メロウ/01


EUでの会議を終えて数日ぶりに自宅に戻ったイギリスは、帰ったばかりで疲れた身体を休める間もなく、会議の決定事項をまとめるために自室へと向かった。
着替えを済ませて資料や書類をデスクの上に出していると、そこに見慣れない小瓶が置いてあるのに気が付いた。
見覚えのないそれを何気なく手に取って見ると周囲に妖精たちが集まってきたので、彼らが置いたのだろうか、と辺りを見回して問う。

「なんだ、これは?」

『私たちからのプレゼントよ』

イギリスの問いに羽のように軽い声が返って、その答えに思わず首を傾げた。
別に今日は何かの記念日というわけではないのだが、妖精たちはおもしろいものやすてきなものを見つけると、イギリスにプレゼントをしてくれる。
それは今に始まったことではないので今さら驚きはしないが、今日のプレゼントは一体なんなのか、見ただけではわからなかった。

「…香水かなんかか?」

いろいろな角度から小瓶を眺めてみたが、透明の液体がわずかに入っているだけの小瓶の正体を突き止めることはできず、早々に降参して周囲を飛び回る妖精たちに声をかける。

『ううん、それは七日間だけ他人の心を自分のものに出来る、特別な秘薬なの。お隣さんに使うといいわ』

妖精から返った答えはまったく予想もしなかったことだった。
他人の心を自分のものにだなんて、……しかも使う相手がお隣さん、と名指しで言われてイギリスは一気に顔を赤くした。

「なっ、なに言ってんだよ、お前ら?! どういうことだ?!」

焦ってそう声を上げると、 あら、好きなんでしょう、彼のことが、 ところころ鈴が鳴るような声で言った妖精たちの言葉に、ますます頬が熱くなる。
……頬が熱くなるのは、彼女たちの言うとおりイギリスは千年腐れ縁のいけすかない隣国の男が好きだからだ。
虐げられることから始まった二人の関係はいつも屈折していて、お互いに大嫌いな相手として長年を過ごしてきた。
海を挟んでいても隣同士で、嫌いなのに傍にいることが当たり前になりすぎて、なんだかんだと理由を付けてはイギリスにちょっかいを出してくるフランスとの距離感が、いつしか心地良いものに変わっていた。
あれこれ世話を焼かれるのは少し鬱陶しいけれど、彼に気に掛けてもらえるのはいやではない。
千年も生きてきて仲の良い国がほとんど出来なかったのは、自分の面倒くさい性格が少なからず影響しているのだろうと、さすがにイギリス自身も自覚している。
そんな難ありな性格の自分と千年も飽きずに顔をつき合わせて、一人きりのクリスマスにも決戦だなんだと理由を付けて傍にいてくれるフランスは、イギリスにとっては貴重な存在だ。
彼ほど無条件に自分を受け入れてくれる相手はきっと他にはいない。

しかし彼にとってのイギリスは面倒を見ている大勢の中の一人なのだろうし、これだけケンカばかりしてきたのだから、今さらフランスに恋愛感情を持ってもらえるとは思っていない。
今までどおり、彼がありのままのイギリス自身を受け入れてくれるだけで十分幸せなのだ。
もちろん今以上の関係になりたいと思ったことがないといえば嘘になるが、それは高望みと言わざるを得ないことも知っている。
フランスがイギリスを好きになる可能性は低い。
むしろ皆無だ。
それでも彼とはずっと隣同士の腐れ縁でいられるし、これは不動の関係だ。
イギリスはそれだけでいいのだと思っていたのに、手の中の小瓶はフランスの気持ちを自分に向けさせる方法だと聞いて、胸の鼓動は一気に速まり全身がじわりと熱を帯びる。
妙に高揚したこの気持ちは彼が自分を恋人として見てくれることへの期待感で、イギリスはずっと腐れ縁の関係だけでいいと思っていたのではなく、思おうとしていたのだという抑え込んでいた自分の本心に気付かされた。

