薫紫亭別館


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蒼い

 ――なにやらちっさいのがいる。
 訓練兵だろうか。エルヴィンにくっついて、物珍しそうに兵舎内を見回している。ただ、おっそろしく険のある目つきだったが。まあこんな世の中、すさんだ目もしたくなるだろう。
 きっちりとサイドと後ろ髪を刈り上げ、胸元にはアスコットタイ風にスカーフを巻いている所を見ると、もしかしてどこぞのお坊っちゃまが、酔狂にも調査兵団内部を見学しに来たのかもしれなかった。……どう見ても、着ているのは何の変哲もない白シャツとズボンなのだが。
「やっほー、エルヴィン。どうしたの、その子ー?」
 ハンジが刃の手入れの手を休めて、目聡く近寄ってきた。
 今は夕方、皆、外での訓練を終えて、愛用の立体機動装置の点検と清拭を行なっていた所だった。自分より僅かに先輩のエルヴィン相手に、ハンジは眼鏡の奥の目をキラキラさせながら問い掛ける。
「ああ、リヴァイだ。まだ見習いだが調査兵団に入るから、皆もよろしくしてやってくれ」
 ぽん、とそのちっさいのの肩を叩いてエルヴィンが紹介した。
 リヴァイとやらの背は、そのエルヴィンの肩までしかない。
「そう。私はハンジ。よろしくね、リヴァイ」
「………」
 リヴァイは無言。
 無表情の三白眼で見上げられるとちょっとしたホラーだ。
「……えっとー」
 ハンジは標的を変えた。リヴァイの隣のエルヴィンの腕をひっ掴んで速攻で壁際まで移動して、こそこそと内緒話を始める。
(何、あの子!? もしかして口が利けないとか、そういう事情!?)
(いや、緊張しているだけだろう。慣れればそれなりに喋る……筈……)
「あだだだだだ」
 と、背後で呻き声がした。
 見ると、リヴァイがエルヴィンより更に身長差のある大男の首に、無理やりチョークスリーパーをかけている。
「こら! 何をしている、リヴァイ!」
 リヴァイは大男の頸動脈をがっちりと固めたまま、
「……何か人の後ろでスンスンスンってして、笑いやがったから」
「確かに彼はあからさまに不審だが、他意は無いから安心しなさい。彼はミケ・ザカリアス、お前に限らず、初対面の相手の匂いを嗅ぐのは彼のクセだ」
「………」
 ちろ、と横目でリヴァイがミケを見やる。
「……リヴァイ今、犬みたいな癖にミケか……、って思ったろ」
「! 何でわかった!?」
「誰もが一度は考える……いや、今はそんな事はいい。ミケに謝りなさい、リヴァイ」
 エルヴィンに促されて、リヴァイは大人しく腕を解いた。ごめんなさい、と殊勝に頭を下げる。
 小さいのが反省した(ような)顔をしていると、無下に出来ないのが人情というもの。
「あ、いや……こっちこそいきなり悪かった」とミケ。
「いやーん可愛いー! 素直ー! ねえねえリヴァイって何歳なの!?」と、ハンジ。
「……二十八歳だ」
 リヴァイの返事はハンジの耳に少々省略されて届いたらしく、
「えー十八ー? 見えなーいっ。十五、六歳に見えるよー。あ、もしかして調査兵団に入隊する為にニ、三歳サバ読んでない? 大丈夫だよーンな事しなくても。十五歳ならもう立派な大人だもんねっ。あれ、でも今訓練兵の卒業シーズンじゃないよね。すっごい優秀だからスキップしたとか? うわ、明日からの訓練が凄い楽しみー。一緒に頑張ろうね、リヴァ」
 イ、と名前を呼び終える前に、当のリヴァイが手のひらでハンジの口を塞いだ。
「二十八歳だ」
「え?」
「にじゅうはち、だ」
 ざわっ。と騒いだのは、今まで黙って成り行きを見守っていた後ろの兵士達の方だった。
 盛り過ぎだろ、どう見ても子供じゃねえか、つか何でこの時期に新兵なんだ、誰のコネだよ、いやコネなら憲兵団に入れるだろ、厄介払いじゃないのか、むしろエルヴィンの隠し子なんじゃないか、etc、etc。
「エルヴィン」
 調査兵団をパニックに陥れた本人はどこ吹く風でエルヴィンの袖を引っ張って、他の場所を案内しろ、と上から目線で命令している。エルヴィンも気分を害す事なくああ、そうだなと頷くと、
「じゃ、また夕飯の時にでも」
 軽く言い残して、エルヴィンとリヴァイは連れ立って消えた。
 まだまだざわついている室内で、首を左右にコキコキ鳴らしながらミケがつぶやく。
「いや……多分マジだ、アレ」
「ミケ?」
 何が、とハンジが聞いた。
「二十八歳っての。十八やそこらのガキにこの俺がやられるか。アレは相当場慣れしてる。大体この体格差だぞ、普通なら俺が振りほどいて終わりだろ。それをまー、完っ全にキメやがって。エルヴィンが声かけなかったら、多分あのまま落とされてたな。俺、これでも調査兵団の中じゃ、結構強い方だと自負してたんだが……」
「え、あれ本気で苦しがってたの!? 私てっきり演技かと……ほら、子供がかかってきたら、わざと負けてあげてご機嫌取るみたいな感じで。うっそー、じゃ、ホントに二十八!? 私より年上!?」
 だってちっちゃいよ!? 
 私よりちっちゃかったよ? 多分肩幅なんかも私より狭いよ、髪とかサラッサラだったよ。
 いーなー直毛……。
 ハンジは頭を抱えた。そこはかとない敗北感がこみ上げてきたらしい。
「……年上……っ」
 詐欺にあったような理不尽さを感じずにはいられない、ハンジ二十六歳と四ヶ月。


