ROOM No.909/06
フランシスにそんな思いをさせる前にアルフレッドと菊を帰らせることも出来たのに、そうしなかったのはフランシスとは毎日顔を合わせているのだから今日くらいはいいだろう、と無意識のうちに弟たちの希望を優先してしまっていたからだ。
アーサーが望むことをフランシスが受け入れてくれるのは初めからわかっていたことだったし、わかっていたからこそ彼の意志も確認せずに自分の感情だけでDVDを観たいというアルフレッドの我が侭を聞いて、そのまま眠ってしまった彼らを家に泊めることにしたのだ。
しかしアーサーがこの家に一人暮らしならともかく、一緒に住む相手がいる場合こういうことは本来はマナー違反だ。
もしフランシスが今日のアーサーと同じように、遊びに来たアントーニョとギルベルトのことを優先し、騒ぎ疲れて寝てしまったから家に泊めるだなんて言われたら、きっとアーサーは ふざけるな、うちはホテルじゃねえんだ、タクシー呼んでとっとと帰れ、 と無理矢理起こしてでも追い返していただろう。
フランシスもアーサーの言い分を無視してアルフレッドたちに帰るよう促すことは出来たはずだが、そうしなかったのはアーサーが誰より大事に思っている弟と数少ない親しい友人が訪ねてきたからだ。
彼がアーサーのことを気遣って、面子を立ててくれたということに他ならない。
それを今の今まで当たり前のことだと思っていたなんて、一緒にいすぎて甘やかされることに慣れすぎて、感覚が少し麻痺していたのかもしれない。
同じ立場に立ったときの自分の対応を考えると、いくらなんでもこれは甘え過ぎじゃねえか、とはっきりと自覚して、心臓がぎゅうっと握り潰されたように苦しくなる。
よく考えてみれば、今日のことだけじゃなく自分は常にフランシスの好意を受け取るばかりで、アーサーが自ら彼に対して愛情表現を示すことはほとんどない。
それでもアーサーはちゃんとフランシスのことが好きだし、いつでも彼の傍にいたいと思ったから同棲することも拒否しなかった。
フランシスの傍にいると自分の存在が受け入れられていることを実感出来て、酷く幸せな気持ちでいっぱいになる。
彼とキスをしたり肌に触れられたりすることを望むのは、アーサーがフランシスのことを好きでたまらないからだった。
その気持ちをなかなか表に出せないのは、自分の想いをどう伝えればいいのかもわからないし、なにより本心を言葉にするのは恥ずかしい。
そんなふうに考えているアーサーの気持ちさえ理解してくれるから、フランシスは何も言わないのだと思う。
(…俺は……フランシスが俺を好きだって言うから、俺もフランシスを好きになったんだ。最初はそれだけだったけど、…………でも今は違う)
それだけは今伝えなければいけない。
そう思ったが、自分の好意を素直に言葉にして伝えるのは本当に苦手で、アーサーは咄嗟にフランシスのシャツの裾を掴んだ。
急にシャツを引かれたことでこちらに身体を向けた彼に思い切って抱き付くと、真っ赤になった顔を隠すようにフランシスの肩口に額を擦り付ける。
ぎゅ、とフランシスのシャツを握ると、突然のアーサーの行動に驚いたのか彼は少しだけ身を固くした。
「アーサー? なに、どうした?」
「…フランシス………その、……今日は、……あ、ありがとう…」
あまりにも柄じゃない科白に語尾は消え入りそうなほど小さくなってしまったが、甘えを含んだ声音でなんとかそれだけ言うと、たったそれだけの言葉でもフランシスはアーサーの想いの幾ばくかを汲み取ってくれたらしい。
そっと腰に彼の両腕が回され緩く抱き締められ、はぁ、と長く息を吐くのが聞こえた。
「…お前がいきなりデレると、ほんとに心臓に悪いんだけど」
「なっ、なんだよっ、人がせっかく…!」
からかうようなフランシスの言葉にやっぱり似合わないことを言うんじゃなかった、と頭の中が羞恥でいっぱいになり彼の身体を押し返そうとすると、ますます強い力で抱き締められる。
そして今度は真剣な声音が耳元に響いた。
「………でもアーサーがそう言ってくれて嬉しい」
「そ、………そうかよ…」
自分の気持ちを伝えることはどうしようもなく恥ずかしいけれど、こんなふうに喜んでくれるならたまにはきちんと言った方がいいらしい。
考えるまでもなく当たり前のことだ。
お互い好きで付き合っているのだから、好きな相手に「好き」とか「愛してる」と言われて、嫌な気持ちになるわけがない。
アーサーもフランシスにそう言われると、照れや羞恥で面映ゆくて仕方がないが、その言葉を彼の口から聞くと嬉しいし胸の奥がじわりと温かくなる。
さすがにアーサーにとって「愛してる」はまだ敷居が高いが、これからはもう少しフランシスを好きだという気持ちを表に出してみることにした。
そのまましばらく廊下で抱き合って互いの体温を感じていると、リビングから大きなくしゃみが聞こえて、二人は慌てて身を離す。
