ROOM No.909/04
リビングに戻ると、まだキッチンにいたアーサーが顔を出す。
「お前らなに騒いでたんだよ、部屋散らかしてねーだろうな」
三人が隣の寝室でなにやら喚いているのは聞こえてきたが、話の内容までは聞こえなかった。
ティーポットとカップをテーブルに置いて訝しげに問うと、真っ先に席に着いたアルフレッドが心底呆れた口調で答える。
「あー……君ねぇ、あんなとこにヘンなもの置いとかないでくれよ。気分悪いんだぞ」
突然軽く軽蔑の入った視線付きでそんなことを言われても、彼の言葉にまったく心当たりがないアーサーは心外だと言わんばかりに顔を顰めた。
アルフレッドのその科白に、リビングの入口にいるフランシスが青い顔をしていることには気付かず、紅茶をカップに注ぎながら目の前に座る弟に聞き返す。
「はぁ? ヘンなものって何だよ…別になにも…」
「いやーまいったなぁ、はっきり言わないとわからないのかい? それともヘンなものって認識すらしていない…とか?」
部屋はいつもきちんと片付けて綺麗にしてあるし、何もおかしなところなんてないはずなのに、大袈裟なくらい肩を竦めて溜息混じりにそんなことを言われては、なんのことなのか気になって仕方がない。
ちら、と菊に目線を向けると、なぜかアーサーと目を合わせないように視線を逸らしている。
妙に勿体ぶったアルフレッドの言葉に痺れを切らし、苛立った声音でもう一度問う。
「なんだよ、言えよ!」
「じゃあ言うけど、つぶつぶゼリーのゴムとかローションとかエロ本とかバイブとか、ちょっと充実しすぎだと思うぞ、俺は」
「アルフレッドさん自重して下さい」
いつのまにかアルフレッドの背後に立っていた菊が笑顔で(確かに笑顔なのだが、アーサーにはなぜか笑っているようには見えなかった)、手でそっと口を塞いだ。
弟の言葉にアーサーの顔はみるみるうちに真っ赤に染まり、注いでいた紅茶はカップから溢れてテーブルに零れ、真っ白なテーブルクロスがあっというまに紅茶の染みを作っていく。
「ああ、アーサーさん、零れてますよ」
菊が慌てて布巾で溢れた紅茶を拭き取ると、アーサーはがしゃん、と乱暴にティーポットを置いて席を立った。
立ち上がったとき、勢いがありすぎたせいか椅子がひっくり返ったが、構わず身を乗り出して声を荒げる。
「お、おまっ、なに言ってんだっ?! そん、そんなの…!」
ちゃんとしまっておいたのに、と続けようとした言葉は、口から発する直前に失言と気付いて無理矢理飲み込んだ。
なんでばれたんだ、と混乱する頭で考えて、はっとしたアーサーはリビングの入口に立っていたフランシスに鋭い目線を向けると、早足で彼の方に向かっていく。
「おいてめえ、あいつらになに余計なもの見せてんだ!!!」
思い切りシャツの襟を掴み上げると力が入りすぎたらしくフランシスは一瞬息が止まりかけたのか、もともと青かった顔がさらに青ざめて、完全に呼吸が止まる前に必死に左右に首を振って弁解を始めた。
「ち、違う違う、アルフレッドが勝手に引き出し開けて見てたんだって! 俺はなにもしてません!」
「てめえがちゃんと鍵掛けておかなかったからだろうが!」
「あの引き出し鍵なんか最初から付いてねーよ! そもそもゴムとローション以外はお前の」
「余計なこと言うなっつってんだろーが!!!!!!!!!」
アーサーがフランシスの髪を掴んで引っ張ると、 痛いはげる、っていうか俺は止めたもん悪くないもんアルフレッドが勝手に見たんだもん! とフランシスの悲痛な声が上がる。
しかしアーサーにとってフランシスの言葉はすべて言い訳にしか聞こえないのか、ますます強く髪の毛を引いて頬をつねった。
アルフレッドと菊は呆然とその様子を眺め、大学で見る光景と全然変わらないことに顔を見合わせて苦笑した。
寝室を見たときは普通の恋人同士として仲良くやっているものと思えたのに、このやり取りを見ているととても好きで付き合っているとは思えない。
あの引き出しに入っていたいろいろも、お互い別の相手に使っているのではないかとさえ思える。
二人の言い争いは徐々にヒートアップしていき、今にも殴り合いになりそうな状態を見かねた菊が二人の間に割って入った。
「アーサーさんもフランシスさんも落ち着いて下さい。すみません、私が他の部屋を見たいなんて言ったせいで喧嘩に…」
申し訳なさそうに頭を下げる菊に、ようやく我に返ったアーサーはばつが悪そうな顔をして掴んでいたフランシスの襟を放す。
