Restaurant Malicemizer/01


その日、アーサーは酷く上機嫌だった。

その理由は半年前から営業に出向いていた客と、ようやく契約にまでこぎ着けることが出来たからだ。
何度も顔を出し根気強く交渉をして、粘った甲斐が実ったことは素直に嬉しかったし達成感を噛み締めてもいた。
そして今日は月に一度の楽しみである給料日だ。
良いことが重なり、仕事帰りに寄った酒場でつい飲み過ぎてしまったのである。

一緒に酒を飲みに行く親しい同僚などほとんどいないアーサーは、飲みに行くときは大抵一人だ。
そのためいつもは自力で帰れる程度に酒量を自重しているのだが、仕事の成果に浮かれて自然と飲むペースが早まった。
加えて明日が休日ということもあり、飲み過ぎたのは気持ちが緩んでいたせいもあるだろう。
店を出てタクシーを捕まえたまでは良かったが、酔ったアーサーは自宅を指定しているつもりで、実際にはわけのわからない繰り言ばかりを口走っていた。
あっちへ行けだのこっちへ行けだの、散々運転手を困らせたあげく、街外れの山中でいきなり車を止めさせてその場に降りる。

「お客さん、この先は民家も店も何もないところですよ。こんな夜遅くにうろついてちゃ危ないですよ」

さすがに運転手も酔っぱらいを山の中に置き去りにするのは気が引けたようで、心配そうに声を掛けてくる。
しかしアーサーは へーきへーき、 と手を振って、運転手の制止も聞かずにふらふらと森の中へと姿を消した。

覚束ないちどり足でのんきに鼻歌を口ずさみながら荒れた山道を歩いて行くと、前方にちかちかと明かりが見えた。
アーサーはその眩しい光に誘われるように、明かりへ向かって歩き出す。
少しずつ近づいていくと、徐々にはっきりとその光の正体が輪郭を浮かび上がらせていく。

光は、煌々と輝く外灯であった。
外灯のすぐ傍にはしゃれた造りの建物が建っている。
大きな木製のドアの前に置かれたイーゼルに、これまたしゃれたデザインの看板が乗っていた。
看板には何か文字が書いてある。
だいぶ酔っているせいで文字がぼやけて見えたため、アーサーは顔を近付け指で一文字ずつ辿って看板の文字を読んだ。


   Restaurant
   Malicemizer


「…レストラン…?」

どうやらこの建物はレストランらしい。
看板に書いてある文字はフランス語で、この店の名前のようだ。
フランス語で書かれているところを見るに、ここはきっとフランス料理の店なのだろう。

そういえば腹が減ったなぁ、酒場で少しつまみを食べただけだし、とアーサーはゆっくりと店の入口に近づいていく。
扉には「営業中」の札がぶら下がっていたので、腹も減ってるしせっかくだからここで何か食べて帰ろうと目の前のドアを開けた。
建物の造りからして高そうな店だが、酔っぱらっているアーサーにはそんなことを気にする思考能力はない。
空腹→めし 今彼の頭にあるのはこれだけだった。

普段ならこんな山奥にひっそり建っている怪しげなレストランに入ろうとは思わないだろうが、今日のアーサーは久しぶりに酷く酔っていた。
正常な判断などまるでつかない泥酔状態である。
だからこそわざわざ拾ったタクシーで、こんな右も左もわからないような山中で降りるなんて暴挙をやらかしているのだ。
詰まるところアーサーは今自分が何をしているのか、まったくわかっていないのだった。

「なんかすげえ腹減ってきた…」

アーサーはぽつりと言って、単純にも ちょうどここがレストランで良かったなぁ、すぐご飯が食えるじゃねえか、 と怪しむこともせず店の中に入っていく。
中に入るとすぐ、玄関にあったものと同じ看板に


   どなたもどうぞお入り下さい。
   童顔なお方、エロいことが好きなお方は大歓迎致します。


とこれもフランス語で書かれている。

「…なんだそれ」

レストランの入口に置いておく文句でもないだろう、客を選り好みする気か、と一瞬まともな考えが過ぎったが、所詮は泥酔者だ。
まともなことを考えたのは本当に一瞬で、看板をまじまじと見つめた後、どっちも当てはまってるし、そうか俺は大歓迎な客なのか、とおかしな看板を疑いもせずアーサーはさらに奥へと進んでいく。
長い廊下をふらふらと歩いて行くと、突き当たりにまた扉があり、扉の前にはこれで三つ目になる看板が立ててある。
またか、今度はなんだよ、つーかいつになったら店の中に入れるんだよ、と少し苛々しながら看板の文字を見た。


   お客様へ
   当店は注文の多い料理店ですので、どうぞご了承下さい。


フランス語は読めないわけではないが、酔っているため文章を理解するのに時間が掛かる。
たっぷり五分はかけて看板の文章を理解すると、アーサーはふうん、と呟いた。
どうでもいいけれどここのオーナーはフランス人なのだろうか。
それにしても自ら注文の多い料理店などと書いた看板を出しておくくらいだ、こんなに山奥に建っているわりに意外と流行っている店らしい。
さっき山の中を歩いた限りでは車道どころか道らしい道なんてなかったし、歩いてこんなところまで来る客などそうそう居ない気がする。
それでも注文が多いと謳うのは、知る人ぞ知る、的な店なのかもしれない。
だったらよほど美味いご飯が出てくるんだろうな、楽しみだな、とのんきな酔っぱらいはドアを開けてどんどん先へ進む。
少し進むとまた扉があり、手前には当たり前のように看板があった。


