――甘かった。
調査兵団のノリの良さを舐めていた。
エルヴィンがリヴァイを振った、というのはその日の内に知れ渡り、特にリヴァイが率いている班では、ウチの班長の何処が不満だ、と敵意剥き出しにされていた。
「私が何をしたっていうんだ……振ったとか、何故そんな話になる……」
演習場のグラウンド、全体を見渡せる中央の演壇に立ってエルヴィンは顔をしかめている。
さすがにこんな人目につく場所で不快感をあらわにする訳にはいかない、表情に出すのも実はまずいと思ってはいるが、こうも露骨にひそひそされては、これくらいは大目に見てほしいというものだ。
「いや振っただろ。せっかく夜中に部屋を訪ねて来てくれた子を追い返したりしたら、よっぽどでない限り非難されるだろ。据え膳食わぬは何とやら、とも言うし」
並んで兵士達を監督しているミケがエルヴィンの述懐を受けて言った。
エルヴィンは右手でこめかみを押さえた。
「子、という歳じゃないんだが……後、そっち方面に話を展開させないように。アレは暖を求めて飼い主の寝床に潜り込みに来た猫と同じで、そういうのじゃないから」
「なら益々、一緒に寝てやれば良かったじゃないか」
「………」
エルヴィンは無言になって口をつぐんだ。
エルヴィンはあれで、リヴァイを守ったつもりなのだ。
あんな過去持ちの、無自覚に色気を垂れ流しているのが部屋に来たらその場でベッドに引きずり込まれても文句は言えない。自分のような紳士だから無傷で返してくれたのであり、いやリヴァイは元々ベッドに潜り込むのが目的だったのだからいいのか……? ハンジも襲う訳でもなく添い寝しただけの様だし。
リヴァイの実力なら大概の奴はのし返せる。ならばほっといても安心……か? いやいや、肌を合わせていたら気が変わる事もあるだろう。うん、やっぱり自分は間違っていない。
大体口止めしていたのに地下街にいた経歴を自らバラしたのはリヴァイであって、あれさえ無ければここまで気を揉む必要はなかった筈だ。全部リヴァイが悪いのだ。エルヴィンは自分で納得した。
ミケはというと、目まぐるしく変わるエルヴィンの百面相を興味深く見ていた。
リヴァイを連れてくる前のエルヴィンは調査兵団には似つかわしくないエリート臭のする貴公子で、どこか近寄りがたい雰囲気を漂わせていた。それがこんなに表情豊かなヤツだったとは、とミケは意外に思いつつ好感を持った。こいつが上官ならきっとうまくやって行けるだろう。そう思わせる。
「……まあ、人気があるのはいい事だよな」
演習場で指導しているリヴァイを目で追いながらミケが言った。
一際ちっちゃくて軽やかにくるくる動くリヴァイは目立つ。リヴァイの班のみならず、実は今は合同でミケの班やその他、幾つかの班も任せて演習しているので余計に団員が群がっている。
あの辺の奴等が全員、エルヴィン分隊長許すまじ! と食堂でも演習場までの順路もがっちりリヴァイをガードしていた。絶対に近付かせない、という気迫を感じる。
おかげでエルヴィンはリヴァイの五メートル以内には近付けず、こうして焦慮しているという訳だ。
「……で、君もリヴァイ派なのか。ミケ」
「……一人くらいエルヴィンの味方がいないとな。心情的には俺もアッチだが」
何故だ……、と茫然とするエルヴィンにミケは、
「そりゃこんな巨大なのより、ちいさい方が見てて可愛いだろ。しかも最強。いざという時、助けてくれるのはどちらかというとリヴァイだしな。皆わかってる。なんつーかお前、エルヴィン、紳士ヅラしてるけど最後の最後で皆を切り捨てそうな気配してるんだよな。底が知れない、つうか」
