ROOM No.909/02


「アーサー、晩ご飯何がいい?」

フランシスは冷蔵庫を覗きながら、リビングでくつろいでいたアーサーに声をかけた。
彼は一人暮らしが長く、ずっと食事の準備や家事を一人でこなしていたせいか、アーサーと一緒に住むようになってからも料理はフランシスが引き受けている。
とはいえアーサーも料理は作るし、家事はきちんと二人で分担してやっている。
ただ自分の作る料理はフランシス的には料理に分類されていないらしく、何か作ろうとすると泣いて止められるので、アーサーが食事を作るためにキッチンに立つことはあまりない。
弟のアルフレッドと同居していた頃は食事の用意や家事などの家のことは、ほとんどアーサーがやっていた。
アルフレッドの世話をするのはちっとも苦ではなかったから、それはそれで良かったのだが、フランシスとお互いやるべきことを分け合って、協力しながら生活するのもいいものだと思う。

(…そういうのってなんか、ふ、夫婦みたい、だよな)

そんなことを考えて、一気に顔中に血液が集まったらしく、頬も目元も熱くて仕方がない。
頭の中は羞恥心でいっぱいになり、アーサーはソファの上で膝を抱えて熱くなった顔を伏せた。

フランシスと初めて出会ったのはまだ幼稚園にも入る前のことだが、気が短いアーサーは、些細なことで彼にからかわれてはケンカばかり繰り返していた。
けれど親しい友人の一人もいない自分の傍に、気が付いたらいつもフランシスが居てくれて、友達が出来ないことに寂しい思いなんてしたことはなかった。
高校に入るまでは顔を合わせれば所構わずケンカをするだけの仲だったが、いつからか二人きりになると彼に好きだと言われるようになった。
アーサーもフランシスのことを口では散々に貶していたけれど、本心では嫌ってなんかいない。
彼に好きだと言われたことで、表には出さないけれど心の中ではお互いに親友だと思っているのだと思えて嬉しかった。
だからこそしつこいくらいに言われるようになった、好きだという言葉も否定しなかったのだ。
しかしフランシスの言動はアーサーの思っていたものとは違って、彼の言う「好き」は友情ではなく愛情だった。
それを知って過剰なスキンシップには少し戸惑ったものの、不思議と嫌悪感は沸かなかった。
初めは恋愛に疎い自分をからかっているのだろうと思ったが、フランシスがアーサーに対して愛情を示す態度は何年経っても変わらない。
誰より自分を理解して、必要としてくれる彼の傍にいることは、アーサーにとっても酷く居心地が良かった。
高校に入ってからはアーサーが生徒会長、フランシスは副生徒会長を務めることになったため、必然的に今まで以上に彼と過ごす時間が増えた。
生徒会室などで二人きりになったときに手を握られたり、耳元で好きだのなんだと囁かれたりしているうちにアーサーもフランシスへの恋情を募らせ、ある日いつものように好きだと言われたとき 「俺もお前が好きだ」 と答えてから、現在に至る。

「なぁアーサー、聞いてる? 晩飯どうする?」

いろいろ考え込んでぼんやりしていると、フランシスがキッチンから顔を出して先ほどと同じ問いを繰り返す。
はっと我に返り、まだ熱いままの顔を上げて答えた。

「な、なんでもいい」

「うーん………なんでもいいって言われると困るなぁ。なんか食いたいものねーの? 肉とか魚とかさ。ちょっとこっち来て一緒に考えてよ」

食事の支度だけでなく、メニューまで丸投げするわけにもいかず、フランシスに呼ばれたアーサーは仕方なくキッチンに向かった。
冷蔵庫に顔を突っ込めば、少しはこの火照りも取れるかもしれないな、と思い彼の隣に並んで冷蔵庫の中を覗き込んだ。
すぐに挽肉が目に入り、そういえばフランシスの友人が実家から送られてきたからとお裾分けしてくれたトマトがあったな、と思い出す。

「…トマトの肉詰め…とか。ってか、お前は…? お前こそなんか食いたいもん、…」

言いながら首だけ曲げて振り返ると、フランシスはいつものように薄く笑みを浮かべてアーサーを見つめていた。
いつのまにこんなに接近していたのか、その距離はやたらと近い。