   お客様へ
   ここで帽子、コート、靴などをお脱ぎ下さい。


ドアの横にはロッカーがあり、開けてみるとご丁寧にハンガーがふたつと、白いスリッパがちょこんと揃えて置いてある。
ああなるほど、コートや帽子は脱ぐと意外とかさばるし、二人掛けなどの狭い席に案内されると置き場所に困ったりすることがある。
そういうことを考慮しているのだろう、邪魔になるコート類は中に入る前に預けておくシステムらしい。
靴を脱ぐのはこの店が山の中にあるため、山道を歩いて来ると泥がついてしまうからだろう。
実際アーサーの靴も泥だらけになっていた。
看板の指示の通りにコートと靴を脱ぎロッカーに入れて鍵を掛けると、用意されていたスリッパに履き替えて先に進む。
奥にはドアがあって、扉の前にあるのはいい加減見慣れた看板だ。


   お客様へ
   上着、ネクタイ、ベルト、眼鏡、財布、時計、その他貴重品類、ナイフや拳銃等はすべてこちらの金庫にお預け下さい。


「なんれらよっ」

アーサーはろれつの回らない口調で看板に突っ込むが、いちいちうるさい看板の文句がなんだか段々おかしくなってきた。
酔っぱらっているアーサーの頭でも、さすがにここがなにか怪しいレストランだということは何となくわかった。
もしかしたら幽霊とかそういうものがいるんじゃないか。
そんなことを考えるとこの店が一体なんなのか、それが知りたくてたまらなくなってしまった。
それに酔った身体はさっきから熱くて仕方がなく、アーサーはこれ幸いとばかりにジャケットを脱ぎ、ネクタイもベルトも躊躇うことなく外して貴重品と一緒にまとめて金庫に納め、錠を掛けた。
シャツ一枚とズボンにスリッパですっかり身軽になったアーサーは、ぺたぺたと足音を立てて次の扉の前まで進む。


   お客様へ
   ここで備え付けの衣装にお着替え下さい。
   衣装の下には何も身に付けないで下さい。


扉の横には小さなクロゼットがあり、開けてみると新品と思われる服がビニールに包まれ掛けられていた。
クロゼットに入っていた衣装は、以前日本に旅行に行ったときに着たことがある浴衣によく似ている。
ビニールを裂いて直に生地に触れるととても触り心地が良く、随分上等な衣装のようだ。
身だしなみをきちんとしろということなのだろうが、それにしたって一人一人の客に衣装を用意するなんて、この店のオーナーのこだわりようは徹底している。
アーサーはシャツとズボンを脱ぎ、看板の指示通りに裸の上に薄い衣装を羽織った。
下着を身につけていないことに少しばかり心許ない気持ちになったが、正装じゃなきゃ入れない店もあるのだしここもそれと似たようなものだろう。
酔っぱらいの思考回路はどこまでも前向きだった。

先へ進むと次の扉がある。
これでいくつめの扉になるだろうか、それすらも思い出すのが困難なほど、今日のアーサーは飲み過ぎていた。


   お客様へ
   ここで髪を梳かして、壷のクリームを塗り瓶の香水をお付け下さい。
   クリームは出来るだけ全身に塗って下さい。


扉の脇には大きな姿見と黒い台がある。
黒い台にはガラス製の綺麗な壷と瓶が乗っていて、アーサーは壷を手に取りふたを開けてみた。
壷にはトロリとした半透明の液体が入っている。
それはクリームというよりジェルのようで、薄ピンク色の液体に鼻を近付けるとふわりと良い香りがした。
衣装の下は裸なので、全身にクリームを塗るのは簡単だった。
クリームをあちこちに塗りたくり、山の中を歩いてぼさぼさになっていた髪の毛を梳かして、最後に香水を噴きかける。
香水は思わずうっとりするほど甘い匂いがした。

次の扉へ向かって歩いて行く途中、クリームを塗ったところがやけに火照っているような気がして、はぁ、と湿った吐息を漏らす。
全身の皮膚が熱を帯び、身体の芯がじん、と疼いた気がした。
なんでこんなに熱いんだろう。
酔いが醒めていないせいだろうか、と朦朧とし始めた意識ではそれ以上考えることも出来なくて、壁に手を付きながらドアの前まで辿り着く。


   いらっしゃいませ、お待ちしておりました。
   どうぞ中へお入り下さい。


これだけの文章を理解するのに、かなりの時間を要してしまった。
中へお入り下さい、という一文を見て、やっと店の中に入れるらしいことにほっとしたが、安心した途端、腹の音が鳴る。
ここに来るまでいろいろと注文を付けられて、すっかり空腹になっていた。
客にここまでしち面倒くさい準備をさせたんだから、不味いめしを出しやがったらただじゃおかねえ、とアーサーは目の前の扉を開け放った。





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