わざわざ遊びに来てくれたのに、こんなことでけんかをして空気を悪くするのは良くないか、と深呼吸をしてなんとか気持ちを落ち着けた。
まだ引かない怒りは二人が帰った後でフランシスにまとめてぶつけることにして、改めてお茶の用意を始める。
「わ、悪いな二人とも……あれは、その……俺じゃなくてこの変態がだな…」
「いえ、プライベートな部分を勝手に見てしまって…申し訳ないです」
「何言ってるのさ、菊は悪くないよ。おっさん二人がはりきりすぎなんだよ」
頬杖を付いて早速紅茶を啜りながら、またもアルフレッドがいらない爆弾を投下する。
空気が読めないのはいつものことだが、今日は特に酷いな、とすでに諦めの境地に達していたフランシスは遠い目をして、パンチや蹴りが飛んでくる前にそろりとアーサーから距離を取った。
「誰がおっさんだっ、つーかはりきるってなんだよ?!」
「えぇ? それはセッ」
「アルフレッドさん自重して下さい」
ぱしーんといい音を立てて、さっきと同じようにアルフレッドの口を手で塞いだ菊の表情には、相変わらず怖い笑顔が張り付いている。
しかし言いかけた言葉の意味は察したらしいアーサーの顔は、目玉焼きでも焼けそうなくらい真っ赤になっていて、フランシスとの性生活の一部が弟と友人に知れてしまったことを酷く恥じているようだった。
フランシスは 何かフォローしなければ、ああ、ベッド以外でやってることは言ってないよ! と言おうとしたが、さすがにこの状況でそんなしょっぱい冗談は死亡フラグである。
それにしても…、こうして墓穴を掘るのがオチなんだからいちいちアルフレッドの発言に噛みつかないで、アーサーもいい加減スルースキルを磨いて欲しいな、とフランシスは切に思った。
この話題がこのまま続くと菊とアルフレッドが帰った後、確実にアーサーによって強制的に天国への階段を上らされることになってしまう、と身の危険を感じたフランシスはそこで話を切った。
「まぁまぁその話はもう置いといてさ、…あ、確か昨日の残りのスコーンがあったなー」
誤魔化すように言ってキッチンに向かい、棚にしまっておいたスコーンを手に戻ってくると、アルフレッドが思いきり顔を顰める。
「なんだいそれ、アーサーが作ったやつじゃないだろうね」
「いやこれはお兄さんが作ったの。俺がこいつに料理させるわけないでしょ、…まだ死にたくないし…」
「そうか、それなら安全だな! アーサーのスコーンは散々食べさせられてもう飽き飽きだし、なによりまずいからね!」
「なんだてめえらその言い草は! 俺のスコーンのどこがまずいってんだ!」
フランシスが作ったと聞いて安心したのか、早速スコーンに齧り付いた弟にアーサーは顔を赤くし声を荒げて言った。
するとフランシスとアルフレッドは顔を合わせて溜息を吐き、菊は苦笑いを浮かべている。
だいぶ失礼な態度だが、彼らのこの反応は無理もないのだ。
とにかくアーサーの料理は酷い。
まずい、の一言では片付けられない何かがある。
フランシスにはこれは人類を脅かす新たな兵器だ、と真剣な顔で言われたりもした。
確かにフランシスと比較したら多少は劣るかもしれないけれど、アーサー的には自分の料理にはそれなりに自信がある。
しかしお世辞にも腕がいいとは言えないというのが周囲の評価で、そのことは常々心外だと思っていた。
いつも食事の用意はフランシスに任せきりで、アーサーも彼の作る料理が好きなのでそれについては文句はないが、たまには自分の料理も食べて欲しいと思うときもある。
今自分が作れるものがフランシスの口に合わないらしいことはわかっているので、料理のレパートリーを増やそうと日々密かに練習もしているだけに、彼の 「死にたくないし」 という発言は聞き捨てならなかった。
「てめえはなぁ、ちょっと料理が上手いからって調子に乗ってんじゃねーよ! 俺だって得意な料理の一つや二つあるんだからな!」
フランシスに向き直って怒鳴りつけたアーサーの言葉を聞いて、菊が意外そうに問う。
「アーサーさんはどんな料理が得意なんですか?」
「え? ああ、そうだな…いろいろあるけど、一番得意なのはローストビーフだな! よくアルフレッドにも作ってやったし」
「ああ……あの焼けた肉の塊のことかい…? あれはローストビーフだったのか! そうかぁ、長年の疑問が晴れたよ!」
スコーンを食べる手を止めて閃いたように言ったアルフレッドに、菊は顔を顰めて そういうことは言わなくていいんです、 と肘で突いた。
一緒に暮らしていた間、何度も振る舞った得意料理がなんなのかわかってもらえていなかったという衝撃的な弟の言葉に、案の定アーサーは軽く涙目になっている。