まさか今のやりとりが聞こえていたのだろうかと、アーサーとフランシスは恐る恐るリビングを覗くと、アルフレッドが寒そうにソファの上で身体を丸めてもう一つくしゃみをした。
アルフレッドも菊もすっかり眠り込んでいて、先ほどの会話は彼らの耳には届いていないようだ。
「…俺たちも今日はリビングで寝よっか。いつもみたいに一緒にベッドで寝てたら、明日こいつらになに言われるかわかったもんじゃねえし」
彼の言うとおり、アルフレッドと菊にフランシスと一緒に寝ているところを見られたら、朝から大騒ぎになるに違いない。
隠しておいたはずのあやしいエログッズを見られてしまったことだし、アルフレッドたちが寝静まった後に何かあったのではないかと余計な勘ぐりをされるのもごめんだった。
誤解を生む行動は避けた方が無難だろうと考え、アーサーはフランシスの提案にすぐさま賛成し、早速毛布や枕などの寝具類を取りに寝室へ向かう。
クロゼットから普段使っていないアーサー用の毛布と、その他に余っていたシーツやら布団やらを何枚か引っ張り出してリビングに戻った。
アルフレッドと菊に毛布を掛けてやり、照明を落とすとシーツを毛布代わりにしてアーサーとフランシスもカーペットの上に横になる。
いつものように寄り添ってぴったりくっついて寝ることはせず、必要以上に近づかないよう、それでも手を伸ばせば触れ合う程度に距離を空けた。
「…おやすみ、アーサー」
「……あぁ」
囁くような小声で答え、アーサーは静かに目を閉じる。
ようやく普段と変わらぬ静寂を取り戻したリビングに安堵しつつ、壁時計の音を子守歌代わりに目を瞑っていたが、今日はいろいろなことがありすぎて気分が昂ぶっているせいかどうにも寝付けなかった。
何度も寝返りを打って眠気が訪れるのを待ったけれど、身体だけじゃなく精神的にも疲れているはずなのに少しも眠気が訪れる気配がない。
「…眠れない?」
どれくらいの時間眠れずにいたのか、ふいに聞こえた穏やかなフランシスの声にはっとして、アーサーは少しだけ身を起こして彼の方に身体を向けた。
するとフランシスの腕が伸ばされ、手探りでアーサーの手をそっと握る。
フランシスの手が触れた途端、心臓がどくん、と大きく震え、胸の鼓動がドキドキと速まる。
静かなリビングに響いてしまうのではないかと思うくらい心音はうるさく鳴って、彼に握られた手のひらはあっという間に汗ばんだ。
無意識に身を強張らせてしまい、その反応にフランシスは握ったアーサーの手をそっと撫でる。
「アーサー、そんなに緊張しなくていいぜ………お前が寝付くまで、こうして手を繋いでてやるよ」
ひんやりと冷たいフランシスの手の温度とは対照的に、アーサーの体温はますます上昇していきこれでは余計に眠れない。
アーサーは彼の方に身体を傾け握られた手を解こうともぞもぞと動かしたが、逆にぎゅう、とさらに強く握り返されて思わず声を上げてしまった。
「ふっ、フランシス…!」
「大きな声出すなって、二人が目を覚ましちまうぜ」
窘めるように言われて咄嗟に口を噤み、深呼吸を一つするとアーサーは声のボリュームを抑えてぼそぼそと答える。
「…、…落ち着かねえんだよ、………手を繋いだままだと…」
「そう? 俺はアーサーとこうしてるとすごく落ち着くけどなぁ」
フランシスは平然とそんなことを言うが、恋人として付き合い始めてからの彼の過剰なスキンシップにアーサーも最近ようやく少しずつ慣れてきたところで、それも二人きりのときだけの話だ。
いつ菊とアルフレッドが目を覚ますかわからないこの状況では、動揺して冷や汗ばかりが噴き出てしまい、いつものように彼にされるままに身を任せる気にはなれなかった。
それにフランシスも手を握る以上のことはなにも仕掛けてこなかったが、彼にしっかりと握られた手のひらはびっしょりと汗を掻いているし、手のひらばかりか背中までじわりと汗ばんできてアーサーはあまりの寝心地の悪さに大きな溜息を吐く。
それでもフランシスの手を振り払うことはせず、しばらくの間二人は手を繋いだまま横になっていた。
「………………」
呼吸音すら抑え、なんとか眠ろうと目を閉じる。
手のひらにフランシスの熱を感じながら、アーサーは静かな室内に響く時計の音を聞いていた。
やがてどくどくと激しく脈打っていた胸の鼓動が緩やかに規則正しいリズムを刻み始めた頃、フランシスに握られていたアーサーの手は唐突に彼の手のひらから解放された。
眠るまで手を繋いでいると言ったくせに先に寝てしまったのだろうか、と思ったが、急に彼が手を放したことに安堵する一方、小さな不安も芽生える。
手を握られている間は放して欲しいと思っていたのに、実際に手のひらから彼の体温を失うと酷く寂しいような気持ちになる。
いつもは一つのベッドで互いの体温や匂いが感じられるくらいぴったりとくっついて眠っているせいか、寝るときにはフランシスの体温が身近にあることがアーサーの中で当たり前になっていたらしい。
