Restaurant Malicemizer/02
ギイ、と重い音がして最後のドアが開く。
煌びやかな装飾に眩いばかりのシャンデリア、そしてアーサーと同じ衣装を着て優雅に食事をするたくさんの客たち。
扉の奥はそんな光景が広がっているのに違いない。
…そう思っていたのに、予想に反してようやく入れた店内は、明かり一つない真っ暗闇だった。
室内に人の気配はなく、冷えた空気が身体中にまとわりつく。
あれ、営業中じゃなかったっけ、と何も見えない部屋の中へ一歩足を踏み入れた直後、突然背後の扉がばたん、と大きな音を立てて閉まる。
自動ドアではないのだから、手も触れずに扉が閉まるわけはない。
おかしいな、とは思ったが、著しく判断能力の低下した頭ではここに閉じ込められたのだとは考えもつかなくて、アーサーはドアが閉まったこともさほど気に留めずもう一歩奥へと進んだ。
するとふいに後ろから肩をとん、と押されて、酩酊し立っているのもやっとだったアーサーの身体は簡単に前のめりに倒れる。
そのまま転んで硬い床に顔を打ち付けるかと思ったのに、倒れ込んだ身体を柔らかいクッションのようなものが受け止めた。
しかしアーサーの全身を余裕で乗せてしまうそれは、クッションにしては随分大きい。
少し身じろぐと ぎし、とスプリングが軋む音がして、自分が乗っているのはクッションではなくベッドらしいと気が付いた。
……というか、何故ベッドだ。
ここはレストランのはずだ。
テーブルや椅子ならわかるが、どうしてベッドがこんなところにあるのだろう。
そもそも営業中のレストランなのに、店内の明かりがついていないのもおかしい。
これでは食事どころではないではないか。
「…おい! 誰かいないのか?」
しぃん、と静まり返った部屋にアーサーの声だけが響く。
客を出迎えてくれる店員すらいないとは、一体なんなんだ、この店は。
誰もいないどころか中の明かりもつけずに営業中の札を出しておくなんて、あまりにもばかにしている。
…いや、もしかしてこの部屋はスタッフルームか何かで、酔っぱらった自分が入るドアを間違えてしまったのだろうか。
「…んなわけねえよ……ずーっと廊下があって、看板があって、ドアがあって、全部いっこずつしかなかったんだからな!」
早くも断片的にしか残っていない記憶を辿り、大きな独り言を漏らす。
レストランの玄関からここまで、先に進むドアは一つしかなかったのだ、いくら酔っぱらいでも間違いようなどあるわけがない。
そこまで考えて、部屋に入るなり勝手に扉が閉まり、誰かに肩を押されたことを思い出したアーサーは、身を起こして辺りを見回した。
今自分がベッドの上にいるのは、この部屋にいた何者かがアーサーの肩を押したからで、そいつはまだ室内にいるに違いないのだ。
見回しても暗がりで何も見えやしないのだけれど、人の気配を探してもぞもぞとベッドの上を動き回る。
「誰かいるんだろ?! 何とか言えよっ!」
さっきより大きな声で叫ぶが、相変わらず答える声はない。
暗闇の中に一人きりで、部屋にいるはずの誰かが返事をしてくれないことに、少しだけ心細くなってしまう。
そんな不安を振り払うように、 いるのはわかってんだ、さっさと出てこい、 と怒鳴ろうとしたとき、すぐ傍からベッドが軋む音が聞こえて音のした方に僅かに身体が沈む。
この部屋にいる何者かがベッドに乗ったのだとわかって、そちらに顔を向けた瞬間、唇に何か柔らかくて温かいものが触れる感触がした。
「ぅ…? …、ンんっ…!」
初めは何かわからなかったが、何度も唇を啄まれる感触でキスをされているのだと気付く。
驚いて少しだけ開いた唇に舌が捻じ込まれ、ぬるりとした舌が口内を舐め回し敏感な粘膜を擽っていく。
ざらついた舌がアーサーの歯並びの良い歯茎をなぞり、縮こまっていた舌を絡め取られ強く吸い上げられると、喉の奥から苦しげな呼吸が漏れた。
「……んっ…、ふ、ぁっ…」
誰なのかもわからない相手にキスをされるなんて、気持ち悪いことこの上ない。
いつもならとっくに数発はぶん殴って病院送りにしているところだ。
けれど何故か今自分の唇を食む柔らかな感触は不快には感じられず、それどころか姿の見えない相手のキスの仕方はとてもアーサーの好みであった。
