リヴァイは荒れていた。
語気が荒い。一応、兵士達の面倒は見ているものの、かなりの投げやり感がある。
そんな空気が伝染しない筈がなく、調査兵団には嫌な雰囲気が漂っていた。
不思議な事に、エルヴィンはそんなリヴァイを放っておいた。
団長がその態度では、それ以下の階級の分隊長や班長では兵士長であるリヴァイに何も言えない。せめて友人として、ミケやハンジが意見してくれないかと思っても、この二人も沈黙している。最近、リヴァイとエルヴィンの間に何かあったらしいのは薄々わかっていたが、ミケとハンジまで、となるとこれは相当根が深い。
「リヴァイ。少し話をしたいのだが……」
訓練後、演習場からさっさと部屋に戻ろうとするリヴァイを引き止めたのはカスパル班長だった。
僅か一ヶ月程の期間ではあったが、一時期はリヴァイの上に立っていた人物だ。
色々と問題のあったリヴァイを自分の班に受け入れ、指導した。一度の壁外調査でリヴァイの実力を確信し、欠員の出た班長に推薦した。新参者にもかかわらず、リヴァイの班長就任に異議が出なかったのはカスパル班長の後押しのおかげだ。
カスパル班長は蓄えた口髭をさりげなく指で整えながら話しかけた。
「……このところ調子が悪いようだな。少し、疲れているのではないか? 休暇を取って休んだ方がいい」
リヴァイもこの班長には素直に答えた。
「俺もそう思う。だが、エルヴィンが休みをくれない」
「………」
カスパル班長は眉をひそめた。
原因はリヴァイよりエルヴィンにあると判断したのだろうか。ともあれ、調査兵団の誇る人類最強の兵士が浮かない顔をしているのはよろしくない。カスパル班長は提案した。
「なら、私からも口添えしよう。君に休暇を与えろと。幸い、春まで調査はないし、君が少々休暇を取っても、大勢に支障はないだろうし」
「無駄だ。エルヴィンは俺を離さない」
薄く笑ってリヴァイは言った。
「あいつは俺が逃げ出さないか、不安で仕方ないんだ。その為に連れてきたんだしな。苦労して兵士長にまでして、これから更に役に立ってもらおうという時にいなくなられたら、ダメージは計り知れないだろうし。……ああ、心配するな。巨人討伐の道具としての役目は全うしてやる。ただ、他の事には余り期待しないでくれ。今はそこまで余裕がない」
言うだけ言うと、リヴァイはさらりと背を向けた。
カスパル班長は遠ざかってゆくリヴァイの後ろ姿を眺めながら思った。
なんというか……急激に、リヴァイの調査兵団に対する関心や興味が薄らいでいるのがわかる。望んで入団したのではないだろうとは思っていたが、元来、世話好きで面倒見の良いリヴァイは、馴染むにつれ遺感なくその気性を発揮し、口も態度も悪くとっつきにくいが、半年も経てば完全に、皆の信頼と羨望を集めるまでになっていた。
リヴァイがいるといないでは、壁外調査での安心感が違うのだ。リヴァイが来る以前から在籍して、班長として責務を全うしていたカスパル班長にはそれがよくわかっていた。ここ最近のリヴァイには、見捨てられたかのような心細さを感じる。エルヴィンも恐らく同じだろう。
だから、エルヴィンが休暇を許さない気持ちはわかるが……問題は、今のリヴァイの状態を引き起こしたのもエルヴィンだという事だ。
団長と兵士長に揃って就任する前辺りからゴタゴタしていた。
その頃は前キース団長がリヴァイに一切の救助活動を禁じたり、珍しくリヴァイが風邪をひいて医務室に厄介になったりと、そこまではエルヴィンが心配していた。歯車が狂い始めたのはいつからだったろう? 先日の、壁外調査に失敗してからだ。
エルヴィンが指揮した初めての調査。責任をエルヴィンだけに被せる気はないが、トップが批判されるのは当然だ。そして……早朝から、水浴びして帰ってきたリヴァイの姿。ミケが起きるくらいの時間なのだ、目撃した者は他にもいる。寒くなると暖を求めてリヴァイがエルヴィンのベッドに潜り込む事は有名で、それでなんとなく、見当がついた。
リヴァイもそのくらいの覚悟は持って潜り込んでいると思ったのだが、違ったのか?
