薫紫亭別館


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眠れる真珠


「……実の所、襲われてボコボコにされていた私を助けてくれたのは彼女達なんだ」
 エルヴィンはハンジに話し始めた。
 両肘を膝の上に乗せて指を組み、あごを乗せている姿は、まるで懺悔しているように見える。
「彼女達がリヴァイ'S、リヴァイの女達という事で、間接的にはリヴァイが私を救ってくれた事にはなるが……その時の私は、なぜ彼女達が助けてくれたのかわからなかった。彼女達は三つ子で、ウルリケ、ウルスラ、ウィルマと名乗った。まだまだいるわよ、と笑いながら彼女達は自分達の店に案内した……」


 ――なにやら妙な事になった。
 エルヴィンは三つ子の内の二人、見分けがつかなかったから名前はわからないが……二人に両脇を支えてもらって彼女達のねぐらに辿り着いた。ごく普通の三階建てのアパートメントに見えるが、娼館だ。
 一人が先に扉を押して入っていった。恐らくこの館の主に、エルヴィンの事を知らせに行ったのだろう。
 しけった煙草を路上で売っていた老人の声を思い出す。
(――あんた運がいいよ。あれはリヴァイ'Sだ。リヴァイの館の女達さ)
 リヴァイ、というのが彼女達の元締めらしい。
 老人の口振りからするに、リヴァイというのはそれなりに紳士的な人物らしい。地下街にしては、という注釈はつくが……ぼったくられてもあのまま放っておかれて、命を取られるよりマシだ。家に連絡さえ付けば、金を持ってきてもらう事も出来る。
 まったくヘマをした。その日エルヴィンは、シーナからローゼの兵舎に戻ろうと家を出たのだ。置き手紙を置いて、こっそりと。両親は歳を取ってから生まれた末っ子を溺愛していて、一回りも歳の離れた兄が家督を継いでいるが、こちらもまたエルヴィンを目に入れても痛くないほど可愛がっている。
 怪我で自宅療養の運びとなったが、本当は兵舎の医務室にお世話になる予定だった。
 誰かが先走って家に知らせたおかげで向こうから迎えが来てしまったが、そろそろ骨もくっついたし、調査兵団に戻りたかった。危険極まりない調査兵団も、エルヴィンにとっては息のつける場所だった。軍属に就く、というのは家から出る口実として申し分なかったし、憲兵団や駐屯兵団ではなく調査兵団を選んだのは、そこが唯一、実家の力が及ばない部隊だったからだ。
 駐屯兵団では圧力でシーナに配置されるかもしれないし、憲兵団は元々シーナの警護を請け負っている。
 それでは意味がない。家から離れて自分の力だけでやっていきたいのに、シーナにいては結局家に保護されているようなものだ。それくらいの力は、家にはある。
 訓練兵団に入った瞬間から夢と現実の違いに圧倒され、自分がいかに甘ちゃんだったか思い知らされたがエルヴィンは戻ろうとは思わなかった。そこで出来た友人、同期、厳しくも丁寧に指導してくれる担当教官などに揉まれながら、いつしかエルヴィンは立派な軍人になった。
 調査兵団に入団し、壁外調査で仲間を失いながらも、その想いは変わらなかった。
 むしろ仲間を失くすごとに、巨人への憎悪を募らせ、絶対に人間の領土を奪い返す、と志を新たにした。
 ほとんど成り行きで入った調査兵団で、エルヴィンは一生を賭けるに足る目的を見つけた。
 その為に邁進し、今は幹部候補としてキース団長の側近になっている。
 のんびり休んでいる暇はないのだ。
 兵舎に戻ると告げては反対されるのがわかりきっていたので、エルヴィンは黙って家を出た。
 朝のまだ暗いうちから出発し、どこかで辻馬車を拾うつもりだった。
 そうだ。留守で迷惑をかけた詫びに、菓子のひとつも買って帰ろう。エルヴィンは繁華街に足を向けた。 が、まだ早朝過ぎて大した店はやっていなかった。朝食用のパンを売っている屋台だけが開いている。
