のんびり見物出来たのはそこまでだった。
実力はあれどまだ何の役付きにもなっていないハンジ達は、自分達の班長の号令に従って演習場でランニングを始めた。目を離した隙にリヴァイとエルヴィンはいなくなっていて、ハンジは並走するミケに、どこ行ったんだろうね? と話しかけた。
「コローナの林だろう。立体機動術を学ぶなら、あそこが最適だ」
「ああ……」
ハンジは頷いた。コローナの林はここから歩いて十五分程の、調査兵団が所有する林だ。
本来は国のものだが調査兵団に貸与され、自由に采配していい事になっている。同じように、基本、どの兵団も自分達の所領を持ち、その兵団の個性に合わせた訓練を行なっている。ランニングを終え、組手格闘術の稽古に移った頃、ひょっこりエルヴィンだけが戻って来た。
「あれ、どーしたのエルヴィン。リヴァイは?」
こういう時に声をかけるのはいつもハンジだ。目聡いのと親切なのと好奇心と、それらが綯い交ぜになってハンジという人間を構成している。エルヴィンは僅かに苦笑して、
「置いて行かれた。まるで鉄砲玉だな、あれは。水を得た魚のように林の中を飛び回っているよ。いや、林だから、魚のようなと言うと語弊があるかもしれないが……」
ぼーっと待ってるのも芸がないからな、とエルヴィンは戻って来た理由を言う。
「いいの、エルヴィン? 監督とかしてなくて」
「必要ない」
稽古に混ざりながら答える。見事なまでの一刀両断。
ちょっとそれ以上のツッコミを許さない雰囲気だ。まあ、班長が目を光らせているから、追求しようにも出来なかったが。
一旦休憩。
班長の言葉にようやくハンジ達は息をついて、少しでも柔らかい場所を、と土剥き出しの演習場から草地の上にへたり込んだ。すると、丁度リヴァイが林からひょこひょこ歩いて戻って来た。エルヴィンを見つけて近づいてくる。
「動かなくなった」
「故障か? どれ、見せてごらん」
エルヴィンはリヴァイのすぐ横で膝をついて、立体機動装置を確かめた。
「ああ……これは故障じゃなくてガス切れだな。に、しても無くなるのがやけに早いな。思いっきりガスを吹かしたりしたか?」
「………」
リヴァイはちょっと気まずそうにうつむいた。
「スピードが出るのが面白くて……」
「そうか。まあ、最初だしな。でも次からはガスの残量には注意しなさい。いざという時、ガスが残っていないと逃げられないからな」
おいでリヴァイ、新しいガスと交換してあげよう、とエルヴィンは立ち上がった。
「ボンベ自体を交換する方法と、空いたボンベに直接ガスを注入する方法とがある。今日の所は前者だな。私が右のを交換してあげるから、リヴァイは左をやってみなさい。何、そう難しいものじゃない。古いのを外して、新しいボンベを音がするまで嵌め込むだけだ」
エルヴィンとリヴァイが消えるのを、ハンジ達は黙って遠巻きに見守っていた。
なんとなく声をかけづらい……割って入れない空気だった。リヴァイを何処から連れてきたのかは知らないが、エルヴィンの言動は完全に保護者のそれだ。体格に恵まれたエルヴィンと並ぶと、リヴァイの小ささがよくわかる。
両の太腿に付けた立体機動装置が如何にも重そうで、痛々しくて、つい、手を差し伸べてやりたくなる。
どう見ても子供だが、いやアレは二十八歳の立派な成人男性だと思い直す。多分、だが。
「何なんだよ、あいつら……調子に乗りやがって」
吐き出すようにバルトがこぼす。
「エルヴィンの野郎、好き勝手に訓練に出たり入ったりしやがって……アイツの指導係なら、大人しく、ずっとあのチビにくっついときゃいいだろ。掌中の珠みたいで気色悪い」
それももっともな言い分だったので、誰も反論はしなかった。かといって簡単に同意も出来兼ねた。
あの特別待遇には理由がある。
それはエルヴィンがシーナの名家の出で、調査兵団にも莫大な寄付をしている事と無関係ではない。
名家の嫡男ながら訓練兵団に入団し、一番危険な調査兵団に志願して配属され、壁外調査にも何度も参加し、生きて帰ってきた確かな実力と魅力的な人格を持ち、更に実家のバックアップもあるとすれば、多少の無理は通るのだ。
今までのエルヴィンはそれを表に出した事は無かった。
役職こそ着いてないが未来の幹部候補として、普段はキース団長の近くで勉強させられている。
ハンジ達に混じって訓練する事など滅多にないのだ。
「コネで捩じ込むとか、そういう奴じゃなかったろ……今だって集団行動を乱してるし。元々いけ好かない奴だったが、ますます感じが悪くなったぜ。それも全部あのチビのせいだ」
「ちょっとバルト! だからってリヴァイに嫌がらせとか、やめときなさいよ。大人げないから」
