ヤンデレのお兄さんに死ぬほど愛されて眠れないイギリスの話/02
それから数時間後のことだった。
ガチャガチャと不快な金属音が深夜の室内に響き渡り、あまりにうるさいその音で目が覚めたイギリスは眠い目を擦りながら身を起こして、手探りでベッドサイドの明かりをつけた。
扉に目線を向けるとドアノブが左右に小さく動いていて、突然聞こえた金属音はノブを回す音だったらしい。
妖精のいたずらにしては時間が遅すぎるし、不審に思いながらもイギリスは扉の向こうにいるであろう相手に声を掛けた。
「……誰だ?」
「……………俺」
少しの沈黙のあと、静まり返った室内に返った声はフランスのものだった。
なんでフランスがここにいるんだ、と眉をひそめたが、すぐに寝るばかりの頃になって急に訪ねてきたんだった、と思い出し、ベッドから下りてドアの前まで進むと扉は開けずに問う。
「こんな時間になんだよ? 明日も早いし、もう遅いんだからお前も部屋に戻って寝ろよ」
「…うん。でも俺はやっぱりイギリスと一緒に寝たい。…ドア、開けてくれねえの?」
だめだと言ったのに、独り寝は寂しかったのかこんな夜中に起き出してイギリスの部屋までやってきたらしい。
いつもならこんなふうに聞き分けのないことは言わないのに、やはり自分の奇跡の力の効果で少しおかしくなっているのだろう。
放っておくのは気が引けるが、明日は朝一で大事な会議が入っている。
今日ばかりはフランスの望む通りにしてやるわけにはいかなかった。
「……、今日は一人で寝ろって言っただろ。ガキじゃあるまいし…」
「イギリス」
素っ気なく答えるといっそうドアノブを回す音が大きくなって、そのうえか細い声音で名を呼ばれては無視も出来ない。
正直に言えば恋人であるフランスに会えて嬉しい気持ちもあるし、なにより奇跡の力の効果で少し様子のおかしい彼のことが気がかりだ。
それがなければフランスのことなど無視してさっさと眠りについている。
とはいえ今部屋に入れたらあとはなし崩しになるのはわかりきっているし、ベッドだって一台しかないのだ。
一つのベッドで一緒に眠ることになって、もしフランスから触れられたらイギリスはきっと拒否できない。
「とにかく今日はだめだからなっ、早く寝ろよバカ」
扉を開けないままそう言ってやると、イギリスの気持ちを察してくれたのかようやくドアノブを回す音は収まった。
フランスも部屋に戻ったのだろうとほっとしてドアに背を向けたとき、再び扉が軋むほど強くドンドンと叩かれその音に驚いて振り返る。
蹴破ろうとでもしているかのような衝撃にドアが揺れ、イギリスは慌てて扉の前まで戻った。
「おいっ、なにやってんだよ! そんなに叩くな、ドアが壊れる!」
「だってイギリスが開けてくれないなら、壊すしかないだろ。この扉さえなければお前の顔が見られるんだもん。ドアの前にいると危ないからちょっとどいてろよ」
フランスの声は普段どおりの口調だったがドアを叩く音はますます大きくなり、その言葉と行動のギャップに言いようのない恐怖心に似た感情を覚えた。
このまま放っておいたら本当にドアを壊されてしまう。
それくらい扉を叩く音は激しく、乱暴だった。
イギリスは彼がドアをノックする大きな音に負けないように声を張り上げた。
「わかった! 今開けてやるから叩くのはやめろ!」
その一言であれだけ激しく叩いていたノックの音がぴたりと止んだ。
フランスはドアの前で扉が開くのを待っているのだろう。
イギリスは大きく深呼吸をして鍵を開け、ゆっくりとドアを開くとフランスの姿が見えた直後に彼にきつく抱き締められた。
さっき玄関でフランスを出迎えたときもまったく同じ展開だったけれど、そんなことを思い返す余裕もないほどぎゅうぎゅうと思い切り抱きすくめられ、顔を上げた途端に口付けられる。
食むように唇を甘く吸い上げられて、強張った身体から力が抜けていった。
「んっ、…ん、……ぁ」
「せっかく会いに来たのに、……なんで一緒にいてくれねえの?」
唇が離れる頃にはすっかり湿った吐息を零していて、互いの顔がぼやけるくらいの至近距離で囁くように問われると、イギリスは目線を逸らして答える。
