夏祭り
- 二階堂side後編 -
円堂と豪炎寺とはぐれた風丸と二階堂は雑談を交わしながら、神社を目指す。
「木戸川の方にはこういった縁日みたいなものはあるんですか」
「あるよ。豪炎寺も妹さんを連れて、よく行ったらしい。私は主に見回りだけれど」
「ははっ」
風丸が白い歯を出して健康的な笑みを見せる。
彼女に豪炎寺の話をした後で、豪炎寺が本当に祭へ連れて行きたかったのは妹なのだと悟った。
次に思う浮かぶのは、豪炎寺が妹の夕香に土産を持って行きたいと話していた事――――。
「そうだ。豪炎寺が妹さんにお土産になるものが欲しいって言っていたんだ。もう円堂くんに話はしていそうだが、風丸さんは何か知らないか」
地元の学生、しかも女の子なら良い物を探し出してくれるような気がした。
「うーん……食べ物や生き物はなんですし、病室に置けるものなんてどうでしょうか」
「なるほど……いい考えだ」
出店を見回す二階堂に、風丸も一緒に探し出す。
「風丸さん、協力してくれて有難う」
「いえ……私も豪炎寺にはお祭を楽しんでもらいたいので。二階堂監督は豪炎寺の事を思いやっているんですね」
「いや……私は、あの娘が困っている時、何もしてやれなかったからさ」
適当に相槌を打てば良いのに、否定した。
出来る限り、豪炎寺の望むままに応えてやりたかった。豪炎寺との関係を変えたのも、後悔の念の行き着く先だったのかもしれない――――そうは思いたくないが、全くないとは断言できないのだ。
「二階堂監督」
名を呼ぶ風丸だが、躊躇う素振りをみせてから紡ぐ。
「今の話、豪炎寺にはしたんですか」
「いいや」
「なら……良いです。しないでください。豪炎寺が悲しみます」
「そうだな……肝に銘じておくよ」
「……はい」
風丸は満足そうに頷いた。
雷門の部員に会う度につくづく二階堂は思う。豪炎寺がここに転校してきて本当に良かったと。
しかし、どこかで彼女の傷を彼らに押し付けてしまった気もする。本来ならば、豪炎寺と木戸川が負った傷と溝は、互いに癒し合わねばならなかったのに。
やはり、どうしても後悔は付き纏う。後ろ向きではなく、前へ向かねばならないのに。
二階堂が風丸にぎこちない笑みを返そうとすれば、店の方から自分へ声がかけられた。
「あー、そこのお父さん、お父さん」
お父さん?
「貴方だよ、貴方」
「え、私ですか?」
恐る恐る自分を指差す二階堂。衝撃よりも早く違うという主張に回ろうとする。
「いえ私は」
「娘さんと二人でお参りかい?良いねえ。青い髪が良く似ているね」
二階堂の言葉を遮る店主。
――――青い髪?
二階堂は風丸の髪を見た。確かに自分と風丸の髪は青い。だが濃淡が全く違う。彼女に悪い気がして、そっと視線で“すまない”と詫びた。
「どうだい、お父さん。娘さんに一つ」
手の動きで品物を紹介した。色とりどりの花飾りが並べられている。店主はまた別の客を呼び寄せだした。去ろうとした二階堂に風丸が横に並んで花飾りを手に取る。
「二階堂監督、これ豪炎寺の妹さんに……」
いいアイディアだ。直感的にそう思う。
「丁度良いかもしれないな。だが生憎、私はセンスが無いんだ。風丸さん、良いのを選んでくれないか」
「ええ、私もセンス無いですよ」
手をパタパタと風丸は振った。
「お互い様って事で、二人で選びましょうよ」
「わかった」
こうして二人は豪炎寺の妹・夕香に似合う花飾りを選び始める。
とはいっても二階堂は内心、風丸に頼っていた。なにせ本当に女性ものを選ぶセンスには自信がないのだから。適当なものを手に取れば、無意識に溜め息が出た。
不意に風丸が“あの”と、声をかける。
「あの……豪炎寺にもどうでしょうかね」
すぐさま脳裏に花飾りをつけた豪炎寺が過る。どこか涼しげな彼女に柔らかく、艶やかさが加わり、さぞ魅力的だろう。しかしやはり、ここへ来る前に電車の中でも思った先入観が強い。豪炎寺は花飾りなどきっと好まない。
「髪の毛を立てたら、付ける場所がなさそうだぞ。それより風丸さんも自分の分を買ったらどうだ」
気持ちをはぐらかすように、風丸に勧めてしまう。しかも年齢の合わない自分にこうして付き合ってくれた申し訳なさもあり、彼女にも何かをしてやりたい思いもあるのだ。
