薫紫亭別館


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 ――紹介されずともすぐにわかった。
 この小柄な、エルヴィンを連れてきてくれた彼女達と並ぶとまるで姉弟のような、下手をすると子供でも通ってしまいそうな男こそがリヴァイ、彼女達のあるじだと。
 目が違う。青みがかった薄い灰色の瞳。
 訓練兵団に入団の際、通過儀礼と称して罵倒されたり殴られたりする事があるが、その必要がないたぐいだ。彼を子供と見誤って手を出したら、それは怪我をして当然だろう。恐らく、歳もそうエルヴィンと変わらないのではないか。……これはエルヴィンの直感だが。
「やーねー、だから憲兵じゃないわよ。ちょーさへいだんだって言ってるじゃない」
 ……が、当のリヴァイは頭に三角巾を被り、鍋の中身をかき回している。
 何だかとても居心地のいい部屋だった。
 台所と居間と控室をごっちゃにしたような、中央にでんとテーブルを据え、背もたれのない丸椅子がその周りに散らばり、思い思いの円座やクッションや誰かのものらしいショールが無造作に置かれている。壁の一方が煮炊きをする場所になっていて、かまどや水場や食器を置く棚などがまとめられていた。リヴァイはそこで料理をしているのだ。
「似たようなモンだろ。どっちにしろ、お近づきになりたくない人種だな。いいから捨ててこい」
「ああん、待ってよー。見てよあの軍人さん、いかにもいいトコのボンボン、って感じじゃなーい? スリに狙われるくらいだから、たぶんお金も持ってたのよ。スられてるケド。お嬢さん、って呼びかけ方も上品だったし、チンピラに殴られても軍人さんからは手も出さなかったし」
「まどろっこしいぞ、早く言え」
「つまりい、あのヒトいい所のお坊っちゃんみたいだから、私達が上に行く時の繋ぎにできないかなー、って思って」
「ああ……」
 リヴァイはようやくまともにエルヴィンを見て、またすぐ目線を戻し、
「なるほど。よくやった」
 ついと手を伸ばして、リヴァイは説明をした彼女の頭を撫でた。
 あ、いーなー、私も私も! とまだエルヴィンに肩を貸したままの二人が騒ぐ。
 リヴァイは近付いて、順番に彼女達の白っぽい金髪の、砂糖菓子みたいな頭を撫でてやってから、
「俺はリヴァイ。こいつらのヒモだ」
 自己紹介した。
「あ……私は、エルヴィン・スミス。調査兵団に所属している。彼女達には本当に世話になった。改めて礼を言わせて貰う」
「………!」
 少しだけ、リヴァイが驚いたような顔をした。剣呑な目付きで三つ子を睨む。
 三つ子の彼女達はくすくすと笑いながら、エルヴィンをリヴァイに押し付けた。
「じゃ、後はよろしくねー、リヴァイ。あたし達、もうひと商売してくるから」
「ちゃんと手当てしてあげるのよー」
「もう大丈夫だからね、軍人さん。あたし達に会えて、本当にラッキーだったわよー」
 口々に言いながら外に出て行こうとするのを、リヴァイが止めた。
「待て。今日はもうやめとけ。こいつ絡みでトラブルになったんだろう。そいつ等がまだ、その辺をうろついていたらどうする」
 心配してくれるの? やっさしーい、とあくまで彼女達はお気楽だ。
「大丈夫、河岸を変えるから。頑張ってごはん代稼いでくるからね。待っててねー、リヴァイ」
 彼女達は代わる代わるリヴァイの頬やら額やらにキスをして、羽根のように軽やかに出て行った。
 ふう、とリヴァイが息をつく。仕方ないな、とばかりに三角巾を滑り落とすと、
「……あのソファまで歩けるか? 見たところ足は折れてないよな? なら自分で歩け」
 と言った。……リヴァイはエルヴィンには厳しかった。