今日は彼と触れているのが繋いだ手だけだったから、そんなふうに寂しく思えたのかもしれない。
もちろん独り寝が出来ないわけではないが、傍に恋人がいるのなら寄り添って眠りたいと思うのは不自然なことではないはずだ。
けれどももう寝ているとはいえ同じ部屋にアルフレッドと菊がいるので、これ以上フランシスと触れ合うことが出来ないのは妙にもどかしく感じられる。
そもそも彼らを泊めることにしたのはアーサー自身なのだが、まさか条件反射のように眠るときにフランシスの体温を求めてしまうとは思わなかった。
彼と暮らし始めて誰かがこの家に訪ねてくることはほとんどなかったし、人を泊まらせたのも今日が初めてなのでここまでフランシスの熱が肌に馴染んでいたなんて、気が付かなかったのだ。
そうと自覚していたら、アーサーももっと早い時間にアルフレッドたちを帰らせていただろう。
そんなことを考えてしまうくらいにフランシスの存在が自分の中に深く根付いているのかと思うと、恥ずかしいような照れくさいようななんとも言えない気分になって、枕に顔を埋めた。
ともかくほんの少しでもいいからフランシスとの距離を詰めようと、アーサーは身を起こして彼の傍ににじり寄った。
僅かでも二人の間は縮まったが、フランシスはこちらに顔を向けていなかったので眠っているのかどうかわからない。
「……おい、フランシス……寝たのか?」
もし寝ていても起こしてしまわない程度の密やかな声音で呼びかけると、彼はまだ眠ってはいなかったらしく静かに寝返りを打ってアーサーに向き直り、普段よりもことさらゆっくりとした口調で答える。
「起きてる。…まだ眠れない?」
「べ、別に、……手離したからお前、寝たのかと思って…」
「うん……アーサーが寝るまで手、握っててやるって言ったのに………このままお前の手を握ってたら、なんかお兄さんの方が眠れなくなりそうだったから離しちゃった」
その言葉の裏にある意味を想像して、アーサーの頬は急激に熱を帯び一瞬で真っ赤に染まる。
室内の明かりは落とされていたが、互いの表情を窺える程度の暗さだ。
さすがに顔色までは見えないと思うが、それでも赤く染まった頬を隠すように慌てて ばかなこと言ってないでさっさと寝ろ、 とだけ返してアーサーはフランシスに背を向け頭から毛布を被る。
彼がその気になると時間も場所も構わないことは、今までの付き合いでよく知っている。
とは言っても、いくらなんでもアルフレッドたちのいるこの部屋でなにかしようとするほど、アーサーの気持ちを考えない男ではないので寝室に連れて行くくらいの配慮はするだろうが、今日に限っては配慮の有無は問題ではない。
もしアルフレッドか菊が目を覚ましたとき、アーサーとフランシスが二人揃って寝室に入って鍵を掛けていたら なにかしてます と言っているようなものだし、ベッドの軋む音や抑えられないであろう自分の声もきっと扉越しに聞こえてしまう。
ゴムやバイブやエロ本を見られたばかりか、フランシスと抱き合っているときの声や音まで弟や友人に聞かれたら、恥ずかしいどころの話ではないし、もはや死にたいレベルの醜態だ。
フランシスから明確に抱き合うことを望まれたわけでもないのに、絶対今日はしないからな、とアーサーは警戒心も露わに被った毛布を握り締める。
(なんで寝ないんだよ……早く寝ちまえ、バカ)
うるさいくらいに鳴っていた心音がやっと収まったと思ったのに、彼がまだ起きていると思うと変に構えてしまって一向に眠れない。
大きく深呼吸をして眠りの妨げになる雑念を意識から追い払うが、フランシスの寝息が聞こえるまでは気を抜けない。
神経を研ぎ澄まし全身で彼の気配を探っているうちに、時計の秒針は一体何週したのだろうか。
相変わらず室内にはアルフレッドと菊の小さな寝息だけが聞こえる。
次第にフランシスの気配を感じようと気を張っていたアーサーの緊張の糸も弛んでいった。
念のためフランシスが眠ったかを確認しようと振り返った途端、柔らかな微笑を浮かべている彼と目が合って、アーサーの胸の鼓動は三度爆発しそうになる。
そうやってアーサーがアクションを起こすのを待っていたかのように、身を起こし腕を伸ばしたフランシスに肩を掴まれて、びくん、と過剰なまでに身体が震えた。
「やっぱり眠れないんだろ?」
やけに甘く優しい声音で問うフランシスに、アーサーは全力で首を左右に振って否定するが、彼はお見通しだと言わんばかりに薄く笑みを浮かべている。
「そう? ……お兄さんは眠れないよ、アーサーを抱き締めてないと落ち着かない」
「………、……」
低く囁いてさらに距離を詰めたフランシスの科白に、彼も自分と似たようなことを考えていたのだと思うと身体の芯が熱く疼く。
ここにアルフレッドたちがいなければ、すぐにでも抱き締めてキスをして欲しいと思うほど、アーサーもフランシスに触れたくて仕方なかった。
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