薫紫亭別館


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 ……長い長い話をしていた。
 時折、リヴァイが激昂して怒鳴る声が聞こえた。怒っているというよりは、駄々を捏ねて我儘を通そうとしているような、切羽詰まった声だった。あの飴が欲しい、とまるで泣いている子供のようだ。
 彼女達は静かに言い聞かせていた。
 それこそ、いつぞやイレーネが指導したような、子供に諭すような口調で。
 コの字型のソファ近くの床に直接ぺたんとみんなで座って、みんながリヴァイを取り巻いている。
 リヴァイと彼女達だけの世界。輪。
 少しだけエルヴィンは羨ましい、と思った。
 自分はあの中には入れない。まだ会って数日しか経ってない。リヴァイが感情むき出しにして、必死に彼女達に食ってかかっている。リヴァイの庇護がなくなればどうなるか彼女達は知っていて、わかっていてリヴァイを手放そうとしている。納得出来なくて当然だろう。
 少しずつ、リヴァイの声のトーンが落ちてきた。
 諦めたのか、説得されたのか……リヴァイの声が聞こえなくなった。
 代わりに、彼女達が繰り返し繰り返し、リヴァイに好きだとささやいている。
 あなたが好き、だから幸せになってほしい。
 ここにいても未来はないわ。私達の事は気にしないでいいの、無理言って連れてきて貰ったんだし。
 もう、自分の事だけを考えなさい。
「あの軍人さんは今のところ紳士だし、聞き出した限りでは身元もしっかりしてる。あの人についてって損はないよ、リヴァイ。もう、軍人さんにはあんたに必要な戸籍やパスなんかも取ってくれるよう話をしてある。嘘だったら殺して逃げればいいさ。あんた一人なら、何とでもなるだろ?」
 イレーネが何やら恐ろしげな話をしている。
「でも、嘘でも、ここに帰ってくるんじゃないよ。リヴァイ」
 きつくイレーネは釘を刺した。
「あたし達の事は忘れなさい。十年……十一年か。十一年前に逃げてからこちら、やりたかった事を全部やるんだ。幸い、あんたはちっちゃいし、嫌な思い出だろうけど若く見えるし、歳を誤魔化して何度でもやり直しが出来るよ。嫁さんを貰う事だって出来る。子供でも生まれれば、もう、あたし達の事なんか思い出さなくなるよ」
 そんな事しない、とリヴァイは首を振っている。
 あたし達の為でもあるよ、とイレーネは言った。リヴァイは彼女達の希望だ。
 リヴァイ'S、と称される彼女達は、一人一人が何処かにリヴァイを孕んでいる。
 リヴァイを中心とした、リヴァイの為の、リヴァイが統括するコミュニティ。リヴァイが幸せなら、彼女達も幸せなのだ。たとえ遠く離れていようが、二度と会えなかろうが変わらない。それは。
 リヴァイもついに折れたらしい。女達の誰かがワインのコルクを抜いて、注いで回った。
 乾杯、と声がして、グラスを触れ合わせる音が聞こえる。
 リヴァイと彼女達が昔の四方山話に興じるのを聞きながら、エルヴィンはベッドに横になった。
 ここから先は、エルヴィンが立ち入って聞いてはならない話だ。
 リヴァイと過去を共有する彼女達。
 エルヴィンが目を閉じ、眠り、起きると、彼女達の姿はもう何処にも見えなかった。
 ソファに囲まれた床に、リヴァイが何枚ものショールにくるまれて眠っている。数えていないが、たぶん十三枚あるだろう。彼女達の人数分だ。
 エルヴィンは静かにソファの端に座り、待った。リヴァイの目が覚めるのを。
「………」
 ぼんやりとリヴァイが身を起こして、辺りを見回した。
 ショールを握りしめて、焦点の合わない目でエルヴィンを見つめる。こんな奴いたっけ、という表情だ。
 エルヴィンは改めて自己紹介した。
「私はエルヴィン・スミス。彼女達から君の身を託された」
 リヴァイは首をかしげている。
 エルヴィンは手のひらでリヴァイの頬を包み、言った。
「――私とおいで、リヴァイ。もっと広い世界を君にあげよう。そこで存分に羽ばたくといい、君の羽根は、この世界では不釣り合いに巨大すぎる」
 リヴァイは長くエルヴィンを見つめていたが、やがて、
 ……うん。
 頬を包むエルヴィンの手に手を重ね、リヴァイは確かに頷いた。