エルヴィンはもちろん利用するつもりでリヴァイを連れてきたのだろうが、それだけではないことは、傍で見ているだけでもわかったというのに。
カスパル班長だけでなく、これが大方の兵士達の意見だった。嫌なら拒めば良かったのだ。
リヴァイにはその力があるのだから。
だから問題はそこではない。ミケとハンジなら知っているかもしれないが、口を割るとは思えない。
見守ってただ待つしかない。早く元に戻るといい。だが、元に戻る事などあるのだろうか?
――そしてその不安は、的中する事になる。
腕を組んで苛々と監督している時はまだ良かった。
リヴァイは今では完全にミケとハンジに指導を任せて、彼等の背後に突っ立っている。
時折、空を見上げる。
……どうしてこんな所にいるんだろう? まるで、そんな声が聞こえてくるかのようだ。
不思議そうに首をかしげるリヴァイの様子は団員達を不安に陥れた。これならいつ飛んでくるかわからない、罵倒語に戦々恐々としている方がマシだ。リヴァイがずっとそこにいて、いつでも泰然自若として自分達を見ていてくれるのが、ここまで安心をもたらしてくれるものだったとは。
「……兵長」
泣きそうに呼ぶ声に、リヴァイは生返事で答える。
それでも最強には違いないが、命を預けるには足りない。今のリヴァイには圧倒的に、オーラとかカリスマとか、そういったものが無い。そんな不満が出ている事はわかっているが、どうする気にもなれない。成り行きで入った調査兵団で、ここまでの責任を負わされる事の方が間違いだ。
リヴァイは自室に引き篭もって考えていた。
さてどうする? リヴァイなら、調査兵団全員を叩きのめして出て行く事が可能だ。
そんな事をしなくても、出て行くだけならこっそり夜中にでも抜け出せばいい。監禁されている訳ではないのだから。そうしないのは、それなりに調査兵団に愛着があるからなのか……? わからない。
団員はどんどん入れ替わってゆくし、気概は買うものの、実力が伴っていない新兵を死地に追いやるのは苦しい。エルヴィンはよく平気だな、と思った事もある。平気ではないから腹心を欲しがったのだろうが、それは別に自分でなくてもいい筈だ。
エルヴィンのした事は許せないが、時間さえくれれば、このまま調査兵団にいたっていい。
地下街に帰っても未来はないと、女達の誰かが言っていた。そしてあそこには誰もいない。もう。
ふう、とリヴァイは溜め息をついた。ベッドの上で三角座りして膝を組む。
今のリヴァイは手負いの獣だ。
怪我をしているのは体ではないが、一人で、誰もいない場所で休む事が必要なのだ。
コンコン、とドアをノックする音がした。無視する。
ガキン、と鍵が捩じ切られた。
「エルヴィン……!」
信じられない人物の登場に、リヴァイは目を見開いた。
「随分乱暴な入室の仕方だな。てめえは紳士じゃなかったのか」
お前と同じ事をしたまでだ、と言いながらエルヴィンは近付いてきて、ベッド脇のローテーブルに紙幣を置いた。リヴァイは目をすがめてそれを見た。
「……これは?」
「お前を買う」
エルヴィンの答えはよどみない。
「断る。夜の商売は廃業したんだ」
「人の上に勝手に乗っておいて、その理屈は通らない。お前は男と見れば跨がるのか?」
「………!」
誰のせいだ、と言いたくなるのをリヴァイはこらえた。確かに頼まれた訳ではない、リヴァイが一方的に膠着した関係を打破しようとして行動した。が、すぐにあんな手ひどい抱き方をしておいて、その言い草はないだろう。リヴァイは言い返した。
「うるせえ! てめえが入ってくるなら俺が出て行く。好きなだけここで寝ろ、エルヴィン。俺は他の部屋に行く」
「誰の部屋へ行く? ミケか、ハンジか? 言っておくが、お前はもう私のものだ、リヴァイ。皆もそう認識している。団長の手がついたお前を、泊めてくれる者など何処にもいないぞ。男の部屋に行く、というのはそういう事だ。だから最初から、一人で寝ろと言っていたろう」
「てめえ……まさか」
言って回ったのか。リヴァイの疑問にエルヴィンは、
「いや。だが感付かれない筈がない。お前はもう少し腹芸を覚えろ、リヴァイ。あからさまに私を無視して、何かありましたと自白しているようなものだろうが」
「誰のせいだと思ってンだよ!?」
エルヴィンがわからない。理解出来ない。何故こんなに落ち着き払っていられる!?
