ミスキャスト/03
結局アーサーはビデオに出ることをやめるとは言わなかった。
明後日は彼を迎えに行き、そのまま一緒に撮影場所へ向かう約束をして、その日フランシスは自宅へ帰った。
誰も待つ者のない、暗い自室に戻るなり、ベッドに横になって短く嘆息する。
自分の台本を開いてぱらぱらと流し読みしていると、先ほどアーサーと「練習」したシーンで思わず手が止まった。
あぁ、かわいかったな、と彼の姿態を思い出して、フランシスの表情はだらしなくにやける。
…それにしてもおかしなことになったものだ。
いくら一回限りでそれなりに金になるとはいえ、どうしてアーサーがAVなんかに出ようと思ったのか、彼の考えることは長い付き合いでも未だによくわからない。
以前相互自慰をしているときに冗談半分、本気半分で いれていい? と聞いたときは千切れるかと思うほど耳を思い切り引っ張られ、 死ねこのド変態が!!! という言葉を頂戴したというのに、バイトとしてそこそこ金が入るという前提があるならしてもいいというのはなんとも複雑な気分だった。
今日までに何度かビデオに出ようと思った理由を尋ねたが、 お前には関係ない、 とか うるさいバカ、 とかとりつく島もなく、アーサーの意図はわからずじまいのまま現在に至る。
彼の考えがまったく気にならないと言ったら嘘になるけれど、聞いても教えてくれないのだからこの際理由はどうでもいい。
ビデオに出るなら相手はフランシスじゃなきゃ嫌だと言っているし、一回きりならさして深い理由はないのかもしれない。
ともかくアーサーの本音はそのうち聞き出せばいいことだ。
この話がなかったことになれば、アーサーも話してくれる気になるかもしれないし。
そこまで考えて、ようやく気持ちに整理がついたフランシスは、手にしていた台本に意識を集中させた。
**********
撮影当日までの二日間はあっという間だった。
フランシスは気が進まないなと思いつつ、事前の約束通りにアーサーの家へ迎えに行った。
玄関のブザーを押して待つことちょうど二十秒後。
扉を開けて中から顔を見せた彼は、心なしかいつもより表情が硬いような気がした。
「…ほんとにやる気か? 今ならまだやめられるよ」
意地を張ってないで、ここで引いてくれればいいのにな、と期待してそう声を掛けたが、アーサーは鋭い目つきでフランシスを睨み付け、少しだけ怒った口調で答えた。
「やめるわけないだろ、バカにすんな」
相変わらず強気な発言だが、言葉とは裏腹に緑色の瞳は早くも泣きそうに潤んでいる。
そんな顔を見れば、アーサーは本心ではビデオに出たくはないのだろうということくらい、誰にだってわかる。
彼がビデオに出たがる理由は金以外に思い当たらないが、やりたくないことを無理してやってまで金が必要なのだろうか。
確かにアーサーは身寄りも少なくもう何年も前から一人暮らしをしているが、今まで金に困った様子も、そんな話も聞かなかった。
けれど他人に甘えたり頼ったりするのが下手だから、困っていてもアーサーから言い出すことはないと知っているフランシスは、本当に彼が生活に困窮しているのではないかと急に心配になった。
「なぁ、AVなんかに出てまで金が必要なら、俺が貸しといてやろうか? 金が理由なら何もわざわざこんなバイトしなくてもいいだろ」
「あ? 別に金のためってわけじゃねーよ、少なくともてめえに借りるほど困ってねえのは確かだな。つーか…お前、そんなに俺が相手なの嫌なのかよ? この前から反対するみたいなことばっかり言うよな」
「いや…、相手がアーサーなことに不満はないよ。そうじゃなくて……わかんないかなぁ、お兄さんお前のこと心配してんだけど」
「っ…余計なお世話だ…! いちいち人のこと詮索すんなバカ!」
何故だか知らないが、アーサーの決心は随分と固い。
金が目的じゃないならなんなのだろう。
気にはなったがこれ以上この話を続けても彼を怒らせるばかりだろうし、気まずい雰囲気のままでは撮影もどきもやりにくいので、フランシスはそこで話を終わらせた。
「あーそう…、そこまで言うならもう止めねーよ。…ところでお前台本覚えたの? なんか恥ずかしい台詞いっぱいあったよな」
ニヨニヨと笑って問うと、アーサーは少しだけ頬を赤く染めて 一応、 と答えた。
