ROOM No.909/05
「あれ? アーサー、このDVD買ったのかい?」
一人で缶ビールを五本も空けてすっかり出来上がったらしいアルフレッドは、真っ赤な顔をしてテレビの脇のDVDラックをあさっている。
いくつか並んでいるDVDの中に知っているタイトルがあったようでそのうちの一枚を取り出すと、酔っているせいもあるのか彼にしてはめずらしく甘えた口調でこう言った。
「ねぇ、観てもいいかい?」
「今からか?」
「うん、これ観たかったんだぞ」
アルフレッドはキラキラと瞳を潤ませ、子犬のように小首を傾げて上目遣いで見つめてくる。
かわいい弟にこんなふうにねだられて、アーサーに断れるわけがない。
しかし今からDVDを見始めたら、彼らが帰るのはかなり遅い時間になってしまう。
アルフレッドなら大丈夫だとは思うが、二人ともだいぶ飲んでいるようだし夜道を帰らせるのは心配で気が引ける。
もう少し早い時間なら二つ返事でOKするところだけれど、フランシスも急な来客に振り回されて疲れているようだったので、今日はもうアルフレッドたちを帰らせた方がいいだろう。
「そのDVDなら貸してやるから、今日はもう帰った方がいいんじゃないか? 明日も学校あるんだろ」
アーサーがそう言うと、アルフレッドは満面の笑みを浮かべて答えた。
「タクシーで帰るから平気さ! それに映画はみんなで観た方が楽しいじゃないか。いいだろ?」
そういう問題ではないのだが、無邪気ににこにこ笑って言われるとこれ以上帰れとは言いにくい。
こういうとき、いつもなら菊が 「時間も遅いですし、ご迷惑ですよ」 とかなんとか言ってくれるのだが、酔っているせいだろうか、菊がアルフレッドをたしなめる気配はない。
おかけでアルフレッドは 「アーサーはほんとに細かいことうるさいなぁ、全然変わってないよ。心配されなくても一人でちゃんと帰れるんだぞ」 などと、子どものように頬を膨らませて見当違いな勝手なことを言っている。
そんなんだからみんなにKYって言われるんだろ、とアーサーは小さく溜息を吐くが、せっかく訪ねてきてくれた二人に早く帰って欲しいなんて思っていないし、映画を観るだけなら大人しくしているだろうからまぁいいか、と思い直した。
久しぶりにアルフレッドと一緒に過ごせたのは嬉しかったし、DVDを観るくらいなにもかたくなに拒否するほどのことでもない。
「…しょうがねえな、観たら帰れよ」
アーサーは昔からアルフレッドに弱かった。
アルフレッドにはもう身寄りがアーサーしかいないこともあり、つい我が侭も聞いてしまうし必要以上に甘やかしてしまうのだった。
そのことはフランシスもよく知っているので、彼が苦笑いを浮かべているのにも気付いたけれど、結局アルフレッドの希望通りみんなでDVDを観ることになった。
「わお、やった! 菊、前に君もこれ観たいって言ってたよね?」
「え? ええ、…よく覚えてましたね」
「覚えてるさ、ゲンコーが忙しくて観に行けないって散々嘆いてたじゃないか」
アルフレッドが観たがったDVDは、アーサーが以前フランシスと一緒に観に行った映画だ。
この前買い物に行ったときたまたま店頭に並んでいるのを見かけ、そういえば二人で観に行ったな、と何気なく手に取った。
映画の内容は単なる一市民だった主人公がひょんなことから超人的な力を手に入れ、正義のヒーローになり巨大な悪の組織と対決するという、お約束な陳腐なストーリーでアーサー的には大しておもしろくはなかったが、フランシスとこの映画を観て食事をしていわゆるデートみたいなことをしたのを思い出し、思わず買ってしまったのだ。
アーサーにしてみればDVDを買ったというより、フランシスとの楽しかった思い出を買ったようなものなので、買ったはいいが一度も再生していなかったりする。
映画の内容はまったくアーサーの好みではないけれど、アルフレッドや菊が好きそうな派手なアクションや爆発シーンはてんこ盛りだった。
フランシスも一緒に映画を観に行ったことを覚えているかな、とさりげなく彼の方に目線を向けると、フランシスは興味なさ気に雑誌を捲っている。
もう会話に参加する気もないらしい彼の様子を見て、アーサーは妙に落ち着かない気分になった。
もしかして機嫌を悪くしたんじゃないかと心配になって、やっぱり二人を帰した方が良かったのだろうか、と今さらそんなことを思っても遅い。
アルフレッドの希望を受け入れ言われるままにDVDを再生したものの、フランシスのことが気になって映画の内容など少しも頭に入ってこなかった。
