歪んだ王国
「……戻りなさい」
枕を持ってエルヴィンの部屋を訪れたリヴァイを、扉の前でエルヴィンは帰そうとした。
リヴァイはしばらく食い下がった。
「……何もしねえよ。寒いんだから早く入れろ」
「駄目だ。戻りなさい」
かたくなに拒否するエルヴィンに、これは無理そうだな、と仕方なくリヴァイは引き上げた。
どうもこの所、寝床確保がうまくいかない。川辺で話して以来、ミケには断られるし、ハンジの様子もおかしい。ハンジは元々挙動不審だがカラッと陽性に突き抜けていて、そんな所がリヴァイは気に入っていたのだが、最近、目線が泳いでいる。
心当たりといえば川で死にかけたあの時だが、治ってからしばらくは普通に接していたのだから、原因は他にあると考える。と、すれば、ひとつしかない。
エルヴィンか……。
リヴァイは思う。ミケが自分から経緯を聞き出したように、ハンジもエルヴィンから何か聞き出したのだろう。ハンジの言動を見る限り、どうもそれはリヴァイとは見解の異なる事情らしいが、無理に口を割らせる事はしたくない。するならやっぱりエルヴィンだろう。元凶だし。
「………」
何の不満があるのか、エルヴィンはリヴァイを抱こうとしない。
ミケに言われてリヴァイも反省した。確かにエルヴィンの代わりにミケ、というのはミケにも失礼だし、エルヴィンにはもっとだろう。保護者認定した相手と寝る、というのはリヴァイには余り歓迎したくない事なのだが、エルヴィンが望むならヤってもいい。別にエルヴィンは嫌いじゃないし。
継続出来るか、と言われると困るが。
客でもないのに足をひらく、という理屈がリヴァイにはわからなくて、それなりに好きだったこれまでの保護者候補達が求めてきた時も、最中は気持ちいいものの、終わると汚物にしか見えなかった。
エルヴィンもそうなるのだろうか? ゴミ同然に見えるだろうか?
そんなものは、寝てみなければわからない。
リヴァイは意外と感覚派だ。そして刹那的だ。ダメだったら他へ行こう、と考えるだけのドライさを持ち合わせている。それで多少エルヴィンと気まずくなっても、調査兵団をやめる気はない。契約と色恋沙汰は別だし、今ではここがリヴァイの基盤だ。
エルヴィン個人の感情はともかく、調査兵団の団長としては絶対に自分を手放すまい。
それくらい、ここになくてはならぬ人材になっている自信も自負もリヴァイにはあった。
だからこそ今の妙な膠着状態は、打破した方がいいと思うのだが……壁外調査は待ってくれない。
エルヴィンが団長になってから日は浅いが、既に次の調査の日程が組まれている。本格的に寒くなる前に一度敢行し、後は春までしばらくのインターバルがある。調査兵団のトップとその次がぎくしゃくしているのは、兵の士気にも関わると思うんだがなー……どうせいらん事を考えてるんだろうな。
エルヴィンの思慮深さは尊敬に値するが、時には反射神経で動く事も必要だとリヴァイは思う。
果たして、次の壁外調査は散々だった。
ここのところ減っていた死亡率が六割を超えた。最近は四割から五割を推移していたから微増と言えば言えるが、そんなものは慰めにもならない。原因がエルヴィンの指揮と、リヴァイとの連携がうまくいっていなかったからなのは明白で、その二人に非難が集まるのは当然だ。
リヴァイは甘んじて受けた。
エルヴィンもまた、同じように受けていたが……顔が青い。ショックを隠せないでいる。
おいおい、調査兵団の団長ともあろう者が、ポーカーフェイスを崩すんじゃねえよ。エルヴィンってこんなヤワな男だったかー? 仲間の死に心を痛めながらも、それをおくびにも出さず、死体の山を足がかりにして目的に邁進するタイプだと思っていたが、これは認識を改めなければならないか?