「昨夜ちゃんと抜いたか?」
「こんなところで聞くな変態! 死ねよ!!」
人通りの多い通りで聞くことでもなかったが、今度こそ顔を真っ赤にしたアーサーに思い切り髪を引っ張られ、フランシスは早々に降参した。
一昨日も二人で触り合ったのに、この反応では昨夜も一人でしたらしい。
相変わらず涼しい顔をして年中発情期なだけはある(フランシスも人のことは言えないが)。
そんなやり取りをしながらしばらく歩くと、大通りから少し外れた、ひとけのない路地に入っていく。
狭い路地には古ぼけたビルが連なり、その中の一棟が撮影場所となる事務所兼スタジオだ。
エレベーターで最上階まで上がり、降りたフロアの広い部屋にはすでに撮影に必要な大道具から小道具までがセットされていて、すっかり準備が整っている。
アーサーが初めて見るスタジオやセットを物珍しそうにあちこち見回していると、奥の事務所らしき部屋から若い男が一人、顔を出した。
「よう、来たな! 着替えが済んだら早速始めるぜー」
やけに上機嫌に言いながら、男は丸めた台本を手にこちらに近づいてくる。
彼が撮影スタッフたちの責任者であり、フランシスにこの仕事を持ちかけた元凶である。
男はアーサーの前で立ち止まり、じろじろと上から下まで眺めると、気安く肩をぽん、と叩いた。
「お前アーサーって言ったっけ? 今日はよろしく頼むぜ。よし、撮影始めるぞー、さっさと終わらせて解散しよーぜ!」
彼の一声で事務所からぞろぞろとスタッフたちが現れ、そのうちの一人がアーサーに衣装である制服を手渡した。
それを受け取った彼は、いよいよ退路が断たれつつある状況にほんの僅か表情を曇らせたが、部屋の隅で大人しく着替えを始めた。
フランシスはアーサーから少し離れて背を向けると、声を潜めて責任者に話しかける。
「おいギルベルト、頼むから上手くやってくれよ。ていうか、アーサーに余計なこと言うなよ」
「わかってるって、俺様に任せとけよ。ほら、お前もさっさと着替えて来な」
ギルベルトは けせせせ、 と笑って、フランシスに衣装を放ると、室内の照明を一段階上げた。
着替えといってもフランシスの役は教師で、衣装も普通の服なので着替えたところであまり変わり映えはしない。
後ろで着替えていたアーサーに振り返ると、彼はすでに用意されたブレザーを身につけていて、もう23になるというのにハイスクールの制服姿にまったく違和感がない。
AVの学園ものなんて、制服を着ていても結構無理がある感じになってしまうことが多いのだが、アーサーの場合は違和感どころかどこからどう見ても、高校生にしか見えなかった。
「お前ってほんと童顔なー…。似合いすぎてて、逆に怖いよ…」
「うるせえよ!! なんでこの歳になって制服なんか…」
赤い顔をしてぶつぶつ言っているアーサーは、制服を着ているせいかいつもより幼く見えてとてもかわいい。
その姿を見ているだけでフランシスの頬はだらしなく緩み、なかなか元に戻ってくれなかった。
着替えが済んで撮影の準備が終わるのを待っていると、ギルベルトがアーサーとフランシスの間に割って入ってきた。
「おい、そんなにきっちり着なくていいんだよ、お前の役は不良学生なんだからよー。大体脱がす時間がもったいねえだろーが」
不良生徒というより、生徒会長と言う方がしっくりくるようなアーサーを見て顔を顰めたギルベルトは、きちんと締められていたネクタイをすぐに解けるくらいに緩めて、一番上まで止められていたボタンも三つ目まで一気に外す。
ギルベルトの言う通り撮影中に脱がせやすくするためだが、首から胸元までがはだけられ、大きく開いたシャツの合間からは素肌が覗いてなんとも目のやり場に困る。
アーサーはこういうだらしない格好はあまり好まないため、制服を着崩した見慣れない姿はとても新鮮で、不覚にも少しばかり煽られた。
制服も似合っていてかわいいのに、何も出来ないなんてもったいないなぁ、と上から下までアーサーを眺めて溜息を吐く。
今度相互自慰をするときにでも、高校の制服を着てくれないか頼んでみようか、と本当に頼んだら半殺しにされそうなことをぼんやり考えているうちに、他のスタッフたちも集まって撮影の準備が整った。
一応カメラも用意してあるが、カメラマンが撮るふりをするだけでフィルムは回さないことになっている。
