メロウ/02


あんなに理不尽な呼び出しだったというのに、ちゃんと始発で来るとは律儀なことだ。
なんだかんだ言いながら、言われたとおりに朝早くからやってきたところを見るに、フランスはなにかイギリスを怒らせるようなことをしたんじゃないかと、よほど心配しているらしい。
こうして乱暴な呼び出しにも応じるくらいには、彼が自分のことを気にしてくれているのかと思うと、少し面映ゆい気持ちになった。
頬が熱くなるのをごまかすように受け取ったお菓子の箱を開けると、中には昨日作ってこいと言ったシュークリームが入っている。
色とりどりのクリームで飾られたシュークリームはどれも美味しそうだ。
鼻腔をくすぐる甘い匂いに、よだれが零れそうになったイギリスは慌ててお菓子の箱から顔を上げ、こちらの様子を窺うようにして玄関先に立っているフランスに声をかけた。

「突っ立ってないで入れよ。…お茶くらいなら淹れてやる」

「へー、めずらしい。いつもはお茶なんて淹れてくれないのに。なんか企んでんの?」

訝しげに言ったフランスの言葉にドキッとした。
イギリスの仕事や刺繍の邪魔をしに来た、と当たり前のように公言するフランスは、アポイントも取らずに突然訪ねてくることが多いので、「てめえに出すお茶はねえ」がイギリスの口癖だ。
そんなわけで自分からお茶を出すなんて滅多なことでは言わないのに、今日に限ってお茶を出すなどと言ったのは、イギリスは妖精からもらった秘薬をまさに彼に出す紅茶に混ぜて飲ませようとしていたからだ。
あっさり計画がばれてしまってはわざわざフランスを呼び出した意味がないので、イギリスはどうにか平静を装って素っ気なく答える。

「失礼なことを言うな。俺の言ったとおりにちゃんと菓子を持ってきたからな、……今日は特別にお茶くらい淹れてやる」

イギリスの答えに「ふーん」と気のない返事を返し、それ以上疑うこともなく納得したらしいフランスの反応にほっとして、シュークリームの箱のふたを閉めると彼を家に招き入れ、リビングに向かった。
途中、隣を歩いていたフランスがふいに 「あ」 と小さく声を上げる。

「…なんだよ?」

「襟にタグ付いてる」

いきなり首の後ろをぐい、と引っ張られ、彼の手には千切られたクリーニングのタグがあった。
フランスを出迎えることに頭がいっぱいで、新しいスーツを出したはいいが、うっかりタグを取り忘れていたらしい。
いいスーツを下ろしたのに台無しだ、と羞恥で頬が熱くなった。
慌ててフランスの手から千切られたタグを取り上げると、彼は顔をしかめて問う。

「なんだよ、朝っぱらから人を呼び出しといて仕事に出掛けるのかよ?」

「……別に、そういうわけじゃない」

「じゃあなんで下ろし立てのスーツなんか着てんの? あれ、…そういや…なんか今日はめずらしく髪もサラサラだなぁ…。やけに身だしなみ整えちゃって、やっぱり出掛けるんじゃねーか」

言いながら、フランスはイギリスの頭に手のひらを乗せて、金色の髪をぐしゃぐしゃと掻き回した。
おかげでいつものぼさぼさに戻ってしまい、フランスに少しでもよく見られたくて時間を掛けてセットした髪が、フランスの手で無駄になってしまった。

「なにすんだよ! せっかくきれいにしたのに!」

声を荒げて仕返しとばかりに彼の髪を思いきり引っ張ると、フランスは痛みに眉根を寄せやんわりとイギリスの手を解き、なぜか顔を近づけてくる。
急に縮まった距離と目の前にまで迫った彼の顔に驚いて、イギリスはとっさに身を引いた。
するとフランスはイギリスに顔を近づけたまま、すん、とかすかに鼻を鳴らした。