あの夜、リヴァイにしがみついて私のものだ、とささやいたのはそう遠い昔の話ではない筈なのに。
エルヴィンは声の調子を落とした。
「……そうだな。私が全て悪い。わかっている」
「わかってンなら、そこをどけ。医務室でも何でもいい、俺は出て行く」
「駄目だ」
ベッドから降りようとするリヴァイの前にエルヴィンは立ちはだかった。全く、休暇もダメ部屋を出るのもダメ、無い無い尽くしだ。自分勝手もいい加減にしろ。構わずリヴァイが床に足を下ろした時、
「……愛してる」
悲痛な声が耳に届いた。思わずエルヴィンの顔を見やる。
「お前が好きだ、リヴァイ」
「よせ」
「愛してるんだ」
「やめろ。聞きたくない」
リヴァイは首を横に振った。
「どうすればいい? お前が欲しいんだ。一度知ってしまったら、知らなかった頃には戻れない……飢えて乾いた旅人のように、お前が足りない。責任を取ってくれ、リヴァイ」
「……俺のせいだとでも言うつもりか」
「そうだ。お前のせいだ。私はあくまで保護者の立ち位置を崩すつもりはなかった。それがどんなに痛みを伴おうと、お前が知ってしまったら、私を許さないのはわかっていた。だから引き返せる所までで我慢しようと覚悟していた。だが、お前は自分で逃げ道をふさいだ」
「………」
エルヴィンはローテーブルの上の金を示し、
「保護者にも戻れず、恋人にもなれないなら客と商品になるしかない。お前を貶めているのはわかっている。が、私はそれでも、お前と繋がっていたいんだ……!」
エルヴィンが嗚咽をこらえている。いい歳をして泣くな、みっともない。
言っている事は下劣で支離滅裂で、リヴァイが聞いてやる余地など欠片もないが、多少、心動かされる程度には、エルヴィンにほだされてやってもいい。リヴァイは言った。
「……このままなら、お前の忠実な駒として今までのように、問題なく兵士長としての職務を遂行してやる。時間を巻き戻して、俺の女達はまだあそこにいて、元気に営業していると思っていてやる。それじゃ、駄目なのか」
「駄目だ。全てか無か、二つに一つだ。そして私は選んだ」
「………」
リヴァイは逡巡した末に、こう答えた。
「――頼みがある、エルヴィン」
その夜の内に、リヴァイの姿は兵舎から消えた。
エルヴィンが休暇を与えたのだ。期間は特に定めなかった。
兵士長、という役職はこれまで無かったイレギュラーなものだから、リヴァイがいなくとも兵団は回る。
いつ帰ってくるのか、という問いは誰も口に出せなかった。恐ろしかったからだ。
リヴァイ不在のまま、調査兵団は古い年を越して新年を迎えた。
< 終 >
>>>2013/10/25up