ときおりフランシスに目線を向けて彼の様子を窺いながら、ただ登場人物たちの動きを目で追うだけだ。
フランシスの方にばかり意識がいってしまってぼんやりと画面を眺めているだけだったが、アーサーの心情とは無関係にストーリーは進んでいく。
やがて物語も終盤に差し掛かったとき、ふいに背後から
「アーサー」
と、低く抑えた声音でフランシスに呼びかけられた。
「な、なんだ?」
急に呼ばれたことに驚いてびくっ、と大きく肩を震わせ、咄嗟に振り返った。
びっくりしただろ、と声のトーンが上がったアーサーの次の言葉を遮るように、フランシスの人差し指が唇に当てられる。
「静かに」
「…、………」
彼に言われた通りにアーサーが息を詰めると、リビングにはテレビの音以外、何も聞こえない。
そして初めのうちは映画を観て興奮気味に盛り上がっていたアルフレッドと菊が、いつのまにか大人しくなっていることにようやく気が付いた。
口を閉じたままフランシスの視線の先を追うと、すっかり眠ってしまっているアルフレッドの姿が視界に入る。
菊もアルフレッドの座るソファにもたれるように身体を預けて眠っていて、アーサーはフランシスの言わんとしていることを察して静かにDVDを止めた。
テレビの電源も落とすと、彼らに気を遣ってかいつもより少し離れたところに座っていたフランシスが、アーサーのすぐ真横に移動して腰掛けた。
急に肌が触れ合うほど近くなった距離と静かすぎる室内に、アーサーはドキドキとうるさく鳴り出した心音が、彼に聞こえてしまうのではないかと思わず胸の辺りに拳を当てる。
少し手を伸ばすだけで簡単に触れ合える近さにフランシスがいることに、恋人として付き合い始めてしばらく経つ上、同棲までしているというのに未だ慣れない。
ただの幼馴染みの関係だった頃は、額をごりごりと突き合わせてメンチを切り合ったりしたものだが、今はそんなことはとても無理だ。
互いの唇までの距離が数センチしかないほど顔を近付けたら、きっと変に意識してしまって誰の目から見ても明らかなくらい、アーサーの頬は真っ赤に染まるに違いない。
現に今こうして彼が隣に座っているだけで、目元が熱くなってくるのを感じてしまう。
幼い頃からケンカばかりしていて、昔からアーサーにとってフランシスは良くも悪くも特別な相手だった。
恋愛対象としてなんて考えたこともなかったのに、彼が頻繁に口にするようになった「好き」という言葉が本気だったのだと知ってからは馬鹿みたいにフランシスのことが気になって、視界に入れば目で姿を追い、生徒会室で二人きりになると平静を装うのに苦労した。
自分のフランシスに対する恋情を認めて受け入れるのは少し時間が掛かったけれど、互いの想いが通じ合ったことは本当に嬉しかった。
もともと彼はスキンシップ(という名のセクハラ)が好きなのだが、外では人目を気にするアーサーに思うように触れられず、その反動なのか家では遠慮のえの字もありはしない。
時間も場所も関係なく、甘えるようにべたべたくっついてくるので鬱陶しいと少しは思うものの、アーサーも嫌ではないのでつい流されてしまう。
今日もアルフレッドたちが訪ねてこなければ、今頃はベッドかバスルームでフランシスといちゃついていたんだろうな、とふと思い出すと、アーサーは彼の表情を窺うように目線だけ隣に向けた。
「ここの後片付けは明日にしようぜ。……行こうか」
「…、え…」
フランシスはアルフレッドたちを起こさないよう小声で囁くと、そっとアーサーの手を取ってリビングを出て行こうとする。
いつもなら人目も気にせずスキンシップを図ろうとするフランシスだけに、菊とアルフレッドが寝てしまったのをいいことに何かするつもりなのではないかと、ほんの少し警戒したので拍子抜けした。
手を引かれるままフランシスについて廊下へ出ると、彼は何も言わずに寝室へと向かう。
さっきから少し様子がおかしいことが気になっていたし、やっぱり疲れたんだろうか、と思いめずらしくフランシスを気遣うように声を掛けた。
「…フランシス…、その……疲れたか?」
「ん? 別にー……疲れることなんて何もしてないし、…まぁ確かに今日はちょっと賑やかだったけどね」
彼の口調は普段と変わらない穏やかなものに聞こえたが、なんだか素っ気ないような、どこか人ごとのような、とにかくいつものフランシスの反応とは何か違う気がした。
怒っているというのも違うように思うし、上手く言えないがフランシスの態度には妙な違和感がある。
この違和感が思い過ごしじゃないなら、その原因はアルフレッドと菊の急な訪問くらいしか思いつかない。