 エルヴィンはなんとなくパンをひとつ買い求めた。懐から札入れを取り出した途端に、何者かがぶつかってきた。
「………!」
 スられた。エルヴィンはすぐさまそいつを追った。
 あれには菓子代だけでなく、ローゼまでの旅費も入っているのだ。辻馬車への賃料だ。
 なんとしても取り返さねば、また家にすごすご戻るハメになる。そんなみっともない。手紙もそろそろ読まれている頃合いだろう、戻ったエルヴィンを見て両親も兄も笑いはしないだろうが、ここぞとばかり家に帰ってこい、と説教するだろう。明瞭にそんな未来が見えて、エルヴィンは憂鬱になる。
 そいつは路地から路地へと走り抜けながら、エルヴィンを撒こうとしていた。地の利はどう見ても向こうにあるが、エルヴィン自身の切羽詰まった状況と、日頃の鍛錬で鍛えている足からは逃げられなかった。
 向こうも悟ったのだろう、ふい、とある建物のドアを開けて入る。エルヴィンも追う。
 中には誰もいなかった。が、だんだん遠くなってゆく足音が聞こえる。薄暗い室内を見回して、慎重に足を踏み鳴らしながら歩く。足音が変わった。エルヴィンは床に這いつくばって、ようやく指がかかりそうな程の取っ手を見つけた。どうも地下室があるらしい。
 板張りなのはカモフラージュか、と納得しながら引き上げる。普通は石床そのままなのだ。
 エルヴィンは果たして現れた暗い階段に足を踏み入れた。明かりは全くなく、ほぼ暗闇に近い。それでも進むと目が慣れてきて、行き止まりかと思った壁の隅にノブを見つけた。回した。かちゃり、とちいさな音を立てて、それが開いた。
(……地下街……!?)
 目の前には予想以上の空間が広がっていた。
 林立する建物、細いガス灯の柱、行き交う人々。胸を強調するデザインのドレスを着た、ひと目で娼婦とわかる女達。同じ顔がみっつ並んでいるように見えるのは、目の錯覚だろうか。それとも地下街とは、こんなものなのだろうか。考えるのは後回しだ。
「失礼、お嬢さん方……」
 エルヴィンは娼婦達に問い掛けた。
「もしやここで、私より先に出てきた男を見ませんでしたか。あれはスリで、私はそいつを追ってきたのです。あなた方に他意はありません。そいつを捕まえれば、私はここから退散します。決してご迷惑はおかけしません」
 娼婦達に協力を仰ぐ。ちゃらけた雰囲気の娼婦達は、一瞬目を丸くした後、三人でぺちゃくちゃと喋り始めた。小鳥のようにかまびすしい。
「お嬢さん、だってー! あたし、初めて言われたー」
「スリだって。ここらじゃ日常よねー」
「何ナニ? もしかしてお財布スられた? そのお財布って、軍人さんのだったの!?」
 エルヴィンは兵団服を着ていた。兵舎に戻るつもりだったからだ。
 マントも着けているが、それも付属のもので、地下街でも軍人と丸わかりだ。同時に、余り良くない目で見られているのもわかった。地下街に住むのは脛に傷持つ者が多く、憲兵団とは犬猿の仲だ。表向き、憲兵団が地下街に干渉する事はない。エルヴィンは明らかに彼等のテリトリーを侵害している。
 エルヴィンは憲兵団ではないが、ここの住人には軍服を着ている、だけで充分だろう。
「失礼。参考になった、ありがとう」
 礼を言って、エルヴィンは足早に去ろうとした。が、遅かったようだ。
 三人の娼婦達がうるさくお喋りしてくれたおかげで、エルヴィンは思いきり目立ってしまっていた。それを聞きつけて、近くを通りがかった如何にも柄の悪いのが絡んできた。
 困った。エルヴィンは軍人だ。地下街の住人とはいえ、一般人に手を出す事は許されない。
 お偉い憲兵サマがこんな場所に何の御用ですかー、もしかして女買いに来たんですかー、遊ぶヒマがあるなんて余裕ですネェー、と相手は酒くさい息を吹きかけた。その臭気に思わずエルヴィンは顔を背けた。
「あ!? なんだテメェ、俺がクサイってのか!」
 男は激昂して殴りかかってきた。
 それが合図だったかのように、周りで傍観していた破落戸達がエルヴィンに襲いかかった。

