アナライズ・ミー/01


温かい紅茶を用意し、リビングのソファにゆったりと腰掛けたイギリスは、先日から読みかけていた本を開いた。
毎日就寝前に少しずつ読み進めた本は、残るページがだいぶ少なくなっている。
この分なら今夜中には読み終えるだろうと思いしおりを外すと、ふいにメールの着信を知らせて携帯が鳴った。

こんな時間にメールなんて何だろう、と訝しげにローテーブルに置きっぱなしになっていた携帯を手に取り、新着メールを開く。
するとそこには 「ごめん明日行けない」 とだけ、たった一行の短いメッセージが表示されていて、それを見た途端イギリスは思い切り顔を顰めた。
送信者は確認するまでもなく、腐れ縁の隣国であるフランスだ。

明日はフランスと久しぶりに会う約束をしている。
彼がここを訪ねてくることになっていて、そのためにイギリスは仕事の都合を調整し、休みを取っていたのだ。
それだけでなく、彼がこの家に来るときはいつも食事を作ってくれるのが常なので、きちんと冷蔵庫に必要な食材も揃えておいた。
あとは明日フランスが訪ねてくるのを待つばかりだったのに、急に来られないなどと言われても納得できるわけがない。

(明日行けない、で済むかよ、ばか!)

もともとフランスに対する怒りの導火線は他に比べてかなり短いので、メールを見るなりイギリスの怒りゲージは一気にMAXにまで跳ね上がった。
それでも普段ならもう少し寛容なのだが、今日に限ってはこれだけのことで腹を立てても仕方がない理由がある。

なぜなら、明日予定を空けておけと言ったのは、そのフランス自身だからだ。
しかも二週間も前からしつこいくらいに言っていたくせに、当の本人が前日にドタキャンとはどういうわけなのか。
思い切り必要最低限のことしか書いていないこれだけのメールで、理由すら説明一つなしだなんてそんな不義理が通るとでも思っているのだろうか、あの男は。

イギリスはしおりを挟むのも忘れて開いたばかりの本を閉じ、怒りに任せてすぐさまフランスに電話を掛けたが、聞こえるのはコール音ばかりだった。
メールを送ってきたのだから手元に携帯があると思ったのに、フランスはなかなか電話に出ない。
もしかしたらイギリスが怒って掛けてきたのを察して、出ないつもりかもしれない。
出るまでかけ続けてやるからなばかめ! と、苛々しながら繰り返されるコール音を聞いていると、やがて観念したのかようやく電話が繋がった。

『……はい…』

「俺だ、おいお前なんだあのメールは? てめえが予定入れんなっつーから、明日わざわざ空けてやったんだぞ。来れねえなら理由くらいちゃんと説明しろよバカ!」

『ごめん……それは俺が悪かったけど、あんまり大きい声出さないで…。明日の埋め合わせは今度するから、ほんとすいませんでしたおやすみ』

イギリスの反論も待たずに、一方的にそう言って通話は切れた。
その後は電源を切られたらしく、何度かけ直しても 電源が入っておりません、 と機械的なアナウンスが流れるばかりで、彼の口から納得出来る答えは得られなかった。
諦めて通話を切るとやり場のない苛立ちをぶつけるように、携帯をソファに投げつける。

「何が埋め合わせするだよ、いるかそんなもん!」

別に明日フランスに会えることを楽しみにしていたわけではない。
会えないことが残念なわけではなく、……否、少しは残念だけれども、それ以上にこうも簡単に約束を反故にされたことが腹立たしいのだ。

イギリスは大きな溜息を一つ吐くと、本もティーポットも携帯も全部リビングに置き去りにしたまま寝室へ向かう。
ふて寝よろしくベッドに潜り込むが、横になって目を閉じてもなかなか苛々する気持ちは引いてくれない。
ごろごろと何度も寝返りを打ち、フランスのバカ、アホ、変態、ヒゲ、と思いつく限りの罵倒を頭の中で並べているうちに、いつのまにか眠りについてしまったようで、次に意識が浮上したときには夜も明けカーテンの隙間から眩い朝日が室内に差し込んでいた。

まだ眠い目を擦ってのろのろと身を起こし、普段通りに身支度を整えて階下に降りる。
昨夜片付けないまま寝てしまったため、リビングには冷たくなった紅茶が入ったティーポットと、どこまで読んだかわからなくなった本と携帯がぽつんと置かれていた。

あの後フランスから何か連絡がきていないかとソファに放った携帯を手に取るが、メールも電話も着信はない。
そのことに一晩寝て収まったはずの怒りがまたふつふつと湧いてくる。
今日来られないのはもう仕方がないがその理由くらいは聞いておきたいし、そもそも自分には理由を聞く権利があるだろうと思い、まだ朝も早いというのに相手の都合もお構いなしに再びフランスの携帯に電話を掛けてみたが、昨夜と同じで電源は切られたままらしく繋がらなかった。

