薫紫亭別館


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 ミケにも困ったものだ。
 色んな意味で鼻が利く、というのか、しばらくエルヴィンとは顔を合わせたくなかったのに、あの調子で先走られてはフォローに回るしかないではないか。リヴァイは少し遅れてエルヴィンの部屋へ向かった。
 果たして室内ではミケがエルヴィンをぶん殴っていて、あーあ、と思いながらリヴァイは止めた。
 あんな風に抱かれた後で、なぜ自分がエルヴィンの心配までしてやらなければならないのか。
 まあミケが代わりに殴ってくれた、と思う事で良しとしよう。
「朝の会議には出る。誰にも何も言うな。ハンジにもだ」
 そう言ってミケを追い出し、リヴァイはエルヴィンと二人きりになった。
 エルヴィンは真っ青になっていた。昨夜の事を思い出したのだろう。当然だ。忘れて貰っては困る。
 エルヴィンはベッドから飛び降りて、リヴァイの前で土下座した。
「すまん、リヴァイ! ……私が悪かった。許してくれ」
 頭を擦りつけて、許しを乞う。
「許すのはいいが、てめえは何を許してほしいんだ? エルヴィン」
 すがめた目でエルヴィンを見やる、リヴァイの視線には何の感情も含まれていない。ここまで綺麗に興味が失せるとはリヴァイは自分でも思わなかった。汚物に見えるかゴミに見えるか、少しだけ不安に思っていたのはつい先日の事で、今はもう、路傍の石くらいに意味がない。
 昨夜のアレは二年間の欲求不満が爆発した結果だと思っておこう。そうしよう。
「……ひどい抱き方をした。つい、夢中になって……お前が私の腕の中にいる事が、信じられなくて」
「……別に、いい。あれくらい、慣れてる」
 エルヴィンが絶望したような顔をした。何故そっちがショックを受ける。
 実際、売れるまでの間には無茶を要求する客が多く、縛られないだけマシだと思った。売れてからは我儘が聞いたし、高額の値がつく商品を傷つけられては、と娼館の監視もきつくなったので、そういう手合いはかなり減ったが。
「保護者でも恋人でもない、あれはお試しという事で、ノーカンにしといてやる。だが、てめえと寝るのは二度とお断りだ、エルヴィン。俺にも選択権くらいある」
「リヴァ……!」
 エルヴィンが顔を上げ、手を伸ばして触れようとしたのをリヴァイは一歩下がって避けた。
 今、触られたら、再起不能になるまで蹴り上げてしまいそうだ。こいつは一応調査兵団の団長で、人類の宝だから、それはマズイ。蹴り飛ばしたいのは山々だが。
「……それより、聞きたい事がある。エルヴィン」
 まだ膝をついたままのエルヴィンに上からリヴァイは言った。
「……何を許してほしい? てめえが本当に許してほしいのは、それじゃねえだろ?」
 昨夜、エルヴィンが呟いていた言葉はみっつ。愛している。好きだ。そして……許してくれ。
 エルヴィンの表情が凍りついた。
「何か、俺に隠してやがるな、エルヴィン」
 吐け、とリヴァイはエルヴィンの髪を鷲掴んで目を合わせた。
 観念したように目を閉じ、エルヴィンは話し始めた。リヴァイ'S、懐かしいリヴァイの女達、彼女達がリヴァイの為に取った行動、そして結末。何もかもがリヴァイには寝耳に水だった。まだ別れてから二年しか経っていないのに、もう何処にもいないなんて、嘘だろう?
