愛・おぼえていますか/03
会議室を出て、二人はしばらく無言で歩く。
フランスはこちらの様子を覗っているようだったが、イギリスの方も何度もちらちらと目線だけ彼に向け、過剰なほどフランスを意識してしまっていた。
やっぱりこの姿のフランスと並んで歩くのは何とも言えない違和感がある。
イギリスは少しばかり昔のことを根に持つ質なものだから、今のフランスを見ていると様々な感情が胸に渦巻き、もう何百年も前のことだというのに当時常に心に抱えていた葛藤も鮮明に思い出せるほどだった。
他の国々みたいに過去のことと割り切って、素直にこのフランスを若いとかかわいいとか、手放しで愛でられないのは、彼の姿と当時の記憶や出来事を切り離して考えることが出来ないせいだ。
もし呪いをかけた相手がフランスじゃなく、アメリカだったとしてもイギリスはきっと同じ反応をしただろう。
昔のことなど抜きにして考えれば見た目だけなら文句のつけようはないというのに、どうして自分はこうも面倒くさく考えてしまうのだろう。
過去のことは置いておいて、単純にこのかわいい顔を堪能すればいいだけのことではないか。
理性でそう考えても、フランスに対して募らせた恋情、憧憬、切なさといったそういう感情の類は、簡単にコントロール出来るものでもない。
彼とは生まれたときからの付き合いなのだ、一緒にいた時間も他の誰よりも長いし、癪だけれど自分が一番気兼ねなく接することが出来る相手でもある。
だからこそ単純なようでいて、彼と自分の関係は少し複雑なのだと思う。
フランスはどう思っているか知らないが、少なくともイギリスにとってはそうだった。
思わずはぁ、と大きな溜息を零すと、隣を歩くフランスはふいに顔を上げてこちらに目線を向ける。
「…なあ、お前なんか怒ってんの? 若くて美しいお兄さんがみんなにもてもてで嫉妬した?」
今イギリスとフランスには頭一つ分くらいの身長差が出来ているため、彼は上目遣いで見上げてそう問う。
同時につん、と指先で額をつつかれたことで、イギリスはいつのまにか思い切り眉間に皺を寄せ、酷い顰め面になっていたのに気付いて慌てて顔を背けた。
「………ばかかお前、あれのどこがもてもてなんだよ…」
フランスの言ったことはそう間違っていないが、 そうだよばかぁ! 俺のこと放っといて他の奴らとばっかり話しすんなよ! …などとかわいく拗ねるなんて真似が出来れば苦労はしない。
そんなかわいい科白の代わりに出たのは、呆れたように吐き捨てた溜息混じりの言葉だけ。
しかしフランスにとってそういう科白は聞き慣れたものらしく、まるで気にしたふうもなくのんきな口調で続けた。
「どう見てももてもてだったろ、みんなに囲まれてさー。…ていうか、お前俺を元に戻す気あるんだろうな?」
「…なんだ元に戻りたいのかよ? みんなは今のままの方がいいと思ってるんじゃねーの」
なんせもてもてだからなぁ、と嫌味っぽく言ってやると、フランスは苦笑し大袈裟に肩を竦めてみせた。
「他の連中がどう言おうと関係ないけどさ、……イギリスは? お兄さんがこのままで良いわけ?」
良いわけない。
外見だけならかわいいと思うし、その姿を見てドキドキと甘く胸が疼くのも嫌な感覚ではない。
けれどそれ以上に今のフランスを見ていると、心の深部で昇華しきれず燻り続けていた当時の苦い感情がじわじわと染み出して、彼を変に意識しすぎてしまい普段通りに接することさえ出来なくなっている。
これから先、自分だけがずっとこんな思いを抱えたまま過ごすことになるなんて、とても耐えられそうになかった。
早くフランスを元の姿に戻して、この数日間ちりちりと胸を灼いていたもどかしいような感情に、蓋をしなければならない。
「べ、別に俺はお前のことなんかどうでもいいけどな! ま…、でも今日みたいに会議もろくに進まないんじゃ困るし、仕方ないから戻してやる。………今から俺んち来れるか?」
「当たり前だろ、俺そのつもりで最初からロンドン行きのチケット用意してたんだぜー。会議の片付けも任せて来ちゃったし」
フランスは懐から取り出したチケットをひらひらと目の前にちらつかせると、やっと元に戻すという言質を取って安堵したのか、柔らかく微笑んでイギリスの手を取り早足で歩き出す。
いつもなら人前で手なんか繋がれた日には、乱暴に振り払って尻に蹴りでもくれてやるところだが、握られた彼の手が自分より一回りも小さくなっていることに驚いて、その手に視線を向けた。
フランスの手は昔から自分よりも少し大きかったのに、今繋がれている小さな手は酷く頼りない気がして、思わずきゅ、と握り返す。