「なっ、なんだよっ、気持ち悪いな!」

「なんか匂うな、……香水?」

「あ? ……あぁ…」

「めずらしいじゃん、お前がそういうの付けるなんてさ。いつもは勧めたって香水なんか付けないのに。このあと誰かと会う予定でもあるわけ?」

「別に出掛ける予定はねえよ。いちいちうるせえ奴だな、香水付けようが何しようが俺の勝手だ。大体てめえには関係ねーだろ、ばかっ!」

そんなに強く香るほど付けたつもりはなかったが、本当に目敏い男だ。
毎度毎度いちいち細かいところに気が付くな、と感心してしまう。
しかし下ろし立てのスーツも、サラサラに整えた髪も、普段は付けない香水も、全部フランスに気に入って欲しいという気持ちからなので、普段と違う変化に気付いてもらえるのは嬉しい。
イギリスは乙女ではないが、他に適切な言葉が見当たらないので平たく言うと、乙女心的なものが満たされた。
けれどもさすがにはっきりと口に出して「お前に会うためだ」とは言えず、いつもどおりに素っ気なく答えると、フランスは急に不機嫌な顔つきになり冷たい口調で言った。

「……あ、そう。じゃあ一つ言っておくけど、その香り、全然お前に似合ってない。香水は付ければいいってもんでもないんだから、もう少し考えて選べよな」

鼻で笑ってそう言われて嬉しいと思った気持ちは一瞬で霧散し、頭の中が沸騰したみたいにかぁっと血が上った。
確かにこれはもらいものの香水で、自分に合っているかどうかなんて考えもしなかった。
ただ、フランスが気に入ってくれるのかどうか、それだけしか考えていなかったのだ。
似合わない、というからには、フランスはこの香りはきっと気に入ってくれなかったのだろう。
あれこれ悩んで新しいスーツをおろし、ぼさぼさの髪を整えなれない香水までつけて出迎えたのに、裏目に出るばかりで全部上手くいかない。
イギリスの心情も知らずにフランスは昔からちっとも変わらない、実に憎たらしい表情と声音でさらに続ける。

「センスもないのに無理すんなよ。これから誰に会うのか知らないけど、出掛けるのはやめた方がいいんじゃない? そんなんじゃ恥かくのがオチだぜー?」

ばかにするようにそう笑われて頬が熱くなった。
それに別に人に会うわけじゃないと言っているのに、やたらとそこに絡んでくるのはなんなのだろう。
イギリスが恥をかくことを心配しているというより完全にばかにしているだけなのが本当に腹立たしい。
そもそもスーツや香水など、イギリスが普段よりも少しばかり気合いを入れたのは、フランスが言うように他の誰かに会うためではなくむしろ彼のためで、その変化に気付いてもらえたことを嬉しく思っていた気持ちも消えてしまった。
今日は慣れないながらもイギリス的には身だしなみをがんばったつもりだったけれど、何がそんなにいけなかったのかこのまま人に会ったら恥をかくとまでフランスに言われるなんて、少しでも彼に良く見られたかっただけなのにまったく逆効果だったらしい。
こんな性格の悪い男のために良く見られようと努力をしていた自分がばかみたいだ。
あまりにも腹が立って、気が付いたらイギリスの右拳はフランスの顔面にめり込んでいた。
イギリスは彼を殴り飛ばした衝撃で飛んでしまった手みやげのシュークリームの箱をしっかりキャッチし、固く握った拳がめり込んでべっこりへこんだ頬を押さえて床にうずくまっているフランスを睨み付けるように見下ろして言った。

「人がどんな香水付けようと勝手だろ! 偉そうに言ってんじゃねーよ、バカ!」

「…ほんとのことじゃねーか…」

目線を逸らしてぼそぼそと返った声に、イギリスはますます声を荒げる。

「なんだと?!」

「うん、なんでもないです……お兄さんが悪かったですううううう」

へらへら笑って答えたフランスに余計に苛立った。
こんなにもイギリスのことをばかにして見下して、それに快感を覚えているんじゃないかとさえ思えるような男が、本当に妖精の秘薬でイギリスのことを好きになるのかはなはだ疑問だ。
けれどもいくらフランスでも妖精の魔力にかなうはずがないし、秘薬の力でこの腹立たしい態度がどんなふうに変わるのか楽しみだ、と思えば多少は怒りも引いた。