「…、なんでって……もう夜中じゃねえか…。それに明日は早いって何度言ったらわかるんだよ」
「ほんとに仕事?」
「あ?」
「仕事とか言って、誰か他の奴に会いに行くんじゃねえの」
「バッカじゃねえの、なに言ってんだお前? 他の奴って誰だよ」
「知らないけどさ」
フランスの言葉にイギリスは呆れた。
友達さえろくにいないと毎度からかっているのは自分のくせに、イギリスの浮気を疑っているらしい。
内心でてめえの方がよっぽど浮気性だろうが、と溜息を吐くが、自分と付き合い始めてからは彼が他の相手との付き合いをやめたのは知っている。
確かに嫉妬深いフランスを見てみたいと思ったけれど、浮気だなんてそんなことを疑われるのはいやだった。
「なに根拠もなしにわけわかんねえこと言ってんだ! いい加減にしろ、もう寝るぞ。…ってか、離せ!」
「イギリス」
「なんだよっ」
カサ、とかすかな音を立て目の前に突きつけられたのは、遠い昔にも見た覚えのあるカレンダー。
…もとい、婚姻届だった。
「…なんだこれ」
「結婚しよう」
フランスは真剣そのもので、青い双眸にはイギリスだけを映している。
その表情を見れば冗談で言っているのではないとすぐにわかったが、いやまさかそんな、とイギリスは顔を引き攣らせた。
「……はぁ? おま、何言って…」
「ちゃんと結婚して、イギリスを俺のにしたい。だから早くサインしろよ」
どこから取り出したのか、フランスの手にあったペンを無理矢理持たされた。
こんなことはずいぶん前にもあったな、と既視感を覚えるが、今は昔を振り返っている場合ではない。
思わず差し出されたペンをフランスに向かって投げつけた。
「ふざけんな、ばかぁっ! なんで俺たちが結婚しなきゃならないんだよっ、今はそんな必要ねえだろ!」
「あるよ。俺と結婚して、今よりもっと傍にいてよ。愛してるから結婚するのに、何がいけないっての?」
「……え、…」
愛してるというストレートな科白に、イギリスの胸はきゅう、と疼いた。
こんなふうに好意を言葉にしてはっきりと伝えられるのはなんとも照れくさくて恥ずかしいけれど、これだけ長い年月を生きていてもそういう甘やかな科白はフランス以外に言われたこともなかったし、なにより自分が一番好きな相手に言われるのは嬉しいし幸せなことだと思う。
けれども今日のフランスはイギリスの奇跡の力の影響で少しおかしくなっている。
今の彼に言われたことを素直に喜んでいる場合ではない。
最初はあまりフランスの言動に違和感を感じなかったので奇跡の力が効いていないのではないかと思ったが、この様子を見るに奇跡の効果は確実に出ている。
そうでなければこんな夜遅くにアポもなしに訪ねてはこないだろうし、その上国が維持できないほどの財政難でもなんでもない今の時代に、いくら恋人として付き合っているとはいえ、そのときの感情にまかせて結婚したいだなんて言うわけがないのだ。
それでもそんなふうに言われたことは素直に嬉しいと思うし、自分が国という存在でなければうっかりOKしてしまったかもしれないが、国であるイギリスの立場としては結婚となるとさすがに困ってしまう。
「け、結婚はまだ早いだろ! そりゃあ…、お前とは付き合いだけは長いけど、こ……恋人としてはまだ十年くらいだし…」
顔を背けてもごもご言っていると、フランスの手がそっと頬に添えられて目線を正面に向けさせられた。
真っ直ぐにこちらを見つめる彼の青い双眸はいつもよりもずっと仄暗く深い色をしていて、抗うことも目を逸らすことも出来ない。
そうして見つめられるだけでイギリスの心音はドキドキと高鳴り、抵抗するのも忘れてフランスの瞳を見返した。
「早くねえよ。俺はお前と恋人になるのも、何百年も待ってたんだもん。…もう待てない」
言いながら彼はイギリスの身体をベッドの上に押し倒し、上から覆い被さるように乗り上がった。
「ふ、フランス…!」
驚いて身を起こそうとしたが上から両肩を強く押さえつけられ思うように身動きが取れず、唯一自由に動く口を開いてなんとかフランスの行動を止めようとする。
「おいっ、いきなりなんなんだよ! 離せよ、痛えだろばか!」
「じゃあ俺と結婚するって言って」
