イングリッシュ・ローズ/01


下校時間を随分過ぎて、帰宅するべく昇降口へ向かうと見慣れた人影が視界に入り、俺はほとんど無意識に足を止める。
そこに居たのが何者かを認識した途端、 何でこいつこんなとこにいるかなぁ、 と密かに溜息をついて、柱に背を預けて立っている人物に声を掛けた。

「…こんなとこで何やってんの、お前」

隣に並んでそう話しかけると、奴……イギリスは一瞬だけ目線をこちらに向けたが、それはすぐに逸らされてしまった。
そして、当然俺の問いに対する答えもない。

「なあ、お兄さんの話聞いてる? 誰か待ってんのか?」

「………」

聞こえていないわけはないのに返事がないのでもう一度声を掛けたが、今度はちらりとも俺の方を見ようとはしない。
イギリスは眉間に深い皺を刻んだ不機嫌そうな顔で、じっと正面を見つめるばかりだった。

…この昇降口は寮に一番近いから、真っ直ぐ帰るときはいつもここを通る。
こいつもそれを知っているので、何をするでもなくこんなとこにぼーっと突っ立っているのは、俺に用があるからだろうと思い声を掛けたのだが、無視されたということはそういうわけではなかったらしい。
てか、用がないにしても声を掛けたのに完全スルーの無視はないだろ、相変わらず可愛いげのない態度だな…、と思いつつ、イギリスの前を通り過ぎた。

「おい」

奴の前を通過した直後、聞き慣れた棘のある声音で背後から呼び止められ、俺は再び足を止める。

「何だよ? …ってか今の俺に言ったんだよな?」

首だけ曲げて振り返り改めて問うと、イギリスは少しだけ言いにくそうに目を伏せて、ぽつりと呟くように答えた。

「……待ってたんだよ」

「ん? 俺を?」

ほんの僅か頷いた奴に、それなら無視しないで最初からそう言えばいいのに、とにやりと笑って返すと、イギリスは小さく溜息を漏らす。

「わかってんならいちいち聞くな、バカ」

不機嫌そうに言ったイギリスの言葉を聞いて、友人と呼べる相手が極端に少ない(むしろ皆無な)奴がわざわざ俺が通る昇降口で、待ち伏せじみた真似をしてまで俺以外の誰かを待つ理由などあるわけがない。
イギリスとは物心ついたときから顔を合わせれば喧嘩ばかりで所謂犬猿の仲というやつなのだが、俺は溢れんばかりの愛を内包した男だからね、奴とのやりとりに腹は立っても心底イギリスを憎たらしいと思ったことはなかった(…いや、嘘。一度や二度くらいは……あ、もうちょっとあったかな)。

奴はあの性格が災いしてか、友人すらまともに出来ない有様で(それは俺も似たようなものだったが)、唯一腐れ縁で付き合いの長い俺とは顔を合わせれば喧嘩ばかりだ。
お互いそんな調子だから、他につるむ相手もいないおかげで二人でいる時間はやたらと増えたし、今さら気を遣い合うような間柄でもないので、何だかんだで奴と一緒に過ごすのは(時折振るわれる過剰な暴力を除けば)さほど苦痛ではない。

不本意ながらも長い時間をともにするうち、いつからかやけに視線が絡まる回数が増えたな、とふと気が付いた。
会話の内容自体は殺伐としていていつもと変わりないのに、俺を見つめるイギリスの瞳に妙に艶めいた色が滲んでいたのも気のせいなんかじゃない。

なんでそんな目で見んの、欲求不満かよ、と冗談めいた口調でからかったつもりが、奴の口から出てきたのは普段通りの耳を塞ぎたくなるような罵倒の言葉ではなかった。
僅かに目元を赤く染め、瞼を伏せたイギリスは …悪いかよ、ばか と消え入りそうな小さな声でまったくもって想定外の科白を吐くと、あのエロい瞳で俺を見上げてくる。
そこから先は一瞬で、目が合い、手に触れ、唇に触れ、肌に触れると、普段怒った表情しか見せないあの童顔が、余計に幼く見えた気がした。

(いやあれは反則だよ、…なんか罠に掛かった気分だもん…)

見つめられただけで陥落するなんて、久しく記憶にない。
よりによってイギリス相手にそういうとこを見せてしまったのは、本当に不覚というか気の迷いというか……俺にしてみればそんな感じだ。

それでもそれ以来、互いに気が向けば肌を重ねることもあるけど、かといってイギリスと俺の関係にさしたる変化はないし、これまで通り喧嘩も絶えず甘さの欠片も存在していない。
まぁ俺たちの関係を強いて甘いもので表現するなら、ビターチョコレートどころかカカオ99%なのだが、長い付き合いともなればさすがに俺もそれを料理する術を心得ている。