(何だあいつ……)

ぼす、とソファに腰掛け、昨日フランスが送ってきたメールを何度も見返しては溜息を吐く。
ティーポットに新しい紅茶を淹れ直して落ち着くと、昨晩電話で話したときのフランスの様子が何となくいつもと違っていたような気がするな、とぼんやり思い出された。
声も少し掠れていたし、覇気もなかった。
大きな声を出すなと言ったのも、もしかしたら気分が悪くて頭痛でもしていたのかもしれない。

(…ってそれただの二日酔いじゃねえの?)

そう考えるとドタキャンの理由も言うに言えなくて、イギリスからの連絡も拒否する説明がつく。
……が。
二週間も前から予定を空けておけと言っていた本人が、前日に二日酔いなんてあまりにお粗末すぎるのではないだろうか(しかしありえないと言い切れないのがフランスだ)。

「………しょうがねえな…」

どうせ今日はフランスと会うために一日空けていたのだ、他に予定などあるわけもない。
電話が繋がらないなら直接会いに行って理由を聞き出してやろうと思い、急いで出掛ける支度を始めた。
本当に体調を悪くしているとしたら、弱った姿を見て笑ってやればドタキャンされたことにも多少は溜飲が下がるというものだ。
逆にただの二日酔いだったらワインの瓶で頭を叩き割ってやる。
イギリスはそんな物騒なことを考えながら、パリ行きのユーロスター発着場へ向かうべく、慌ただしく自宅を飛び出した。

国境を越えるのに、今やロンドンからパリへは三時間程度しかかからない。
便利は便利なのだが、フランスの一部と繋がっているという事実は未だにどうにも落ち着かなかった。

パリに着いてからもう一度フランスに電話をかけたが、繋がるのはやはり昨日と同じ音声アナウンスだ。
連絡を取るのは諦め、仕方なくアポなしで彼の家へと向かう。
フランスがイギリスの家を訪ねてくるのは頻繁にあるが、その逆はほとんどなく、ここに来たのも久しぶりだな、と無駄に装飾に凝りまくった玄関を見上げてインターホンを押した。

しばらく待っても何の反応もない。
もう一度インターホンを押してみても中からの返事はなく、人が出てくる気配もない。
いつもなら使用人か部下か知らないが、誰かしら顔を出すのだが今日は誰も応対に出てこない。

(…出掛けてんのか? わざわざ来てやったのに…)

フランスが留守なら完全に無駄足だ。
というか、人との約束を反故にしておいて別の用事で出掛けるなんてそれこそありえないだろ、とドアの取っ手を引いてみると、鍵は掛かっていなかったらしくギィ、と重い音を響かせて扉が開いた。

「何だ、開いてるじゃねーか…」

ドアが開いているのだから家にいるのかと思い、扉を開けて中に入るが玄関ホールの明かりは消えていて、室内はしいん、と静まりかえっている。
フランス、いないのか、と声を掛けてみるが、返事はなくやはり不在のようだ。
鍵も掛けずに出掛けたのならすぐに戻ってくるだろう、とイギリスはこのままここでフランスの帰りを待つことにして、勝手に部屋の明かりを点けた。

久しぶりに入った室内を見回し、新しく増えている調度品を眺めたり弄ったりしていると、奥の部屋から咳き込むような声が聞こえて、イギリスはびくん、と肩を跳ねらせた。
声が聞こえたのは寝室の方だ。
窺うようにそっと寝室のドアを開けると、外出しているものとばかり思っていたフランスが布団にくるまって苦しげな呼吸を吐いていた。

「フランス…? おい、大丈夫かお前…!」

インターホンを押しても声を掛けても何の応答もなかったのは、本当に具合が悪くて起きられなかったかららしい。
慌ててベッドへ駆け寄ると、フランスは熱のせいか焦点の合わない瞳で見上げてくる。

「あれ…? イギリスなんでいんの……ってか本物…?」

突然現れたイギリスに驚いているのか、とろんとした目でこちらを見つめている。
熱があるのだろう、フランスの頬は赤く染まっていて青い瞳も揺れる水面のように潤んでいた。
彼の額に手のひらを当てると触れたところから伝わる体温は酷く熱くて、イギリスは少しだけ戸惑った。
体調を悪くしているかもしれないとは思ったが、まさか起き上がれないほどだとは思っていなかったのだ。