ハンジが窘める。しねえよ、とバルトが言う。
ミケはバルトの為に、その言葉が正しい事を祈る。
多分アレは、振りかかる火の粉は払うタイプだ。それもかなりえげつない方法で。
手を出せば、火達磨になるのはバルトの方だろう。
「おい――」
ミケが忠告する前に、班長が集合! と号令をかけて、それでこの話は有耶無耶に終わった。
夕刻、ハンジ達が訓練を終えてもリヴァイは戻って来なかった。
エルヴィンは昼間リヴァイを迎えた時と同じ草地に悠然と足を投げ出して、体育座りしたハンジとあぐらをかいたミケを両隣に、鉄砲玉が帰ってくるのを待っていた。
「……今日は訓練初日だからね。とにかく立体機動装置に慣れてもらおうと思ったんだ。使い方さえ教えれば、後は自分の好きなように勝手に使いこなすだろう。私の指導など邪魔なだけだ」
エルヴィンはリヴァイの運動能力に全幅の信頼を置いているらしい。
目を細めて、むしろ自慢そうに、ハンジとミケに語る。これまで特に親しい、という間柄ではなかったが、ハンジは誰に対しても変わらないし、ミケもリヴァイの事が気になって、エルヴィンが待つというのに付き合っていた。
「なあ。アレ、どこで拾って――」
「ははは」
エルヴィンが快活な笑い声を上げた。逆だよ、ミケ。私がリヴァイに拾われたんだ、と返す。
「だからお礼にここまで連れて来たのさ。彼には私を拾った責任を取って貰わなければならないからね」
「拾われたって……、いやだから、何処で――」
お礼に調査兵団に入れるって、そりゃどんな理屈だ。呪いか。
「待ってよエルヴィン。確か貴方、昨日リヴァイには対巨人の知識が無いって言ってたわよね? もしかして騙して連れて来たの? それって詐欺よ。あんな小さな子に、全く……!」
「ちゃんと説明したよ。我々の敵は巨人で、明日をも知れぬ毎日だと」
涼しい顔でエルヴィンは弁明する。
「それから、リヴァイは君達より年上だよ。……あ、」
立体機動装置のガス音が聞こえてきて、林の入り口で消えた。リヴァイが見えた。おかえり、とエルヴィンが立ち上がって出迎える。ミケとハンジもエルヴィンに続いた。
「遅かったな」
「……つい夢中になって……」
エルヴィンはリヴァイの立体機動装置からボンベを外し、手に持って、重さを確かめると、顔をしかめた。
「……サボってた訳じゃないよな、リヴァイ?」
「……てめえ、俺を侮辱してんのか!?」
いやすまん、まだガスが残ってた事が信じられなくて……とエルヴィンが謝罪する。
「てめえがガスに気をつけろ、って言ったんだろうが。俺様がつましくも節約に勤しんだ結果がその残存量だ。信用出来ないなら最後まできちんと見張っておくべきだったな、エルヴィン」
案外と粗暴な物言い。
無口で必要最小限の会話しかしないのかと思っていたら、意外と喋る。
「そういう口の利き方は慎みなさい、と言っているだろう? リヴァイ。でも今回は私が悪かった。謝る」
「……なら、いい」
リヴァイのお許しが出た。
「ありがとう」
エルヴィンが微笑む。可愛くて可愛くて仕方ないらしいのがわかる。
さあ帰ろう、ときびすを返そうとした時、リヴァイがエルヴィンの上着の裾を引っ張った。
「なあ、エルヴィン」
つい、と夕陽が落ちて、木の上に夕闇が降りてきたコローナの林を指差す。
「林の向こうに川があった。……入ってもいいのか?」
「水浴びか? 風呂なら兵舎にあるぞ? 大浴場な上、女性と一日交代だから2日に一度だが……」
「川がいい」
リヴァイはきっぱり言い切った。
「水がいっぱい流れているのが面白い」
どこかうっとりしているような、憧れているような、リヴァイはそんな表情をしていた。
……そうか、とエルヴィンは頷くと、てきぱきとリヴァイから鞘やら立体機動装置の本体を外させ、
「特別に、今日は持って帰ってあげよう。明日から装備の手入れは自分でするんだぞ。後、食堂は終日解放されているけれど、夕飯が出るのは八時までだから、遅れないように。……まあ、まだ大丈夫か。往復に時間を取られるだろうから、急いで行って来なさい。流されるなよ」
ひらひらと手を振ってエルヴィンは見送る。
リヴァイは歯牙にも掛けずたたっと走り出している。ちょっとつれない。
「……一人で行かせてもいいの? エルヴィン」
ハンジがエルヴィンの顔色を伺うように聞いた。
「子供じゃあるまいし、もう道は覚えただろうから大丈夫だよ。過保護だね、ハンジは」
何か違う。ミケは頭痛を覚えた。
この頭痛とは長く付き合う事になるような……、そんな嫌な予感がふつふつと込み上げるミケの傍らで、エルヴィンは親馬鹿トークをえんえんと炸裂させていた。
>>>2013/7/12up