この話題もそろそろ終わりにしないと、後々アーサーを宥めるのに骨を折るなぁ、とフランシスは小さく溜息を吐く。
料理の腕を磨いて見返してやる、なんて言い出したら地獄を見るのは他でもないフランシスなので、仕方なく彼らの話に割って入った。
「それよりさ、お前ら今年海行った? 俺たち先週行ったんだけど、やっぱまだ寒かったな」
「海に行ったのかい? いいなぁ、俺も行きたかったんだぞ。もう新しい浮き輪とシュノーケルも買ってあるんだ!」
「海水浴にはまだ時期が早いと思いますよ…」
「うん、全然早い。海水も風も冷たいし、……だから一応上着持ってこうって言ったのにさー、こいつ俺の話聞かないで薄いシャツ一枚しか着ていかなかったから、寒いって騒いで大変だったんだぜ。しょうがないからお兄さんが暖めてやったんだけど」
「お前は何の話をしてやがるんだ!!!!! 余計なこと言うなって言ってんだろーが!!」
つい口を滑らせ、言わなくていいことを言ってしまった直後、耳まで真っ赤に染めたアーサーに髪を毟るように強く引っ張られる。
暖めてやったと言っただけでなにも具体的に話したわけではないのに、こんなに顔を赤くして過剰な反応をしたら、口では言えないような暖め方をしましたと言っているようなものだと思うのだが、どうもアーサーはそこまで考えていないらしい。
「……そんな話聞きに来たわけじゃないんだぞ。ねえ菊、せっかく持ってきたし飲もうか」
「あ、……はい」
アルフレッドは眉間に皺を寄せそっぽを向いて、持参してきたビニール袋から缶ビールやらカクテルやらを取り出した。
無理矢理話を変えた上、なんだか機嫌を損ねてしまった気がするが、なんとか料理の話題をそらすことには成功したようだ。
「今日はいっぱい飲むぞ! フランシス、スコーンの他に食べるものはないのかい?」
「晩飯作る途中だったから、何もねえな。……なんか簡単に作ってくるかぁ」
フランシスがキッチンに向かうと、アルフレッドはプシュ、と勢いよく缶を開け、ぐいっと一気にビールをあおる。
彼はどちらかというと酒よりコーラ派なので、いつもはこんなふうに無茶な飲み方はしない。
理由はよくわからないが今日急に訪ねてきたことと何か関係があるのかどうか、アーサーは様子のおかしい弟が心配になって声をかけた。
「おいアルフレッド……お前明日も学校あるんだろ。あんまり飲み過ぎるなよ」
「別に平気さ。大体アーサーにだけは言われたくないな! ほら、君たちも飲みなよ、せっかく持って来たんだからさ!」
アルフレッドはアーサーの言葉にも聞く耳を持たず、あっという間にビールを一缶空けてしまった。
さらに早々に二缶目のビールに口を付け、彼に勧められるままにアーサーも一応缶は開けたものの、不機嫌な弟が気になってとても落ち着いて飲める雰囲気ではない。
(…つーか…、多分、用があって来たんだよな…?)
この重たい空気からして、どうにもみんなで楽しく飲むために来たとは思えない。
アルフレッドに至っては明らかにヤケ酒の様相を呈しているし、アーサーはそっと菊に近寄って訪問の目的を直接聞き出してみることにした。
「なぁ、……今日はなんで来てくれたんだ?」
「すみません、ご迷惑でしたか?」
申し訳なさそうに頭を下げた菊に、アーサーは慌てて首を振って彼の言葉を否定する。
「いや、そうじゃないんだ! そうじゃなくて、…アルフレッドの奴、ちょっと様子が変じゃないか? ……何かあったのか?」
「そうですねえ……アーサーさんたちのお部屋、いろいろな意味でショックだったんじゃないでしょうか」
にこやかに微笑って答えた菊に、アーサーの頬がかぁっと熱くなる。
もしアルフレッドの部屋にゴムやらローションやらバイブやら、えぐいエロ本がたくさんあったらアーサーだってショックだ。
引き出しの中の卑猥ないろいろの存在は、アルフレッドにとってものすごく生々しく感じられたことだろう。
人が訪ねてくるとは思わなかったと言っても、あんなものを入れるならやはり鍵付きの引き出しにすれば良かった、と後悔したが、見つかってしまった今となっては手遅れである。
これ以上墓穴を掘るのが嫌で、アーサーは弟たちの訪問の理由を聞き出せないまま、何も言えなくなってしまった。
開けた缶ビールを飲んでもめずらしくまったく酔えず、アーサーはちらちらとアルフレッドに何度も目線を向け、溜息を吐くばかりだった。
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