「知らないよ。あんたの札入れなんか、あたし達は見たことないし」
エルヴィンの追及にもイレーネは平然としている。
「そうかもしれない、とは思ってたけどね。それはメリンダが客引きに行ってる時に、ある男から押し付けられたモンだよ」
――あんたリヴァイ'Sだろ!? コレ、返しといてくれ!
「大方、あんたがウーラ達に保護されたのを知ったスリが、ビビって返しに来たんだろうよ。地下じゃ軍人なんて珍しいし、そういう噂は回るのが速いからね」
ずっしりと中身の入った札入れに困惑して、メリンダは一旦ここに戻った。丁度ウーラ達が騒ぎを起こして、リヴァイもエルヴィンも留守にしていた時間帯だ。
「あんたから話を聞いてたからね、あたしにはすぐに見当がついたよ」
イレーネは簡単にメリンダに説明し、札入れを隠すよう指示した。
イレーネは女達の中で最年長で、リヴァイがいない時はイレーネが皆を束ねていた。
「リヴァイなら無断で缶を開けるような真似はしないし、届きにくいトコに置いてるし、充分だと思ってたんだけどねえ……まさかピンポイントでひっくり返して、自分の札入れを見つけるような粗忽者がいるとは思わなかったよ」
まさか最初からグルだったのか、と不審に思っていたエルヴィンの疑念は晴れた。
だが新たな疑問が浮上した。
「経緯はなんとなく理解したが……何故、隠さなければいけない!? 私は礼を惜しんだりしない。君達の事も、できる限り力になりたいと思っただろう。何も変わらない。あってもなくても」
エルヴィンは誠実に話をした。
「だってそれがあったら、軍人さん、すぐ帰っちゃうじゃない!」
ウーラ達が乱入してきた。
ウーラ達もまだ大事をとって、営業には行かず休んでいた。
「こら。あんた達まで来ちゃ、リヴァイが怪しむだろ」
「大丈夫。まだクララとゾフィが居残って、リヴァイに面倒みて貰ってるから」
どうやらイレーネは一度居間に降り、ウーラ達に耳打ちしてから様子見に戻ってきたらしい。
「その札入れがあったら軍人さん、中身だけあたし達にくれて、そのまま帰っちゃいそうだったもの」
「それじゃ困るのよ。軍人さんには、リヴァイのいい所いっぱい知って貰わなきゃだし」
「リヴァイ、いい子だと思うでしょ? 可愛いでしょ? 何でもしてあげたいと思ったでしょ?」
三つ子は必死だ。
「君達は……」
どうして、そこまで。
リヴァイをアピールする必要がある? 何が目的だ?
「――あの子を連れていって。軍人さん」
エルヴィンの心を見透かしたかのように、ウーラ達は言った。
「物件探しでも謝礼を渡すでも何でもいい、あの子を上に連れていって。そして二度と返さないで」
「……わからない? あたし達、もういい歳なの。このままじゃあの子を養えないの」
「今はまだいい。でも五年後、十年も経ったら確実に、あたし達リヴァイのお荷物になる。そうなる前に、あの子をここから逃さなきゃ。あの子一人なら、多分どこへだって行けた。でも私達がついてきちゃったから、あの子はここに縛りつけられた」
娼婦が売れるのはせいぜい三十代前半までだからね、とイレーネが述懐する。
「男の子が売れる時期は短いけれど、女にだって期限はあるさ。あたしはもう三十五になるから、ここの女達の中じゃ一番お茶を挽いてるし。どんどん新しい若い子が入ってくるからね。買う方がそっちに流れるのは、もう仕方ない事だよ」
そういえば……リヴァイの女達の中には十代、はいない。
皆、若くとも二十代中盤、もしくは後半に入っているように見える。
「ここの女達はリヴァイと一緒に逃げてきた時のまま、増えてないからね。必然的にそうなるのさ」
全員、リヴァイと同じ娼館にいた、戦友と言っていい女達。
リヴァイは新しい娘を入れなかった。誰かが売りに来ても、傷めつけて追い返した。
結果、その娘が他の娼館で働く事になっても、リヴァイは知らぬ振りを決め込んだ。リヴァイは自分が全能ではない事を知っていた。自分の手で救える数には限りがあると、割り切っていた。
「それでも病気や事件に巻き込まれたりで、この十年で七人が死んだ。リヴァイは苦しんでた。自分が娼館を潰さなければこんな事にはならなかったってね。……そんな事ないと思うけど。何処にいても、娼婦の行き着く最後なんて似たようなモンだろう。多分、こっちにいた方が幸せだったと思うよ」
「………」
エルヴィンは目を伏せ、大きく息を吐いた。
「みんなで……一軒家を買うと言っていたのは嘘か。方便だったのか?」
ウーラ達が反論した。
「嘘じゃないわ。途中までは本気でそう思ってた。でもこうもうまく行かないと、計画を多少変えるのは、よくある事でしょう?」
何を優先する?
自分か? 皆の安全か? 全員揃っていつまでも仲良く暮らしました、なんておとぎ話の中だけだ。
そんな日は来ない、永遠に。
「だけど……リヴァイなら」
「あの子なら、一人でもやっていける。あたし達さえいなければ」
「あなたには、絶対にリヴァイを連れていって貰うわ、軍人さん。あの子はあなたの役に立つ。ちょーさへいだん、とやらに入れて、自分の手駒にすればいいわ。あの子はきっと拒まないから」
「え……!?」
今、何と言った?
それはエルヴィンにも願ったり叶ったりの話だが、そんなうまい話があるのか!?