「……そう見えるか?」
一拍おいて、エルヴィンは聞いた。
「見える。だからリヴァイは大事にしろ。アレはお前の人間的な魅力を引き出してくれる。別に今まで魅力が無かったワケじゃないがな、生死がかかった状態では、そんな上っ面なモン毒にも薬にもならないしな」
なるほど。
見透かされているものだな……とエルヴィンは自分を振り返った。
この夜もリヴァイはハンジの部屋にいた。
仲良く並んで同じベッドで横になりながら、ねえ、リヴァイ、とハンジが聞いた。
「本当にしなくていいの? 昨日も聞いたけど……私、女として魅力ない?」
……気にしていたらしい。
エルヴィンにした失敗を繰り返さないよう、ドアが開いたらベッドを強襲したからな。リヴァイは反省した。班長に与えられているのはリヴァイと同じ、ワンルームの個室だ。ハンジがあっけに取られている内にリヴァイはベッドの上にエルヴィンが借してくれた毛布を広げ、その中に滑り込んだ。
奥に寄って、一人分のスペースを空ける。そこをぽんぽんと叩いて、本来のベッドの持ち主を呼ぶ。
「寝ろ」
「はあ……、お邪魔します……」
もそもそとハンジが入ってくる。
出て行け、と言わないだけエルヴィンよりマシだな、とリヴァイは思う。
「どうしたの? もしかして私にムラムラ来ちゃった?」
「いいから寝ろ、クソメガネ」
「だって普通、夜中に男と女が同じベッドにいたらやる事はひとつだよ? 別にいいよ? やっても」
「寒いから来ただけだ。妙な真似はしないから、とっとと寝ろ」
寝ろ、を三段活用させてリヴァイは目を閉じた。
ハンジもその後は静かになったから、納得して寝てくれたものだと思っていたが。
――くしゃり。
リヴァイは手を伸ばして、ハンジの髪を掴んだ。
「そんな事はない。お前は凄くいい女だ」
手のひらでハンジの頬を包み込む。
「ただ……俺にとってセックスっていうのは……、金や寝床や食い物を得る為の手段で……余りいい記憶がないからな。だが、誰かと寝るのは、嫌いじゃないんだ。一人だけ……俺に何もせずに寝てくれた奴がいてな。ぶっちゃけ乳母、じゃない男だから保父か……? まあ何でもいい、ガキの頃の俺の面倒を見てくれた男で、文字なんかもそいつに習った。そいつと寝る時は誰も手を出しに来なかったから、俺はそいつと寝るのが好きだった」
リヴァイの薄い灰色の瞳は遠い過去を見ている。
ハンジは初めて聞くリヴァイの話に耳を傾けている。
「だから、ハンジがそういう事がしたいなら、よそへ行く。俺ではお前の欲求を叶えられないからな。お前のベッドは居心地いいし、手離すのは少し残念だが……」
身を起こそうしたリヴァイを、ハンジがぐい、と引っ張って止めた。
「ここにいなよ、リヴァイ。何もしないからさ」
にい、と笑ってリヴァイを抱き潰す。
「あはは、リヴァイ可愛いー、好きー。大丈夫だよ、私が守ってあげるから。誰にも手ェ出させないから、安心して寝なよ」
「それはありがたいが、苦しいぞ。力ちょっと緩めろ」
女の胸に顔を挟まれて潰される、という、普通の男なら泣いて喜びそうなシチュエーションにもリヴァイは全く反応しない。異性への情緒が子供のまま、ここまで育ってしまったらしい。幼児期にそういう事に慣れすぎた影響もあるのかもしれない。いずれにせよ、リヴァイは誰のものにもならないのだ。
団員の憧れの最強はある意味全員に平等だ。
例外と言えばエルヴィンくらいか。
そんな中、エルヴィンの代わりとはいえ寝床に選ばれた自分はちょっと誇っていいかもしれない。
「緩めろって言ってンだろ」
「いやー」
