薫紫亭別館


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「……リヴァイ! リヴァイ、待ってくれ」
 エルヴィンは走って、先を行くリヴァイとの差を詰めた。
 無視してずんずん歩くリヴァイの肩を掴む。リヴァイが嫌そうに振り返った。
「何だ。また蹴られてえのか」
「その節は手加減してくれてありがとう、リヴァイ。お前に本気で蹴られたら、あばらの一本や二本は覚悟しなければならないからな」
 エルヴィンは、清廉潔白過ぎて却って胡散臭く見える笑みを浮かべる。
 こちらは素直に不快そうに鼻に皺を寄せて、皮肉か、とリヴァイがつぶやく。
「リヴァイ」
 言う事を聞かせる為に、エルヴィンはリヴァイの腕を引いて抱き込んだ。
 エルヴィンの経験上、そしてミケの経験からも、どうやらリヴァイは自分より体格のいい男に抱き込まれると大人しくなるのだ。幼少の頃、育てて守ってくれた養父を思い出して安心するらしい。
 しかしすると、調査兵団のほぼ九割くらいの男が当て嵌まってしまうのだが、以前、ミケが諸用で部下のゲルガーに抱っこしていたリヴァイを任せたら物凄い勢いで逃げられたらしいから、一応、リヴァイなりの基準があるっぽい。誰でもいい、訳ではないらしい。
「……離せ」
「……いいから聞きなさい。何度も言っているが、兵士が死ぬのはお前のせいじゃない。お前は何の罪悪感も持たなくていい。いや、お前の部下にはちょっと必要か……だがそれ以外の兵士に対しては、キース団長が責任を取る。恨まれるのも、責められるのも団長の仕事だ」
「お前はその団長になりたいんだろう。団長になって、世の中の仕組みを変えるとか言ってたじゃねえか」
 エルヴィンの腕の中で、リヴァイが言う。
「そうだ。巨人に相対するには調査兵団だけでは足りない。駐屯兵団も憲兵団も、もっと上の組織も巻き込む必要がある。その為に私は兵団に在籍し、心臓を捧げている。……死んでいった兵士達も同じだ」
 エルヴィンはくい、と顎を上げさせて、真っ直ぐにリヴァイの目を覗きこんだ。
「人類復興の為に心臓を捧げると誓った。戦闘で死んでも、悔いはない筈だ。ではお前は? リヴァイ」
「………」
 リヴァイの瞳が揺れる。
 もぞ、と体を動かして抜け出そうとするのを僅かに腕に力を込めて、止める。
 リヴァイが本気で逃げる気ならこれ位の拘束は何の役にも立たないから、まだ、迷っているのだろう。
「……わからない」
 ぽつり、と。
 正直な気持ちをちいさな唇から吐露する。
 どこもかしこも小づくりで、未成熟で、未発達な体。薬で無理やり成長を止められた、中身は充分に成熟した立派な大人だとわかっていても、保護欲を掻き立てられる。実際に戦闘状態に陥ったら、守られるのはリヴァイではなくエルヴィンだろうが。
「なら、私と一緒に背負ってくれるか。私の右腕として、私の為に働いてくれないか。お前の心臓を私に捧げ、私の為に戦ってくれるか」
 リヴァイはいぶかしげに首を傾げた。
「……そんな事は、ここへ来る前から承知していたろう。何を今更」
「状況が変わった。キース団長は今期限りで引退し、私が調査兵団団長の座に就く。お前には、新たに兵士長、という役職が設けられる。これまでとは比較にならない重圧がかかる。私はずっと、そのつもりでやってきたが……お前にも、その覚悟を持って貰いたい」
「……一体いつ、そんな事を……」
 リヴァイの声が微かに震える。
 エルヴィンも隠すつもりはなく、真摯に答えた。
「ついさっきだ。お前が立ち去った後、キース団長から告げられた。兵士長、というのは私の発案だが……団長の副官より分隊長より、もっと自由で小回りが利いて独立色の強い役職にするつもりだ。なるたけお前が傷つかないように配慮する。だから、頼む。リヴァイ……!」
 リヴァイの二の腕を掴んで、かがんで肩口に額を乗せる。
 一見少年じみた華奢な肢体は、実は限界まで圧縮された筋肉の束だ。恐らく骨も強いのだろう、三階の窓から飛び降りても平気な顔をしている。このままスカーフをほどいて首すじに噛みついてやりたい。意外なほど柔らかい白い肌を、この歯で噛み裂きたい。
「……エルヴィン」
 そっと、リヴァイはエルヴィンから一歩下がった。
 しまった。見透かされてしまったのだろうか。この凶暴な想いを、絶対に隠さねばならない相手に。
 エルヴィンが内心焦っていると、
「……コレ持って帰ってくれ」
 リヴァイは装着したままだった自分の立体機動装置を外して、エルヴィンに手渡した。
 何だか初めて立体機動について指導した日に戻ったようだ。
 リヴァイはあの日のように背を向ける。
「……兵士長とやらには、なる。お前の役に立ってやる。だが今は、ちょっと、頭を冷やしたい。詳しい話はその後だ」
「……ああ。わかった」
 エルヴィンの返事と同時にリヴァイは走り出している。
 見えない鎖がリヴァイを雁字搦めにしているが、自由にしてやる事は出来ない。地下街の鳥を調査兵団という違う鳥籠に閉じ込めて、リヴァイが舞えるのは、エルヴィンが許した範囲だけだ。
「………」
 降りてきた夕闇と林の影に、リヴァイの姿はあっというまに見えなくなった。
 エルヴィンは深く息を吐いて、後戻りは出来ない、と自分に言い聞かせながら兵舎に戻った。