イレーネとウーラ達は顔を見合わせ、そっと……エルヴィンを気遣うように口をひらいた。
「気を悪くしないでね、軍人さん。あなたは……似てるの」
「声が。リヴァイを育てた人に」
「顔は全然似てないんだけどね。上から諭すような話し方なんか、特に」
あいつはずっとマスクと包帯してたから、顔はどうだかわかんなかったけどね、とイレーネが引き取った。
「憲兵だったら、声が似てようとどうだろうと、見殺しにしてたトコなんだけれど」
エルヴィンは来て早々、イレーネに発音を指摘された事を思い出した。
話し方も指導された。あれは、リヴァイの育ての親、出納係……の、喋り方だったのか。
「……リヴァイ、その人が大好きだったから」
「娼館を潰して出奔したのも、その人が死んでしまったからだから」
「リヴァイ、自分の稼ぎは全部その人に渡してた。その人はそのお金でリヴァイを買って、一晩中抱いて寝た。あ、何もしてないわよ。リヴァイの体を休ませる為に買ったの。結局は自分で自分を買ったようなものだけれど、リヴァイにとっては、救いだったの」
だから、あなたが言えば、リヴァイはついていくと思う。
大好きな育ての親とよく似た声をした軍人さん。見る限り紳士で、優しくて、今の所リヴァイに手を出していない。この先どうなるかはわからないけれど、このスタンスを保つなら、リヴァイを託すのに申し分ない。
「――こいつらがあんたを連れてきた時は、またか、って思ったんだけどね」
イレーネがぐちた。
「だけど今回は珍しく、リヴァイも満更ではないようだ。声はもちろんのこと、掃除と洗濯でリヴァイを満足させられるなんてかつてない事だよ。あたし達はずっとあんたを見てた。値踏みしてた、と言ってもいいよ。まあ、確かに、今まで来た中ではマシな部類だ。……正直あたしは諦めてたし」
その時、エルヴィンは理解した。
彼女達は、リヴァイの保護者を探していたのだ。
死んでしまった養父の代わりに、自分達の代わりに、これからのリヴァイを任せられる人物。
リヴァイは彼女達と同年代の大人だが、体に精神が影響されるのか、変に子供な部分を残している。誰かがついていてやらなければ、と思わせる。その誰かが逆にリヴァイに守られていると、気づくのは、もう引き返せない所まで来てからだ。
エルヴィンは言った。
「……君達は、どうする。リヴァイがいなくなってしまったら」
「心配いらない。あたし達だって、泣いてすがって連れてきて貰ったあの頃の小娘じゃない。自分の始末は自分でつけられる。リヴァイに迷惑はかけないわ」
ね、と同意を求めるように見回し、頷く。
「――アントン先生を頼ろうと思う。あれでアントン先生、この界隈じゃリヴァイに次ぐ実力者だから」
「今まで貯めたお金を差し出せば、多分、庇護下に入れてくれる」
「お金の件さえクリアすれば、付き合いやすいいい人だから。胡散臭いのは変わらないけど」
その先は……? とエルヴィンは思ったが、口には出さなかった。
ドクトル・アントンなら信頼に値する。少し話しただけだが、エルヴィンはドクトルの事をそう評価していた。彼女達が娼婦として役に立たなくなっても、何かしら考えてくれるに違いない。
「……わかった」
リヴァイは私が連れて行く。エルヴィンが言うと、三つ子は安心したように顔をほころばせた。
「良かったー」
「肩の荷が下りたー」
「殴られた甲斐があったわよねー」
ん?
くすくす笑いながらイレーネが解説してくれた。
「あんたをボコボコにした破落戸が、都合よくあんたを助けたウーラ達と再会して、意趣返しにぶん殴るなんて、そううまくコトが運ぶ訳ないだろ。わざわざ探しに行ったんだよ、あいつら。自分達が襲われればリヴァイが出て来る。あんたが来るかどうかは賭けだったけれど、あんたはまんまと引っかかった訳だから、あいつらはうまくやったよ」
なんと、そこから。
全てが偶然ではないにせよ、彼女達は、掴んだチャンスを最大限に活かしたらしい。
破落戸を挑発してリヴァイと自分を誘い出し、リヴァイの実力を見せ、リヴァイを売り込んだ。
彼女達は最初から、そのつもりで動いていた。
きっとずっと以前から、彼女達……リヴァイの女達の中ではそう結論がついていたのだ。
エルヴィンの札入れを隠した事も、誰もそれをバラさなかった事も、まとわりついて色々と話を聞き出す事も……見事に連携が取れている。イレーネが発音指導したのも、その一環だったのだろう。
「あたし達、軍人さんとリヴァイが上に行ってる間に消えるから、リヴァイにはうまく言っといてね」
エルヴィンは慌てて否定した。
「いや、それは良くない。きちんとこれこれこう、と説明すべきだ。リヴァイがここに戻ってきた時、誰もいなかったらリヴァイが悲しむ」
返さないで、って言ってるのにー、と三つ子は膨れる。
「ま、いいわ。ちゃんと話す。他の女達にも説明して、お別れを惜しむ時間をあげなきゃね」
イレーネとウーラ達は他の女達に話したらしい。
その日は誰も営業に出ず、皆で居間兼台所兼控え室に集まって、リヴァイを囲んで談笑していた。
エルヴィンは奥のベッドに座って遠慮した。
リヴァイの方も、ただならぬ雰囲気を感じつつ、一歩踏み出せないようだ。
「……リヴァイ。明日になったらあの軍人さんについて、上に行きなさい」
ついにイレーネが口をひらいた。
>>>2013/10/1up