腕の中の抗議を無視してぎゅうぎゅう抱きしめながら、ハンジは幸せな眠りについた。
あれから一週間。
エルヴィンはリヴァイと話す機会を窺っていた。
全く素晴らしい。リヴァイの部下達は片時も離れずリヴァイをブロックしていてエルヴィンを近づけない。あの仏頂面がよくそこまで信頼関係を築けたものだと感心する。
が、特に不思議ではない。昔から、それこそ売られていた当時からリヴァイは人気があった。
部下達から慕われている姿にしてやったりと思う反面、立派になって……! と妙に母親的な、感傷的な気分にもなる。これはやはりエルヴィンの、リヴァイへの保護者的な立ち位置から来る感情だろうか。
しかしこういつまでも、リヴァイと離されているのも……。
エルヴィンが考え込んだ時だ。
「ごめん、リヴァイ! 今夜ダメになった!」
演習の終わり、解散後にハンジがリヴァイに駆け寄って言った。
あれからずっと、リヴァイはハンジの部屋で寝ていたらしい。俺んトコでもいいぞ、とミケが言うのをハンジが離さなかったとか。相変わらず女に不自由しない奴だ。ヤってはないらしいが。
ハンジは両手を顔の前で合わせてごめんなさいポーズを取り、
「技術部の実験に付き合ってくれって呼ばれちゃってー、朝までかかるんだって。悪いけど今日はミケの所行ってくれる?」
「わかった。じゃあ、ミ……」
ミケ、と言い終わる前に、無謀にも勇気ある団員が何人かリヴァイの寝床に立候補した。
「リヴァイ班長! ぜひ俺と!」
「いや俺と!!」
「私の所へ! ハンジ班長がOKなら、女性でもいいんですよね!?」
つられて、周りの奴等も声を上げる。リヴァイはそれぞれの顔を眺め回してから、
「……考えておく」
と言った。
「ミケ、頼む」
「ああ。いつでも来い」
ミケが了承する。今だ。
「それには及ばない、ミケ。リヴァイは今夜は私の部屋で寝るから」
「エルヴィン……!」
さっとリヴァイとの間に立ち塞がろうとする団員を、エルヴィンは眼力だけで威圧して退がらせた。
そのまま歩いて身じろぎもせず立っているリヴァイの前に出る。
「……どういう風の吹き回しだ?」
リヴァイがエルヴィンを睨め付ける。
迂闊な事は言えない。リヴァイの嘘を見抜く目は一級品だ。
だがここで引いては、エルヴィンを信じてリヴァイを託してくれた彼女達に申し訳が立たない。
「……私の、腹が立つからだ」
エルヴィンは今の自分の正直な気持ちを訴えた。
「お前が一週間ずっとハンジと寝ていたのもむかつくし、こう色んな団員に声をかけられて、満更でもなさそうな返事をするお前にも腹が立つ。ここまで消耗するくらいなら、多少噂になろうと誤解されようと手元に置いといた方がマシだ。だからお前は私の部屋で寝ろ、リヴァイ。他のベッドでは寝るな」
無言でリヴァイがエルヴィンを見上げる。いつもの、検分するような目付き。
ふっ、と張り詰めていた空気が和らいだ。
「……最初っからそう言やあ良かったんだ」
リヴァイが口の端を上げて笑っている。収まるべき所に収まった、という安堵感。
「ミケ。また今度頼むな」
体をひるがえしてリヴァイは退場した。
また、って何だと問い質したくなったがエルヴィンは黙って見送った。
その夜、早速やって来て当然の権利のようにベッドに潜り込むリヴァイにエルヴィンは、
「……リヴァイ」
眠るリヴァイの顔を見つめながらささやく。
「私はお前の身元保証人にはなったが、保護者になった覚えはないぞ。わかってるのか……?」
ついでに言うと飼い主にも。
起こさないよう細心の注意を払いながら、エルヴィンは、リヴァイの額にキスを落とした。
< 終 >
>>>2013/8/6up