鉄塔の上に煌く雷門シンボル。
 四十年ぶりに明かりが灯され、稲妻町を照らしている。
 雷門中がフットボールフロンティアを制覇し、最強だと謳われてから数日。謎のチームが練習試合を申し込んできたのだ。
 名前は“ウラゼウス”。いかにも世宇子に絡んだ、不穏な空気を漂わせている。
 しかしそれでも負けるつもりは無かった。
 皆がいれば勝てると信じていた。そう、皆がいれば――――



その手を離さない
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 サッカー部の部室で、練習試合を担当する木野が神妙な面持ちで円堂を見据える。
「円堂くん。ウラゼウスとの試合は、いよいよ明日だけど……」
「木野。心配するなよ、大丈夫だって」
 円堂が笑う。彼の笑顔は人に勇気を与えてくれる輝きがあった。木野は小さく頷く。
「さ、皆。今日の部活はもう終わりにして、明日に備えて身体を休めてくれ」
「はーい」
 仲間たちは鞄を背負い、次々と部室を出て行く。残ったのは円堂、風丸、豪炎寺の三人となった。
「俺も帰るか」
「おお、明日は頼んだぜエース」
 軽く手を上げて応え、豪炎寺も帰っていく。二人きりになると、風丸の表情が変化した。先程の木野のような、不安を秘めた顔になる。


「円堂。どうも嫌な予感がする。練習試合なんだから、断ったって良いんだぞ」
「でもウラゼウスはウチに対して申し込んできたんだ。どっちにしたって戦う事になる」
「お前さ、どうしていつもそうな訳」
 風丸は息を吐き、頭を振るい、円堂に身体を寄せた。手に手を絡ませて、顔を肩口に埋める。
「お前が心配なんだよ」
 くぐもった声で囁いた。
 風丸はいつも円堂を気遣っていた。円堂を見守り、円堂を助け、危険を察知したなら冷たい言葉も吐いた。どれもこれも、円堂を思うが故の行動だ。さすがの円堂も風丸の思いは伝わっており、彼の腰へ手を回して抱き締め返した。
「俺には皆がいる。皆がいるから戦えるんだ」
「本当は怖いくせに」
 顔を上げた風丸が、円堂の唇の端を啄ばむように口付ける。
「怖いって認めろよ。一人寝が出来ないんだろ」
 額を合わせて、摺り寄せるように押し付けた。
 風丸は今日のこの後の事を話している。二人はこの後、円堂の家に行って風丸は泊まる予定なのだ。試合の前日に泊まっていけなんて言う。これが恐怖の表れ以外のなんだと言うのだ。弱さをチラつかせるのに、認めようとしてこない。
「風丸がいれば怖くないさ」
「俺がいないと怖いんだろ。この頑固者」
「爺ちゃん譲りだ」
 額の押し合いを繰り返す中、円堂がキリをつけるとばかりに風丸に口付けて塞いだ。
「んうっ………んんん」
 逃れようと頭を引くが、それでも離れない。横にそらすと隙間が出来て解放された。
「そこまで嫌がるか」
「こういうの、円堂の部屋じゃしないからな。家族の人いるんだろ」
「わかっているから今の内にしておくんだろ」
 円堂は絡められた手を解き、風丸の頬を包んで真正面からまた口付けた。
 風丸も目を閉じ、口付けに没頭しようとした時、何かが脳裏に過る。
「んっ」
 円堂を押し退け、目を丸くさせて驚く彼を他所に鞄を漁りだした。
「な、なんだよ……」
「あー……やっぱり……」
 鞄を閉じて、深い溜め息を吐く風丸。
「悪い円堂、先に帰っていてくれ。買い忘れたものあるから、それ買ってから俺行くよ」
 手早く荷物をまとめて部室を出て行ってしまった。
「……………………………」
 疾風の足で出て行かれ、取り残された円堂はぽかんと口を開けてしばらく立ち尽くしていた。