けれども妖精の秘薬の力を使って、無理矢理フランスの気持ちを自分に向けるだなんて、あまりいいことだとは思えない。
たった一週間の恋人としての日々と引き替えに、今後の二人の関係が歪んでしまうのではないかと心配だった。
それにそうやって一時でもフランスの気持ちを手に入れたとしても、それは本当の彼の感情ではない。
フランスのことが好きだからこそ、偽物の彼の愛情を欲しがるほどイギリスのプライドは小さくないのだ。
とはいえ、妖精たちはイギリスのフランスへの粘着質すぎる恋情を知っているだけに、ほんの一週間でも夢を見させてやろうと、こんな秘薬をくれたのだろう。
その気持ちは嬉しいが、やっぱりこういうものに頼ってフランスの意識を向けさせることには抵抗がある。

「…お前たちの気持ちは嬉しいけど、こういうのは使えねえよ。こ、こんな薬を使ってあいつを縛り上げてあんなことしたりこんなことしたり、…そういうのは紳士らしくないだろ?」

『心配しなくてもそんなに強力な効果じゃないわ。さっきも言ったけど効き目は七日、一週間を過ぎると彼はそのあいだの出来事は忘れてしまうの。……ううん、忘れてしまうというのはちょっと正しくないわね。正確にはぼんやりと覚えているけど、夢でも見ていたみたいに現実のことではなかったように感じられるのよ』

イギリスの縛り上げて云々のくだりは華麗にスルーされた。
妖精たちとは付き合いが長いので、今さらイギリスの性癖にいちいち突っ込んではくれない。
それより秘薬の効果が思ったよりもたいしたことがなさそうで、妖精の説明を聞きながらイギリスは改めて手に持っていた小瓶をじっと見つめる。
一週間だけ、しかもそのあいだのことは彼にとっては夢になるのだと思うと、試してみてもいいんじゃないかという気持ちが膨らんだが、あと一歩試してみようと踏み切れない。
その一週間を過ぎた後のことが不安なのだ。

「…これを使って、……今後あいつと変な雰囲気になったりしないか…?」

『変な雰囲気って?』

「いや、……夢っていっても、結局はなにがあったのか少しは覚えてるんだろ? そういうのを変に意識して気まずくなったりとか、…」

目線を落として小さな声音で呟くように言うと、妖精は こういうことには本当に臆病なのね、 とからかうのではなく、優しい口調で言った。

『大丈夫よ。彼にとっては全部夢の中の出来事になるんだもの。それにもしかしたらこれをきっかけに、彼もイギリスと付き合いたいと思うかもしれないわよ?』

悪い方にばかり考えていたけれど、確かに妖精の言うことも一理ある。
一週間一緒に過ごして、もしフランスがそれを悪くないと思ったら、イギリスと付き合うという今までならありえなかった選択肢が、彼の中に追加されるかもしれない。
イギリスはようやく顔を上げ、期待に瞳を輝かせて妖精を見返した。

「そっ、…そうかな…?」

『そうよ。ありえない話じゃないわ。……この一週間のあいだに、あなたが彼に対して素直になれたらね』

妖精の言葉に、イギリスは少し考えた。
たった一週間だ、それくらいなら秘薬の力を使ってフランスの気持ちを自分に向けさせてもいいのではないか、とイギリスの気持ちはぐらぐらと揺れた。
妖精たちのいうとおり、その一週間のやり取りで本当にフランスと恋人になれる可能性もあるし、だめでも少なくとも一週間は彼が自分だけを見てくれるのだと思うと、酷く魅力的な話に思えた。

「…一週間か…」

『ええ。一週間だけ、彼と恋人としての日々を楽しんでみたら?』

揺らぐ気持ちを後押しされるようにそう言われて、イギリスは妖精の秘薬を使ってみることにした。
一週間なんてイギリスやフランスのような国にとっては一瞬といえる期間なのだし、千年生きてきたうちのほんの七日間くらい、彼の意識を自分のものにしても構わないだろう。
そうと決めるとイギリスは早速フランスを呼び出すことにした。
リビングのソファに腰掛け、大きく深呼吸をして携帯を開くとフランスの番号に発信する。
耳に響くコール音が繰り返されるたびにドキドキと心音が高鳴った。