二人が訪ねて来てくれたことはアーサーにはとても嬉しいことだったが、フランシスには終始いらない気遣いをさせてしまっただけかもしれない。
部屋の引き出しにしまっておいた恥ずかしいものをアルフレッドたちに見られたことがいたたまれなくて、フランシスに責任転嫁した挙げ句八つ当たりのようなこともしてしまったし、今さらながら彼に対して申し訳ない気持ちが芽生えたアーサーは小さな声で問う。
「なぁ、……アルフレッドと菊がいきなり来たこと、……怒ってるのか?」
アーサーの問いに、フランシスは意外そうに瞳を見開いてこちらに顔を向けた。
「あー……いや、怒ってはないけど。ってかなんで怒るの? 可愛いとこあるじゃねーの、あいつらお前のことが心配でわざわざ来たんだぜ。良かったな」
フランシスは微笑ってアーサーの髪をくしゃ、と軽く撫でてそう言った。
その手の温かさと優しい言葉はいつものフランシスの態度と変わりなくて、どうやら考えすぎだったらしいとほっとして、僅かに強張っていた身体からも緊張が解ける。
「それよりあの様子じゃ家に帰れそうにねえよな。さすがに叩き起こすのは可哀想だし」
フランシスはリビングに目線を向け、小さく嘆息する。
アーサーとしてはいくらタクシーでも、こんな遅い時間に酔った二人を帰らせるのは心配だ。
出来ればこのまま一晩くらい泊めてやりたいと思うが、いくらルームシェアのような状態でもここはもともとフランシスの家なので、アーサーが勝手に決めるわけにもいかない。
フランシスに今日だけ二人を泊めてやって欲しい、と素直に頼めば、きっと彼は断ったりしないだろうということはわかっている。
それを自分から頼んでわざわざ貸しを作るみたいなことをしたら、後々口には出せないようないやらしいことをして欲しいだとか、そんなくだらない要求をされるであろうことも嫌と言うほどわかりきっているが、可愛い弟と友人のためだ。
この際背に腹は代えられない。
「…あの二人、今日はあのまま泊めてやってもいいか? その、…別に夜中に帰すのを心配してるとかじゃなくてだな、今無理矢理起こして家に帰してもアルフレッドの奴、明日絶対遅刻するに決まってるからな! そうなったら兄である俺が恥を掻くことになるし、…とっ、とにかく今日一晩くらいいいだろ?!」
ごちゃごちゃとそれらしい言い訳を並べたつもりだったが、口から出るのは取って付けたようなあまりに白々しい科白ばかりなので、最後には言い訳すら面倒くさくなりフランシスの腕を掴んでそこまで一気に捲し立てると、彼はやんわりとアーサーの手を解いて寝室へと向かっていく。
返事がないことに不安になり、慌ててフランシスの後を追った。
「おい、…」
「アーサー、部屋に毛布取りに行こうぜ。あのまま寝かせたんじゃ二人とも風邪引いちまうぞ」
小さい子どもや女の子ならともかく、タクシー呼んで帰らせればいいじゃん、とか言われたらどうしようかと思ったが、返ったフランシスの言葉はアーサーが彼にそう言って欲しいと望んでいたもので、望み通りの科白を聞けたことに安堵のあまりパッと顔を上げる。
「フランシス……、いいのか?」
「いいよ。……お前なぁ、お兄さんは寝てる酔っ払いを夜中に追い出すほど冷たくねえぞ?」
「そ、そうか。そうだな、今日はまぁ、お前のその言い分も認めてやらないこともねえな!」
素直にありがとうなんて言えない。
これでもアーサーには精一杯の素直な感謝の気持ちを現した言葉だったが、フランシスはやっとアーサーに振り返ったかと思ったら、ほんの少し、寂しそうに微笑った。
これまでに見たことのないその寂しげな微笑みを見て、さっき感じた違和感は気のせいなんかじゃなかったのだと知った。
これがもし、自分が逆の立場だったらどうだろうか。
フランシスにはアントーニョとギルベルトという仲の良い友人がいて、彼らがつるむととにかく騒がしい。
三人は気の置けない友人同士なので、集まって騒ぐことが楽しいのなら勝手にすればいいと思うが、この家でアーサー一人放っておかれて三人だけが盛り上がっている図を想像すると、想像だけで寂しくなってしまった。
その寂しい気持ちをフランシスにさせてしまったのだと、アーサーはようやく悟った。
一から十まで言わなくても、彼はいつもアーサーの望みを察して叶えてくれる。
長くフランシスと過ごすうちにそれが当たり前になっていたけれど、許されるのは二人きりのときだけなのだ、と彼の表情を見て気付かされた。
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