ROOM No.909/03


アルフレッドの視線に気付いた途端、なんだか無性に恥ずかしくなったアーサーは慌ててフランシスから離れるが、頬はすっかり熱くなっていた。

「…お、俺お茶淹れてくる」

彼らの視線にいたたまれなくなったということもあるが、どう考えても二人はアーサーの客なのでお茶の一つくらい自分が用意してしかるべきである。
最近顔を合わせる機会が減っていたから、きっとアルフレッドは自分の様子を見に来たのだろうし、菊は押しの強い弟に付き合わされて来たのに違いない(実際には逆だが、それはアーサーの知るところではない)。
フランシスも一応二人を部屋に上げてくれたがただでさえいい雰囲気だったところを邪魔されたのだ、彼にしてみれば菊とアルフレッドの訪問は心から歓迎出来るものではないかもしれない。
そう思ってお茶を淹れるために腰を上げたのだが、なぜかフランシスは困ったような口調で言った。

「でもアーサー、二人ともせっかく来てくれたんだしさ、お茶なら俺が…」

「大丈夫だ、すぐ用意する。みんなそっちで待ってろ」

「あ、どうぞお構いなく」

「ちょっと、アーサー…」

アルフレッドは不満そうに声をかけたが、アーサーは逃げるようにキッチンに姿を隠してしまった。
リビングに残された三人の間には、ものすごく微妙な空気が漂っている。

「…ビールとかいっぱい持ってきたんだから、お茶なんていいのになぁ」

キッチンの方に目線を向けてぼやくように言ったアルフレッドに、フランシスは小さく笑って答える。

「しょうがねえだろ、あいつ紅茶淹れるくらいしかお前らをもてなす手段がないんだからさ」

「……ふーん…」

「お茶だけだなんて、そんなことはないと思いますよ。最近学校でもあまりお会い出来なかったので、お元気そうで良かったです」

「いやいや、そんなことあるんだって。菊は優しいなぁ」

「…………………」

「…………………」

「…………………」

それきり誰も口を開かず、三人でリビングに突っ立っていた。

(…………。二人ともアーサーに会いに来たんだよな…? 俺でこいつらの相手が務まるかなぁ…)

こちらを見ているアルフレッドの視線に心なしか敵意を感じて、思わず苦笑いを浮かべる。
それにしてもこの空気は久しぶりに四人で楽しく酒盛りしようという雰囲気ではない。
それが目的ならとっくにアルフレッドが缶ビールを開けたり、フランシスに美味いつまみを作れだのと言い出すはずなのだ。
彼らしくなく何も言わずにただ室内の様子を窺っているだけだなんて、他に何か目的があるとしか思えないではないか。
かといって下手に直球に本当の用件を訊いて、二人が気分を害して帰ってしまうことになったら、後でアーサーに怒られるのは自分自身である。
彼らがどういうつもりで訪ねてきたかは知らないが、明日は休日ではないのだし買ってきた酒を飲んだら帰るだろう。
フランシスは嘆息し、三人もいるのに しぃん、と不自然に静まり返ったリビングで、いい加減何か話題はないかと思案する。
基本的には誰に対しても滑らかな口だが、アーサー以外に進んで気安く話しかけることなんてあまりないので、ちょっとだけ途方に暮れてしまう。
すると菊が遠慮がちに口を開いた。

「そこ、座ってもよろしいですか?」

「あ、あぁ、どうぞ。悪いな、気が付かなくて。アルフレッドも座れよ」

「…うん」

菊の指したソファに二人を座らせ、フランシスは彼らと向かい合うように床の上のクッションに座る。

「…………………」

「…………………」

「…………………」

けれども三人の間には相変わらずまったく会話もなく、何というか…………気まずい。
この重たい沈黙は一体何なのだろう。
特にアルフレッドは普段の明るさがすっかり影を潜め、何がそんなに気に入らないのか先ほどからずっと不機嫌そうにしている。
自分の家だというのに、目の前に彼らがいるせいか酷く落ち着かなかった。

