メロウ/03
そんなイギリスの心情を知らないフランスは空になったカップを置いて小さく息を吐くと、溜息混じりにぼやくように言った。
「お前、ほんと紅茶だけは淹れるの上手いよな。でもお兄さんはコーヒーの方が好きなんだけどなー。朝っぱらから無理矢理呼び出されてんだから、たまにはそれくらい考慮してくれてもいいんじゃないの?」
「うるせーな……お茶を淹れてやっただけありがたいと思え! 文句があるなら飲まなきゃ良かっただろ!」
そうは言ったが実際は飲んでもらわなければ困るものだった。
紅茶に何かが入っていたと気付かせないためにいつもどおりの素っ気ない返事をしたけれど、内心では中身のなくなった彼のカップを見て一気に緊張が高まっていた。
自分のことを好きなフランスなんて想像もつかなくて、これ以上もないほど胸の鼓動が速まりドキドキしながら彼の次の反応を待つ。
「……ていうか、話ってそれだけ?」
フランスが首を傾げて返した科白は、こっちがそれだけかと言いたくなるような短いものだった。
イギリスの緊張をよそに、彼の言葉は期待していたものとはまったく違っていて、……むしろ普段どおりすぎて拍子抜けした。
「……あ?」
「だって仕事の話ったって、この前の会議で話したことの確認とか前に聞いた話ばっかりだし。それだけなら別にわざわざ呼び出さなくてもさー、電話で良かったんじゃないの?」
面倒くさそうに言うフランスの口調は普段とまったく変わらない。
妖精たちが言っていたようにイギリスを好きになるとか恋人として過ごせるとか、そんな雰囲気など一切感じられなかった。
なんでだ、ととっさに彼のカップに目線を向けるが、それはちゃんときれいに空になっているし、フランスが口に含んだ紅茶を飲み下したのも自分の目で確認した。
秘薬を混ぜた紅茶を確かに飲んだはずなのに、イギリスの目にはフランスになんの変化もないように見える。
どの程度の分量を入れたらいいのかわからず、かといってあまりたくさん入れるのも怖いような気がしてほんの数滴垂らしただけだったから、もしかしたら混ぜた量が少なかったのかもしれない。
それとも秘薬は即効性ではなく、効果が現れるまでに時間がかかるのだろうか。
否、それ以前に実は瓶の中身は秘薬でもなんでもないただの水とかで、いたずら好きな妖精たちにからかわれたんじゃないか、と頭に次々浮かんだ疑問にイギリスは思わず眉をひそめてフランスを凝視し顔を近づける。
なにか薬がきいていると思われる反応は出ていないかと思ったのだが、今のところ彼の見た目も態度も特別変わったところはなかった。
なぜだろうと改めて考えてみるが、まずイギリスのフランスに対する気持ちをよく知る妖精たちがこの手の冗談で自分をからかうとは思えないので、秘薬がにせものだったということはないだろう。
そうなるとやはり混ぜた量が足りなかったのか、効果が出るまでに時間がかかるのかどちらかだと思うが、ひとまずもう少し待ってみないことには判断できない。
どのくらい待てばいいのかわからないが、混ぜた量が適量ならさほど時間はかからないはずだし、逆に効果がでるまでかなりの時間がかかるのならそんな大事なことは妖精たちも前もって教えてくれるに違いない。
彼らに特に何も言われていないのだからあまり時間はかからないはずである。
フランスに顔を近づけたままわずかな変化も見逃すまいとじっと見つめていると、イギリスのその行動に訝しげに眉をひそめていた彼はふいに薄く微笑って、同じように顔を近づけてきたかと思った直後、頬にちゅっと軽くキスをされた。
フランスの唇が頬に触れたのを感じたとたん、驚いたイギリスは慌ててぱっと身を引く。
「な、に、すんだよっ!」
彼の唇が触れた頬を手で押さえ、とっさに発した声は動揺のためか情けなく上擦ってしまった。
そのイギリスの問いにフランスは足を組んで再びソファの背もたれに寄りかかると、平然とした様子で答える。
「なにって、……キスだけど?」
キスなんて今までイギリスに対してしたこともないくせに、なにを当然のことのように言っているのかと思わず声を荒げた。
「そういうことを聞いてんじゃねえよっ、なんで、いきなり…!」
「……だってかわいい顔近づけてくるから、したくなっちゃった」
にこにこ笑ってかわいい、と言われて頬がぽぽっと熱くなった。
眉毛がださいとか、髪がぼさぼさとか、服装のセンスがないとか容姿をからかわれたことは山ほどあったが、面と向かってかわいいなんて言われたのは初めてだ。
キスだってせいぜいあいさつくらいのもので、それ以外で今みたいに「したくなった」などというフランス自身の意志でされたこともない。
突然のことに戸惑ったけれど、かわいいと言ったりキスをしたりするのは普通は好意を持つ相手にすることだろうと思うし、フランスは節操なしと言われるわりには自分の好みには強いこだわりがあるらしく、本当に見境いなく誰にでもそういうことをする男ではない。
それが今までイギリスに言わなかった科白やしなかったことをしだしたのは、彼に妖精の秘薬の効果が現れ始めたということではないだろうか。
そう思うとどくんどくんと心音が激しく鳴りだして、どうにか気持ちを落ち着けようとひそかに深く息を吐くと本当に彼に秘薬の効果がでているのかを確認するため、おそるおそる口を開いた。
「その、……今日お前を呼び出した用件は、本当は仕事じゃなくて…………つまり、……あ、会いたかったんだ、……お前に」
やっと言えた科白は緊張に掠れていて、さっき紅茶を飲んだばかりなのにもうのどが乾いている。