「てめえ、は……」
 しばらくエルヴィンを凝視した後、ようやくリヴァイは口を開いた。
「知ってたんだ。俺がまだてめえの実家で、言われた通り訓練していた時、既に」
「………」
 エルヴィンは黙ってうなだれている。
「知ってて、俺に知らせなかったんだ。そりゃ俺も聞かなかったが、それは早く上での生活に慣れようとしていたからで……忘れた訳じゃない。思い出さなかった訳じゃない。俺が、ここにいるのは……あいつらにてめえについていけ、って言われたからで……帰ってくるな、って言われたからで……だから」
 うわごとのようにリヴァイはつぶやき、
「てめえ、なんか」
 ギリ、と唇を噛み締めて吐き捨てた。
「てめえなんか、信用するんじゃなかった、エルヴィン……!」
 やっぱり捨てておけば良かった。ウルリケ達に何を言われても、放り出しておけば良かった。
 ちょっと声が似てたくらいで、ほだされたのが間違いだった!
 リヴァイはエルヴィンに背を向けて、走り出そうとした。
「待て、リヴァイ! どこへ行く気だ!」
 エルヴィンがリヴァイの腕を掴んで止める。
「地下街へ帰る! 決まってンだろ!」
 リヴァイが噛みつく。
「行ってどうする。傷つくだけだ、もうあそこには誰もいないんだぞ」
「俺が傷つくのは、てめえが黙ってたせいだろうが!」
「………!!」
 リヴァイはエルヴィンを睨みつけた。
 エルヴィンは力なく、だがリヴァイを掴んだ手の力は緩めないまま、弁解した。
「……私が知った時には既に、彼女達は亡くなっていた。私に出来る事は、何も無かった」
「だから? 俺に知らせなくてもいいって? あの時ならまだシーナにいたんだ、地下へ行って戻ってくるくらい造作もなかった筈だ。俺の女達はいなくとも、まだドクがいる。あいつらの浅薄な考えの片棒を担いだドクがな」
 ドク……ドクトル・アントン。
 リヴァイと組んで荒稼ぎしていた地下街の闇医者。
「ドクから詳しい事情を聞いて、場合によっては半殺しか全殺しにして、あいつらの弔いをする時間くらいくれても良かった筈だ。てめえは黙ってた。俺を、騙したんだ」
「違う……、私は」
 エルヴィンの声は弱々しい。
「違わない。俺を騙して、あいつらも騙して、こんなところへ連れてきた。利用する為に。結果、あいつらは死んだ。てめえが殺したんだ、エルヴィン」
 わかっている。これは八つ当たりだ。女達から離れた自分が一番悪い。
 だが今は、非難せずにはいられない。
 リヴァイはエルヴィンの手を振りほどこうともがいた。
「リヴァイ……!」
 何かとても大きなものに包まれていた。エルヴィンが自分を抱きしめている。
 ぞわ、と全身の肌が粟立った。
「離せ!」
「行くな。行かないでくれ。……お前が、好きなんだ」
 エルヴィンの唇が降りてきた。
 顔を背けると、耳の下あたりからまだスカーフを巻いていない首筋にぬるりとした感触が這う。
 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
「……こんな時にサカってンじゃねえ!!」
 渾身の力でリヴァイはエルヴィンを張り飛ばし、自分も飛びすさった。
 そして言った。
「――二度とその薄汚ねえ手で俺に触るな」
 倒れたエルヴィンに目もくれず、リヴァイはエルヴィンの部屋を出た。


