二階堂監督……お暇でしたら……一緒に、見に……行きませんか…………。
か、かか、監督と、行きたい!…………です。
携帯を閉じても、二階堂の頭の中で豪炎寺の声が響いている。
思えば、二人の関係が変わってから初めての外出。デートと呼べるようなものだろう。
そわそわした思いが込み上げてくる。子供じゃあるまいし。初恋でもないのに。
身体と気持ちが噛み合わない。
夏祭り
- 二階堂side前編 -
祭の当日。浴衣を纏った二階堂は稲妻町を目指して電車に乗る。
稲妻町が近付くにつれ、同じ場所へ行くであろう浴衣を着た人々が乗ってきた。
恐らく恋人と思われる男女二人組に、豪炎寺も浴衣を着てくるのだろうかと疑問が浮かんだ。
まさか。すぐに否定した。
豪炎寺は女の子だが髪を逆立て、制服のスカートの下にスパッツやハーフパンツを履くような娘。スカートが嫌いだと言っていた。たぶん浴衣も好きじゃないだろう。
彼女の意思とは関係なく、着れば可愛らしいと思うのに。もしそんな事を口にすれば、ファイアトルネードを喰らってしまうかもしれない。
かすかに苦笑し、二階堂は窓の外の景色を眺めた。
稲妻町に着き、駅前で待っていると裾を引っ張られる。その瞬間が嬉しくなる。
振り返れば、やはり豪炎寺がいた。
しかし二階堂は驚いた。なにせ、豪炎寺が浴衣を着ていたのだから。しかも稲妻の柄が可愛らしい、この地域に合うデザイン。髪も下ろしているし、顎の線が違うように見えた。次に鼻の線から目元へ視線が移っていく。
――――少女の中に女性の色気が見えた。
いけないものに気付いてしまったような罪悪感を覚える。もしも二人がもっと年が近ければ、胸を高鳴らせてときめかせたかもしれないのに。
二階堂の複雑な心中は露知らず。豪炎寺は上目遣いではにかみながら言う。
「二階堂監督、浴衣とてもお似合いです」
これがまた、可愛いやら綺麗やらで困った。
「有難う。久しぶりにおろしたんだ。豪炎寺のは稲妻柄なのか、よく似合っている。綺麗だよ」
「は?」
目を丸くして、豪炎寺は聞き返す。頬もカッと赤くさせた。
それでつい口を滑らせたと悟り、言い直す二階堂。
「いや、可愛いよ。可愛い」
二階堂も顔が熱くなる。二人で顔を赤くさせていた。
「では行きましょうか」
「ああ」
赤面を誤魔化すように、歩き出す。
歩く最中も、どうも豪炎寺と顔を合わせ辛い。彼女も同じ心境らしく、ずっと俯いていた。
様子を伺っていれば首の後ろのうなじを凝視しているような気分がして、浴衣で足が開き辛そうな彼女を抜かしそうになってしまう。
「豪炎寺」
呼べば律儀に歩調を速めた豪炎寺が躓き、咄嗟に受け止めた。
肩を抱くように押さえた手は、それだけで彼女を包み込めてしまう。その小さな身体はまだ未成熟な少女だと触れて実感した。
「大丈夫か。歩き慣れないか。気付かなくて悪かった。少し遅く歩くよ」
「い、いえ……」
首を振るう豪炎寺。チラリと二階堂を見上げて、また視線をそらす。
一瞬でも合わせてきた瞳は、感情が昂ったせいか薄く染めて潤んでいた。
仕種から、目線から、豪炎寺は二階堂を監督ではなく男として見ているのがわかる。無意識に男を誘い込む表情をして、しかも欲しいものは何が何でも欲しがる無邪気な子供のストレートな欲求を示してくる。
豪炎寺との付き合いは、関係が変わってから理性との戦いの連続だった。好きだからこうして一緒に祭へ行くなどしているが。
しかも、着物なんて身体を覆う事により、脱がす美しさを醸し出す衣類だ。
まさに生殺し。難儀な事この上ない。
すぐにでも狼になりたいなんて、幼い彼女に言えるはずも無い。
ゆっくり歩きながら、二人は神社前にたどり着く。出店が並び、多くの人々が行き交っていた。
「凄いな、稲妻町は。木戸川とは大違いだ」
はぐれないようにしないと――――。
手を握ろうとした二階堂であるが、豪炎寺に勘違いされないように確認を取る。
「あのな、別に子ども扱いしているんじゃないぞ」
「わかっています……」
そうは言う豪炎寺だが子ども扱いだと思うとすぐに拗ねてくる。沈黙して不機嫌な雰囲気を漂わせてくるのだ。
木戸川の頃はそんな真似はしなかったというのに。雷門に来て彼女は変わったと二階堂は思う。
少し喋るようになり、雷門での生活も進んで話してくる。友達がいて、とても楽しいらしい。
一番の友達はキャプテンの円堂くん。面白い性格で、サッカーが大好きだという。あんなにサッカーについて話し合ったのは初めてだったと。
そんな彼女に二階堂は言った。
雷門も木戸川も、どの学校も皆サッカーが好きだ。豪炎寺が自ら語りかければきっと皆応えてくれる。
豪炎寺は頑張ってみます、と呟いていた。