 一方、豪炎寺は校門の前で携帯を開いて眺めていた。表情はいつになく穏やかで、明日の試合への不安を感じさせない。
 携帯の画面は二階堂からのメールが開かれていた。ウラゼウスとの試合を行う事を伝えての、返信である。木戸川清修も謎のチーム偵察の為に監督と数名の選手で会場へ来るらしい。会える喜びと豪炎寺の励ましもあるが、最後の一行に“どうせ今日会うのにな”と書かれており、豪炎寺の頬が赤らんだ。
 この後、豪炎寺は電車で木戸川のある地へ行き、二階堂の家へ訪問する予定だった。もちろん泊まって、二階堂の家から会場へ向かうつもりだ。
 豪炎寺自身、全く不安に駆られていないといえば大嘘だ。守るべき大事な妹、夕香は目覚めたもののまだ病院にいる。今までは守るものを取り戻す希望を抱いて戦ってきたが、今回は守るものを二度と失わないように戦う気がした。試合に対する気持ちの置き方が違うのだ。
 雷門中の仲間を大事に思う時、心の平穏を保とうと豪炎寺がもたれようとしたのはかつて在籍していた木戸川清修の二階堂だった。二階堂は温かく迎えようとしてくれる。
 けれどもそれはそれとして、二人の間にあるのは監督と元教え子の一線を越えた愛情。安らぎの中にも甘い刺激を期待していた。
「二階堂監督……」
 自分以外誰もいない通路で一人呟く。携帯を閉じようとすると、後ろから凄い勢いで何かが駆け抜けて行った。目を凝らすと風丸のようだった。
「……………………………」
 呟きが聞かれていないのを密かに祈り、豪炎寺は目を瞬かせる。


 風丸の走りは徐々に弱まり、歩きに変わった。飛び出すように出て行ってしまったが、思い返せば“円堂と一緒に行く”という選択肢もあったのに気付く。
「ま、良いか」
 過ぎた事は仕方が無い。コンビニに入り、買い忘れていた“消しゴム”を取ってレジに置いた。
 ただの消しゴム、されど消しゴム。ここ数日、授業中に縮小し使用具合が限界を迎えた消しゴムに彼はずっと苛立ちを募らせていたのだ。校内でも買えたが、それすらも抜け落ちていた。何にしても、購入できて風丸は安堵で満たされた。
 店を出て、河川敷の道を歩いて円堂の家がある住宅街へ向かう。
 風丸の脳裏を支配するのは、やはり明日のウラゼウスとの練習試合。彼もまた豪炎寺と同じ、頂点を目指していた頃とは異なる心境を抱いていた。言わばこれは王者の防衛戦なのだ。追う側から追われる側となり、立場が逆転した。新たな雷門の戦いの幕開けだろうが、初めの相手がウラゼウスという謎のチームとは。未知の存在に足元を掬われそうになる感覚――――気色が悪い。
 チリン。背後からベルの音がして、振り返って横に退くと自転車が通っていった。
「……ん?」
 進行方向を向き直そうとする瞬間、後ろの方に黒い車が止まっているのが見える。もっと目を凝らすと、雷門の生徒が横にいるのがわかる。
「……豪炎寺……?」
 風丸は長い前髪を軽く避け、車の方へ駆け出した。
 走り出した衝動はわからない。漠然とした嫌な予感が脳に直撃したのだ。
 近付けば近付くほど、穏やかな雰囲気ではないのが伝わってくる。口論の声も聞こえ始める。
「だから右に行けば良いと言っている」
 苛立ちをこめて豪炎寺は放つ。車が横につけてきたと思えば道を聞かれ、答えたのにわからない、もっと詳しく説明してもわからないと返された。
「すみません。馬鹿なもので」
 車の中から太い男の声がする。詫びているが、どこかおどけていて腹が立つ。
「車に乗って、直接案内してくれませんか」
 ドアを開き、黒いスーツの腕を出して豪炎寺の腕を捉えた。
「おいっ」
 顔をしかめて睨む豪炎寺。車内から嫌な笑みを浮かべる口が覗く。
「豪炎寺っ、どうした」
 風丸が駆けつけ、男の腕を二人掛かりで引き剥がす。
「この人に道を聞かれてな」
 捉まれていた腕を擦るようにして衣服を正した。力が強く、皺になってしまった。
「道だったら交番に行ったらどうです。駅前にありますよ」
 出来るだけ冷静を装う風丸。
 しかし、車内の男は後部座席にいるらしい男と笑っており、話を全く聞いていない。
「行こう豪炎寺」
 肩を押し、放っておけと促す。
「待ってくださいよ」
 後ろのドアから大柄の男が出てくる。前からも出てきて二人は挟まれてしまった。
「なんなんですか貴方がたは」
 人の影が差し、威圧されながらも風丸は意見する。豪炎寺を庇うように彼の前に出た。
 明日の試合の為に、エースを守る行動が無意識に表れたのだ。
「うっ」
 低い呻き声が耳の横を掠める。風丸の背筋を冷気が突き抜けていく。
「はい、一丁上がり」
 男の一人が豪炎寺の首を掴み、その口に布を押し付けていた。豪炎寺はぐったりとしており、意識を失っている。危険だと本能が警告を告げるが、身体がついていかず硬直してしまっていた。
「君も行こうか」
 後ろから太い腕が首に巻きつけ、押し付けられる。気道がふさがれ、喉から笛の音のような音が鳴る。
「……っ……………っあ」
 もがこうとするが、圧迫されて頭がぐらぐらしだした。抵抗も空しく、白い布が視界いっぱいに広がり、口と鼻にあてられる。風丸の意識も遠くなっていった。