 朝の会議に顔を出したのは、ミケに行くと言ってしまっていたからだ。
 サボって痛くもない腹を探られるのはごめんだ。エルヴィンの顔など永久に見たくないが、序列の関係で隣に座らされている。せめてもと思い切りそっぽを向く。
 エルヴィンは無表情を貫いている。あからさまに無視しているリヴァイとの対比は異様で、ミケならずとも、何かあったな……、と感じさせるには十分だった。この辺りリヴァイはツメが甘い。
 人類最強で決して愛想がいいとは言えなくて、リヴァイの為だけに設けられた兵士長、ともなれば、反感を持たれても不思議はないが、妙に兵士達から人気があるのは、この抜けた所があるからだ。隙がある、というか、限りなく完璧に近いリヴァイも人間なのだ、と親近感を沸かせるというか。
 もっともリヴァイは低身長で潔癖症で神経質で、完璧からは程遠いが。
 完全に感情を覆い隠せる分だけ、エルヴィンの方が非人間的に見える。だから指揮官としてはともかく、心情的にはリヴァイの肩を持ちたくなる。ちょうど一年前、寝床問題でほとんどの兵士がリヴァイに付いたように。だが今回は、少し……いつもとは様子が違うようだ。
 昨日までは前回の調査の失敗を引き摺って、落ち込むエルヴィンをリヴァイが気にかけていた。
 今朝は、リヴァイはエルヴィンを一瞥もしない。エルヴィンもまた、リヴァイを注意しようとしない。
 机に片肘をつき、あごを乗せ、足を組んで斜めに椅子に座っている姿は不貞腐れたゴロツキそのもので、真面目にやれ! といつものエルヴィンなら怒号が飛んでいる筈だった。まるでそこに誰も座ってないかのように、空気のようにリヴァイを扱っている。異常事態だ。
「……では今日の訓練は普段通りに。解散」
 平素な声でエルヴィンが会議の終わりを告げると、ほぼ同時にリヴァイは立ち上がって退室した。
 追おうか一瞬迷った末に、ミケは残った。
 ハンジはすぐにエルヴィンに近付き、他の、ミケ以外の幹部達が出て行ったのを見計らってから口を開いた。
「ち、ちょっとエルヴィン! ……言っちゃったの? リヴァイに」
「……言った。もう、隠せないと思った」
「俺にも話せ、お前ら。リヴァイの心配をしているのはお前らだけじゃねえぞ」
 ミケが要求して、エルヴィンは掻い摘んで説明した。
 それは最低な話だった。
「おま、え……それで、それなのに、リヴァイをレイプしたのか。リヴァイの好意に付け込んだのか」
 愕然としてミケは呟いた。
 前後の詳しい話はしなかったが、あの状況では、そう取られてもおかしくない。
「……レイプではない。合意だ。リヴァイも言っていただろう」
 れ、レイプ!?
 穏やかではない単語にハンジがきょろきょろとミケとエルヴィンを見比べている。
「なら何で、この寒いのに朝から水浴びに行く必要がある!? あいつはな、寒くなったら普通に大浴場を利用すると言って、実際、そうしてただろ。あいつの為に以前のキース団長に、時間制限をつけてくれって、一緒に頼みに行ったじゃねえか!」
 ダン! と拳を机に打ち付け、悔しそうにミケは言った。
「……俺はお前を応援してた、エルヴィン。あいつがお前を見限って、俺に保護者役を振ろうとした時も、お前の事を思って突き放した」
「……そうか。世話をかけたな」
 予想していたのか、エルヴィンの声に落胆した調子はない。
 ハンジがエルヴィンを庇うように割って入った。
「やめなよミケ! 嫌ならリヴァイなら逃げられる筈だし、今、エルヴィンが無事でいるって事は、リヴァイがそれでいいって受け入れたって事だよ!」
「お前は朝のリヴァイを見てないからそんな事が言えるんだ、ハンジ!」
「……やめろ。君達が協力出来る事は、何もない」
 二人の気持ちはありがたいが、今のエルヴィンには重荷だ。
 これ以上、他人にかき回されたくない。冷たく聞こえるのは承知でエルヴィンは言った。
「これは私とリヴァイとの問題だ。痴話喧嘩に巻き込んですまなかった。さあ、君達も早く指導に行ってくれ。部下が演習場で待っているぞ」


 ――その夜、遅くまで執務室で書類を片付けていたエルヴィンをリヴァイは訪ねた。
「……休暇をくれ、エルヴィン」
「駄目だ」
 お前を行かせる訳にはいかない。今のお前は調査兵団の一員で、代替の利かない兵士長だ。
 エルヴィンはリヴァイの申請を切って捨てた。

>>>2013/10/16up


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