そのキスだけで熱を孕んでいた身体は新たな火種を得てしまい、否応なく昂ぶった下肢にもどろどろと渦巻くような重い熱が溜まっていく。
酸欠になるかと思うほど長い時間唇を塞がれて、ようやく触れていた熱が離れたと思った途端、ベッドサイドの光量を抑えたライトが点けられうすぼんやりと室内を照らし出した。
「いらっしゃい、よく来たな」
静かな部屋に初めて自分以外の声が響いた。
アーサーは乱れた呼吸もそのままに目線を上げると、目の前には一人の男が足を組んで座っている。
肩までの緩やかに波打つ金色の髪を後ろで束ね、深い色の青い双眸はまっすぐアーサーを見つめていて、口元には酷く軽薄そうな笑みを浮かべていた。
見たこともない、知らない男だ。
いらっしゃい、と言うからには、彼は店員かシェフかオーナーか、なんだか知らないがこの店の関係者らしい。
「…誰だ、お前………ていうか、なんだこの店…レストランじゃねえの…?」
「え、ちゃんとレストランだよ。表に看板出てたでしょ。で、俺はこの店のオーナー兼シェフのフランシス。よろしくな」
どう見てもレストランとは思えないというのに、彼……フランシスはあっさりと肯定した。
泥酔状態のアーサーでもこの店はおかしいと少しは認識していたのだが、彼がここはレストランであると断言したことで なんだやっぱりそうなのか、それにしたって変な店だな、 とアルコールで麻痺した頭では結局単純な思考に行き着いてしまう。
改めて少しだけ明かりの点いた部屋を見回すが、やっぱりベッドしか見当たらなくて、一体どこで食事をするのだろうとフランシスに目線を向けると、彼はにこにこ笑って再びアーサーに口付けた。
ちゅ、と軽く音を立てて触れ合った途端、熱を帯びた身体は一瞬で火が付いて、アーサーは慌てて彼の肩を押して顔を背けた。
「なにすんだよっ! お前さっきもいきなりしただろ、ばか!」
「いやー、かわいいなぁと思って、つい。嫌だった?」
フランシスは笑顔を崩さずサラッとふざけたことを言っている。
何がかわいいだ、何がついだ、バカにしてんのかこの野郎、とフランシスを睨み付けるが、彼とのキスは嫌ではなかったしむしろ気持ち良かった。
今拒否したのはまたあんなエロいキスをされたら、食事どころではなくなってしまうからだ。
それをアーサーの反応で察しているのか、目の前の男はだらしなくにやけた顔で笑っている。
フランシスに対しても店に対しても突っ込むところは山ほどあるが、いい加減空腹も限界に達していたアーサーはこんな状況だというのに食欲を最優先させ、不機嫌な口調で問う。
「なぁ、レストランならメニューくらい持ってこいよ。それかなんかおすすめの料理とかねえの?」
「メニューはいろいろあるけど、……おすすめならやっぱりフルコースかなぁ。どうする、お客様?」
「それでいい。早くめし作れ!」
お客様、とようやく客扱いされたことに少しだけ気分を良くしたアーサーは、まるで小間使いに命じるかのように横柄に言った。
フランシスはアーサーのそんな態度を不快に思った様子もなく、柔らかく微笑って答えた。
「うん、心配しなくてもちゃんと美味しいご飯作ってあげる。でもな、悪いんだけどここ、前払いなんだよ」
「…前払い? でも財布は金庫に入れろって書いてあったから、今金持ってねえんだけど…」
「あー、金はいらないよ。うちは別のもので払ってもらうことにしてるから」
「別のもの? …って…?」
訝しげに首を傾げて聞き返すと、またフランシスの唇が自分のそれに触れた。
咄嗟に彼の身体を押し返そうとするが、それより一瞬早く両手の手首を掴まれて、アーサーの抵抗はあっけなく抑え込まれた。
熱い唇を押し当てられるうちに腕から力が抜け、掴まれていた手が解放されると、無意識に縋るものを求めて彼の背に腕を回した。
フランシスもアーサーの腰を支えて抱き寄せ、甘い口付けの合間に問う。
「…ね、お前名前は?」
「ん、…ぁ、アーサー…」
思わず素直に名前を告げると、フランシスは満足げに微笑んで貪るように深く唇を重ね、徐々にアーサーの思考を蕩かせていく。
彼のキスは気持ち良くて、もっとして欲しいと思ってしまうほど好きなやり方だった。