 川の水は冷たくて清らかで、リヴァイの火照った頭と体を程よく冷やしてくれる。
 リヴァイは息を止めて頭まで水に浸かって、しばらくしてからぷはっと顔を出した。それを何度か繰り返す。エルヴィンの駒となる事にやぶさかではないが、ここまで制約が付き纏うとは思ってもみなかった。
 軍隊生活自体は規則正しくて統制が取れていて、気に入っている。
 入団して一ヶ月強で押し付けられた班長の仕事も、多少は面倒臭いが慕ってくる部下は可愛い。
 実力主義の調査兵団の中で、最強のリヴァイには居心地が良かった。
 そういえばここに来てからどれくらい経ったろう。冬を一度経験して、そろそろまた水浴びには辛い季節になってきたから、一年半……か? よく保つな、とリヴァイは感心する。エルヴィンの事だ。
 ざぷん、と音を立ててまた潜る。
 エルヴィンの気持ちくらい知っている。
 最初は知らなかったが、こう付き合いが長くなってくると、バレてないと思う方がおかしい。リヴァイもそこまで鈍くない。以前の商売上、どういう目で見られているかには敏感なのだ。その点、エルヴィンは完璧だった。ほぼ完全に、欲情を隠しおおせていた。
 リヴァイも一年くらいは騙されていた。
 いや、兆候があっても見て見ぬふりをしていた、というのが正しい。
 お互いに、その方が都合が良かったのだ。エルヴィンはあくまで保護者としてリヴァイを勧誘して、そこで妙な気配を感じたらリヴァイもついて来なかっただろう。小金につられた訳ではないのだ、保護者を求めていたリヴァイの心をエルヴィンは的確に理解して、徹底的に甘やかした。
 代わりにリヴァイはエルヴィンの駒になった。
 もう少しこみいった事情はあるが、簡単に言うとこんな具合だ。
 二人だけならそれで良かったのに、取り巻く仲間が増えては減っていくこの現状には、どうしても慣れない。エルヴィンも平静を装ってはいるが、思う所はある筈で、それがリヴァイに伸ばす手を抑えられなくしている。……正直、困る。
 水面に顔を出してリヴァイは頭をぷるぷる振った。
 迫られたら拒まない程度にはリヴァイはエルヴィンに懐いているが、求めているのは保護者であって、恋人じゃない。寝てしまったら終わりなのだ。このいびつな、だが安定している関係を崩したくない。
 それはエルヴィンも同じ筈で、だからあの程度の牽制で引いたのだ。
 エルヴィンとしても、役に立つ駒を一時の情欲で失いたくはなかろう。一時でなかったら……? などと考えるだけ無駄だ。明日死んでもおかしくない身の上なのに、悲しみを助長させるような関係なんかいらない。大体、今はエルヴィンの心情まで思いやっている余裕はない。
 救助禁止とか兵士長とか、たった一日で好き勝手言いやがって……! リヴァイは川岸に肘をついて、頭を乗せる。軍隊は縦割り社会だ。階級が下の人間が、上の命令に逆らう事は許されない。 
 この一年半で、実際はもう少し長いのだが……リヴァイの環境は激変した。
 キース団長の言い分はわかるし、エルヴィンとは諸々折り込み済みで納得してついて来たのだから否やはないが、ちょっと流れが速すぎる。目眩がしそうだ。リヴァイは肘を崩して頬を乗せ、うたた寝するように目を閉じた。
 水が冷たくて気持ちいい。いや、冷たくない……?
 おかしいな、と思った時には意識が落ちていた。川の水は緩やかに流れ、変わらずに優しく、リヴァイの体を包んでいた。


 キース団長の元にもう一度顔を出し、色々詰めた後でエルヴィンはリヴァイの部屋に寄った。
「リヴァイ。入るぞ」
 簡素な室内には、リヴァイの立体機動装置がエルヴィンが放り込んだ状態のまま、ひっそりと置かれている。装置の持ち主はまだ戻っていないらしい。何だ、とエルヴィンは当てが外れたような顔をして後ろ手にドアを閉めた。その瞬間、猛烈な違和を感じた。
 待て。リヴァイを見送ってから、どれくらい経っている? 川までは往復一時間、つまり片道三十分、その少し手前のコローナの林で別れたとはいえ、キース団長との話もかなり長引いたから、一時間半……いや、もう二時間にはなる。
 嫌な予感がして、エルヴィンは急いでハンジの部屋のドアを叩いた。
「すまない、ハンジ。リヴァイは来てないか?」
 もしかして、慰めてもらいに転がりこんでないかと思ったのだ。エルヴィンの次に寝床に選ぶくらいには、リヴァイはハンジに甘えている。残りの報告書等の事後処理を持ち帰って机に向かっていたハンジは、来てないけど……どうしたの? と聞いた。
「リヴァイが部屋にいない。川で何かあったのかもしれない」
 ガタッ、と音を立ててハンジは立ち上がった。すぐさま頭を切り替える。
「私じゃなくて、ミケの所かもしれない。ミケももう、部屋に戻っている筈だから……いなかったら、エルヴィンはミケと一緒に川へ行って。私は兵舎でリヴァイの行きそうな所を回ってから、後を追うから」
「頼む」
 はたして、ミケの所にもリヴァイはいなかった。
 最前の打ち合わせ通りエルヴィンはミケと目立たないよう兵舎を抜け出し、ハンジとは見つかっても見つからなくても、コローナの林で落ち合う事を決めた。

>>>2013/8/27up


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