薫紫亭別館


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さらさら


「寒い」
 リヴァイが枕を抱えてエルヴィンの部屋を訪れたその夜は、朝から確かに白いものが散らついていた。
 持ち帰りの書類を片付けていたエルヴィンは、うっかり扉を開けてリヴァイを迎えた。
「一緒に寝る」
 スタスタとリヴァイは侵入を果たす。
 分隊長に宛てがわれている部屋は二部屋で、机や本棚が置いてある書室の奥に寝室がある。
「持ち帰り仕事か? エルヴィン。気にするな、先に寝ておく」
 勝手知ったるエルヴィンの部屋だ。ベッドの位置も把握している。リヴァイが寝室に向かうドアを開けようとした時、なんとか事態を把握したエルヴィンが慌てて止めた。
「ま……待ちなさい。どうしたんだ、リヴァイ」
「だから寝に来たって言ってんだろ。もう耳が遠くなったのか、エルヴィン?」
 相変わらず高飛車な物言いだが、今はそれに怯んでいる場合じゃない。
「それはわかったが、なぜ私の寝室なんだ。お前には自分の部屋がちゃんとあるだろう」
 特例で、新兵時代から個室を与えられていたリヴァイは、今も変わらずそこで寝起きしている。
「……寒いから」
「寒いからといって、他人のベッドに潜り込むのは良くない、リヴァイ。地下街ではそうだったかもしれないが、ここは地上で、しかも兵舎だ。遊里ではない。こんな場面を誰かに見られたら、まずい事になるぞ。分隊長と班長がデキているなんて噂が立ったら、大問題だろう」
「ただ一緒に寝るだけだろ。言いたい奴には言わせておけ」
 リヴァイに迷いはない。言い切った。
「世間はそうは見ないんだ、リヴァイ。……数は減ったが、お前の過去を知っている者は僅かだが、いる。どんなに口を閉ざしても、隠し通せるものじゃない。お前も知っているだろう」
「………」
 リヴァイが地下街で売られていた事は事実だ。
 実年齢に見合わないその異様な少年体型も、その時の副産物だと誠しやかに語り継がれている。
 これも事実だが、表立って追求される事はない。
 今ではリヴァイは調査兵団に無くてはならない人材であり、代替の効かない存在であり、よってその経歴は不問、とされている。調査兵団内部だけならまだしも、駐屯兵団や憲兵団に噂以上のネタを与えて、付け入る隙を作るのは良くない。非常にまずい。
「さ、わかったら、自室に戻りなさい。……ああ寒いんだったな。これを貸してあげるから、今日の所は我慢しなさい。明日の夜からはあんかなり湯たんぽなりを、用意させるよう言っておくから」
 エルヴィンは大急ぎで寝室へ行き、ベッドから毛布を剥がしてリヴァイに手渡した。
「………」
 リヴァイは納得していない様子ながら、黙って毛布を受け取った。
 ぷい、と背中を向ける。ああ怒っている。
 怒っているのはわかるが、エルヴィンにはどうしようも出来ない。慣れてもらうしかない。
 エルヴィンは選択を間違えた。後の騒動を思えば、ここでリヴァイを受け入れておくべきだった。
 エルヴィンは完全に忘れていたのだ。
 恥や外聞を屁とも思わない変人の巣窟、それが調査兵団だということを。