「虚脱していたリヴァイの手を引いて、私はシーナの実家に戻った。幸い、数日経つとリヴァイは元の不遜さを取り戻し、ウチの離れを我が物顔で使っていた。私は安堵した。もちろん、あのまま元に戻らなくても面倒を見る気ではいたが……出来れば、私の片腕になってほしいと考えていたからな」
 そうして調査兵団の事を説明し、どんな仕事をするか話し、書類を揃えるまでここで訓練しながら待っていてほしいと伝えた。リヴァイは全て受け入れた。
 他に行く所がなかったのかもしれない。彼女達に言われた事を、守ったのかもしれない。
「じゃあ、別にエルヴィンは悪くないじゃない。リヴァイの女達から合法的に、貰ってきたワケね」
 言葉は悪いが、ハンジの言う通りだ。
 エルヴィンは震える声で言った。
「――条件があった。私はそれを反故にしようとしている」


「SEXはダメよ」
 声を揃えて三つ子は言った。
「育ての親の出納係は最後まで、何もしなかったから。あの子甘えただから、軍人さんのベッドにもいつか潜り込むと思うけど、ヤっちゃ駄目よ」
「寝ちゃった瞬間からあなたとリヴァイの関係は、保護者と子供から客と男娼、に変わる。でも今のリヴァイは売り物じゃないから、客を半殺しにして追い出す事が出来る」
「いっぱい前例があるの。あたし達が連れてきた、軍人さん以前の男達。最初は純粋に同情してなんとかしてくれようとするんだけど、だんだん欲が出てくるというか、狂わされるのか、全員例外なく、リヴァイに手を出してた」
 ウーラ達も目撃した事があるらしい。
 ――あっち行ってろ。
 手振りでそう示されて、彼女達はどうする事も出来ずに退散した。
 リヴァイのベッドが居間にあるのは、いつでも彼女達がリヴァイの顔を見て安心出来るのと同時に、手出し防止、抜け駆け防止の意味もあるのだそうだ。
「それまでのお礼に一夜だけ我慢するんだけど、起きたら物凄い嫌悪感が沸いてくるみたいで……」
「相手は切れたくなくて、怒ったり泣いたり色々するんだけど」
「実力行使で追い出す際に、やり過ぎちゃう事もあったのよね。まあ死体になっても、アントン先生が引き受けてくれるから心配いらないけど」
 ドクトル・アントンは患者だけでなく、死体もウェルカムと聞き、エルヴィンは背筋が寒くなった。
 好人物に見えても闇医者なのだ。油断はならない。
「リヴァイ、好きになった人には従順だし、我儘も聞いてくれるけれど、敵と見做したら容赦ないから」
「あんな商売してた割にはリヴァイ、スキンシップ大好きだし、キスもハグも平気だけど」
「SEXだけはダメなの。だからあなたに出来る事は髪を撫でて、とん、とん、と背中を叩いて寝かしつける事だけ。――出来る? 軍人さん。ずっとあの子の保護者で居続ける事が出来る?」
 出来る、とエルヴィンは即答した。
 その時は本気でそう思っていたのだ。リヴァイへの得体の知れない感情も、調査兵団に戻って忙しくなれば、消えてしまうと思っていた。まさか逆に燃え広がって、収拾がつかない状態になるなんて、思いもしなかった。
「アントン先生に託す、というのも考えたんだけど……あの先生黒いし、胡散臭いし、出来れば地下街から離れた場所で生活してほしかったから。よく知らないけど、ウォール・ローゼってここからすっごく離れてるのよね? シーナの壁すら、あたし達は見た事ないケド」
「それにアントン先生も、リヴァイに気があるみたいだしね。それだけで選考から漏れちゃったの」
「リヴァイの好みもあるし。部屋が散らかってるくらいならリヴァイが掃除すればいいけれど、本人が不潔じゃどうしようもないわ。軍人さんは掃除うまいし、普通に清潔だから気に入られたんだと思う」