『なんだよイギリス、なんか用か?』

出たと思ったら挨拶もなしに第一声から面倒くさそうな声が聞こえて、フランスのその反応にむっとした。

「よっ、用があるからかけてんだろ!」

『なーに、めずらしい。仕事?』

イギリスからフランスに電話をかけることなんてあまりない。
かけるとしても仕事の用件がほとんどなので、彼は今日の電話も仕事の話だと思っているらしかった。

「仕事じゃねえ。そうじゃなくて、……お前、明日暇か? 暇だろ、そうだろ」

『なんだよ急に。まぁ暇と言えば暇だけど、残念ながらお前に使う時間はねえよ』

「なんだとてめえ、この俺がわざわざ時間を割いて電話してやってるんだぞ、暇なら明日朝一でうちに来い。あと手土産も持ってこい。シュークリームなら食べてやってもいいぞ。いいか、必ず来いよ。来なかったらどうなるか、……わかってんだろうなぁ?」

腹の底から絞り出すようなドスのきいた声音で言うと、フランスが息を飲む音が聞こえた。

『こわい! なにそれ俺お前に何かした?!』

「胸に手を当てて考えてみろ。とにかく来いよ、来ないときは血祭りだ。わかったな!」

『血…?! なに、なんなの一体?! 俺がなにをしたって…』

電話の向こうでフランスが怯えたように叫んでいるが、無視して通話を切った。
これだけ脅かしておけば、明日フランスはきちんとイギリスのリクエストしたお菓子を持って、必ずこの家を訪ねてくるに違いない。
フランスを呼び出すことに成功したと浮かれるイギリスは、妖精たちが 『紳士ならもっとスマートに誘えないのかしら』 と可哀想なものを見る目で見つめていたことには気が付いていないのだった。


**********


翌日、イギリスはいつもより少し早起きをして着替えを済ませ、普段はぼさぼさの髪をきれいに撫でつけてリビングのソファに座っていた。
スーツもクリーニングから返ったばかりの上等なものを下ろしたし、さらにはいつもは付けないような香水まで付けてみた。
あんな呼び出し方をしながらも、少しでもフランスに良く見られたいという気持ちはあるのだ。
どうせ妖精の秘薬を使うなら、たった一週間と言わずその先も恋人として付き合いたいに決まっている。
それならフランスが好むようなサラサラの髪だとか、甘い香りの香水とか、フランスを唸らせるようなおしゃれな服……は無理なので、せめていいスーツを身につけた。
といっても香水などはフランスと違ってあまり詳しくないので、付けてみたのは仕事の関係で贈られたもらいものの上、長いことタンスの肥やし状態になっていたものだ。
それでも付けないよりはましだよな、と思って付けてみたが、彼が気に入ってくれるかはわからない。
そこまで考えて、これじゃあいつに媚びてるみたいじゃねえか、とイギリスは今さら顔をしかめた。

……本当に今さらだ。
もう紅茶の準備も出来ているし、後はフランスが来るのを待つばかりだ。
時計を見るともう始発のユーロスターがロンドンに到着している頃で、あと三十分も待てばフランスはここに姿を見せるだろう。
…なんだか無性にドキドキして、変な感じがする。
落ち着きなく何度も洗面所へ行って鏡を覗き込み、おかしくないかな、と自分の姿をチェックした。
フランスが来るくらいでなにをこんなにそわそわしているのか、と思うと頬が赤らんできて、心臓もどくどくとうるさく鳴る。
普段ならしないような、慣れないことをしているからか、少し緊張しているのだ。
はぁ、と大きく溜息を吐いた直後、玄関からチャイムの鳴る音が聞こえて、予想よりずっと早い到着に心臓が飛び出すかと思うほど驚いた。
ドキドキと動悸を速める心音に舌打ちしながらイギリスは足早に玄関へと向かい、ドアを開ける前にささっと髪をとかしてスーツの皺をぴしっと伸ばす。
それからゆっくりと扉を開けると、ドアの向こうには無理矢理呼び出したフランスが立っていた。
来るだろうとは思っていたが、呼び出したとおりにちゃんと来てくれたことにほっとした。

「…よ。おはよう」

先に声をかけたのはフランスだった。
相変わらずのにやけた顔で挨拶をした彼からわずかに目線を逸らして、素っ気なく答える。

「……おう。遅かったな」

「始発で来たんだけど?!」

「朝一で来いって言ったんだから当たり前だろ。手土産は持ってきたんだろうな」

腕を組んで偉そうに言ったイギリスに、フランスは大きな溜息を吐いて手に持っていた小さな箱を差し出した。
箱に顔を近づけると甘いいい匂いがする。
昨夜電話をかけたのはそれなりに遅い時間だったように思うが、彼はイギリスのわがままを聞いてくれたらしい。





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