 エルヴィンはかまどの対角線上にコの字型に配置してあるソファに案内された。
 ソファの後ろは衝立で区切られ、奥にベッドが見えた。仮眠室……、でもあるのかもしれない。
「………」
 沈黙が重い。
 というか、顔が近い。エルヴィンは何となく落ち着かなかった。
 リヴァイはエルヴィンの隣に座って、無言で手当てしてくれている。
 擦過傷を洗い消毒し軟膏を塗り、綺麗なまだらに染まった皮膚は、薄荷油を混ぜた水を染み込ませた布で湿布をする。湿布のメントール臭に混じって、微かな花の匂い。シャンプー……? 彼女達と共用なのか、それはリヴァイの髪から香ってきていた。いつまでも嗅いでいたいような、とても上質な香り。
 反して髪型は恐ろしくテキトーで、長くなってきたら後ろ髪をひと掴みして、ナイフか何かでざっくり、らしく毛先がギザギザになっている。今は肩につくかつかないか、位の長さなので、そろそろ散髪の時期かもしれない。何だかもったいない。散髪代くらい持つから、ちゃんとした床屋で揃えてきてほしい……とまで考えた所で、エルヴィンは頭を振った。
「おい動くな。包帯が巻きにくいだろうが」
 リヴァイが抗議する。
「あ、ああ……すまない」
 危ない。それではまるでパトロンではないか。リヴァイは彼女達を束ねる立場であり、商品ではない。
 しかしこう、初対面の相手に諸肌脱いで、抱きつくようにして胸に包帯を巻いて貰うというのも……医療班相手なら普通の事なのに、妙に意識してしまうのは、ここが娼館だからだろうか。
「これは?」
 リヴァイがエルヴィンの鎖骨に手を当てた。
「ここだけ骨が盛り上がってる……骨折でもしたのか?」
「よくわかるな。最近、治ったばかりなんだ。まだ動かすと痛いから、リハビリが必要らしいんだが……」
「へえ」
 ぐ、とリヴァイはくっついたばかりの鎖骨を押した。
 げえ、とエルヴィンは潰される寸前の蛙のような呻き声を上げた。
「こ……こら! やめなさい! 痛いじゃないか」
「あ、悪い。つい、どンくらい痛いモンかと思って」
 無表情だったリヴァイの顔に、初めて感情らしきものが浮かんだ。口の端を僅かに上げて、それだけでリヴァイが面白がっているのがわかる。だから近いって、顔が! キツイ三白眼が上目遣いに悪戯っぽく光っている。薄い唇も釣り上がって、舌舐めずりをする猫のようだ。
 リヴァイがまた鎖骨に手を伸ばしてきた。が、エルヴィンは動けなかった。
 視線に縫い止められたように、面白半分にリヴァイがエルヴィンをいたぶるのを待つしかない。
 これは何だ。特殊能力でも持っているのか。
 しかし次の痛みはやって来なかった。入り口の扉が開いて、リヴァイ'Sらしき女が一人、部屋の中を睥睨していた。
「珍しいね、リヴァイ。あんたが客を取るなんて」
「イレーネ」
 リヴァイはエルヴィンの上からどいた。いつのまにかリヴァイは、片膝をエルヴィンの腿に乗せていた。
「違う。ウルリケ達が連れて帰ってきた」
「ああ、あの三つ子ね……あんたが甘やかすからじゃない? リヴァイ。あんたに客なんか斡旋しなくたって、あんた一人くらい、あたし達の稼ぎで食べさせてあげるから」
 イレーネと呼ばれた女は部屋を横切って水場へ行き、ガラガラとうがいをすると、
「ああ気色悪かった。リヴァイ、口直し」
 んー、とリヴァイにディープなキスをした。
「イレーネ、客は?」
「帰った。べろべろねぶりまくりやがって、テメーは犬かっての。まあ、そうさせてりゃ他の要求はしてこなかったから、楽な客ではあったんだけどさー」
「わかった。すぐ湯を沸かすから、待っててくれ。スープなら出来てるが、飲むか?」
「……飲む。お願い」
 リヴァイはスープの鍋を下ろし、代わりにやかんを火にかけた。てきぱきと、エルヴィンを手当てしたのと同じマメさで女の世話を焼くリヴァイに、どうも釈然としないものを感じる。
「あ、そうだ」
 ぱたぱたとリヴァイは衝立の後ろに走って行き、すぐ戻ってきた。手に、白いものを持っている。
 ぽふっとそれを投げつける。
「着ろ。ちょっと小さいかもしれねえが、羽織るくらい出来るだろ。ンなボロボロの軍服でうろつかれても迷惑だし、ずっと上半身マッパでいられても目障りだ。悪いが足は自分で手当てしてくれ。その辺の薬と包帯、好きに使っていいから。俺はこれから忙しい」
「あ……ありがとう」
 広げてみると、それは男物のシャツだった。ご丁寧に、ズボンもつけてくれている。
 腕を通す。その時わかった。これはリヴァイのシャツじゃない。幾ら何でも、リヴァイとエルヴィンでは体格が違い過ぎる。大人が子供の服を着るようなもので、その点、これは多少小さくとも、一応ボタンを嵌める事が出来た。恐らくズボンも同様だろう。
 ――誰の服だ。頭に血が上るのをエルヴィンは感じた。
「じゃ、ちょっと掃除してくる」
 スープを注ぎ、丸椅子に座ったイレーネの前のテーブルに皿を置き、湯が沸いたら体拭けよ、と言い残してリヴァイはバケツ片手に部屋を出て行こうとしていた。最初に見た、三角巾スタイルになっている。
「え……? 掃除って、何処に……?」
 自分でも間抜けた声だった、とエルヴィンは思う。
 リヴァイは振り返り、
「ヒモなんだから、家事一般を請け負うのは当たり前だろうが。客が引けた後の始末も、俺の仕事だ。俺にはこいつらを、元気で健康に保つ責任があるしな」
「………」
 よくわからない。リヴァイはここの主人じゃなかったのか。
 謙遜してヒモと言っているのかと思っていたが、そうではなかったのか。
 エルヴィンが混乱している間にリヴァイはさっさと行ってしまった。色々と聞きたい事がある。
 だが、そんな内輪の話を、初対面の拾われただけのエルヴィンに話してくれるだろうか。しかもエルヴィンは軍人だ。リヴァイ曰く、本来ならお近づきになりたくない人種、だ。
 女がこちらを見ているのに気付いた。
 黒いウェービーヘアを豊かに背中に流して、ピンクのガウンを纏った彼女は、三つ子達よりは遥かに娼婦に見える。女性の歳を詮索するような真似はしたくないが、失礼ながら、年齢もかなり上のようだ。
「――お話を伺ってもよろしいでしょうか。イレーネ……、さん」
 確かリヴァイがそう呼んでいた。
 イレーネの方にも話があるらしく、彼女はスプーンを置いて立ち上がった。

>>>2013/9/15up


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