「…ふ、……フラン、シス…?」

フランシスの綺麗な青い双眸に見つめられると、勝手に胸がどきどきしてしまって何とも居心地が悪くなる。

「…アーサー」

フランシスはアーサーの耳元に唇を寄せて、囁くような甘く響く声音で名を呼んだ。
近かった距離がさらに近づいて、やっと熱が引いたと思った頬が、再びかーっと熱くなる。
まるで磁石にでも引き寄せられるかのように、アーサーはフランシスと目線を合わせたままそらすことが出来ない。

「…フランシス、…」

なんとか絞り出した声はみっともなく掠れていて、それを聞いて目の前の彼はまた微笑った。

「俺はお前が食べたいなぁ………アーサー」

蕩けるような甘い微笑みと穏やかな声で紡がれる科白に、アーサーは頬を真っ赤に染めてぼんやりと潤んだ瞳でフランシスを見上げた。

「キス…、…してもいい?」

「ぅ………」

アーサーの答えを待たず、フランシスの手が顎に軽く添えられ持ち上げられる。
もはや拒否することも出来なくなり、アーサーは慌てて目を閉じた。

(ま、またこんなところで、……)

昔からそうだったけれど、フランシスは場所も人目もまったく気にしない。
幸いここは自宅で自分たち以外に誰もいないわけだけれども、それでもキッチンやら玄関やら廊下やらベランダやらで事に及ぶというのは、後始末も面倒だしアーサー的には少し抵抗がある。
とは言ってもそんなことは今さらで、最近ではアーサーもベッドに移動するのを提案することすらしなくなっていて、フランシスのペースに流されるままだ。
冷蔵庫の扉を閉め、フランシスはアーサーの身体をそっとテーブルの上に倒す。
慣れのせいか、以前のように暴れるほど恥ずかしがることはなくなったが、顔を真っ赤に染めて僅かに震える様は変わらない。

「可愛いね……、アーサー…」

フランシスはアーサーの頬を両手で包み、水面のような瞳で見下ろしうっとりしたように呟いた。
自分の容姿のどこがそんなに気に入っているのか、フランシスはいつも可愛いと言って微笑う。
身長だって大して変わらないし、顔だって彼の方がずっと整っていて、髭さえなければ綺麗だと思う。
バカにして言っているのかと思いきや、フランシスは本当の本当に大真面目に本気で言っているらしく、彼の表情を見ればそれはよくわかってしまうので、可愛いと言われることはどうしようもなく恥ずかしい。

「フランシス…」

フランシスのシャツをぎゅ、と掴むと、彼はまた微笑ってその手をやんわりと握り、空いている手がアーサーのシャツの中にするりと入り込んで、ゆっくりと脇腹を撫で上げていく。
もう夕食は後でいい……、とフランシスに触れられる感触と体温に意識を委ねかけたとき、ふいに滅多に鳴らないインターホンが室内に響き渡った。
フランシスの手が止まり、そのタイミングを見計らったかのように、 ピンポーン… と二度目のチャイムが聞こえて、二人は思わず顔を見合わせる。

「……誰か、来たぞ」

そう言ってアーサーが玄関の方に目線を向けると、三度、四度と続けざまにインターホンが鳴らされた。
うるさい上にしつこく鳴るインターホンは、訪問者の苛立ちがそのまま現れているかのようだった。
しかしフランシスの手が止まったのは一瞬で、すぐにシャツの中に潜り込んでいた手のひらが肌を撫で回す。

「おいっ、…誰か来たっつってんだろ…!」

「このまま放っとけばそのうち帰るんじゃないのー?」

客が来たと言っているのになぜまだやる気でいるのか、フランシスののんきな返事にイラッとしたアーサーは容赦なく彼の髪の毛を引っ張って、密着した身体を無理矢理引き剥がした。