「そっか、アーサー、な。じゃあフルコース分、料金はお前の身体で払ってもらうけど、いい?」
「え…? っ、ん…、ぁッ」
ベッドの上にそっと身体を倒され、背がシーツに触れる。
これで何度目のキスになるだろう、触れ合う唇は熱を帯び、柔らかく吸い上げられるとくぐもった声が零れ、最後には自分からも舌を差し出して彼の舌に擦り合わせた。
一度離れても名残惜しそうに、啄むような軽い口付けが何度も繰り返され、フランシスは唾液で濡れたアーサーの唇を舐める。
ぼやける視界に映るフランシスの瞳はじっとこちらを見つめていて、 やっぱりお前かわいい、 と薄く笑って呟いた彼にぎゅう、と強く抱き締められた。
「っ、…やだ、やめろよ……こんなの、変だろっ」
弱々しく制止するアーサーの頭の中は、前払いってなんだ、身体で払うってなんだ、と先ほどのフランシスの科白がぐるぐると回っている。
どんなことをされるのか、小さな不安がちりちりと胸を灼く。
アーサーの可愛い顔が泣きそうに歪んだのを見て、フランシスは困ったように笑うと、こつ、と額同士をくっつけて、優しく甘い口調で言った。
「大丈夫だよ、……何も考えられなくなるくらい、思いっきり気持ち良くしてやるから。その後でお兄さんが腕によりをかけて、フルコースの料理を作ってあげる」
フランシスに気持ちいいことをされて、その後は美味しいご飯が待っていると聞いて、アーサーはほんの少し考えた。
身体で払えと言われて驚いたけれど、この店に入ってすぐ エロいことが好きなお方は大歓迎致します、 とかそんな看板があったのを思い出した。
あれはこういう意味だったのだ、と理解すると、それならまぁいいかな、と実に簡単に納得してしまう。
泥酔して自分がやらかしたことの数々に死にたくなるのはいつものことで、酔いが醒めた翌日は後悔先に立たずを嫌と言うほど実感するくせに、この酒癖はなかなか直らず懲りずに繰り返してしまうのだった。
それは今回も例外ではないらしい。
アーサーはフランシスの青い瞳を見つめ返し、彼の真意を探るように問う。
「ほ、ほんとか…?」
「うん。今日はこの店アーサーの貸し切りみたいなもんだしね。それとお前随分酔ってるみたいだけど、ワインは好き? この前80年物のいいやつが手に入ったから、それも出してやるよ」
そこまで言われては拒否する理由なんかないに等しい。
答える代わりにフランシスの背に回していた両腕でしがみつくと、彼の手のひらが熱くなった頬をそろりと撫でただけで、アーサーは小さく身体を震わせた。
触れられたところがあっというまに熱を持ち、むずむずと疼き出す。
酔っているせいなのか、こんなにも皮膚が過敏になっているのは初めてかもしれない。
「交渉成立ってことでいいのかな?」
確認するように聞かれて、 きもちよくなかったらぶっ飛ばすからな、 と潤んだ双眸で睨み付けた。
その科白にフランシスはおかしそうに笑って、アーサーの肩口に顔を埋めると首筋に軽く歯を立てる。
「アーサー、部屋の前に置いてたクリームと香水ちゃんと付けてくれたんだ?」
甘いいい匂いがする、と吐息混じりに囁く声にさえ、ぞくぞくと肌が粟立つ。
「…身体熱いだろ? あのクリーム、ちょっとだけ媚薬が混じってるんだよ」
「な、…おま、そんなの置いとくなよばかぁ!!」
何も知らずに全身に塗ってしまったではないか。
身体が熱いのも肌がやけに疼くのも酔っているからだと思っていたのに、そのクリームを塗った効果なのか、身に付けている衣装が素肌に擦れるだけでじわじわと快感を拾っていくのを止められない。
フランシスの手が腰の辺りで留められていた衣装の紐を解き裾を開かれ、露わになった太腿に少し冷たい彼の指先が直に触れると、その感触にアーサーはびくりと身体を強張らせる。
彼の指は冷たく感じられるのに、触れられた部分は熱くてたまらない。
その温度差に何故だか妙に興奮して、アーサーの感じていた僅かな不安は、これからどんな気持ちいいことをされてしまうのか、そんな甘い期待にすり替わっていた。
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