その手を離さない
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風丸と豪炎寺が拘束されている部屋の外はリビングになっている。だが、その部屋を隔てる一つの壁は崩れており、隣の部屋が見えていた。ここは取り壊しが決定したものの本格的な工事の始まっていない廃ビルであった。
影山の元部下である黒スーツの男たちはテーブルを取り囲んで手に缶ビールを持って、高く掲げる。
「えー、ではウラゼウス本格始動の前祝いとしまして……」
「かんぱーい!」
ガシャン。缶を合わせて乾杯をした。
開けてラッパ飲みをして、すぐに二杯目を求める者もいる。
真っ暗な夜の闇を裸電球が照らす。一時間ほど経てば辺りには空の缶が転がり、既に出来上がった者も出てくる。
「あー……暇だな……」
顔を真っ赤にした男の一人がしゃがみこんでテーブルに突っ伏す。
彼の呟きに、男たちの誰もが内心同意した。
試合をするのはウラゼウスのチームの少年たちであり作戦も彼らに任せているので、大人たちは特に用事は無いのだ。
「ガキどもと遊んでくっか……」
別の一人がふらふらと部屋に向かう。
「悪戯すんなよー」
後ろから掛け声がして、下卑た笑いが飛び交った。
鈍い音を立ててドアが開き、男が入ってくる。
酒が入っているのは一目瞭然であり、風丸と豪炎寺が顔をしかめた。
「そんな顔するなよ。おじさんと遊ぼうよ、なあ」
おぼつかない足で近付き、二人の前でもつれさせて体勢を崩し、風丸の太股の上に突っ伏す。
「ひ」
風丸が小さな悲鳴を上げ、尻から頭の天辺へ怖気が走る。豪炎寺も彼を見て顔を引き攣らせた。
「あー悪ぃ悪ぃ、ごめんなぁ」
男は詫びて、風丸の太股をぱしぱしと叩く。
「えーっと、君は」
顔を上げ、目を細めた。
「風丸くんか。顔が髪で半分隠れているよ。見せてよ」
手を伸ばして長い前髪に触れようとする。つい風丸は頭を引いて避けてしまった。
「つれないなあ」
風丸から離れ、床に座って足を伸ばす男。
「おじさんとお話をしよう。君たちも暇でしょう」
「……………………………」
返事は出来ず、硬い表情で風丸と豪炎寺は男を見据えた。
「ねえ風丸くん。得意科目はなんだい」
「体育……です……」
答えやすい質問だった。風丸は正直に答える。
「じゃあ次、豪炎寺くん。ラーメン屋で何頼む?」
「ラーメンです……」
「そんなもんだよね。そういえば、鬼道くんの妹の春奈ちゃん。あの娘可愛いよね。スリーサイズ知ってる?」
「……………………………」
「下着とか見た事ある?」
「……………………………」
知る訳ない。質問三問目にしてセクシャルハラスメントと化していった。
「君たち、まだ童貞?」
「……………………………」
「そういうの嫌?真面目なんだね。じゃあさ、好きな娘とかいる?俺に教えてよ」
「……………………………」
「辛気臭いね。質問を変えよう。キャプテンの円堂くんの事、どう思ってる」
「良い……友達……です」
ぼそぼそと風丸が答える。
「じゃあさ、壁山くんの事は?」
「可愛い後輩だ」
今度は豪炎寺が答えた。
他のチーム員の名前を並べた後、男は別の話題に切り替える。
「風丸くんの髪って綺麗だね」
「……はあ」
「やっぱりお手入れは念入りなの」
「はい」
「そうなんだ。俺は髪の後退が気になってさ」
自虐に男は一人で声を出して笑う。
そんな男の背後から、もう一人の男が入ってきた。
「おい随分と楽しそうだな。俺もコイツらにかまってもらうとするかな」
ずかずかと歩み寄り、風丸の顎を捉えて持ち上げる。
「なんだ……お前らもつまんなそうな顔してんな」
じっと風丸の顔を凝視した男は、何かを閃いたように“おっ”と声を漏らす。
「ポニテのボク、お酌してくれよ。あいつなんかより、俺たちの方が楽しいって」
「酷いなぁ。風丸くん、そんなにつまんなかった?」
「つまんないだとよ。さ、行くか」
男は背を屈め、椅子に巻きつけられている縄と、足首を解放させた。肩を捉まれて引き上げられ、立ち上がるも手首は後ろに回されて縛り付けられたままである。
「風丸!おいやめろ!」
豪炎寺が声を荒げて制止した。
「豪炎寺!」
連れ出されようとした風丸が足を止めて叫ぶ。だが引っ張られて、足が絡みそうになりながら連れて行かれる。
「しばしのお別れだ。おい、こっちのボウヤが一人ぼっちだから遊んでやれよ」
扉が閉まった直後、口笛と歓声が向こう側で聴こえた。
「風丸っ!風丸!」
豪炎寺は上半身を乗り出し、椅子が傾いて床に倒れる。
「……くうっ……」
床に身体が擦れて、悲痛な呻きを漏らす。
「大丈夫?」
座っていた男が立ち上がり、豪炎寺を見下ろした。
「デカい物音が聞こえたが……ああ……」
風丸を連れ出した男とは別の男が入って来て、事情を察する。
「てめえら風丸に何かしてみろ!絶対に許さないからな!!」
怒りを露にして鬼気迫る表情で睨みつけた。
「あーあ、キレちゃったよ。でもさ、俺言ったと思うよ。良い子は大人しくしてくれって」
男が近付いてくる。床から足音が振動した。
「躾けてやらないと駄目みたいだな」
椅子に足を置き、縄を解きだす。
「ほら、立って」
立ち上がらせ、後ろの手首を強く捉まれて背を押される。
「お前も来いよ」
「ああ、うん」