「……彼女達は調査兵団がどんな所か知らなかった。巨人の何たるかを知らなかった。まさか新兵の死亡率が五割を超える所だとは、夢にも思わなかっただろう」
 エルヴィンの独白は続く。
「彼女達が知っていたのは昼間からギャンブルに興じる憲兵団や、壁工事団と揶揄される駐屯兵団で……あの程度で一生安泰なら、とリヴァイを託してくれたんだ。――私は、黙っていた。説明したら、失格の烙印を押される事がわかっていたからだ」
「………」
 ハンジは黙って聞いている。
「リヴァイには話した。隠し切れるものではないからだ。騙された、と怒って出て行かれても文句は言えなかったが、リヴァイは残った。……私の声が、養父に似ていたからだ」
 エルヴィンは組んだ指を組み直した。
「……私はアレが欲しいんだ。ひどい事をしているのはわかっている」
 エルヴィンの表情は暗い。
「彼女達から引き離して、自分の出世の為の駒にして……これ以上を望むなんて、おこがましいとわかってる。たぶん今のリヴァイなら、それさえも許してくれると私は知ってる……!」
「……よくわからないな。それで何で手を出さないのか、私にはそっちの方が不思議だよ。エルヴィン」
 ハンジは疑問を口に乗せた。
「……良心の呵責、という奴だ。彼女達と、リヴァイを騙したまま、自分だけ幸せになる事は出来ない」
「騙す……?」
 リヴァイの女達に調査兵団の実態を黙っていたのはわかったが、リヴァイには何を隠しているのだ?
 ハンジは先を促した。青い顔をしてエルヴィンは答えた。
「……彼女達はもういない。私がリヴァイを連れて行ったのを見届けた時点で、ドクトル・アントンから薬を貰い、永遠に眠ってしまったんだ。アントン先生を頼る、と言っていたのはそういう意味だったんだ。ドクトルは死体も引き取ってくれる。今まで貯めた金を渡して、薬と後の処理を頼んだ。ドクトル・アントンは彼女達の願いを叶えた……!」
「………!!」
 彼女達が大事に大切に慈しんでいた掌中の珠。リヴァイ。
 エルヴィンはそれをさらってきてしまった。
 もう、取り返しがつかない。
「私がそれを知ったのは、まだリヴァイが私の実家で訓練していた半年の間だ。別にリヴァイが心配しているだろう、なんて親切心からじゃない。リヴァイが出世して名を上げた時、地下街出身、という事が足枷になるだろうと危惧して、その為に彼女達の動向を把握しておこうと調べさせたんだ。一度目で彼女達の死亡を知り、調査は打ち切りになった」
「………」
「私は……言わなかった。リヴァイもまた、私に気兼ねしているのか、口に出す事はなかった。そのまま私は忘れてしまう事にした。数日一緒に過ごしただけの彼女達より、目の前でやられてゆく仲間に気を取られていたのもある。私にとって彼女達は、それくらい軽い存在だった」
 エルヴィンの事は責められない。死、という感覚に麻痺している自覚はハンジにもある。
「だが……今になって」
 エルヴィンは手で自分の顔を覆った。
「アレが欲しいと思う今になって、彼女達の言葉が思い出される。あの子をお願い、とかよろしく、とか、リヴァイの幸せだけを願い、私と同じ、過去が足枷になる事を嫌ってリヴァイに殉じた。そうまでして彼女達が守ろうとした者を、私一人の欲で穢す訳にはいかない」
 ――あの子を連れていって。軍人さん。
 どんな思いで言っていたのだろう。恐ろしく周到にリヴァイを売り込み、エルヴィンを嵌めた。
 自分達の最期も、その時には覚悟していたに違いない。
「彼女達の信頼を裏切る訳にはいかない。もう何処にも頭を下げて許しを乞う相手がいない以上、私は保護者に徹するしかない。彼女達を置いて、自分だけ幸せになどなれない。何より、この事実をリヴァイに告げる勇気がない……!」
 目の端であの小さな影がうろちょろしているのを捉えるだけで、あれが自分の隣や後ろに立っているだけで、何でも出来る気がした。あの三白眼で、軽蔑の視線を向けられると考えただけで心が冷える。
 エルヴィンはこみあげる嗚咽をこらえた。
(あの子をよろしくね。軍人さん)
 耳の中で、何度も彼女達の声がこだまする。
 かける言葉が見つからないまま、ハンジも共に座ったまま、時間だけが過ぎていった。

<  終  >

>>>2013/10/7up


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