「…本物に決まってんだろ。それより……結構熱あるな。お前昨夜からこんなだったのか?」

「んー……うん…。何とか治んないかって努力はしたんだけど……ごめんな」

「そんなにすぐ治るかバカ。いいから寝てろ」

ベッドサイドに置かれていた洗面器の水はいつから交換していないのか、すっかりぬるくなっている。
水を替えて新しいタオルを浸すと、彼の長い前髪をよけて額に乗せてやった。

(…こいつが風邪引くなんてめずらしいな…。いつも裸でいるからだバカめ)

ベッドの端に腰掛けて何度かタオルを替えてやると、多少は楽になったようで静かな寝息が聞こえてきた。
改めて寝室を見渡すと、着替えもタオルも出すだけで精一杯だったのか引き出しは開きっぱなしで、必要ない衣服が絨毯の上に散らばっている。
しょうがねえな、と溜息を吐いてそれらを片付けてやり、こんな状態じゃ食事もろくに食べていないんじゃないかと気になった。

何か作ってやろうかと思ったが、イギリスの料理はどうしてもフランスの口には合わないらしく、まともに食べてもらえたことはない。
作ったところで食べないのでは意味がないし、大体なんで俺がフランスなんかの世話をしなくちゃいけないんだ、とタオルを替えながら小さくぼやく。
けれどイギリスが寝込んだときには、さも当然のようにフランスが食事を用意し、体調が良くなるまであれこれ面倒を見てくれるのだ。

お節介とでも言おうか、何だかんだでフランスはイギリスの面倒をよく見るし、他に頼れる相手が居ないイギリスにとって実にありがたいものであることは事実だ。
病気のときは誰だって心が弱くなる。
きっとフランスだってそうだろうと思うし、実際自分が寝込んだときに彼がずっと傍に付いていてくれたことで、随分気持ちが楽になったし安心できた。

「……………」

イギリスはベッドから腰を上げ、 いつもこいつが勝手に世話を焼くだけで俺はそんなこと頼んでないけどな! ま、まぁちょっとは助かったけど……それに借りは返さなきゃならないしな、 と独り言をぶつぶつ言いながらジャケットを脱いでシャツの袖を捲った。
パン粥なら誰が作ってもそんなに味に大差ないはずだ、と考え、それも食べないなら食べないで構わないから一応食事を作ってやることにしたのだ。

キッチンは綺麗に片付いていて、昨晩料理をした形跡はない。
料理が好きで得意なフランスは基本的には自炊をしているので、ここが使われていないということは恐らく昨日は食事を摂っていないのだろう。
部屋の散らかりぶりとあの彼の状態を見るに、ベッドから出ることも出来なかったに違いない。

勝手に開けた冷蔵庫の中には、一通りの料理は作れそうな食材がずらりと並んでいる。
こんなにいい食材が揃っていれば俺でも美味い物が作れるだろうなぁ、やっぱり何か作ろうかな、と思ったりもしたのだが、あとで怒られるのも癪なので当初の予定通りパン粥を作るのに必要な物だけ取り出した。
ミルクを温め、砂糖と蜂蜜を少し加えて手で千切ったパンを浸すと、パンがミルクに溶けきらないうちに火を止めた。

(えっと……皿とスプーン…どこだ…?)

料理は毎回フランスに任せきりなので、彼はイギリスの家のキッチンをイギリス以上に把握している。
逆にイギリスは滅多にフランスの家に来ない上、この家のキッチンに立つなど片手で足りる回数しかなかったのだから、どこに何があるのかわからない。
食器棚をあちこち開けて、何とかスープボウルとスプーンを探し当てたが、その間にすっかりパンはミルクに溶けてどろどろになってしまっていた。

(…………。まぁ腹に入れば何でも一緒だろ…)

料理を失敗したときの言い訳としてはかなり駄目な部類に入ることを考えながら、先に皿を探せば良かったな、と小さく舌打ちしてイギリスは寝室のドアを開けた。
サイドテーブルに皿を置き、先ほどと同じようにベッド脇に腰掛けてフランスの様子を覗う。
長い髪が顔を覆っていたのでそっとよけると、彼が身じろぎ薄く開いた瞳と目が合った。

「悪い…、起こしたか?」

咄嗟に髪に触れていた手を引くと、フランスは力なく微笑んだ。

「や…大丈夫…。てか……何でお前ここにいんの…?」

「そんな話は後でいいだろ。…その……ご飯作ったから食えよ。お前昨夜から何も食べてないんだろ」

「え? …うん…、ありがと…」

作ってきたパン粥とスプーンを差し出すとフランスはもそもそと身を起こし、熱で頭がぼけているのか素直に皿を受け取る。
いつもなら お前が作ったの、 とか何とか思い切り疑いの眼差しを向け、そうだと知れば絶対に手を付けないのに、そこまで頭が回らないのかフランスは粥を掬ったスプーンを口に運んだ。





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