薫紫亭別館


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陽のあたる坂道


「わざわざついて来なくてもいいぞ、ミケ」
 リヴァイはコローナの林を、水浴びに行く為に歩いていた。少し遅れて、ミケが続いている。
「そうはいかん。もう、お前を一人で水浴びに行かせるな、とエルヴィンに厳命されているんだ。文句は半月前の自分に言え」
 半月前、リヴァイは川で死にかけた。
 貧血で意識を失った所をエルヴィンに助けられたのだ。ミケも同行していた。
 その後の治療と隠匿が大変だったので、ミケもエルヴィンの意見に賛成している。ミケが言った。
「大体、何で川なんだ。この寒いのに、兵舎の風呂に入りゃいいじゃねえか」
「今日は女が使う日じゃなかったか?」
 調査兵団の大浴場は男女一日交代だ。
 すっかりその事が頭から抜けていたミケは、何とかこれだけは承知させた。
「……髪は濡らすなよ」
 わかった、とご機嫌でリヴァイはぱっぱか服を脱ぎ、水音を立てて川に入った。全く反省していない。
 ミケは木の影に隠れて、そちらを見ないようにしながら問い掛けた。
「……なあ、リヴァイ」
「んー?」
 リヴァイの返事は長閑なものだ。
「……エルヴィンと何かあったのか? お前ら最近、妙に噛み合ってなくないか?」
 これも半月前、エルヴィンとリヴァイは揃って昇進した。ミケもお零れにあずかったのか、同期のハンジと共に班長から分隊長になった。エルヴィンは団長、リヴァイには兵士長という新しい役職が宛てられた。事実上のツートップだ。
 それがどうも、うまく機能していないように見える。
 会議などでは普通に喋るのに、ふとした時に、睨み合った末にエルヴィンが目を逸らす、といった具合で、どことなくリヴァイが腹を立てているように見える。といって、リヴァイは元々の目付きが悪いので、微細な感情の変化に気づくのは、リヴァイと親しいミケとハンジくらいだろうが。
「別に何もない。エルヴィンがヘタレてるだけだ」
「………」
 エルヴィンをヘタレ扱い出来るなど、調査兵団と憲兵団と駐屯兵団合わせてもリヴァイ一人だけだろう。
 ミケは気を取りなおして、
「いや、だから何をヘタレたんだ。そこんトコがわからないと、俺も仲裁しようがないんだが」
「仲裁の必要なんかない。ただの痴話喧嘩だからな、口出し無用だ」
 それとも馬に蹴られたいのか? 変わった趣味だな……とリヴァイがつぶやく。
 いやいやちょっと待て! とミケは慌てた。
「痴話喧嘩って何だ、お前らいつからそんな仲になったんだ!」
「まだなってねえよ。なろうとしたら、エルヴィンが逃げやがったんだ」
 エルヴィンの部屋。エルヴィンのベッド。
 あの日リヴァイは、エルヴィンの匂いに包まれて目を覚ました。
 傍らにはうとうとと船を漕ぐエルヴィン。どうも自分は川で気を失ったらしいとは朧気ながら覚えていて、状況から、エルヴィンが助けて看病してくれたらしい、と知れた。何かとても嫌な夢を見ていた。とっくの昔にリヴァイが置き去りにしてきた過去だ。
 乗り越えたと思っていたが、そうではなかったらしい。そんな時、エルヴィンの声が聞こえた。
 リヴァイ、と繰り返す声が余りにも悲痛だったので、つい目が覚めた。
 ……ああもう、何て顔してやがるんだ。
 そんな泣きそうな、情けない顔でこっちを見るなよ。俺は大丈夫なんだから、……まあちょっと熱で気弱になってるが、起きたら元に戻るから。仮にも俺の保護者なら、もっとどっしり構えてろ。
 ……ああ、保護者じゃ物足りなくなってたんだったか。わかった。好きにしろ。
 ……エルヴィンなら、いい。
 寝て起きて、目の下に真っ黒なクマの出来たエルヴィンの寝顔を見ていると、悪いと思いつつこっちを向かせたくなった。シーツの中を移動して、エルヴィンに手が届く範囲まで近付く。その際、自分が下着だけなのに気付いたが、好都合というものだ。
 エルヴィンのシャツの袖を掴む。何度か引っ張ると、エルヴィンが目を覚ました。
「リヴァイ、起き……!?」
 する、と袖口のカフスから指先を滑りこませ、手首を直接握った。
「リヴァ……」
 視線を絡ませ、誘導する。
 リヴァイの上に。エルヴィンは椅子から腰を浮かせ、操られたように身を乗り出した。
 目を閉じ、口を薄く開ける。
 逡巡している気配に、もう一押し、と手首を握っていた手をそのまま肘、二の腕、肩とゆっくり這わせながら首に回す。駄目押しとばかり、空いた片手をズボンの前立てに触れさせた瞬間、エルヴィンは理性を取り戻した。
「……何がいけなかったんだろう。アレで落ちない客はいなかったんだが」
 リヴァイは本気で不思議だった。
 勃っていた事はしっかり確認している。場所はベッドで、自分はほぼ裸で、エルヴィンの気持ちも知っている。だからすぐにかぶりついてくると思ったのに、いきなりヘタレた原因は何だ。