「なんかねー、強い事は強いんだけど、あんまり対巨人との知識とか立体機動装置の扱い方とか知らないらしくて、でもそれさえクリアすれば即戦力になるとかで、そう言って上を説得したんだってー。自分が責任持って鍛えるからって。けっこーエルヴィンて面倒見いいよね」
 ハンジの言葉にミケはなるほどと頷いて、演習場の端っこを見た。
「それでアレか……家庭教師みたいだな」
 二人は隊列を離れて、マンツーマンでエルヴィンはリヴァイを指導している。
 ちなみにミケやハンジ含む他の兵士達は演習場で、今日の訓練に備えて柔軟体操真っ最中だ。
 リヴァイが来たのは昨日の夕方だった。言葉通り食堂にやって来た二人をハンジは質問責めにして、色々と聞き出していた。リヴァイは殆ど喋らなかったし、エルヴィンはあの調子で、物腰柔らかな割には大した話はしていなかったが。
 それでうんざりしたのか、今朝は二人は朝食の席に現れなかった。……と思っていたら、単に立体機動装置のベルトの調節に手間取っていただけらしい。慣れるまでは、かなり時間がかかるものだ。訓練兵団では一分以内に装着出来るよう、まず最初に叩き込まれる。
 エルヴィンはスパルタではないようだ。
「でもちょっと特別扱いが過ぎねえか? そこまでしてやる価値があるのかよ、あのチビに」
 ミケとハンジの近くにいた、バルトという男が割って入った。
 灰色の短髪の、それなりに実力者だが激情型で、何を考えているのか今ひとつよくわからないエルヴィンとは相性が悪い。だからといって喧嘩するでもなくうまくやってはいるが、バルトの言葉は、地獄のような訓練を経て調査兵団に入った兵士達の、ほぼ一般的な内心を代弁していると言えるだろう。
「んーでも……スカウトならちょっとは仕方なくない? ウチ死亡率高いし、勧誘したって中々入ってくれる人は少ないもんねー。訓練兵の上位十名だって、大抵みーんな憲兵団に行っちゃうしさ。実力があるなら、多少は待遇良くしないと」
 ハンジが一応フォローを入れる。
「多少、ってレベルじゃねえだろ。前代未聞だ」
 バルトは憎々しげに唇を歪めた。
「大体ウチで一番必要なのは格闘術じゃなくて立体機動術だろ。ミケが言うからには多分実力もあるんだろうが、今から練習して間に合うのかよ。アイツの自己申告が確かなら、あのリヴァイって奴はもう二十八なんだろ? 普通は十二歳からだろ。倍以上歳食ってるじゃねえか」
「いや……どうやら」
 感慨深げに、ミケは熱くなっているバルトにリヴァイ達がいる方に水を向けた。
「大丈夫みたいだぞ」

 ヒュッ、と風を切る音がして、タンッ、とアンカーが壁に刺さる。
 リヴァイとエルヴィンは貯蔵庫を兼ねた望楼の前にいた。用途にふさわしくかなり頑丈に組んである黄色みを帯びたレンガ造りの壁は、時折り及第点を取れなかった新兵の補習に使われる。さっきまで立体機動装置の詳しい解説をしていたと覚しきエルヴィンがまずアンカーを打って見本を示し、続いてリヴァイがアンカーを放った。
「え!? ち、ちょっとまって。あの子、ロープでバランス取る訓練とか、したことないよね!?」
 ぶっつけ本番って事!? とハンジが焦って見守る前で、エルヴィンがアンカーを巻き取りながら飛ぶ。リヴァイが真似る。軽やかな跳躍とは裏腹の、重い着地音。それだけスピードが乗っていた、という事だ。
 エルヴィンがもう片方のアンカーを更に上へと突き刺して見せる。
 それだけで理解したのか、リヴァイは次々にアンカーを交互に繰り出して、エルヴィンを置いてけぼりにして、あっというまに望楼の屋根まで登ってしまった。
 壁と違い屋根は赤いレンガで出来ている。
 屋根の上で、ちいさい体が反っくり返ってコケそうなほどリヴァイは空を見上げている。地上には興味が無いのだろうか。エルヴィンが追いついてきて、何か声をかけるまでリヴァイはそのままだった。
 もう既にコツを掴んだのだろう、降りる時は一瞬だった。
 壁の中ほどにアンカーを打ち、ためらいもなく飛び降りる。ゲ……っ! と、思わず息を呑むハンジ達が見守る前で、落下の勢いでアンカーが、遠心力で逆に浮いた。リヴァイはそこでアンカーを抜き、くるん、と綺麗な孤を描いて着地した。

>>>2013/7/11up


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