「…素敵な部屋ですね」

長い沈黙を経て、ふいに菊がぽつりと呟く。
気遣い屋の菊のことだから、この場の重い空気に耐え兼ねたらしいことはよくわかるが、普段口数の少ない彼の何気ないその一言に妙に救われた気持ちになった。

「ありがとう、俺もこの部屋気に入ってるんだよ」

「そうですか。良かったら他の部屋も拝見してよろしいですか? アーサーさんが戻られるまでまだ時間が掛かりそうですし、ここでこうして三人で睨み合っていても仕方ありませんから…」

フランシスとしては睨み合っていたつもりはないが、確かに端から見たら少し異様な光景であるに違いない。
何にせよ会話の糸口が掴めたことはありがたかった。

「他の部屋といってもあとは寝室しかないぜ? 特に変わったものは何もないけど、それでもいい?」

アルフレッドは 寝室しかない という言葉に一瞬顔を顰めていたが、菊の言う通りここで睨み合っていても仕方がないと思ったのか、勢いよくソファから立ち上がった。

「何だっていいよ。アーサーがどこでどんな生活してるのか、ちょっと興味あるしね」

ちょっとじゃないから頻繁に飲んで荒れて、挙げ句わざわざここまでに来たのに、素直じゃない言い様だ。
こういうところはアーサーに少し似ている。
アルフレッドの内心を知る菊は心の中で苦笑して、彼に一言突っ込んだ。

「アルフレッドさんはアーサーさんのことが心配で気になるんですよね」

「そっ、そんなんじゃないよ! いやだなぁ菊、勘違いしないでくれないかい? 何で俺がアーサーのことなんか…」

アルフレッドはそっぽを向き語気を強めてそう言ったが、語尾はもごもごと小さくなっていく。
そのことに菊が密かに笑ったのに気が付いて、ますます不機嫌さを増してしまった。

「ま、まぁともかく案内するよ。こっちにどうぞ。何度も言うけど、本当におもしろいものは何もないぜ」

フランシスはリビングを出て廊下を左に曲がると、すぐ脇にある扉を開いた。
中に入って明かりを点け、ドアの前に立っていた菊とアルフレッドを招き入れる。

「ふーん……ここがアーサーの部屋かぁ。ホントに何にもないなあ」

「アーサーの……というか、俺の部屋でもあるんだけどね…」

フランシスの小さな呟きに、部屋の中を見回していたアルフレッドは耳ざとく反応した。

「何だいそれどういう意味…って…、何でベッドに枕が二つ並んでるんだい?!」

「…一緒に寝てるってことですね」

「誰と誰が?」

「それは、……この家には二人しか住んでいませんから、………ね」

なにやら含みのある口調で言いながら、菊はちら、とフランシスを見た。

(うおおおおい菊なんだそのニヤけた顔は! あっなんかアルフレッドからすごい負のオーラを感じるんです、けど…!)

「……フランシス、アーサーと一緒に寝てるのかい?」

そう問われて、フランシスは背中に嫌な汗がじっとりと滲むのを感じた。
口調は普段通りだったが、振り返ったアルフレッドの瞳が眼鏡に阻まれて見えなくなっているのがちょっと怖い。
アルフレッドのきらきらと眩しいくらいの空色の双眸は、素直で真っ直ぐで純粋そのものなのに、それが見えないとなんだか妙に恐ろしかった。
今の問いに正直に答えるべきなのか、フランシスは思わず言葉に詰まってしまう。
一応彼は自分とアーサーが恋人として付き合っていることを知っているはずだ。
アーサーが家を出る際にきちんと話したと言っていたから、それは間違いないのだ…………が。
誰だって兄弟のそんな生々しい話なんか、そうそう聞きたいものでもないだろう。
なぜかアルフレッドの機嫌はあまり宜しくないようだし、ひとまずここは軽く誤魔化しておくことにした。