「ああ……、そりゃ、手ェ出せないだろうなあ……」
 ミケが遠い目で述懐する。
 もちろんリヴァイは聞き逃さなかった。
「何だミケ、何か知ってるのか。吐け。隠すと為にならないぞ」
 ざぱっと水から上がって、リヴァイは少し離れた木の後ろにいるミケに突進した。
 まず服を着ろ! とミケは大声で叫んだ。
 大人しくリヴァイが服を身に着けている間に、さて、どう説明したものかとミケは悩む。
「………」
 あの夜のリヴァイの姿は衝撃的すぎた。あれは手が出せない。あんな様子を見せられて、ホイホイとのしかかれたらそいつは鬼畜だ。……まあ、そういう客の方が多かっただろう事は推察できる。リヴァイにとってはそれが普通、なのもわかる。
 エルヴィンが商品時代のリヴァイを何処まで知っているのかは知らないが、吹っ切ったつもりでもトラウマが残っているとわかった以上、おいそれと誘いには乗れない。せっかくリヴァイがその気になってくれたのに、難儀な事だが、エルヴィンはそれだけリヴァイを大事に思っているのだろう。
「まあ聞け。エルヴィンはお前が好きだ。それはわかってるな?」
 ん、とリヴァイは頷いた。
 木の影で二人してヤンキー座りして、三十路近い男達は思春期のような会話を交わす。
「だが、ちゃんと好きだって言われたか?」
「……ない」
「だろう。あれでエルヴィンは形とか気にするタイプだから、流されるみたいにして関係を持つのはプライドが許さなかったんだろう。古風な男だしな。初めての時には準備万端整えてから、花束のひとつも抱えて告白する気じゃないか。お前はそれを、余裕で構えて待ってろよ」
 口からでまかせだが、あながち当たっているような気がしないでもない。
 あの時の初キス、のくだりからして。
「……面倒くせえ。こっちから告白してくる」
 リヴァイが立ち上がろうとするのを、ミケは腕を掴んで引き止めた。
「こらこら。エルヴィンにも事情があるんだから、焦るんじゃない。果報は寝て待て、って言うだろ。……ちょっと聞いていいか? リヴァイ。お前ら何処で出会ったんだ? そりゃエルヴィンはシーナの名家の出身だが、……その、地下街とは余り縁がないだろ?」
 前から聞いてみたかった事を、ミケは口に出した。
 きょとん、とリヴァイはまばたきをして、その場に座りなおした。
「……言ってなかったか。俺がここに来る半年くらい前に、エルヴィンが怪我した事があったろう」
 ミケは記憶を掘り起こした。あー、そういえば……そんな事もあったような。
 立体機動の着地に失敗して、鎖骨を骨折して自宅療養に戻ったんだった。
 実家に連絡したら、向こうが飛んで迎えにきたのだが。
「そうそれ。で、ある程度回復して、歩けるようになったから調査兵団に戻ろうと、自分で手土産を買いに出たんだよ。いいとこのボンボンのくせに、変なトコ庶民的だよな。シーナったって治安がいい所ばかりじゃない。むしろ高級な場所ほど、金持ちが集まってるから狙われやすい、って部分もある。で、まあ……スられたらしいんだな。お決まりだが」
 ミケの疑り深い目付きに気づいたらしい。リヴァイはむきになって訂正した。
「言っとくが俺がスったんじゃねえぞ。俺がエルヴィンに出会った時には、既にボコボコにされてたんだからな。スリを追いかけてたらいつのまにか地下街に迷い込んでたらしい。あんな毛並みの良さげなのが天敵の軍服着て歩いてたら、そりゃ襲撃されるだろ。……憲兵団じゃなくて、調査兵団のだったが。ンな細かい事は、俺達には見分けつかないしな」
 確かに。エンブレムが違うだけで型は一緒だしな。
 シーナでは調査兵団に会う事も稀だし、地下街なら明かりも乏しいだろう。ミケは納得した。
「それでまあ、不本意だが助けて、色々あって、俺はシーナのエルヴィンの実家に引き取られた。そこで半年間、何人か家庭教師をつけられて、我流の格闘術を矯正されたり剣術や馬術を叩きこまれたり、座学の講習受けたり……よく寝たよ。その時間だけはサボって昼寝の時間に充てたからな。おかげでたまの休暇に帰ってくるエルヴィンには、何やってるんだ、とよく怒鳴られたが」
「待て待て待て! 肝心な所を端折るな。色々あって、の部分だ。そこを聞かないと、出会いを聞いた事にならないだろう」
「………」
 リヴァイは口をつぐんだ。言いたくない、らしい。
 ミケは口調を和らげた。
「なるほどなー……、ここに来る前に、下地を積んでたんだな、リヴァイ。半年間、ってトコが凄いが……一ヶ月で立体機動装置を使いこなした事を考えると、そう不思議でもないかもな。頑張ったな、リヴァイ」
 ミケは手を伸ばして、よしよしとリヴァイの頭を撫でた。

>>>2013/9/3up


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