いつもならこんなことをフランスに言おうものなら気味悪がられるか爆笑されるかのどちらかに決まっているので、会いたかった、なんてそんな本音を彼に対して口にする日が来るとは思わなかった。
妖精の秘薬が効いているのかまだわからないだけに、思いきりストレートにこんなことを言ってしまって良かったのか、フランスの反応が怖い。
けれどもこれくらいはっきり言わないと、効果が出ているのか確証が持てないのだ。
もし 「何言ってんだ、気持ち悪いこと言うなよ」 と笑われたり、急にそんなことを言い出して頭がどうにかなったんじゃないかと眉をひそめられたらどうしよう、と今さら不安になったが、口に出してしまった言葉をなかったことにはできない。
彼に怪訝そうな態度を取られたら、さっきの言葉は無理矢理冗談にして殴って追い返すしかないな、と考えながらうつむいた。
膝の上でぎゅっと拳を握ってフランスの返事を待っていると、彼から返った言葉はまたもイギリスが想像していたものとは真逆だった。
「なんだそっか、どおりでいつもとちょっと様子が違うと思った。でもそれならそうだって素直に言ってくれれば良かったのに……イギリスに会いたいなんて言われたら、喜んで会いに来るに決まってる。……俺も会いたかった。あんな誘い方でも嬉しかったぜ」
普段あまり見ることのない、やけにふんわりした笑顔で微笑って答えたフランスの周囲にはきらきらとバラの花が散っている。
……ような気がした。
イギリスにとってはそれくらい、今のフランスが眩しく輝いて見えたのだ。
「会いたかった」というありえないイギリスの科白に「俺も会いたかった」だなんて、普通なら彼が自分に対して言うとは到底思えない言葉だ。
朝早くから理不尽な呼び出しを受けて、どう考えても何か企んでいるとしか思えない「会いたかった」という発言に、にこやかに笑って同意するなんて本当にありえない。
フランスがイギリスの「会いたかった」に話を合わせる理由はないのだから、今のやりとりとさっきのキスで妖精の秘薬は確実に効果が表れているのだと確信できた。
良かった、上手くいったと胸が甘く震えて心音は高鳴るばかりだ。
ともかく今のフランスは自分に対して好意を抱いている状態のはずである。
フランスに好かれている、だなんてこんなことは初めてで、どう接していいのかわからず何度もちらちらと彼に目線を向けていると、フランスは腰を上げイギリスにぴったりくっつくようにして隣に座った。
「ひょああっ!」
一気に互いの距離が縮まったことで驚きのあまりおかしな声が出てしまい、その反応にフランスはおかしそうに笑っている。
過剰な反応をしてしまって恥ずかしくなり、緊張のためか少し身体は強張ったが隣に座ったフランスとぴったり密着したまま、イギリスは羞恥心を堪えてソファから動こうとしなかった。
彼の体温をこんなふうに穏やかな気持ちで感じたのは初めてだ。
今日からの一週間、フランスは自分のものなのだと思うと胸が熱くなって、喜びの感情が溢れて頭の芯が痺れたようにぼんやりする。
しかし無条件にこうしていられるのはたった七日間しかないのだから、一日だって無駄にはできない。
ぼんやりしている時間がもったいないとばかりに、イギリスはフランスに目線を向けると思いきって口を開いた。
「おい、……お前、今仕事は忙しいのか」
「んー? 今はそうでもねえな。大きい会議も終わったし、後処理は優秀な部下がやってくれるからな。しばらくのんびりしようと思ってたとこ」
考えるように首を傾げて返った答えに、こいつはまた雑務を部下に押し付ける気か、と眉間に皺を寄せる。
この男の仕事嫌いは今に始まったことではないが、ストだなんだと仕事をさぼってばかりいるくせに国としてきちんと機能しているのが不思議でならない。
とはいえ、フランス本人がやらなければならない重要な仕事はないらしいことは、イギリスにとって好都合だ。
この一週間、できるかぎりフランスには自分の傍にいて欲しい。
普段は一週間どころか一ヶ月も顔を合わせないことなどざらにあるけれど、今回はそれでは困るのだ。
会わない間にこの貴重な一週間が終わってしまうなんて冗談じゃない。
自分から傍にいて欲しいだなんてどんな顔をして言えばいいのか、言い慣れない言葉を口にするのは難しくて、思わず口を開いたまま固まってしまった。
「てか、……それが、なに? 俺の仕事でイギリスになんか関係あることあったっけ?」
沈黙が続いたためかフランスは自分が大事な仕事を忘れているのかと、焦ったようにイギリスの顔を覗き込んで問う。
きれいな青色の瞳に見つめられて目元が熱くなったが、照れるのはあとにしてまずはこの一週間、フランスを自分の傍においておかなくてはならない。
仕事がないなら構わないよな、と小さく息を吐いて口を開いた。
「あ、いや……そういうわけじゃ……そうじゃなくてだな、…………その、……暇なら今日から一週間、うちに泊まっていけよ。俺もちょうど時間が空いてるからお前に付き合ってやってもいいぜ?」
イギリスにしてはそれほど上から目線すぎず、挙動不審にもならずわりと自然な感じで誘えたことに安堵しつつ、彼の返事を待つ。
さすがに一週間も泊まって行けなんて断られるかもしれないと思ったが、きっと今のフランスなら大丈夫だ。
秘薬の効果によって自分に好意を持っている彼が誘いを断るわけがない。
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