握られた手を揺らし、二階堂は豪炎寺を見やる。彼女はずっと無言で歩いていた。
せっかく祭に来て、子供なら欲しい物を強請っても良いはずなのに――――豪炎寺らしさについ笑いが込み上げる。
「豪炎寺、何か食べるか?」
言われて豪炎寺は辺りを見回す。そうして綿菓子を指差した。
「あれが食べたいです」
「よし、わかった」
手を繋いだまま綿菓子を二つ購入する。
豪炎寺は口に先で摘まむようにして食べようとしていた。けれども上手く入らず、二階堂を一瞬伺ってから口を大きく開ける。しかし鼻の頭についたようで、くすぐったそうに綿菓子を持った手で擦っていた。
彼女の様子を見ていると、二階堂はある事に気付く。首筋に虫に刺されたような赤い脹らみを見たのだ。
「ん?」
凝視して、もっとよく見ようと豪炎寺の頬に手をあてて、顎を上げさせる。
「監……督……?」
触れて指を這わせれば、豪炎寺の柔らかい肉がひくんひくんと震えるのが伝わった。
――――触れるだけでそんなに反応するなよ。
喉元まで出掛かるが、言い出せはしない。もし声にしてしまったのなら、豪炎寺は自己嫌悪してしまうだろうし、二階堂も自分の自惚れを曝け出す事になる。
「豪炎寺、蚊に刺されてる」
指で肌に薄っすらと浮かぶ小さな脹らみの周りを円で囲う。
また、豪炎寺がひくんと震えた。
「痒くないか」
「いいえ……」
息を吐くように呟く豪炎寺の声が奥の方で震え、二階堂も自分の中で何かが震える。しかし二人は相手に悟られぬように平生を保とうとした。
「掻くんじゃないぞ、傷になる」
「はい」
二階堂が指を離すと豪炎寺は握られた手を離し、首の刺されているらしい箇所を押さえた。
下心を見透かされただろうか。ばつの悪い気持ちになった。
二人並んで神社を目指して歩いていると、豪炎寺が二階堂の浴衣の裾を掴んで“夕香が”と言い出す。
「夕香のお土産になる物を持っていってやりたいんです」
「妹さん、元気なようで良かったよ。何が良いだろうな」
豪炎寺は頷き、顔を上げて目を合わせようとしてきた。その時だ――――。
「豪炎寺っ」
呼ばれて振り返ると、雷門の円堂と風丸がいた。豪炎寺の友達だ。
「円堂……風丸……」
豪炎寺の表情に笑顔が浮かんだ。
「豪炎寺は一人か?」
円堂に問われて"違う"と答えた豪炎寺に、二階堂は自ら話しかける。
「どうも。お久しぶり」
だが、ぽかんとする円堂と風丸。凝視されてやっと気付いてもらえた。
「二階堂監督」
「ここでお祭があるって西垣から聞いて、豪炎寺と連絡が取れたから一緒に回っていたんだよ」
本当の事であるが、かなりの後ろめたさが残る。
「へえ、そうなんですか」
「………はあ」
相槌を打つ円堂と風丸。関係が悟られはしないかと冷や冷やした。
危うさなど抱かずに、豪炎寺は嬉しそうに二人に話しかける。
「とても賑やかなんだな。初めて来たから吃驚したよ」
「そうか、豪炎寺と二階堂監督は初めてなのか。だったら思いっきり楽しんでもらわないと!風丸、二人を案内しないか?」
「監督、どうしましょう」
じっと見上げてくる豪炎寺に、どうするもなにもない気がした。
「豪炎寺はどうしたい?先生たちは初めてだから知っているお友達に案内してもらったらどうだ」
「二人が良ければ、お願いするよ」
「そうこなくっちゃ!」
円堂がニッと笑って豪炎寺の隣に並び、祭をどう楽しんでいるかを質問責めにする。
円堂という子は本当に明るい。豪炎寺は表情乏しくマイペースに相槌を打っているが、喜んでいるのがよくわかる。いい友達が出来て良かった。心から二階堂は思う。
だが、円堂の勢いに呆れる人物もいた。
「まったく、円堂の奴……」
「はは、円堂くんは元気が良いな」
風丸が苦笑いで二階堂に肩をすくめて見せた。
けれども微笑ましいのも束の間。円堂と豪炎寺はどんどん先へ行ってしまい、追いつけなくなっていく。人が多く、間に入られては距離を離された。このままだとはぐれてしまう。
「参ったな、見えなくなって来たぞ」
「円堂、なにやってんだよ」
風丸は随分と不機嫌な声を出す。
もしかしたら彼女と円堂くんは――などと推測したくなるが、不謹慎だと一人首を振るう二階堂。
「まったく……二階堂監督。進行方向は同じですし、大丈夫ですよ」
「そうだな」
「急ぎも立ち止まりもできませんから、お店でも見ませんか。去年より増えているんで、私も目新しいものが多いんです」
「すまないな、風丸さん。気を遣わせて」
「いいえ」
困ったように頬を掻く二階堂。
円堂くん、君の彼女は怒り心頭みたいだよ。同じ男としての忠告を心の内で告げた。
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