 リヴァイに限ってはあの低身長はコンプレックスではなく武器だ。大して歳も離れてないのに、一方的に自分がいたいけな子供をいじめたような気分にさせられる。
 エルヴィンは朝からリヴァイの部屋を訪れた。昨夜のフォローをする為だ。
 リヴァイが嫌だとか嫌いだとか穢らわしいからではないことを、言って教えてやらなければならない。
 思えば昨晩はその辺の言葉が少なすぎた。あれではリヴァイが誤解しても仕方ない。傷ついているだろうリヴァイの心情を思うと、心臓がキリキリ痛む心地がする。が、リヴァイは自室にいなかった。
「……あれ?」
 リヴァイは誰よりも早く起きて洗濯を始めるから、もう行ってしまったのかもしれない。
 一足遅かったか、とエルヴィンは一旦自分の部屋に戻る事にした。また改めて、朝食の後にでも……と考えていると、パタン、と近くの扉が開いた。
「もう行くの?」
「ああ。世話になったな」
 ……リヴァイがハンジの部屋から出て来た。
「リヴァイ!」
 つい怒鳴ってしまっていた。つかつかと大股に近付く。
「何だ」
「私に断られたからって、すぐ他の人間の所に行くなんてもってのほかだ。しかも女性の部屋。お前は兵団の風紀を何だと思っているんだ」
 当たり前だが、リヴァイの返答は氷のように冷たい。
「自分から断っといて、今更なに言ってンだ。誰と寝ようが俺の勝手だ。見苦しいぞ、エルヴィン」
「さ……サイッテー! エルヴィン!! 私とリヴァイの関係、そんな風に見てたの!?」
 なんだなんだと周辺のドアから顔が出る。
 エルヴィンとリヴァイとハンジ、という面子にああ……、と得心したような表情になるのが腹立たしい。
 エルヴィンはハンジに言い返した。
「そんな事は言っていない。君が添い寝しただけ、という事くらい私もわかっている」
「その添い寝を嫌がったのはてめえだろうが、エルヴィン。だけ、って言うなら自分ですりゃあ良かったのに、毛布だけくれてやって追い出しやがって。こんなモンが人肌の代わりになるかよ」
 返すぞ! とリヴァイはきちんと畳んで枕と一緒に脇に挟んでいた毛布をエルヴィンの頭に被せた。
 エルヴィンは少しトーンを落とした。
「……私には仕事があったんだ。いつもお前の望む通りにはしてやれない」
「先に寝てる、と言っただろう。中断して一緒に寝ろ、なんて言った記憶はないぞ」
 ハンジはハンジで、本当に寝ただけなのか、既成事実はなかったのか他の団員から疑われている。
「だから寝ただけだよ、ただ添い寝しただけ! あーもう、どっちでも私の自由意志なんだからほっといてよ! 疑うんならミケに聞いてみなさいよ!! ほらミケ、入って匂い嗅いでみて!!」
 キレてハンジは自室のドアを開け放った。
 おろおろしながらミケが答えた。
「えっ俺!? あーうん……ヤッてない。保証する。ハンジとリヴァイは潔白だ」
 巻き添えを食らったミケには可哀相だが、部屋が近くて、人より鋭敏な臭覚を持っていたのが運の尽きだ。ミケ自身も、普段から他人の匂いを嗅いでは体調やら機嫌やらがわかると豪語している。実際に、調査兵団に入ったばかりのリヴァイとエルヴィンの関係を否定していた前歴もある。
「……女じゃなきゃいいのか」
 どうもリヴァイはエルヴィンの次に選んだのがハンジ、という事で、エルヴィンが怒っていると勘違いしている節がある。くるん、とくだんのミケに顔を向けると、
「ミケ。今夜はお前の部屋で寝る」
「えっまた俺か!? いや別に構わんが……エルヴィンに怒られないか?」
 重ね重ね巻き込まれている不幸なミケは、こっそりエルヴィンの様子を伺いながら言った。
「知らん。ほっとけ。あいつに口出しする権利はない」
 そう言われてもエルヴィンの顔が怖いんだが。
 口に出せないミケは百九十六センチの立派な巨体を縮こまらせた。
「だから、あんか等を用意してやると言っているだろう!? どうしてそこまで聞き分けがないんだ。もう子供じゃないんだから、寒いとか言ってないで一人で寝なさい! ミケやハンジにも迷惑だろう!!」
「勝手にミケやハンジの意見を代弁すンなよ! 少なくともハンジは、快く俺を迎えてくれたぞ!」
 エルヴィンとリヴァイの舌戦に終止符を打ったのは、ある人物の言葉だった。
「早朝から騒がしいぞ。静かにしたまえ」
「カスパル班長……!」
 カスパル班長は黒髪をオールバックにし、口ひげを蓄えた紳士だ。
 今はエルヴィンの方が役職が上だが、リヴァイも以前はこの班長の下にいた。自然、全員姿勢を正す。
 自分よりもキャリアの長い年長者の言うことは聞くものだ。
 カスパル班長はお開きだと手を打ち鳴らして、その場にいた野次馬どもを解散させた。リヴァイとハンジの当事者達も解放して、エルヴィンだけをその場に残す。エルヴィンと正面から対峙して、カスパル班長は口を開いた。
「――君は、何の為に自分が班長を飛び超して、分隊長に任命されたか理解しているのかね?」
「はい……」
 エルヴィンはうなだれた。よくわかっている。
「彼を御する為だ。彼を連れてきた功績は目覚ましいものだし、元々幹部候補として育成されてきた君がその地位にいるのに何の文句もないが、制御出来なければ意味がない。君が彼の手綱を取れないというなら、他の者がその位置に着く。よく考えて行動したまえ」
 まだ存命の班長がいるのに、エルヴィンが分隊長に抜擢されたのはそれが理由だ。
 同じ班長、という肩書きでは、エルヴィンがリヴァイに命令出来ない。リヴァイは案外と素直で、上の者には従順だが、それでも扱いが要注意な事は否めない。リヴァイがへそを曲げて暴走したら誰にも止められない、特に懐いているエルヴィンだけに辛うじて可能性がある。エルヴィンはリヴァイの歯止め役だ。
「自分の職務は理解しているつもりです……なんとか、します」
 正直、何でこんな事で……と思わないでもない。
 だが自分がリヴァイを止めなければ、更に被害が拡大する。リヴァイには調査兵団の、自由の翼の象徴として役に立って貰わなければならないのだ。なのにリヴァイ班長は誰とでも寝る、などという噂が流れては調査兵団の大幅なイメージダウンになる。最悪、綱紀粛正で解任、除名される恐れもある。
 苦労して連れてきたのだ。
 駒としか見てない訳ではないが、ここでリヴァイを放逐されたら今までの努力が水の泡だ。
 エルヴィンは唇をきっと引き結んで、前を見据えた。

>>>2013/8/3up


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