんと手を合わせて拝んでからいただきます、と言ってから襲いかかったのに、逆に蹴られてベッドから落とされて、うっとおしいって睨まれて、あっち行けって何故か私がリヴァイの部屋で寝るハメになって……。まあそれはいいんだ。次の日悪かったな、って言ってサービスして貰ったからな。でも寝室が別になったら、今夜は何も期待出来ないじゃないか!」
じゃあやっぱり最初のは合意だったんだな。
人類最強を恋人に持つのも大変だな、とミケは他人事のように思った。他人事だが。
「まあそう熱くなるな。ところで、何でリヴァイが部屋に来てくれること前提なんだ。別室が嫌なら、自分から訪ねればいいだろ」
「そ、そうか。そうだよな。私から行く分には、リヴァイも文句言わないよな」
納得してエルヴィンはその晩いそいそとリヴァイの部屋を訪れた。
しかしリヴァイは、そんな拡大解釈が通用するような相手ではなかった。
「……冬になったら潜り込みに行ってやる、って言ったよな? 聞いてなかったのか、エルヴィン?」
安眠を邪魔されたリヴァイは不機嫌だった。
ベッドがエルヴィンの重みでたわんだ瞬間につい反射的に手が出て、ついでに足も出て、ベッドの反対側の壁までエルヴィンを蹴り飛ばしていた。白目を剥いている所からしてもう声は届いてないだろうが、とりあえず合鍵は取り上げておく事にする。
それからちょっと可哀想になったので、エルヴィンの目を閉じさせて、両脇に手を入れてずりずりとベッドまで引き摺っていって、寝かせてやった。それくらいの慈悲はリヴァイにもある。
「おやすみ、エルヴィン」
ちゅ、と頬にキスをしてからリヴァイはエルヴィンの部屋に向かい、自室のものより一回り広いベッドに悠々と横になり、ぐっすり寝た。
「………」
調査兵団には重苦しい雰囲気が漂っている。
主な原因は我らが団長の不快っぷりである。団員の手前、表には出さないようにしているものの、苛々しっ放しなのが手に取るようにわかる。リヴァイ程ではないが、エルヴィンの行動も士気にかなり影響する。団長なのだから当然だが。
どうでもいいですから早く仲直りしてくださいお二人とも、という視線はリヴァイにも突き刺さっているが、リヴァイがそんなものに左右される筈もなく、常に平然、泰然としている。有事の際にはとても頼もしく思えるその態度が今は恨めしい。でも言えない。だって怖い。
「リヴァイ、ちょっといいか?」
こんな時、お鉢が回ってくるのはいつもミケだ。
常識人の宿命だと、ヒラ団員達の期待を一身に背負ってミケはリヴァイを呼び止めた。
訓練が終わり、演習場から貯蔵庫を兼ねた望楼の裏へ歩きながら立ち話をする。
「……つまりミケは、俺に調査兵団の為に犠牲になれ、と」
聞き終わって、むすっとした調子でリヴァイは言った。
「いや、そういう意味じゃなくてだな……」
ミケは困って首を振った。
「同じ事だろ。要は、エルヴィンの欲求不満を解消する為の肉便器になれって事じゃねえか。そんなに心配なら、てめえがエルヴィンの相手してやれよ、ミケ。俺は別に構わないぞ」
「………」
そ、それは、俺にエルヴィンと寝ろという事か!?
ミケが躊躇していると、ふん、とリヴァイが鼻を鳴らした。
「自分で出来ねえ事をヒトにやらせようとすンなよ。じゃあな」
「ま、待てよ」
引き止めようと伸びてきたミケの手をリヴァイは避けた。もう聞く事はない、とばかりにミケに背を向けて歩き始める。
「えーと……、リヴァイ、もしかして俺にも怒ってるか?」
振り向かない背中が肯定している。
リヴァイを突き放してからこちら、なんとなく有耶無耶になってしまったが、そういえばちゃんと謝っていなかった。ミケは後を追いながら、
「……悪かった。俺は、保護者にはなれないが……恋人にもなれないが、いい友人にはなれると思う。今回の事も、ちょっとエルヴィン側に寄り過ぎだったな。すまん」
「………」
ぴた、とリヴァイの足が止まった。
ミケが追いつくのを待って、ミケに向けて両手を突き出す。ああこれは、抱っこしろ、のサインだ。
保護者にはならないと言ったのに、全く……と思いつつ、これで和解出来るのなら、とミケはリヴァイを抱き上げた。まあ抱っこ自体はリヴァイとエルヴィンがくっつく前からしていたのだし、リヴァイも喜んでいるし、いいか。
「目線が高くなるから好きなんだよな。てめえもエルヴィンも、こんな感じで見ているのかと思うと」
何だ。ちゃんとエルヴィンの事も気にしてるじゃないか。
「お前それ、エルヴィンにも言ってやれよ。むしろエルヴィンに抱っこしてもらえよ」
「だってエルヴィンは、」
リヴァイが何か言いかけた時、背後からおどろおどろしい声がかかった。
「……すまないがミケ、リヴァイを下ろしてくれないか?」
「エルヴィン」
ミケは慌ててリヴァイを下ろした。が、リヴァイはミケの胸にしがみついたまま離れない。
「……リヴァイ。ちょっと来なさい」
「嫌だ」
無言でエルヴィンはリヴァイの腰をがし! と掴むと、ミケから無理やり引き剥がした。
リヴァイを荷物のように小脇に抱えて、ミケに言う。
「……夕方の報告会議は君が仕切ってくれ、ミケ。私とリヴァイは、急な腹痛のため欠席だ」
「お、おい、エルヴィン!」
エルヴィンは大股ですぐ側の望楼の中にリヴァイを連れ込んだ。
まずい事になった。ミケは青ざめた。
しかしここで割って入ると、更にこじれるような気がする。
嫌ならもちろんリヴァイなら逃げられるだろうが、どう見てもレイプ後だった最初にエルヴィンを庇った事といい最近といい、リヴァイの考えは今ひとつ読めない。頼むから、余りひどい事はしてくれるなよエルヴィン、とミケは祈るような気持ちでその場から離れた。
リヴァイは投げ落とされた鐘楼の床に、そのままの姿勢でエルヴィンを見上げていた。
「抱っこなら私がしてやる。それ以上の事も」
「………」
リヴァイの返事を待たずに、硬い石の床の上に、エルヴィンはリヴァイを組み敷いた。
>>>2013/11/12up