まだそんな現実味のないことを言っている彼に少し呆れたが、今日のフランスは本来のフランスではない。
元はと言えばイギリス自身が、フランスを変えようと自ら望んで奇跡の力を使ったためにこうなったのだ。
とは言っても想像したのとはちょっと違うな、という多少期待はずれな思いもなきにしもあらずだが、結果はどうあれイギリスの奇跡の力が原因である以上、「自分の願望を込めたフランス」の言動を拒否するのはおかしな話である。
それにこんなふうに思い詰めたような暗い色の瞳で見つめられては、いつものように素っ気なく突き放すこともできない。
この場はなんとかごまかしてやり過ごすしかないようだ。
「結婚は…俺たちの意志だけでどうにか出来るもんじゃねえだろ。……そのうちな」
彼の柔らかな髪を撫でてなだめるように言ってやると、フランスはイギリスの肩を押さえていた手を外して うん、 と酷く残念そうに覇気のない声を漏らして頷くが、完全に諦めてはいないらしく上体を起こして床に落ちた婚姻届を拾い上げる。
そしてねだるような目線と、やけに甘えた声音で呟くように言った。
「じゃあ…、名前だけでも書いてよ。今はそれで我慢するから」
フランスの持ってきた婚姻届は人間が使うものだ。
当然国同士の正式な書面として扱われるわけもないし、受理してくれる窓口だってありはしない。
どうしようかと少し悩んだけれど、フランスがあまりにあきらめが悪いのと初めて向けられた彼の独占欲らしき感情に流されるように、 サインだけならしてやってもいいか、どうせこんな紙切れ一枚になんの効力もないんだし… と考えたイギリスは婚姻届を受け取ると、ほんの少し躊躇したのち結局自分の名前を書き込んだ。
もちろん何かに悪用されたら困るので、この婚姻届はあとでちゃんと回収するつもりでいる。
イギリスが名前を書いたあと、フランスも空いていた欄に自分の名前を書いて、彼はそれを眺めて嬉しそうに微笑う。
ようやく満足したらしいフランスの様子にほっとして、イギリスは彼の身体をそっと押し返した。
「おい、…サインもしたし、もういいだろ。寝るぞ」
「……何言ってんだよ」
「…あ?」
低く響いたフランスの声に、反射的に顔を向ける。
すると彼は二人の名前を書いたばかりの婚姻届をサイドテーブルに置くと、イギリスの身体をぐい、と強く抱き寄せた。
「わ、…な、なんだよっ」
「これにサインをしたってことは結婚したも同然なんだから、……結婚した二人がこうして一つのベッドに入ったら、することがあるだろ?」
フランスはそう言ってイギリスのパジャマのボタンを次々に外していき、あっというまに胸元がはだけられてしまう。
「ちょ、…おいっ」
素肌を滑るフランスの腕を慌てて掴んだが、彼の手はびくともしない。
それどころか乱暴に掴んだ手を払われ、そのわずかな痛みにイギリスは顔をしかめてとっさに声を上げた。
「フランスっ、やめろバカ!」
「なんでそんなに嫌がるんだよ。イギリスは、俺のこと……好きじゃないの?」
「…っ、…そ、そうじゃねえけど…!」
悲しそうに表情を歪め、瞳の奥を覗き込むようにして問うフランスに、イギリスの胸はぎゅうっと締め付けられるように苦しくなる。
好きじゃないわけがないのに、どうしてそういうことを言うのだろう。
いつもの彼なら抱き合うときにもちゃんとイギリスのことを気遣ってくれて、こんなふうに困らせるようなことはしない。
普段とまるで違うフランスの行動にどう反応していいものかわからなくて、イギリスは顔を上げて縋るような目線で彼を見上げるとゆっくりとフランスの顔が近づいてくる。
同時にぎゅ、と身体を抱き締められ、そのまま互いの唇が軽く触れ合った。
ほんの少し触れただけでフランスの唇は離れていったが、イギリスの身体を抱き締める腕の力は緩まなかった。
「…、……ふ、らんす…」
フランスがフランスじゃない。
そう思うと緊張で引き攣れた喉からは、情けないことに言葉さえ上手く出てこない。
何を考えているのかまるで感情の読めない彼を見て、イギリスはただ戸惑うばかりだった。
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