そのめずらしいイギリスの反応に、フランスからも繋がれた手に強く力が込められた。
**********
イギリスの自宅に着いたのは、まだ陽が落ちきらない夕方だった。
会議が行われる国が近いとこういうときは非常に楽だと実感する。
特にフランスからイギリスまでは、ほんの三時間程度しかかからないのだから。
これが日本やアメリカみたいに気軽に行き来出来ない距離だったら、こんなふうに帰りがてら自宅に呼んだりすることも難しいし、まだしばらくはフランスの呪いを解くことも出来ずに、一人やきもきした気持ちを抱えて身悶える羽目になっていただろう。
イギリスは室内に荷物だけを下ろし、早速地下室への扉を開けると後ろからフランスがついてきたので、中には入れずに扉を閉めて僅かな隙間から彼を睨み付けた。
「……ここから先は立ち入り禁止だ。呪いを解く方法を調べてくるから、お前は部屋で待ってろ」
「あ、そう。じゃあ…会議終わってすぐこっち来たから腹も減ったし、晩飯作っててもいいか?」
「…勝手にしろ。あ、冷蔵庫にチキンある」
「んー、わかった。それで適当に作っとくな」
にこにことかわいい笑みを浮かべて手を振ったフランスに、またしても胸がとくんと甘く震える。
数センチしかないドアの隙間からでは、フランスにこちらの顔がはっきり見えるわけがないのに、赤くなった頬を隠すように急いでドアを閉め切った。
ちょっと微笑まれたくらいで毎回こんな調子じゃ、本当に心臓が持たないと思う。
それにいつもみたいにケンカになったとき、あの可愛らしい幼い顔を殴るのは気が引けるし、今まで通り遠慮なくぶん殴れるようにさっさと髭面のおっさんに戻さなければ。
そんなことを考えながら内側から鍵を掛け、ほうっと大きく息を吐くと、薄暗い階段をゆっくりと下っていく。
突き当たりまで降りたところで、何重にもロックしてある鍵を一つ一つ開け、石造りの重いドアを開いて少しだけかび臭い地下室に足を踏み入れる。
先日使った術書を本棚から取り出し、呪いを解く方法が記されているページを探し始めた。
数多くある呪術だけに解く方法も千差万別で中には解けない呪いもあるが、今回のはそんなに難しいものではなかったと思うので問題はないはずだった。
……のだが。
「…あれ?」
厚い術書を捲りながら、イギリスは首を傾げた。
目次から丁寧に探していき、該当の箇所を開くが何故か探しているページが見当たらない。
本を左右に大きく開いてみるとそのページは破れてなくなっていて、よく見るとこのページ以外にもあちこち破れていたり汚れていたり、読めないところがいくつかあることに気が付いた。
何百年も前から大切に保管していたのだが、戦争などの有事で知らない間に痛んでしまっていたらしい。
「……まずい…よな、これ」
いかにイギリスといえど膨大にある呪術魔術の解き方がすべて頭に入っているわけではない。
こんなことなら呪いをかける前に確認しておくべきだったと思ったが、今となっては完全に手遅れだ。
しばらく地下室で頭を抱えたイギリスだったが、いつまでもこうして悩んでいても埒があかない。
あとで妖精たちに力を借りて何とかするしかないだろう。
リビングに戻りキッチンを覗くと、フランスは上機嫌に歌を口ずさみながら夕食の支度をしている。
料理が上手くて芸術に通じ、さらには歌まで上手いとはどういうことだ、と彼の後ろ姿を眺めながらイギリスはぎりぎりと奥歯を噛む。
いやいや代わりにこいつはつける薬のない変態じゃないか、と思い直してみても、そんなどうしようもない変態でもばかみたいに優しいし、やっぱりフランスは自分にはないものばかり持っていて、それが羨ましいというよりそういうところにも酷く惹かれているのだと思う。
彼も自分に対してそんなふうに思うことがあるんだろうか、と勝手に比較して考えて、フランスが羨むような自分の特技が何も思い当たらないことに、ほんの少しへこんでしまうのもいつものことだった。
イギリスは僅かに落ち込んだ気持ちを頭の隅に追いやって、キッチンに立つフランスに声を掛ける。
「……フランス」
「あー、どうだった? 呪いの解き方わかったのか?」
「…悪い。その……今すぐ戻すのは無理みてえ」
イギリスの言葉は予想もしなかったのだろう、フランスが え、 と呟いて目を剥いた。
一方的にそれだけ言って、ろくに説明もしないでキッチンを出ると、彼は火を止めて慌ててこちらに駆け寄ってくる。
「ちょ、おい……なんで、どーいうこと?」
「…い、いろいろ準備がいるんだよ。だから今すぐ戻すのは無理だ。別にいいじゃねえか、あとで戻すっつってんだから……そうだ、そのままの方が女にももてるぜ、多分」
