タナゴコロ
世界は不公平で残酷で、ちっとも優しくなんかない。
そんな事は物心がつく頃には知っていて、リヴァイはずっと人の生き死にを見送って来た。
だから、思ってしまうのだ。
自分がちょっと手を伸ばす事で救える命があるのなら、それを伸ばす事をためらわない。
自分にはその力があったし、無理と判断した時は撤退してきた。
調査兵団としても人的資源の確保にはいつも頭を悩ませているし、少しばかりリヴァイが単独行動を取ったからといって、結果が伴うなら不問にされてきた。
――だからこそ、今ここで、エルヴィンに頬を張られた事実が理解出来ない。
とりあえず、やられたからやり返しておこう。
リヴァイはちょいと足を上げて、エルヴィンの胸を蹴り飛ばした。
「てめえの実力で俺に勝てるとでも思ってるのか、エルヴィン。とんだ思い上がりだな」
エルヴィンは三メートル程も派手に吹っ飛んで、立ち上がれないままリヴァイを睨みつけている。
突然のエルヴィンの平手打ちから始まった喧嘩に周囲は騒然として、だが迂闊には近寄れず、遠巻きにして眺めている。最強の班長と分隊長の諍いに割って入れる者などいない。が、一人だけ、なんとか取り成して仲裁出来ないかと目に見えてオロオロしている者がいる。
「何だロルフ、まだいたのか。さっさと医療班のトコ行って治療してもらってこい」
リヴァイはそのひょろりと細長い体型をした兵士を怒鳴りつけた。
このロルフ、という団員が二人の争いの原因だ。
実は調査兵団はつい今しがた、何回目かの壁外調査から戻ってきた所だった。
夜に壁外を出歩くのは危険だ。だから調査は日帰り、と決まっている。時刻はもう夕刻で、それだけ今日は長距離を走って戻ってきた事になる。リヴァイの乗っていた馬はリヴァイの班員がすっ飛んできて、世話をする為に連れて行った。リヴァイもそれに続こうとした所に、このザマだ。
「で、ですが……」
ロルフの左足は妙な方向に曲がっている。右足だけで体を支えている状態だ。
エルヴィンは立ち上がりながら言った。
「誰か、彼を医療班へ。君についての処分は、追って沙汰する」
「処分って何だよ!? まるで、俺とロルフが悪い事したみたいじゃねーかよ!」
リヴァイが噛みつく。
「してない、とでも言う気か。お前たち二人が遅れたせいで、ウォール・ローゼの扉を閉めるタイミングが遅れた。幸い巨人が近くにいなかったから良かったものの、もし開門していた所を襲われたら、どう責任を取るつもりだったんだ」
「そん時は俺がやっつければいいだけだろ。いつもの事……」
リヴァイの言葉を遮ってエルヴィンは指摘した。
「その刃の本数でか」
本来は予備含めて八本あるブレードだが、リヴァイの立体機動装置には、左右各一本ずつしか刺さっていない。その刃も今は、かなりなまくらになっている筈だ。
「ガスのボンベを寄越せ、リヴァイ」
「………」
リヴァイは無言でボンベを放った。
「軽い、な。これではガス欠になるのも時間の問題だ。つまりギリギリで帰還が間に合った、という事だ。自分一人でもやっとなのに、他人を助けている余裕はない。お前が兵士一人一人の命を大事に考えてくれるのはありがたいが、まずは自分の心配をしろ。自分が生き残る事を第一に考えろ」
「……考えてる。イケる、と思ったから助けたんだ。それの何処が悪い!?」
リヴァイにしては珍しく歯切れが悪い。
「悪くはない。ただ今回は間違えた、というだけだ。お前にも、それはわかっているんだろう」
言い返せずにリヴァイは目を伏せた。
撤退の合図が聞こえると、リヴァイはいつも中核に自分の班が合流するのを見届けてから、しんがり、つまり最後尾に回って落ちこぼれた団員がいないか調べる。遅れただけか死んでいるのかその時はわからないが、まだ戦闘状態にあって、間に合う様なら助勢に行く。今回もそうだった。
今回、リヴァイが手を貸して救い出した団員は三人。なんとか馬を呼び寄せて、後は本隊に合流するだけだった。先頭に立って馬を走らせていると、誰かが背後で落馬した音がした。それがロルフだった。
リヴァイは叫んだ。
「――おい! どうした!!」
ロルフの左足は折れていて、全力疾走で駆けさせる馬につかまっている事が出来なかった。
思わずリヴァイは馬を反転させて、ロルフを拾って一緒の馬に乗せた。
人間二人を乗せた馬の足はそれだけ遅くなる。先に行け、とロルフの仲間を離脱させ、すみません、と謝るロルフをリヴァイはなだめたり叱咤したりしながらローゼの扉を目指した。巨人とかち合わなかったのは僥倖だった。ここで襲われたら、いかなリヴァイでもかなり手こずる。
「自分の強さを過信するな、リヴァイ。ブレードとガスと馬、どれが欠けても命取りになる。初陣の時から言っているだろう」
エルヴィンが馬装をつけるリヴァイの後ろで注意書きを読み上げていた姿は有名だ。
「……無事に帰ってきたんだからいいじゃねえか」
「運が良かっただけだ。次は無い」
「……っ」
ギリ、とリヴァイは歯を食いしばった。
多分、助けた三人を馬に乗せた所までなら、エルヴィンも目こぼししてくれたのだろう。問題はその後、落馬したロルフを拾いに戻った事で、アレは自分でも理性を欠いていた、とリヴァイは思う。咄嗟の判断だったのだ。考えるより先に体が動いていた。