「アクセントにどうかなと思って。試合の時は結んでいたよな」
風丸はフットボールフロンティアで見たポニーテールが印象的であった。
「に、似合いませんよ」
否定する風丸。綺麗な長い髪をしているのに、豪炎寺みたいな事を言うと意外に感じる。
「似合うさ、ほら」
二階堂が適当に取った黄色い飾りを丸の頭に置いてみせる。黄色は青い髪に浮かび上がるような色合いをかもし出す。風丸が鏡で自分の姿を覗いた、その時だ。
「風丸〜っ」
円堂が来て、後ろを豪炎寺が付いてくる。待ってましたと二階堂は振り返った。
「おお、二人とも来たか」
「二階堂監督、何をしているんですか」
豪炎寺の問いも待ってましたと言わんばかりだ。
「ああ。豪炎寺が妹さんのお土産を探していただろう?ここを知る風丸さんにアドバイスを貰って、良さそうな店を見つけたんだよ。それで風丸さんにもどうかと思って」
二階堂が笑いかければ二人はこくこくと頷いた。だが円堂が風丸の方へ行ってしまうと、途端に豪炎寺は俯く。
「豪炎寺、どうした?」
二階堂はきょとんとして、豪炎寺に近付く。
「ごめんなさい」
いきなり詫びられて面を食らいそうになる。
「なにが?」
「勘違いしていました」
「え?だから、どうした?」
「なんでもないです……」
本当に何がなんだかわからない。思春期とは複雑であった。
気分の落ち込んでいる豪炎寺を元気付けようと二階堂は話を振る。
「そうだ豪炎寺、妹さんに花飾りはどうだ?円堂くんと風丸さんも選んでいるみたいだし、一緒に」
「そうですね……。私も探していて、あっちの方で可愛い花瓶を見つけて」
「花瓶か、良いな。先生も見てみたい」
俯いていた豪炎じが顔を少し上げ、見詰めてくる。こんな時、笑みで返すと彼女はぎこちなくも愛らしい笑みで返してくれる。今回もそうなるように微笑んで見せた。
「行くか、豪炎寺」
「はい」
こくん、と豪炎寺は頷き、ぎこちない笑みを浮かべる。円堂と風丸の元へ行き、声をかけて二人と別れた。
「さて、その店はどこにあるんだ?」
「こっちです」
豪炎寺は明るく、二階堂の手を積極的に引く。気持ちは浮上したようだ。
花瓶が並べられている店へ着くなり、気に入っているらしいものを迷わず手に取って二階堂に見せる。
ここまで彼女が決めているのなら。二階堂は豪炎寺を見据えて言う。
「良いんじゃないか。きっと妹さんも喜ぶさ」
「じゃ、じゃあ、これにします」
豪炎寺の声はややどもる。もう少し意見を言えば良かったのかと二階堂は思うが過ぎた事。花瓶を持ってやろうと手を差し伸べるが断られた。
それから神社へ着いてお参りをし、二人は薄暗い夜道を並んで進む。
「豪炎寺。賑やかで楽しかったし、良い買い物できて良かったな」
「はい」
豪炎寺が頷いて頭を上げたタイミングを見計らい、二階堂はあらかじめ用意していたものを頭にのせてやる。それは先程、風丸と一緒に見ていた花飾りだ。
「二階堂監督、これ……」
手に取って振り向く豪炎寺。照れ臭く、つい視線をそらす。
「いや……お前の普段の髪型には不似合いだし、サッカーには邪魔かもしれないが……。妹さんばかりじゃなく、お前にも思い出を作ってやりたくて、その、俺から……」
何度も頭で言葉を考えていたのに、いざとなると上手くいかない。
豪炎寺が円堂たちに別れの挨拶をしている際に内緒で購入し、色はあまり目立たない白にした。
駄目だったか?横目で見る二階堂は豪炎寺と目が合う。
「有難うございますっ。大事にします」
頬を高揚させて豪炎寺が放った。
「安物だぞ」
一言、付け足すが豪炎寺は聞こえていないように嬉しそうに微笑み、髪に付けていた。
こんなに喜ばれるとは思ってもみなかった。嬉しいのか、彼女の微笑みに酔っているのか、胸がどきどきと高鳴る。豪炎寺の不意に見せる愛らしさは、いつも心乱される。
「二階堂監督、どうですか」
花飾りを付けた位置について問う豪炎寺。
「ああ、俺が言うのもなんだが……よく、似合う……」
「はい」
豪炎寺の上げられた指が虫に刺されていた首元に回る。
「こーら。掻くなよ」
言われて手を戻す。
「痒いか」
「いいえ、無意識だったもので」
「俺が掻こうか」
「駄目ですっ」
手を伸ばす二階堂から逃れるように豪炎寺は歩調を速めた。