自分を指差し、もう一人の男もついていく。手首を捉える役目は彼に交代した。
部屋を出ると風丸がテーブルの側で数人の男に囲まれて酌をされているのが見える。手首は前で結び直されているようだが、合わされた手首では自由に動かせず不器用さが哀れだ。髪を掴まれ顔を近付けられて、不快に顔を歪めながらも大人しく注いでいる。
「お、そっちもそっちでお楽しみかよ」
一人が移動しようとしている男たちと豪炎寺に気付く。
風丸の目が見開かれ、豪炎寺へ顔を向ける。
「豪炎寺!」
立ち上がろうとするが、男たちの手が風丸を押さえつけた。腕を掴んでいた手が脇に入り込んでいやらしく撫で回し、不意打ちに膝が折れる。
「豪炎寺!」
呼びかけも空しく、豪炎寺は別のドアの先へ行ってしまった。
「豪炎寺……」
揺れるドアを眺める風丸のポニーテールを男が掴んで引き寄せる。
「痛っ」
「ごめんごめん。風丸くんが俺たちそっちのけだからさ。豪炎寺くんたちに負けないくらい、俺たちもイイコトしようよ」
強引に顔を向けさせられると、隣の男が左頬に唇を押し付けてきた。
「あーっ!お前何やってんだよ!」
「へへ、いただき」
沸き起こるブーイング。風丸の左頬は唾液がべっとりとついた。放心したように風丸の表情は張り付いたように動かない。
「じゃあ俺はこっちをいただきだ」
顔を持っていかれ、今度は右頬に口付けられる。
「畜生!俺はここだ!」
額に唇がくっつけられる。あまりの出来事に、風丸の頭はぐらぐらと揺れて思考を拒絶していた。
「お前ら待てよ。風丸くんが困っちゃってるじゃないか。皆で仲良く可愛がらなきゃだろ」
男の一声に、風丸にくっついていた男たちは離れる。
状況は変わらないが、少しだけ荷が下りたような気持ちだ。やや緩んだ心は豪炎寺の無事を案じるばかりであった。
一方、豪炎寺は男二人と温かい部屋を出て、冷たい通路を歩いていた。
「ここで良いだろう」
男が立ち止まり、ある一室のドアノブを回す。
中は先程いた部屋と特に変わらない造りであった。人気は無く、冷たい空気は変わらない。
「さ、こっち」
リビングを通り、小部屋に向かう。中にはベッドと棚が一つずつ。ベッドといっても布団も何も無いので、ただのマット同然だ。
何の変哲も無い部屋だが、入り口の前で豪炎寺は硬直する。これから何をされるのか、不埒な性行為しか想像できず青冷めた。
「後がつかえているよ」
手首を捉えている男が背を押して進ませる。
先導していた男が顎で指示し、後ろの男が豪炎寺の身体を押し出した。
「あっ」
数歩よろけて、倒れ込む。上半身がベッドに乗りかかり、膝が床を引き摺るようについた。
身体が動かなかった。起き上がれない。振り向けもしない。これからを考えるのに、たまらなく恐怖を覚えるのだ。一秒先の未来さえ、見たくは無かった。
「そんなに怖がらなくても良いよ」
後ろから男の声が放たれる。
気配が近付き、腰を掴まれて身体をベッドに転がされた。
「縛り直そうか」
縄を解かれ、ベッドの柱に万歳をする体勢で括りつけられる。豪炎寺は暴れなかった。抵抗した所で男二人相手では分が悪すぎる。戦意を喪失していた。
「さっきと比べて随分大人しいね。そうしてくれると俺たちも優しく出来るってもんさ」
ギッ。ベッドを軋ませて座ってくる。
「いちおう、足も縛っておいて」
「紐は……」
「棚にあるよ。ここは元から倉庫用だし、それなりの道具も近くにすぐある」
言われたままに男が棚を開け“あった”と声を上げた。
視線を動かせば、足が縛られる姿が見える。
その瞳の動きを、ベッドに座る男は口だけを綻ばせて眺めていた。
今は誰もいない風丸と豪炎寺が拘束されていた部屋。隅に置かれた二人の荷物から着信音が交互に流れていた。二人の両親は、今日は外泊だと聞いていたので連絡はしてこない。しきりに呼びかけるのは、泊まり先の円堂と二階堂だった。
「ふう……」
円堂は自室で携帯を下ろす。
何度かメールを出しているのに、ちっとも返ってこないのだ。
買い忘れた物があると部室を出て行ったきり。他に何か忘れ物があったのかと思って待っているのだが、風丸は一向にやって来ない。律儀な性格の彼なら一報くらい送ってきても良いはずなのに、何の連絡も来ない。
「風丸」
ベッドに座り後ろに傾いて転がる。
寝返りを打ち、携帯を顔の前に持ってきて返事を待った。
その頃、二階堂もまた豪炎寺の連絡を待っていた。電車の遅延もないらしいし、いくらなんでも遅すぎる。
「どうしたんだろう」
二階堂の住まいはマンションの一室。寝室からカーテンを開き、町の景色を見下ろした。
窓に寄りかかり、携帯を開く。データフォルダを選択し、撮った写真をなんとなく眺めだす。木戸川にいた頃の豪炎寺を見つけて、思わず笑みが零れた。遠征試合の昼食中に、弁当を食べていた豪炎寺を上から撮ったのだ。口の中に食べ物が入った頬を少し膨らませて、箸を銜えている。
豪炎寺が何度も消してくださいと言うものだから、詫びながら消したと告げた。けれども、本当は振りであり、こうして今も携帯の中に保存されている。豪炎寺が来たら、見せてやろうと思いつく。
「早く来い」
呟き、横を向いて景色をまた眺めた。
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