この長距離を二人乗りで帰るリスクはリヴァイにもわかっていて、だが見捨てる事は出来なかった。
一度は自分の手で救い出した者を、二度、絶望の淵に置いていく事は出来ない。
「エルヴィン分隊長! どうか、余りリヴァイ班長を責めないでください!」
取り囲んでいる者の中から誰かが声を上げた。
ロルフではない。ロルフの仲間でもない。恐らく、これまでの壁外調査でリヴァイに助けられた者の一人だろう。そんな団員は多過ぎて、いちいち誰かまでは覚えていない。いや、名前はわかる。シャルロッテ。薄茶の髪が印象的な女性団員だ。
「リヴァイ班長は純粋に親切心で、助けただけです! そのせいで、助けたせいで非難されるなんて、納得出来ません。私は以前、リヴァイ班長に助けられた者として、リヴァイ班長の為に抗議します」
リヴァイの推測は当っていたらしい。
あちこちから、お、俺も……、とか、自分も同意です、という声が上がる。
エルヴィンは顔色ひとつ変えずに周囲を見回すと、
「君達がそんな甘えた考えだから、リヴァイが苦労する。本当にリヴァイの為を思うなら、もっと強くなれ。リヴァイの手を煩わせるな。自分達がリヴァイの身まで危険に晒している事を自覚しろ」
エルヴィンは言い切った。
「頼るのはいい。慕うのもいい。だが、依存はするな。自分の身は自分で守れ。それが調査兵団の鉄則だ。助けて貰う事を前提に行動するのはよくない」
「………」
シャルロッテ他、リヴァイを擁護した顔がうなだれた。ほぼ全員、だったが。
「――その辺にしておけ、エルヴィン」
「……キース団長」
リヴァイの事はエルヴィンに一任している為、普段はほとんど口出ししないキース団長がエルヴィンの横にやって来て、止めた。次にキース団長はリヴァイの正面に立ち、リヴァイは手を後ろで組み、軍隊式の気を付け、の姿勢をとった。
「リヴァイ。自分のこれまでの討伐数を覚えているか?」
キース団長はリヴァイに問い掛けた。
「……いいえ」
リヴァイも尋常に答えた。
「それは数えていない、という意味か? それとも多過ぎて覚えていられない、という意味かね?」
「両方です」
さもありなん、というようにキース団長は頷くと、
「――だろうな。私の元に来る報告書にも、詳細な討伐数は書かれてないしな。しかし、数字に表れずともその実力は折り紙つきだ。それは、これだけの数の兵士がお前を支持した事で知れている。……もっと早く私が命令しておくべきだった。リヴァイ」
キース団長はひと呼吸おき、
「お前には、これから一切の救助活動を禁ずる。撤退の合図が聞こえたら、戦闘中であろうとなかろうと、自分の班員の事も気にしないでいい、先に、自分一人で退却せよ」
「えっ!?」
何か言いたげなリヴァイをキース団長は手で制した。
「お前を逃げ遅れた団員の救出などで使い潰す訳にはいかない。お前には先陣で、もしくは中核で調査兵団の主力として剣を振るって貰わなければ困る。お前ほど効率良く巨人を斃せる人材はいない。その方が結果的に、救える命は多くなる。……わからないか? もし今日、ロルフを庇ったせいでお前が死んでいたら、次の調査で死亡する兵士の数は、お前がいない事で飛躍的に増えるだろう」
周囲がざわつく。
キース団長の言う事は正しい。全体の事を考えるなら、目先の数人より未来の大勢を取った方がいい。
だがしかし……それではもう、リヴァイの助けは期待出来ない、という事だ。
不安感から、皆の表情が曇る。
「――わかってくれ。聞き分けてくれ、リヴァイ。調査兵団としては、他の団員よりお前を優先させずにはいられないのだ」
キース団長としても、苦渋の選択だったに違いない。
それがわかるからこそ、リヴァイもこう答えずにはいられない。
「……了解……!」
歯の隙間から押し出すように言う。
行ってよし、とキース団長が許可を出すのと同時にリヴァイはきびすを返して立ち去った。
一部始終を少し離れた所から見守っていたハンジとミケは、
「……あの言い方は好きじゃないな。まるでリヴァイが討伐の為の道具みたいじゃない」
「仕方ない。動物の母親だって、危機の時には生き残れそうな強い子供を選ぶ。俺達だって同じだ。リヴァイは俺達の保護者じゃないんだから、今まで当てにしていたのが間違いだったんだ。当てにしていいのはリヴァイの率いる班員くらいだったが……それも、今のキース団長の命令でなくなったな」
ミケはまだその場に立っているキース団長に視線を移した。
同じく残っていたエルヴィンと何か話している。小声で、内容までは聞き取れない。
エルヴィンがキース団長から離れた。リヴァイの消えた方向に足を向ける。
「どこ行くんだろ?」
ハンジがつぶやく。
「コローナの林の向こうにある、いつもの川だろう。リヴァイの事だ、いつもの調子で水浴びに行ったに決まってる。頭も冷やせて一石二鳥だ。エルヴィンもそう見当つけて、フォローに行ったな。確かにあれはキツイ。助けられる者を見殺しにしろ、って命令だからな……」
あれでリヴァイは情が深いから、非情にも思えるキース団長の命令には、頭で理解していても承服し難いものがあるだろう。咀嚼して飲み込む時間が必要なのだ。今はエルヴィンに任せておいた方がいい。
ミケとハンジはそう判断し、こちらも調査の後で山積みになっている事後処理を片付けるべく、それぞれの持ち場へ向かった。
>>>2013/8/23up