……いや、それもやはり、自分が悪いのだろう。
エルヴィンが指揮だけに集中出来なかったせいで。自分がエルヴィンの心を乱したせいで。
エルヴィンが何にこだわっているのかは知らないが、どうあっても側にいる、協力すると言って安心させてやれば、エルヴィンも元の冷静さを取り戻すだろう。
「……よし」
リヴァイはその夜、エルヴィンの部屋を強襲した。
ノブの鍵を捩じ切り、蝶番をぶっ飛ばす勢いでドアを蹴る。
ノックなしの行動に、エルヴィンも打つ手がなく、リヴァイを寝室の中に迎えた。
ばん! とリヴァイは紙幣をサイドテーブルに叩きつけた。
「今日は俺がお前を買う。大人しくしろ」
口を挟む隙を与えず、ぽい、と下だけ脱いでエルヴィンのベッドに乗り上げる。ぶかぶかのシャツは元はエルヴィンのものだ。ボタンは上二つだけ開けて、後は止めておいた。頭でわかっていても、実際に男のものが見えると萎える相手は多いのだ。エルヴィンは恐らく男は初めてだろうし、混乱している間に流してしまえ。
邪魔くさいシーツを剥いで直接エルヴィンの上に乗る。
体重はかけない。膝立ちになって、口づけた。舌を絡める。しばらく堪能していると、我に返ったのかエルヴィンがシャツを引っ張って、やめなさい、と訴えてきた。振り払わないなら上等だ。
「リヴァイ……、なぜ、こんな……」
「お前が何を考えてるのか知らない。何にこだわってるのかも知らない。だが、このままでは俺達は一歩も前に進めない。保護者から恋人になっても、俺はずっとお前のもので、お前の側にいてやる。でもまあ、イキナリそう言われてもピンと来ないだろうな。俺が今までの男をどう扱ったか、お前は俺の女達から聞いて知ってそうだし」
エルヴィンが驚愕して目を見開いた。やっぱりな、とリヴァイは確信を深める。
リヴァイを操縦する方法を、エルヴィンは女達から聞いて知っていた。育ての親とよく似た声、喋り方、態度。声はともかく、後は指導が入っていた。だがそれを一年以上、約二年間も続けたのは見事と認めてやっていい。
「だから今夜は俺が買う。保護者とか恋人は関係ない、ただの客と商品として楽しめばいい。後の事は、終わってから考えろ。やっぱり受け付けない、と思ったらこれっきりでいいし、気に入ったら改めて、恋人として最初からやり直そう。素直に俺に押し倒されとけ、エルヴィン。仰向けになって寝ていれば、俺がうまく動いてやるから」
どうして、そこまで……、と泣き出しそうにエルヴィンが問う。
「他に、落ち込んでる男を慰める方法を知らない」
もう一度、軽いキスをして、ぷちぷちとボタンを外す。ぶ厚い、硬い胸板。同じ性別でこうも違うかと少し落ち込みたくなる。鎖骨がいびつに盛り上がっていた。骨折の痕。面白がって、何度も押してやろうとしたのを思い出す。
ちろ、と盛り上がった鎖骨を舐めて、発達した大胸筋から腹へと舌を這わす。下穿きから手を入れてそっと握ると、ちょっと怖気づくほど大きかった。入る……か? 一応慣らしてきたが、久しぶりだし、自信がない。出来るだけ口で受け止めよう、とリヴァイが口に含もうとした時、
「―――!!」
視界が逆転した。上下を入れ替えられたのだ、と悟った。
え!?
エルヴィンが何の前戯もなしに押し込もうとしている。
待て。待ってくれ、まだ早……!
「うあ……っ!!」
痛、痛い。くそ、このデカブツ、マナーってモンがなってねえ。童貞じゃあるまいし、女を抱いた事くらいある筈だろ。男なら手荒に扱っても大丈夫とか思ってないだろうな。濡れねえんだから、男の方が面倒な手順は多いんだからな。
先に湿らせておいて助かった。いつでも客を受け入れられるようにしておくのは男娼の基本だ。
だが、今夜は俺が客の筈だろ。理不尽だとリヴァイは口を開いた。
「エ、エルヴィン。ちょ、待って……抜いてくれ。な? 金と一緒にオイルの小瓶も置いてあるから、それ取って、お前のにも塗って、それから……あああっ!」
ぐ、とエルヴィンが更に腰を推し進めてきた。がっちりと足を抱えられて、動けない。
初めてリヴァイの心に恐怖が浮かんだ。
「エルヴィン、エルヴィン! 聞いてるのか!? 抜けって言ってンだろ!!」
繋がったままエルヴィンが身を倒して、リヴァイの首筋に噛みついた。せわしなくまさぐる指は、優しさの欠片もない。エルヴィンの指と凶器から逃れようと身を捩るが、逆に引き摺りこまれる。
まずい。この体勢では、この体格差は不利だ。こっちは遠慮して膝立ちになってやったというのに、絶対に逃がさない、とばかりエルヴィンは上から体重をかける。
こんな滅茶苦茶な、乱暴な抱き方をエルヴィンがするとは思わなかった。涙が溢れる。
なのに聞こえてくる言葉は、
「……愛してる。リヴァイ」
好きだ、と何度も繰り返しながらエルヴィンはリヴァイを穿つ。信じられない。
「……嫌だ……っ!」
リヴァイの悲鳴は、届かなかった。
ぶるっと身を震わせて、ミケは目を覚ました。
寒いと思ったら、雪だ。初雪だな、とミケは窓辺に寄った。外を見下ろす。
……ん?
