薫紫亭別館


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「ちょっとー、いつまでも喧嘩しないでよー。雰囲気悪くなるじゃない」
 ハンジは訓練の後、団長室に戻るエルヴィンを追いかけて聞いた。
 エルヴィンは足早に、君には関係ない、と背中で主張して、足音も高く廊下を歩いている。
「……無視かよ。こら、待てってば、エルヴィン!」
 大体、どうも流れがおかしい。
 あの夜のエルヴィンはリヴァイが全快するまで自分の部屋で診る勢いだったのに、翌日の昼にはさくっと医務室に入れていた。ハンジとミケが退室した後に、きっと何かあったのだ。それがエルヴィンとリヴァイの仲をぎくしゃくさせている。
 ハンジはエルヴィンの腕を掴んだ。
「とぼけようったって無駄だよ。ミケがリヴァイの水浴びについてった。今頃ミケが、リヴァイから事情を聞き出してる。リヴァイからのバイアスがかかった証言で判断されたくないなら、エルヴィンは私に釈明するんだね。それくらいは、巻き込まれた側として聞く権利があると私は思うよ」
「………」
 エルヴィンは雄弁な溜め息をついて、仕方ないな、とハンジを団長室に招き入れた。
 人払いをして、誰も近づかないように言う。団長室はエルヴィンの私室ではなく、公的な執務や来客を迎える為の部屋で、部屋の一画には応接セットが置いてある。そこの一人掛け用のソファに座り、エルヴィンはハンジには、向かいの複数人数用のソファを勧めた。
「……お許しが、出たんだ」
 ハンジが座るのを見届けてから、エルヴィンは少しずつ話し始めた。ハンジは首を傾げる。
 何の事かわからなかったからだ。
「エルヴィンなら、いいと……あの夜、うなされながらリヴァイは言った。その後は急激に熱も下がって、安らかに眠っているようだった。徹夜で見守っているつもりだったが……いつのまにか、寝てしまっていたらしい。私はリヴァイが、私の袖を引く動きで起きた」
 ふむふむ、とハンジは頷きながら聞いている。
「それから……、リヴァイが私の首に手を回してきた」
 目力、というのか、リヴァイは桁外れにそれが強い。普段は意識していないが、リヴァイがその気になれば視線だけで他人を誘導する事が可能だ。口数が少ない割に、部下とコミュニケーションが取れているのもそのおかげ、と言っていい。
 首に手を回してエルヴィンをかがませ、その強過ぎる視線を遮るために目を閉じ、口を半開きにあけて待つ。もう少しでエルヴィンは負ける所だった。そっと下腹部に触れた直截的な刺激がなければ、あのままむしゃぶりついていただろう。
「えっ? それって、両思いって事!? 良かったじゃん、エルヴィン。何を迷ってるの?」
 エルヴィンは首を振った。
「……逆だ。私は保護者に値しない、とリヴァイが判断を下したんだ」
 それは天啓のようだった。
 エルヴィンは慌ててリヴァイを抱きしめ、ベッドに押し戻した。
「……まだ、悪夢から覚めてないんだな、リヴァイ。大丈夫だ。もうそんな事をする必要はないんだ。今は調査兵団にいて、ここは私の部屋だからな。誰もお前に危害を加えたりしない。……そうだろう?」
 リヴァイが何か言いたそうにしているのを断ち切るようにして、
「熱は下がったようだな。医務室の手配をして来よう。……大人しく待ってるんだぞ」
 そそくさとエルヴィンは逃げ出した。
 同じ部屋にいたら、今度は負けてしまうかもしれない。そうなったら終わりだ。
 自分が保護者の立場を崩さないからこそリヴァイはエルヴィンを信頼している。最近は、その建前もバレバレになってきたようだが、だからこそリヴァイもあんな行動に出たのだろうが、乗る訳にはいかない。
 寝ればリヴァイは飛び立ってしまう。鳥のように。
「……何故そんな事がわかるのよ。過去はどうあれ、リヴァイがいいって言ってるんだから、抱いてあげるのも優しさじゃない? エルヴィンだって、ずっとこんな膠着状態でいたくはないでしょ?」
「……忠告だ。アレの保護者になるのなら、決してそんな素振りを見せるな、と言われた」
 誰に、とハンジは軽く質問した。
 エルヴィンは眉間に皺を寄せて、苦しそうに述懐した。
「……リヴァイの女達だ。通称リヴァイ'S、と呼ばれていた……」