これはアーサーにこのバイトを諦めさせるための、あくまでも疑似撮影だ。
しかしそうとは知らず、本当の撮影だと思っている彼は床に目線を落としたまま、その場に立ちつくし動けずにいた。
「よーしそんじゃ始めるか。今日はー…えっと……シーン10から!」
台本を捲りながらギルベルトが指定したのは、教師が体育用具室に不良生徒を呼び出して、指導の名目で生徒に性行為を強要し自らの性器を咥えさせるシーンだった。
いきなりこんなとこからかよ、とフランシスがギルベルトに目線だけ向けると、彼は腕を組んで得意げに笑っている。
どうせ出来るわけねーんだから、こんな茶番速攻で終わらせてやるぜ、とでも言いたげな顔に若干イラッとしたが、確かにこの撮影ごっこを長引かせても仕方がない。
ギルベルトを始め、集まってくれたスタッフたちはフランシスに頼まれて協力してくれているだけで、本当の仕事ではないのだから金にもならないし彼らには何のメリットもないのだ。
撮影ごっこを早く終わらせることは、スタッフたちに限らずアーサーにとってもいいことだろう。
撮影が始まる直前、フランシスは隣に立っているアーサーに声をかけた。
「…アーサー」
「……っ、なんだよ…」
「んー? どのシーンからやるのかわかってんのかなーと思って」
「…………わかってる」
シーン10から、と言われただけだが、そんなに長い台本でもないし、内容は彼の頭に全部入っているらしい。
けれどこんなシーンから入るとは思っていなかったのだろう、耳から首まで見えている肌はどこもかしこも可哀想なくらいに真っ赤に染まっている。
「…いきなりこんなとこから始めんのって、普通なのか…?」
めずらしく不安そうに表情を歪めて問うアーサーに、フランシスは少し考えて答えた。
「まぁそのときによるよ。でもストーリーの冒頭から順番に撮っていくことは少ないかな」
フランシスの言葉に、彼は困ったように少し眉尻を下げて そうか、 とだけ呟いて、アーサーにしてはらしくなく物分かりがいい反応だ。
とはいえ、彼は人前でそういうことをするのは初めてなのだ、きっと落ち着かない気持ちでいるのだろうと思う。
少しでも安心させてやりたくてそっと肩に手を乗せると、フランシスの意図に反してこちらが驚くくらいアーサーはびく、と身体を震わせた。
彼も無意識に過剰な反応をしてしまったことを恥じるように、慌てた様子で肩に置かれたフランシスの手を払った。
「い、今のはちょっと驚いただけだ! 緊張してるとかそんなんじゃねーからな! お前がいきなり触るから、…」
「そんなことより、…ほんとにいいの? シーン10で何するかわかってるんだろ? ギルベルトのことだから、多分シーン10の後も今日全部撮るよ」
言い訳じみた言葉を遮り、フランシスは真剣な顔と声音で言った。
シーン10の先はアーサーがフランシスの性器を口で咥えた後、そのまま体育用具室のマットの上ですることになっている。
口に咥えるだけでも彼にはハードルが高いと思うのに、そのシーン10の後なんて到底出来るとは思えない。
どうせ出来ないのなら、今やめると言った方が心も身体も汚れなくて済むし、フランシスも安心出来る。
「…やりたくないこと無理にしなくていいんだぜ。今なら誰もお前を責めないよ?」
顔色をなくして俯いているアーサーに再度声をかけると、彼は首を横に振って答えた。
「お前、もう止めねえって言ったじゃねーか。言っとくがお前がなんて言おうと、俺は絶対やめないからな」
「…うーん……しょうがないなぁ…」
どうしてこの件に関してはこうも譲らないのだろう。
無理に本当の感情を抑え込んでいる顔は見ているこっちが辛くなるのに、いくら一度受けた仕事だからとはいえ、彼はかたくなにビデオに出ることをやめようとしない。
もう意地を張るのはやめて、 こんなことやってられるか、 とキレて殴りかかってきてくれたら、お互い楽になれるのに。
多少気まずくなっても、やはりバイトの誘いは冗談だったと最初にはっきり断るべきだったのだ。
アーサーのこんな顔は見たくなかったな、とフランシスはこの撮影ごっこを仕組んだことを今さらながらに後悔した。
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