 風丸。
 風丸。
 呼びかけ続ける聞き慣れた声に、沈み込んでいた風丸の意識は浮上する。
 薄っすらと眼を開けると、隣には豪炎寺がいた。
「風丸っ……おい、目を覚ませ」
「ああ……豪炎寺……」
 お前が無事で良かった。そう続くはずだった言葉が詰まる。
 豪炎寺は椅子に座っており、後ろに手を回されて縄で縛り付けられていた。意識がはっきりとしてくると、自分も同じ状況なのだと風丸は知る。
「ここは」
 辺りを見回すと、薄暗い無骨な天井と壁が見えた。息を吸うと金属の冷え切った匂いとカビの湿気を感じる。古いアパートの一室のようだった。
「お、目覚めたようだな」
 声でわかったのか、車に乗っていた男の一人がドアから顔を出す。彼は後ろを向き、何かを言うと数人の男の声がして部屋に入ってくる。
「なあ、俺たちの顔覚えてる?」
「ああ?俺たちみたいなガキをこんな目に遭わせてどうするつもりだ」
「いや、そういうんじゃなくて」
 手をパタパタと振った。風丸と豪炎寺は顔を見合わせ、首を傾げる。
「俺たち昔、影山さんに仕えていたの」
「…………っ」
 影山の名に、二人は反射的に顔を上げて瞬時に察した。彼らは影山の部下で何かと妨害して来たスーツの男たちだ。口調の軽さから、下っ端だと予想がつく。
「その影山さんは豚箱の中なんだけどね。俺たちは残党みたいなもんさ」
「総帥無き今、俺たちが意志を継ぐ番」
「ウラゼウスとしてな」
 男たちは口々に言い、喉で笑う。ウラゼウスは直接影山が絡んでいなくとも、意志を継ぐ者が関係していたのだ。
「月並みだが、復活の華々しいお祝いとして、手始めに雷門を叩き潰す事にした」
「俺たちは影山さんに似て用意周到なもんで、豪炎寺くんを拘束させてもらったという訳」
 どこまでお前ら姑息なんだ。こういう大人になってはいけないという見本を、強制的に見せ付けられている気分さえ覚える。
「風丸くんもオマケでついてきたけどね」
「君たちは明日の夕方までお留守番。俺たちは君たちに相当恨み持っているから、賢い良い子なら大人しくしていてくれよ」
 男たちは部屋を出て行き、扉が閉められた。
 しんと静まり返り、部屋の外にいる男たちの下品な笑いがよく聞こえる。
「風丸……すまない……」
 豪炎寺は呟くように詫びる。俯く横顔は歯がゆそうに歪められていた。
 また自分のサッカーの為に誰かが傷付く。夕香が目覚めた矢先にこれでは、相当堪えるだろう。
「謝るな。自分のせいみたいに言うなよ」
 ありきたりな言葉しか返せなかった。拘束されていないなら、真っ直ぐに眼を見て言えたなら、少しは変わるだろうに。
 二人が座る椅子の間を、冷たい風が通ったような気がした。










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