「痛い痛い痛い! わかったよ、出ればいいんだろ、もうー…」

フランシスは引っ張られて乱れた髪を撫でつけながら身体を起こすと、小さく溜息を吐いて玄関へ向かった。
アーサーも身を起こし、少しばかり乱れた衣服を整えてテーブルの上から下りる。
それにしてもこの家に人が訪ねてくることなど滅多にないというのに、一体誰だろうと首を傾げた。
フランシスは基本的に物腰が柔らかく社交的なので、自分と一緒に住む前は 「俺、寂しい一人暮らしなんだよ。うちに遊びに来ない?」 などと男女問わず無節操に誘いをかけていたらしいが、アーサーと同棲を始めてからはそんな言葉は言わなくなった。
親しい友人以外の広く浅い付き合いは随分自重するようになり、今やこの家を他人が訪ねてくるのは極めて稀なことなのである。
自分たちが付き合っていることや、一緒に暮らしていることは互いに信頼できる一部の人間にしか話していないが、二人がここに住んでいることを知っていても実際に訪ねてきた人物はいない。
気を遣っているのか関わりたくないのかわからないが(恐らく後者だろうとアーサーは思っている)、きっとこれからも誰かが訪ねてくることはほとんどないだろうと思う。
そう思うからこそ、今何度もインターホンを鳴らしている訪問者にはまったく心当たりがない。
玄関に向かったフランシスも概ねアーサーと同じ気持ちを抱きながら、眉間に皺を寄せてチェーンを外し扉を開けた。
開いたドアの先には、見知った二つの顔があった。

「……あれ? アルフレッド、……に、菊…?」

予想外の訪問者に、フランシスは玄関先に立つ二人を交互に見て、思わず確認するかのように彼らの名を呟いた。
するとドアが開くなりアルフレッドはずい、と部屋の中に入り込み、頬を膨らませて文句を言う。

「出てくるの遅いぞ、フランシス! 一体何度インターホンを押させるつもりなんだい?!」

「いや何回も押すなよ! 壊れたらどうすんだ! 大体押す間隔も短いんだよ、せっかちな奴だな…」

「こんばんは、フランシスさん。…突然お邪魔してしまってすみません」

アルフレッドの後ろから控えめに顔を見せた菊は穏やかに笑って挨拶をした後、連絡もせず押しかけたことに申し訳なさそうに深々と頭を下げる。
彼の両手には重そうなビニール袋が下げられていて、その袋の中からたくさんのビールやカクテルなどの缶がのぞいていた。
菊の荷物を見て何となく彼らの用件は察したものの、一応聞くだけ聞いておくかとフランシスは二人がここに来た理由を問う。

「お前らが訪ねて来るなんてめずらしいな。なに、何か用?」

フランシスの問いに菊とアルフレッドは一瞬目を合わせ、菊だけがこちらに目線を戻したとき、ばたばたと慌ただしい足音とともに奥の部屋からアーサーが姿を見せた。

「あ、アルフレッド…?! に、菊も……、なんで、…ってか、どうしたんだよ、その荷物は?!」

「…はぁ…、ホントに一緒に住んでるんだね……」

フランシスの背後から現れたアーサーを見るやいなや、アルフレッドは大きな溜息を吐いて脱力した。
話で聞いてわかっていても、現実に一緒に住んでいるところを見るのはやはりダメージが大きかったようだ。

「こんばんは、アーサーさん。最近学校でもあまりお会いしませんので、お元気でいらっしゃるかと思いまして…」

菊の柔らかな微笑みにアーサーはぱぁっと表情を綻ばせ、少しだけ頬を赤くして頷いた。

「あ、ああ、全然元気だ! 二人ともそれでわざわざ来てくれたのか…?」

あからさまに嬉しそうなアーサーを見つめ、アルフレッドは少し素っ気なく答える。

「…まぁね。上がってもいいかい?」

アルフレッドの言葉に、アーサーは咄嗟にフランシスに振り返った。
可愛い弟に大切な友人が訪ねてきてくれたのだ、アーサーとしてはぜひ上がってお茶の一つも飲んでいってもらいたい。
……が、一緒に住んでいるといっても、ここはもともとフランシスの家なのだ。
彼らを中に通すか否か、アーサーが勝手に判断するわけにはいかないが、希望を伝えるくらいは問題ないはずである。