「え、……あー、いや、……アーサーの布団はちゃんと別にあるんだよ、ほら」

そう言ってフランシスが収納代わりに使っているクロゼットを開けると、そこには一組の布団がきちんとたたまれて収まっていた。
中に入っている布団を意外そうに見ている菊がまた妙なことを言い出す前に、ベッドの上に二つ並んでいた枕の一つをクロゼットに放り込んでアルフレッドに向き直る。

「枕はしまい忘れただけで、寝るときはここから布団を出して別々に寝てんだよ。お前の大事な兄ちゃんに手を出したりなんてしねーよ、心配すんなって」

そうは言ったものの我ながら白々しい、と思う。
本当は菊の言った通りベッドで一緒に寝ているし、アーサーに手を出したのもアルフレッドと同居するよりずっと前の話で大嘘もいいところだった。
しかし今言ったことが全て嘘というわけでもない。
アーサーがこの家に来たばかりの頃は、抱き合ったとき以外は床に布団を敷き、ベッドは交代で使って別々に寝ていた。
フランシスは始めからベッドで一緒に寝ようと言っていたのだが、何を今さら恥ずかしがっているのか、アーサーが頑なに拒否したのである。
もうやることもやっちゃってる間柄で同居ではなく同棲という名目で暮らし始めたのに、なんで独り寝しなきゃならないんだよ、お前って奴は本当に愛が足りない、とフランシスが散々ごねて拗ねまくった結果、しぶしぶではあったがアーサーも週に一度なら…と折れてくれた。
それから週に一度だったのが二度三度と少しずつ一つのベッドで一緒に眠る日が増え、ようやく毎晩彼の体温を身近に感じながら寝ることが出来るようになったのは、本当につい最近のことなのだ。
フランシスのそんな苦労も知らないアルフレッドは、おもしろくなさそうに唇を尖らせる。

「布団は別でも部屋が一緒なのは同じじゃないか」

「そりゃしょうがねえだろー、ここはもともと俺が一人で住んでたんだぜ。大体寝る部屋を分けるったってここ以外はリビングしかねえし、さすがにアーサーにリビングのソファで寝起きしろなんてお兄さんには言えねえよ」

肩を竦めてそう言ってやると、アルフレッドはじっとこちらを見つめてぽつりと問う。

「部屋が同じだからって、アーサーにへんなことしてないだろうね?」

その問いには、フランシスは肯定も否定も出来ずただ苦笑いを浮かべた。
彼の言う へんなこと とやらは、同棲を始める前から何度も何度も何度も(略)いたしているのだが、そんなことは教えてやる必要もないし、アルフレッドに余計なことを言ったのがばれたら自分がアーサーにフルボッコにされるに決まっている。
けれどフランシスが何も言わなくても察したらしい菊は、相変わらずにこにこと穏やかな笑みを浮かべてアルフレッドの袖を引いた。

「アルフレッドさん、それ以上訊くのは野暮ですよ。お付き合いをしているお二人が同じ部屋で寝てるのに、何もないはずないでしょう?」

うおおおおおおおおおおおおおおおい菊うううううううううううううううううううううううう!!!
笑顔でさらっと言い放った菊の一言に、フランシスは心の中で絶叫した。
野暮ですよ、とかたしなめるようなことを言いながら、あえて自分が言わずに隠しておいた事実を掘り起こすなんて、いつもは奥ゆかしい菊らしからぬKYぶりだ。
フランシスは若干の血の気の引いた顔をそー…っとアルフレッドの方に向けると、彼は手のひらで顔を覆ってはぁ、と実に大きな溜息を吐いた。