「なーんかちょっと可哀相じゃなーい?」
「えーそうかなー。憲兵なんかやっつけられてアタリマエだと思うけどー」
「そうよー。下手に温情かけて助けたりしたら、今度は仲間引き連れて逮捕しに来るわよー。ここはきっちり殺しとかなきゃ。どうせ迷い込んだだけみたいだし、行方不明で終わるわよー」
 娼婦達の話す声が聞こえる。
 エルヴィンは急所をガードするので精一杯だった。一般人か否かを考えず、ここは先手必勝で拳を叩き込んで、相手をひるませてから逃げた方が良かったかもしれない。いや、それはそれで、最初の男が仲間を連れて来ればすぐに見つけられてしまうだろう。
 兵団服を脱ぐ事は考えなかった。これはエルヴィンの誇りだ。
 怪我がまだ治りきっていなかったのも最悪だった。殴られる度に骨折していた鎖骨がズキズキ痛む。
 ……まずい。このままでは本当に殺される。
 何とかしないと、と気ばかり焦るエルヴィンの耳に、何処かのんびりした声が届いた。
「いや、あれは憲兵じゃないな。エンブレムが違う」
 路上で煙草を売っていた老人が、ひとりごとの様につぶやいていた。
「一角獣でも薔薇でもない。儂も見るのは初めてじゃが……自由の翼、あれは調査兵団だ」
 何それ、と聞く娼婦達に、老人は壁の外で調査したり、巨人と戦ったりする兵達だよ、と説明する。
 えばりくさった憲兵より、よっぽどマシな連中だよ、と言う。
「ちょーさへいだん、だって」
「どうするー」
「そうねー」
 三人の娼婦達は老人とひそひそ何やら話していたが、やがて女が一人、エルヴィンに暴行している破落戸に近づき、言った。
「やめなさいよ。大の男がよってたかって一人を相手に」
 破落戸達は当然反発して、女は引っ込んでろ! と怒鳴った。
 娼婦は微塵も動じなかった。
「なあに? あたしに手をあげる気? ここが誰のシマだかわかってンの?」
「………!」
 破落戸は明らかに動揺した。顔を見合わせて、ババア覚えてやがれ、と捨て台詞を吐きながらエルヴィンから離れる。充分に遠くに行ったのを確認してから、娼婦達はエルヴィンを取り囲んだ。
「軍人さん、大丈夫? 災難だったわねー」
「そんな格好で来る軍人さんも悪いけどね。知らなかったなら仕方ないかー」
「立てる? 軍人さん。手当てしてあげるから、あたし達のねぐらにいらっしゃいよ」
 口々に言って、転がっていたエルヴィンを立たせる。
 路上売りの老人が目を細めた。
「珍しいな、こいつらが助けるなんて……あんたいい男だからかな」
「ちょっとモクじい、いい加減なこと言わないでよー。あたし達リヴァイ一筋なんだからー」
 そうよそうよ、と残りの二人も声を揃える。
 リヴァイ、の名前はここで初めて聞いた。煙草売りの老人にも礼を言い、エルヴィンは娼婦の二人にありがたく肩を借り、彼女達の娼館に裏口から入った。先に入った女がエルヴィンの事を色々説明している。閉じきってない扉から、それらが漏れ聞こえてきた。
 ただいまー、と元気よく女達はエルヴィンを連れて入室した。
「――憲兵じゃねえか。捨ててこい」
 それが、リヴァイの第一声だった。

>>>2013/9/11up


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