「……それじゃ、別に今の境遇に不満がある訳じゃないんだな」
 草の上に、大柄な体を丸めるように猫背であぐらをかいて、ミケは確認した。
 わざわざ兵士長、などという役職をつくり、最強とはこれまでも言われていたが、最近それに新たな接頭語がつけられ、人類最強、という大仰な呼称で呼ばれるようになった。
 つけたのはもちろんエルヴィンだ。
 一見、エルヴィンがリヴァイを引っ張りあげているように見えるが、どちらかというとエルヴィンが自分の出世の為に、リヴァイを利用している感が強い。
「ないな。元々そういう約束というか、契約でついて来たからな。地下街から引き上げて貰う代わりに、エルヴィンの役に立つ、と」
 リヴァイは両手を後ろにつき、足を投げ出して、目いっぱい体をのばして座っている。
 リヴァイは目の前の川から空へと目をやった。
「無償の愛とか奉仕精神とか、そういうの俺にはわからないし……むしろ思惑があってくれた方がありがたい。俺がエルヴィンの点数になるなら、それでいい。利害が一致している内は、追い出される事もないだろうし」
「………」
「地下街の娼婦の子供にマトモな戸籍があると思うか? 幾ら人手不足とはいえ、その辺をきちんと揃えないと軍には入れないだろう。書類を偽造する為に、金もコネも使ったろうしな。その分の代償は払う。書類を揃えるまでの時間とはいえ、半年間、タダメシも食わせて貰ったしな」
 その間にリヴァイを鍛えたのか、とミケは思う。
 抜き身のナイフのようなリヴァイは、使いこなす事が出来れば、それは武器になるだろう。
 ミケは聞いた。
「……他の仕事に就こうとは思わなかったのか。戸籍の提出までは必要ない、もう少しマシな仕事もあったろう」
 調査兵団は人類の未来の為に、命まで投げ出して惜しくない奴等の集まりだ。
 心臓を捧げよ、と入団する時に誓う。リヴァイには、とてもそこまでの覚悟があったとは思えない。
「ああ。それはいいんだ」
 リヴァイは暗い微笑を浮かべた。
「俺だって何も見返りを求めなかった訳じゃない。損得で考えて、メリットの方が大きいと判断したから助けたんだ。予定では、もう少し違う代償を求めていたんだが……終わった事だしな」
 リヴァイは体を起こして、のそりとミケの膝に乗った。
 甘えたいんだな、と解釈して、ミケはリヴァイを抱き寄せた。
「ミケは抱っこしてくれるからいいな。エルヴィンはやってくれないんだ」
「そうなのか? 意外だな……あの親馬鹿が」
 自分が甘やかすから他人に手出しされたくない、のかと思っていた。リヴァイは言った。
「多分、暴走してそれ以上になるのを恐れたんだろう。今なら好きなだけヤらせてやるんだけどな。こっちがその気になったとたん逃げ出すなんて、根性なしにも程がある。それなら保護者の立場を貫いときゃいいのに、面倒な野郎だ。ったく……!」
 苦々しげに舌打ちする。エルヴィンの事を話すリヴァイは別人のように表情豊かだ。
 実に微笑ましい。
「はは。俺に鞍替えするか? リヴァイ」
「それもいいな。エルヴィンはもう、保護者でいたくないみたいだし……まあ、まだ手ェ出してこないトコ見ると、保護者ではいたいみたいだな。俺を利用する気なら当然だが」
 何かひっかかる。ミケはふと、浮かんだ疑問を口に乗せた。
「おい待て。それじゃ、俺がもしヤらせろ、とか言ったらどうなるんだ」
「そっちの趣味はねえ、と言ってただろうが」
 言った。そういえば、確かに。
 同班の者から避けられて、一人になったリヴァイを心配した時だ。あの時も水浴びの途中だった。
 あの一言でミケはリヴァイから、保護者役として完璧だと花マルを貰ったらしい。
 ……なんとなく読めてきた。
 リヴァイの中のヒエラルキーではあくまで保護者が一番上で、後は全部それ以下なのだ。
 リヴァイが保護者役をミケにシフトした瞬間、エルヴィンはリヴァイの一番から滑り落ちる。
 恋人になるという事は格上げではなく格下げだ。エルヴィンも多分、それを知っていたから引いたのだ。
 ちょっと待て。だとしたら話が百八十度変わる。
 急いでミケはリヴァイの肩を掴み、もたれさせていた胸から引き剥がした。
「……もうひとつ聞いていいか、リヴァイ?」
 無邪気にリヴァイは答える。
「何だ?」
「もし、俺がいなくても、お前はエルヴィンの気持ちを受け入れたか?」
 リヴァイが躊躇した。
 その、一瞬の間が答えだった。
 顔を曇らせて、何故、そんな事を聞くのかとリヴァイが見上げる。
「……俺はお前の保護者にはならない。間違えるな。お前の保護者はエルヴィンだ」
 ミケは膝からリヴァイを下ろした。
 リヴァイから目を逸らしながら、行くぞ、と声をかける。
 ミケは立ち上がり、リヴァイがついてくるのを待たずにその場を後にした。


「……私じゃ、ないんだ」
 エルヴィンはぽつぽつと、ハンジではなく自分に言い聞かせるようにつぶやく。
「リヴァイが求めているのは後にも先にもたった一人、死んでしまった養父だけだ。私もミケも、その代替に過ぎない。誰も彼の代わりにはなれない。私以外にも、何人かがリヴァイの保護者になろうとした。だが出来なかった。私と同じ轍を踏んで、それまでの礼のように一夜だけ体を投げ出して……翌朝には放逐された。殺された者もいる。すべて、彼女達から聞いた話だ」
 リヴァイを取り巻く女達。リヴァイ'S。リヴァイと生活を共にしていた彼女達。
 ずっとリヴァイの事を心配していた。
「で、でも、今回はリヴァイから誘ってきたんでしょ!? エルヴィンは違うかもしれないよ!? そうだよ、もう一度よく話し合って……!」
 急くようにハンジは提案した。
 エルヴィンは目を細めて、ハンジの焦る様子を眺めた。
「……君は本当に、そんな所も、彼女達に似ている」
 リヴァイが懐くのも無理はない、とエルヴィンは続けた。
「……聞いてくれないか。私と、リヴァイが出会った時の事を。リヴァイが私についてくるに至った経緯を――」

<  終  >

>>>2013/9/6up


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