見覚えのあるちいさな影が、兵舎に向かって歩いてくる。リヴァイ!?
こんな朝っぱらから、何処へ。洗濯ではない、洗濯ものは持っていない。なんとなく胸騒ぎがして、ミケは部屋を飛び出した。早朝なので人はいない。玄関ホールの前で、ミケはリヴァイを出迎えた。
「リヴァイ……」
襟足が濡れている。まさか水浴びしてきたのか、この寒いのに、早朝から!?
「馬鹿野郎! 風邪引くぞ、また死にたいのか!!」
「………」
リヴァイは無言でミケの横をすり抜けようとした。その時気付いた。
この匂い。水浴びをしても、リヴァイの髪に染み付いた匂い。エルヴィンの体臭。
そしてシャツの下から微かに香る、これは……血臭だ。
「……お前……!」
ふらつく体幹。色を失った顔。表情。
思わずミケは手を伸ばして、リヴァイの肩を掴んだ。リヴァイはそれを振り払った。
「触るな」
きっぱりとした拒絶。保護者にはならない、と先に突き放したのは自分だ。ミケは後悔した。
だってまさかエルヴィンが、あの紳士が、……リヴァイをレイプするなんて、想像出来ないだろう!?
ミケは取って返して、エルヴィンの部屋に向かった。
鍵は壊れていた。余りその時は意識せず、ベッドで気持ちよく眠っていたエルヴィンの胸ぐらをひっ掴んで殴りつけた。それでエルヴィンも目を覚まし、怒鳴った。
「何をする、ミケ!」
「うるせえ、自分の胸に聞いてみろ!」
情交の匂いが露骨に残る部屋。こんな結末を願っていたのではなかった。リヴァイがエルヴィンの気持ちに真摯に向き合って、エルヴィンが受け入れれば、それで済むと思っていた。どうもハンジはエルヴィンから、そうする訳にはいかない事情を聞いたらしいが、ミケには教えられなかった。
エルヴィンのプライベートに関する事だから、と。
どんなプライベートだか知らないが、それをリヴァイにぶつけていい訳があるまい。
利用されているのを知っていて、それでもエルヴィンについてきたのに、これではリヴァイが可哀想すぎる。エルヴィンはリヴァイが可愛くなかったのか!? もう何発かお見舞いしてやろうとミケがこぶしを振り上げた時、ストップがかかった。
「やめろ。騒ぐな、人に気付かれる」
リヴァイだった。
すっかりいつもの調子を取り戻して、落ち着き払って、部屋に入ってドアを示す。
「何か誤解しているようだが……ミケ、お前には関係ない事だ。出て行け」
「だ……だってお前、リヴァイ、何をされたかわかってるのか!」
当たり前だろう、とリヴァイは言った。
「これは合意だ。久しぶりにヤったからキツかっただけだ。何度かヤれば慣れるだろう」
……次があればな、と付け足す声は、その冷えきった体と同じくらい冷たい。
エルヴィンは自分の手のひらを見つめ、リヴァイを見て、最後にサイドに金が置いてあるのに気づく。
一瞬にして血の気が引いた。
「あ……!」
完全に目が覚めたのか、しでかした事実の大きさに茫然としているように見える。
行け、ともう一度リヴァイがミケを促した。
「朝の会議には出る。誰にも何も言うな。ハンジにもだ」
朝メシには行けないかもしれないがな、とリヴァイは薄く笑い、ミケを追い出して扉を閉めた。
>>>2013/10/11up