まさか戻す方法がわからないなんて言えるわけがない。
会議も終わったし日常生活に支障はないはずなので、なんとか上手く誤魔化して今日のところは帰ってもらい、呪いを解く方法がわかるまでの数日はこのままの姿で我慢してもらうしかない。
しかしようやく元に戻れると思ってここを訪ねてきただろうフランスは、イギリスの言うことをすぐには納得してくれそうになかった。
「何言ってんだよ、女の子といちゃつくと怒るくせに。なんだよいろんな準備って? 俺も手伝うから戻す方法があんなら早く戻してくれよ。……お願い、お兄ちゃん」
小首を傾げてイギリスを見上げるフランスの仕草はものすごく可愛らしい。
こいつは今自分がどれだけ幼い顔つきで、こういうことをすると大変愛らしく見えることもすべて承知の上でやっているのだ。
ああもうそんな顔で見るなよ、誤魔化すどころじゃなくなるだろうがっ、と舌打ちしてソファに腰掛け俯くと、イギリスの心情も知らずにフランスも隣に座り、顔を覗き込んでくる。
「なあってば、戻す方法あるなら教えろよ」
「…なんでそんなに元に戻りたいんだよ」
「えーだってイギリスより若いのって変な感じだし、今の姿じゃベッドでお前の身体も支えてやれないぜ?」
俺もともとそんなに腕力ないしさぁ、と続けたフランスを睨み付け、なに恥ずかしいこと言ってんだこのばか……、そう思いながら溜息を吐く。
どう言えば大人しく帰ってくれるのだろうか。
いつものように家から蹴り出して閉め出すのは簡単なことだが、勝手に呪ったあげくに元に戻せない状態になっているのに、それはいくらなんでもあまりな仕打ちだ。
どうしようかと考えていると、フランスはさっきからはっきりしないイギリスの態度を訝しげに見つめたあと、少しばかり苛立った口調で言った。
「っていうか、戻してくれるつもりで呼んだんじゃねえのかよ? まぁ……お前んとこの呪いとか、そういうの俺はよくわかんねえけどさ、理由があって今すぐ戻せないって言うならしょうがねえよ。けどそれならなんで出来ないのか、その理由くらいちゃんと説明してくんねえ? いきなりこんな姿になって、こっちもいろいろ面倒だったんだぜ。出来ませんって言われてそうですかって帰れるわけないだろ」
フランスの言うことは一つ一つが正論すぎて、さすがのイギリスも今日ばかりは理不尽な反論も出来ない。
かといって本当のことも言えず、辿々しく答えるしかなかった。
「…それは……、悪かったよ……俺も戻すつもりだったけど、…でも……どうしても今は出来ねえから、三日……いや、二日でいいから待ってほしい。か、勝手なこと言ってるのはわかってる、けど」
普段の攻撃的な態度はすっかりなりを潜め、申し訳なさそうにソファに小さく縮こまって座るイギリスを見て、フランスが あ、 と小さく呟いたのが聞こえた。
責めるつもりで言ったのではなかったのだろう、思いの外イギリスがらしくなく殊勝な反応を見せたため、彼も戸惑ってしまったらしい。
そして短い沈黙の後、フランスが探るような目線を向けて問う。
「じゃあさ、逆に年取る呪いとかかけたら元に戻るとか?」
呪術は足し算や引き算と違ってそんなに単純なものではない。
年を取らせる術もあるにはあるが、すでに別の呪いがかかっているフランスに上手く作用する保証などなかった。
イギリスが答えられずに黙り込むと、彼は続けてさらに問う。
「…なぁ、もしかして出来ないんじゃなくて、何かやりたくない方法だったんじゃねえの?」
「え?」
例えば、と言ってフランスの顔が近づいたと思った直後、彼の唇がイギリスのそれに触れていた。
ちゅう、と軽く吸い付かれた後、すぐに離れる。
「王子様のキス、……じゃないみたいだな」
童話に倣ってみたのだろうが、自分の身体に何の変化も起こらないことにフランスは苦笑した。
実際の呪いはそんなメルヘンな方法で解けたりはしないので、当然今のキスで彼の呪いを解くことは出来ないし、何の変化も起こらないのは当たり前だ。
しかしただそれだけのことで、イギリスの身体には明確な変化が現れていた。
ほんの少し触れ合っただけなのに、唇が熱を帯びたようにじんじんと疼いている。
頬も急激に火照り、きっとみっともないくらいに真っ赤に染まっているはずだ。
フランスの手指や唇が触れていない箇所なんてないくらい何度も肌を重ね、互いの体温すら皮膚が覚えているのに、まるで初めて触れ合ったときのような自分の身体の反応に驚いたのは、他でもないイギリス自身だった。
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