「おい、いつまで寝てんだよ! さっさと起きてこっちに来い!」

鋭い声音で命令するように言うと、フランスはゆっくり身を起こしてのろのろとイギリスの後についてきたのでリビングに通し彼にソファに座るよう促すと、イギリスは早速キッチンに向かいティーポットに用意していた紅茶を二つ並べたカップに注ぐ。
そして懐から妖精の秘薬が入った小瓶を取り出し、改めて瓶の中身の液体を眺めるが見た目はただの水にしか見えない。
小瓶のふたを開け鼻を近づけてみたが匂いもないし、確認はできないがおそらく味もしないのだろう。
これなら多少混ぜたところでばれないはずだ。
イギリスはリビングにいるフランスの様子を何度もこっそり窺いながら、彼のカップに妖精の秘薬を数滴垂らしてよくかき混ぜた。

(……これでよし)

ついに紅茶に秘薬を混ぜてしまった。
あとはこれをフランスが飲むだけである。
これさえ飲ませてしまえばフランスは俺にメロメロというわけか……と思うと心音が速まり、ポットとカップを乗せたトレイを持って足早にリビングに戻った。
イギリスは秘薬を垂らした紅茶をそっと彼に差し出し、向かい合ってソファに腰掛ける。

「あー、ありがと。……で、今日は何の用? お兄さん朝から呼び出されるようなことした覚えはないんだけど…」

フランスは紅茶にお礼は言ったものの、すぐに手を付けず訝しげに眉をひそめて問う。
イギリスは彼の問いに答えず、自分のカップに口を付け紅茶を啜った。
話があって呼び出したわけではなく、イギリスがフランスを呼び出した目的は妖精の秘薬を彼に飲ませることなのだ。
しかし無理矢理呼び出しておいて話もせずにお茶だけ勧めるなんて不自然な話だし、普段フランスにお茶を淹れてやることなどないのでいくらお菓子のお礼とはいえ、あまりこちらから「飲め」と勧めると逆に怪しまれてしまうかもしれない。
仕方なくイギリスは今はどうでもいい仕事の話を切り出し、フランスが紅茶に手を出すのをじっと待つことにした。
話をしていれば喉が渇いていずれお茶に手を出すはずである。

(さっさと飲めよ、この髭野郎……)

先日の会議での案件など、仕事の話をいろいろと続けるがフランスはなかなかカップを手に取ろうとしない。
まるでイギリスの目論見が見透かされているかのようだ。
いや気付かれてるわけねえし、と思いつつ背に冷や汗が滲むのを感じながらも、このままでは埒があかないのでなんとかフランスの意識が紅茶に向くように、さりげなく話を持っていくことにした。
かといって焦って不自然な動きはできない。
この男は妙なところで目敏いのでいつもとイギリスの様子が違うことに気付けば、何を企んでいるのかと逆に問い詰められてしまうかもしれない。
とにかく不審な動きはしないようにと意識して、自分の紅茶をぐーっと飲み干しおかわりをカップに注いでミルクを入れた。

「…お前も、ミルクいるか?」

「あぁ、…じゃあもらおうかな」

フランスにミルクピッチャーを渡すと、彼もカップの紅茶にミルクを注いでかき混ぜる。
ミルクを勧めることでどうにか紅茶にフランスの意識を向けさせることに成功したようだ。
早く飲め、と気持ちがはやるが、それはわずかでも顔にも態度にも出してはいけない。
少しでも怪しまれたら計画は失敗なのだ。
平静を装い彼がカップの紅茶を飲み干すのをじりじりした気持ちで待っていると、フランスはようやくカップを口元に運び紅茶に口を付けた。
そのまま一気に中身を飲み下したのを見て、待ち侘びた瞬間が訪れたことにイギリスは思わずごくりと喉を鳴らしてしまった。





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