「痛くしないって」
「駄目ですっ」
「ほら走るな。花瓶落としたらどうする」
「監督がいけないんです」
足を止め、二階堂へ向き直り、花瓶を大事そうに持ち直して口を尖らせる。
二階堂は“はいはい”と苦笑いで彼女に追いつく。
やがて駅へ続く道と豪炎寺の家への分かれ道に来ると、豪炎寺が立ち止まった。
「二階堂監督……私の家、こっちなんです」
「そうか。送っていくよ。夜道は危ないし」
二階堂は進行方向を変え、豪炎寺と共に彼女の家を目指す。
豪炎寺はそっと伺うように二階堂の顔を見上げ、密かにはにかむ。彼女は上機嫌だった。なにせプレゼントまで貰い、送ってくれまでして、尚且つ二人一緒の時間が延びた。喜ばないはずがない。
浮かれているせいか、強がりを言い出した。
「監督は心配しすぎです。夜道なんて、何かあってもファイアトルネードで一撃ですから」
普段落ち着いているものの、機嫌が良くなればずぐに子供っぽさを見せる。彼女の一つ一つの行動が面白く、目が離せない。勇ましいのに可愛い。だからついついからかってみたくなる。
「あのなあ……能力は過信するな。お前は女の子なんだから」
不意に二階堂は豪炎寺の肩に手を回して放った。
「たとえば、俺とかに襲われたら一溜まりも無いだろ」
びくん、と肩が大きく上下する。吃驚してる吃驚してると予想通りの反応にニヤつきそうになるが、教え子になんて事を言ったのだろうと自分の立場を振り返った。
「すまん、不謹慎だったな」
「いえ」
豪炎寺は短く答えるだけであった。
怖がらせてしまっただろうか。
もう一度詫びて背を撫でて、手を離した。
しばらく歩いた先に見えてきたマンション。豪炎寺は軽く頭を下げた。
「ここの七階が、私の家です」
「そうか、ここに住んでいるのか」
二階堂はマンションを見上げる。どっしりと佇むそれに、喉で笑う。
「いや……な。豪炎寺はすっかり稲妻町の人間なんだなってさ」
ここは豪炎寺の町なのだ。二人はすっかり別の人間だ。
再会し、想いを通じ合わせた喜びの後で、二人が共にあった頃には戻りはしない残酷な現実を突き付けられる。
寂しいが、受け入れなくてはいけない。ささやかな幸せを噛み締めたくなる。
「二階堂監督、今日は有難うございました。楽しかったです」
「俺も楽しかったよ」
豪炎寺は改めて礼をし、二階堂を見送った。
じゃあ、と別れようとした二階堂だが、彼女は浴衣の裾を引っ張ってきた。
「二階堂監督…………せっかく来てくださったんですから、家に来てくださいませんか。少しで……良いので……」
くい、くいと小さく何度も引っ張ってくる。発する声色も、随分と甘く聞こえてきた。
「豪炎寺、それは」
「今日、父は仕事でいないので、私一人なんです」
潜めて言うのに、その内から邪気のない喜びが伝わってくる。
たぶん、二階堂に安心を伝えたいに違いない。
「尚更、駄目じゃないか」
しきりに引っ張る彼女の手を包むように握り、離させる。
豪炎寺の顔が急に不安に染められた。
「子供が貴方を招待するのはいけないのですか」
「違うよ」
「用事、あるんですか?」
「違うって」
豪炎寺は本当に分かっていない様子。
単に、こんな夜遅くに少女が男を招くだなんて言語道断なのだ。相手が愛おしい彼女ならば、さすがの二階堂も理性を保つのが辛すぎる。
「…………二階堂監督」
豪炎寺はじっと二階堂を見詰め、甘えを引き摺っている。そして吐息のような呟きで、声を掠れさせて呼んでくる。
そんな声で呼ぶなよ。言っても聞かない娘には――――。
もはや勢いであった。二階堂はなだめるように豪炎寺の両肩に手を置いた。背を屈め、目線を合わせて囁く。
「もう少し自覚なさい」
顔をそっと近付け、唇と唇を軽く合わせて離す。
薄闇の中でも豪炎寺の顔が染まっていくのがわかる。
「夜更かしするなよ、なんてな」
二階堂は手をひらひらと振って去っていく。
やりすぎてしまっただろうか。
まるで逃げるかのような別れ方だった。
なんにせよ。二階堂は長くあの場所にはいられなかった。
彼も年甲斐もなく、顔が熱くてたまらなかったのだから。
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