「…やめてくれよ……考えたくないんだぞ…」

心底戸惑った声音で言ったアルフレッドを見て、フランシスがアーサーと付き合うことはどうやら彼にとって歓迎できる話ではないらしいと知る。
確かに人前ではケンカばかりだったし、アーサーのことだから家ではフランシスの文句を散々アルフレッドに聞かせていたことだろう。
それではアルフレッドがフランシスに対して良い印象を持ってくれるわけもないのだが、出来ることなら彼にはアーサーとの付き合いを理解して欲しいと思う。
アーサーが彼のことをなにより大事に思っているのはよく知っているし、その大事な弟に交際を反対されればきっと辛い思いをするに違いないからだ。
とはいえアルフレッドが反対しようがなんだろうが、フランシスにアーサーと別れる気はまったくないので、自分と弟の間で板挟みになる彼が可哀想だ。
なんにせよこの流れで今さら 何もしてません なんて嘘のフォローは逆効果な気がするし、本当のことを言えばアーサーにしめられるので、フランシスはもやもやした気持ちのまませめて話題を変えようとした。

「えっと…、も、もう戻らない? そろそろお茶の用意出来てるかも」

「やはり幼馴染み萌えは鉄板ですね。これは今度の新刊のネタを考え直す必要がありそうです」

菊は室内をあちこち見回しながらぶつぶつと独り言を言っている。
どうも菊は趣味の創作活動のこととなると、自分の世界に入り込むくせがあるらしい。
苦笑いで彼のそんな様子を見つめていると、背後から突然アルフレッドが大声を出した。

「うわあなんだいこれ! フランシス、何でこんなものこんなとこに置いとくんだよ! 君、やっぱりアーサーにへんなことしてるんじゃないか」

アルフレッドは呆れたように言って、こちらに向かって何かを投げつける。
ポコッ、と軽い音を立ててフランシスに当たった小さな箱は菊の足下に転がり、その箱を拾い上げた菊はいつも通りの平淡な口調で、箱に書かれていた文字を声に出して読んだ。

「…つぶつぶゼリー。……これはフランシスさんの趣味ですか?」

アルフレッドが見つけて菊が今手にしている小さな箱は、キャビネットの中にしまっておいたゴムだった。
こんなとこに、なんてさもその辺にあったような言い方だったが、なにも出しっぱなしにしていたわけではないはずだ。
きちんと片付けておいたのに、なぜそれが今菊の手にあるのかフランシスには理解不能だった。

「いや俺の趣味っていうか……、あれ? どこから出したのそれ?」

「この引き出しにいっぱいへんなもの入ってるぞ。あんまりアーサーに妙なこと教えないでくれよ、身内が変態になるのは辛いよ」

アルフレッドは遠慮なしにキャビネットの引き出しを開けて、中を引っかき回している。

「ちょっ、なに勝手に引き出しとか開けてんの?!」

「鍵掛かってなかったから」

悪びれもしない返事に脱力したフランシスのことなどお構いなしに、アルフレッドはキャビネットの引き出しを次々開けていく。

「うわ、こっちの引き出しにはエロ本が入ってるぞ。これアーサーのかなぁ、菊も見てみなよ、ははは!」

「こらっ、勝手に開けるなって! ちょっともうホントやめて! 俺がアーサーに怒られるから!」

「仲が良くて宜しいじゃないですか。ね、アルフレッドさん」

菊のとどめの一言にフランシスは少し、頭が痛くなってきた。
どんなにしつこくインターホンを押されても、出るんじゃなかった………と後悔しても後の祭りである。
もうそんなめちゃくちゃするなら帰って下さい!!!!!! と言いたくてしょうがなかったが、なんとかその言葉を飲み込んだ。

「ほら、アーサーがあっちで待ってるし、もう行こ、ね!」

さりげなく菊の手からつぶつぶゼリーの箱を取り、二人に部屋を出るよう促す。
フランシスは無理矢理彼らの背を押して寝室から追い出すと、すっかり疲れ果ててようやくリビングに戻ることが出来たのだった。





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