…とはいえ、奴の肌の熱を知ってだいぶ経った今になっても、俺を嫌いだと公言して憚らないイギリスが、その嫌いな俺との行為に対して嫌悪感や不快感を感じていないのか…、そういった感情を表に出さないだけなのかは未だによくわからない。
奴の性格からして嫌なら嫌だとパンチ付きではっきり言うだろうし、何せ静物にまで発情するエロ大使だから気持ち良くなれれば相手は気にしないのかもなー、と最初のうちは軽く考えていた。

でも俺以外にそういう相手がいる気配はなく、それを知ったときは ああ俺だけなんだ……ご指名的なアレなのか……ていうか光栄に思うところなのかこれは……ありえないんですけど…… とどうにも複雑な心境に陥ったものだ。
性格は最悪だけど素直にしてれば(顔は)可愛いもんだし、セックスの相手が俺だけってのも悪い気はしないけど、普段の辛辣ぶりを思うと 何で俺? と思わずにはいられない。

本人に直接理由を聞いてみたこともあるが、 別にお前「だから」じゃねえよ、たまたまそーいう気分のときに側にいたのがてめえだったんだよ! という科白とともに手加減なしの蹴りが飛んできて、結局奴の本心はわからずじまいだった。
俺のこと嫌いなんじゃなかったの とか 嫌いな奴に脚を開けんの とか、ちょっと意地悪なことをさらに突っ込んで聞いても良かったのだが、ああ見えてイギリスの腕っ節の強さは半端ない。

結構普通に負けることも多……いやいや、いきなりパンチや蹴りが飛んでくるからね、予知能力とかないと避けられないよアレは。
ともかく殴られてまで無理に聞き出すようなことでもないよな、とあえてそれ以上は触れないでおいた。
何より今の付かず離れずな微妙な距離感は心地良かったし、下手に問い詰めて腐れ縁以外のイギリスとの関係が終わることを俺は望んでいなかったのだ。

こいつが俺をどういう位置付けに置いているのかは知らないが、口で言うほど嫌われてはいないんだろうなという漠然とした考えは、今や確信に変わっていた。
…と、そんなことを考えていたせいか、つい必要以上ににやけた顔をして用件を問う。

「で? お兄さんに何の用?」

「何の用、じゃねーだろ……! お前このところ全然来ねーからわざわざ待ってたんじゃねーか!」

何ニヤニヤしてんだバカ、と余計な一言を付け加え、イギリスは大袈裟なくらいに大きな溜息をついて俺を睨み付けてくる。
しかし反論しようにも現に奴の言うとおり、俺は副会長という肩書きがありながら、生徒会の業務をこなすどころかここしばらく生徒会室に出入りすらしていなかった。

この学校の生徒会長を務めるイギリスは日々生徒会室での業務に追われていて、校内巡回中には新顔の生徒を見つけるなり無理矢理植民地にしたりと、よく考えたらいろいろと多忙なこいつが何か用でもない限り、こんなところまで俺を呼びに来るはずないわけで。
何か急ぎの案件でもあったかな、と思いつつイギリスを見返すと、俺の視線に気付いた奴は何故か僅かに頬を染め、慌てた様子で話を続けた。

「か、勘違いすんなよ、別にお前に会いに来たわけじゃねえぞ! お前が全然来ないから、お前の仕事が山積みなんだ! さっさと処理しろバカ、言っておくが俺は絶っっっっっっっっ対に手伝わないからな!」

早口でそれだけ言って、イギリスはくるりと背を向けた。
いやいくらなんでも俺に会いに来たとは思わなかったけど、ああ何だ本当に用件だけなんだな、と少しだけ落胆し、思わず小さな溜息が漏れた。

「えーと……それ今日やらないとダメ?」

「ダメに決まってんだろ! 提出期限が過ぎてるものもあるんだからな、とりあえず急ぎの分だけでもやってもらわないと俺が困る。……まぁ…、今日は下校時間も過ぎてるし、生徒会室も閉めたからな…。書類は晩飯の後にでも俺の部屋に取りに来い、明日提出厳守だぞ」

「えー何だよ今持ってないのか?」

「俺も目を通さなきゃいけないところがあったから、俺が先に見てお前はその後。つーか、そういう書類は先に俺に寄こせっていつも言ってるだろうが…!」

つり上がった目をさらに鋭くしたイギリスは、苛立った口調を隠しもしない。
仕事をしろというわりに、俺が生徒会室に顔を出すとすっげえ嫌そうな態度なのはどこの誰だよ…とか、言いたいことは俺にもあるが、やるべきことをやっていないのは事実なのでここは素直に謝っておくことにした。