「おい……、いいよな?」

アーサーに強い口調でそう言われ、フランシスはほんの少し考えてから、菊、アルフレッド、アーサーの表情を順に眺めると、ふいにふっと微笑った。

「ま、せっかく来てくれたんだしね。二人とも上がれよ」

フランシスの答えに、アーサーはほっと安堵の溜息を吐く。
よりによって何でこんなタイミングで訪ねてくるのだろう、と少しは思わなくもなかったが、重そうなビニール袋を持って来てくれた菊とアルフレッドを追い返すようなことにならなくて良かった、と本当に安心した。
それにフランシスと住む前までは、一緒に住んでいたアルフレッドとは毎日顔を合わせていたのに、最近は学校以外で会うことはほとんどなくなっていた。
少し前まであれこれ面倒を見ていた弟と離れて暮らすことを、多少は寂しく感じていたりもしたのでアルフレッドの訪問は素直に嬉しかったりする。
アーサーは浮かれたような明るい気持ちになって、菊が持っていた袋に手を伸ばした。

「菊、荷物持つぞ。重いだろ?」

「すみません、ありがとうございます」

菊から荷物を受け取ると、隣にいたフランシスがさりげなくアーサーの手からそれを取る。

「あ、…」

なんだよ、俺が持とうと思ったのに、とフランシスを睨み付けると、彼は重いビニール袋を手にさっさと奥の部屋に入ってしまった。
そのことに あれ、 となにかが引っかかるような、小さな違和感のようなものを感じた。
なんだこの感じ、と胸がざわざわと妙に落ち着かない気分になる。

「アーサー、何ぼーっとしてるんだい! 早く入ってくれよ、ドア閉められないじゃないか!」

「ああ、悪い…」

玄関に立ったまま言葉に出来ない違和感の正体を探っていると、背後からアルフレッドがそう声を上げたのが聞こえて、アーサーはふと我に返る。
アルフレッドは まったく君は相変わらずぼんやりして鈍くさいな、 と聞き捨てならないことをぶつぶつ言っているが、せっかく訪ねて来てくれたのだし、何よりいつものように叱りつけて もう来るもんか、 と言われるのは切ない話だ。
好き放題言いやがって、と内心では舌打ちしつつ、今日ばかりは弟の文句も大目に見てやることにした。
リビングに四人が揃うと、テーブルの上に置いた大量の酒類を見て、フランシスが苦笑する。

「それにしてもすごい量だなぁ。お前らこんなに飲むの?」

「いえ、私も多すぎますって止めたんですけど、アルフレッドさんが…」

「何言ってるんだい、四人もいたらこれくらい必要だよ!」

「そうだな、余ったら俺が飲んでやるから置いてけよ」

三人の会話に割って入ったアーサーの発言に、リビングの空気は凍り付いた。
アーサーの酒癖がまったくもって宜しくないことは、この場にいる全員が知っている周知の事実である。
一緒に住んでいる間、それなりに迷惑を被ったアルフレッドは、 勘弁してくれよ、 と肩を竦めて思いきり顔を顰めているし、菊も笑顔は崩さなかったがその表情は酷く強張っていた。
そして彼ら以上にその酒癖の悪さを身を持って知っているフランシスも、フォローは出来ないと言わんばかりのしょっぱい顔をして、ぽん、とアーサーの肩に手を置き、軽く釘を刺す。

「お前はあんまり飲み過ぎるなよ、この前だって飲み行ったときわけわかんなくなるまで飲んで、帰りに路上でいきなり脱ぎだしてさー、お兄さん連れて帰るの苦労したんだぜ」

「ばっ、ばかっ! こいつらの前で余計なこと言うな!!」

フランシスの言うことは事実だけれど、何も弟や数少ない友人である菊の前で、アーサーにとっては恥でしかない話を暴露することはないではないか。
髪の毛をむしるように引っ張り彼の口を手で塞ぐと、菊はその様子におかしそうに小さく笑い、アルフレッドは呆れたように醒めた目をして見つめていた。





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