「あー…悪いな、つい」

「つい、じゃねーよ! てめえ仮にも副会長だろうが、仕事しねーならクビにするぞ」

イギリスは酷く不機嫌そうに眉間に深い皺を刻んでそう言ったが、俺をクビにしたところで代わりに副会長が務まる奴なんかいやしない。
奴が お前やれ と一言命令すれば、イギリス領として従わせている者なら拒否する命知らずはいないだろうけど、副会長ともなるとそれなりに知名度や国力のある者でないと上手く立ち行かないこともある(※ちなみにそういう条件を満たした国で、副会長を引き受けてくれるほどこいつと親しい奴はいない)。

そういう意味ではイギリスにとっても俺が副会長の方が何かと都合がいいんだろうと思う。
ホントに俺がやめたら困るくせに、 とは内心で思うだけにしておいた。

「おい聞いてんのか?!」

「はいはいわかってるよ、ちゃんとやるって。あ、お前も今帰りならついでに一緒に帰るかー?」

「何でだよ、バカ。そんなつもりで待ってたんじゃねーよ!」

イギリスはものすごく嫌そうに顔を顰めて、一人でさっさと昇降口を出て行った。
……どうせ帰る場所は一緒なのになあ。
そう思いつつ無理に同伴して怒らせると後々面倒なので、後を追うのはやめておくことにした。


**********


昇降口でイギリスと別れ一人で寮の自室に帰ると、部屋に戻るなりベッドの上に転がって、さっきのあいつとのやり取りをぼんやりと思い出す。
未処理の書類が溜まっているというのはどうにも気が滅入る話だが、よくよく考えればこんなことは以前にも何度もあった。
その都度嫌味や小言は煩く言われたが、これまでは机の中やロッカーに溢れるほど書類を詰め込まれたり、有無を言わさず生徒会室に引っ張って行かれたりしただけで、こんなふうに改まって部屋まで書類を取りに来いなんて一度もなかったのだ。

勢いというか成り行きというか、その場の雰囲気に流されて始まってしまったイギリスとの関係は何とも醒めたもので、今回のように例え必要に駆られたからと言っても、奴の方から俺を呼び出すというのは本当にめずらしいことで。
大抵は俺の方からイギリスを訪ねることが多く、前回も前々回もその前もさらにその前も(以下略)、声を掛けたり奴のところに出向いて行ったのは俺からだった。

それに関して たまにはあいつから来てくれりゃいいのに、 とかそういう不満は特にない。
イギリスは人間関係に関してはもともと自分から積極的に動くタイプじゃないし(相手を支配しようってときは異常なまでに積極的なんだが…)、奴から何らかのアクションを起こすことなんて最初から期待しちゃいないしな。

声を掛ければ不愉快そうに顔を顰め、部屋に訪ねれば露骨に迷惑そうに罵倒するくせに、その表情には明らかに照れたような色が滲んでいて、あいつのそういうとこはかわい……じゃなく、ちょっと…ホントにちょっとだけ、気に入ってたりもする。
まぁ万事そんな調子のイギリスが、今回に限ってわざわざ俺のところに足を運んでまで声を掛けてきたってのは、一体どういう風の吹き回しなんだか……、書類を渡す以外に何か別の意図でもあるんだろうか。

(えぇー……別の意図って何だよ。と……とりあえず風呂には入っておくべきだよ、な…)

もやもやと浮かんだ疚しい考えに自分で突っ込みを入れてみるものの、そんなことを意識してしまうとどうにも落ち着かない。
訪ねていったところで部屋の前で書類だけ渡されて、中にすら入れてもらえない可能性も大いにあるってのに。
…でも、最後にしたのが二週間くらい前だし、今までも大体そのくらいかもう少し早いペースでやっていたから、あいつが自分から声を掛けてきたってのはそういうことなんじゃないか?

(…ってそんなわけないよなー)

我ながら都合のいい想像をしているな、と自覚はあるが、例えどういう用件であっても、普段イギリスから部屋に呼ばれることなど皆無に等しいだけに、いろいろと余計なことを考えてしまうのも仕方がない。
別にそういう…いやらしいことは考えてないけど、どうせ風呂には入るんだし、今入るのも後から入るのも同じことだ、うん。

自分自身に言い訳をしながら、バスタブに湯を張って最近凝っているアロマオイルを数滴垂らすと、仄かにバスルームに精油の香りが広がる。
香水よりもはるかに薄い匂いなのに、以前あいつが俺にしがみついたまま いい匂いすんなお前、 と鼻先を擦り付けてきたのを思い出し、無性にあの細い肢体に触れたくなった。

(あー……なんか俺の方が収まりつかない感じになってきたんだけど、ホントに部屋の前で書類渡されるだけだったらどうしよ……)

そんな不安が過ぎりつつ、風呂から上がり髪まできちんと乾かしてから新しい服に着替えを済ませ、ようやく俺は自室を出てイギリスの部屋に向かった。





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