共同生活
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薄っすらと瞳を開いた先に白い天井があった。
「二階堂監督!」
豪炎寺が顔を覗かせ、鼻を啜る。二階堂はベッドに眠っており、傍に彼女が椅子に座っていた。
「…………良かった。大丈夫ですか?」
「豪炎寺……?」
瞳を動かし、豪炎寺を見詰める二階堂に、彼女は額に手を載せて撫でた。
「…………………ここ、は?」
「木戸川清修の保健室ですよ。隣には風丸もいます」
「風…………」
横を向けば隣のベッドが見え、風丸が眠っていた。流れる長い青い髪に、二階堂の目が見開かれる。
「かっ………!?」
上半身を起こし上げ、頬を両手で押さえ込んでから髪を掴んだ。
「か、風丸は、私だ!!!」
「?」
きょとんとする豪炎寺の肩を強引に掴んで揺らす。
「なあ豪炎寺。あそこにいるのはなんだ?私が風丸だろう?」
顔を近付け、訴える二階堂。豪炎寺の顔はみるみる赤く染まっていき、視線をそらす。
「監督……」
「だから私は」
「ここ、保健室です」
ぼそりと小声で呟く。自分は風丸だと訴える二階堂は必死なあまり、彼女が頬を染め、声を潜める理由がわからない。
「え?よく聞こえなかった。なんだって?」
もう少しだけさらに手に力をこめれば、豪炎寺が目をぎゅうと瞑る。
「う」
耐えるように喉を鳴らし、椅子を立って二階堂を引き剥がす。
「いい加減にしてくださいっ」
声を強め、怒りを露にした。その声に彼女の影になっていて、二階堂には見えなかった円堂が振り向く。
「ああ、二階堂監督は目覚めたんだな。風丸はまだなんだ……」
円堂は豪炎寺と同じように椅子に座り、風丸に付き添っていた。
「円堂……!」
円堂の存在に顔を輝かせる二階堂。
「円堂、そいつは風丸じゃない。私が風丸なんだ」
「は?」
首を傾げる円堂。
「円堂、気にするな。監督は打ち所が悪かったんだ」
「打ち所なんてあんまりだ。私は……」
二階堂が弁明する途中で、風丸が目を覚ます。
「ん………うう?」
頭を抑えながら上半身を起こして目を開くと、円堂が傍にいるにも関らず、豪炎寺を見つけてから話しかけた。
「豪炎寺。先生はどれくらい眠っていたんだ?ここは木戸川の保健室か、勝たちはどうしてる?」
「………………………………」
さっと青ざめる豪炎寺。応えない彼女を不思議に思いながら、ふと横を見て二階堂と目が合うなり、大声を上げた。
「ええ、ええええええええ!!!」
「ほら!やっぱり!私が風丸なんだ!!」
指を差しあう二人。円堂は深呼吸してから、二人から話を聞いて内容を纏めた。
「つまり、二階堂監督が風丸で、風丸が二階堂監督?」
「入れ替わってしまった、という事になるな」
円堂が二人を見やると、その通りだと言わんばかりに首を縦に振る。
「そもそも、どうして先生たちはベッドで眠っていたんだ?確か今日は木戸川清修で雷門と合同練習をして……」
風丸となった二階堂、以下風丸(二階堂)は状況の確認をしだす。
今日は木戸川清修で雷門と練習試合後、合同練習をしていた。スピードの向上方法に悩んでいた風丸に二階堂は、脚力だければなく上半身も鍛えたらどうかと、部室内のベンチに座らせてストレッチを教えていたのだが――――。
「そこから、記憶がないな」
二階堂となった風丸、以下二階堂(風丸)は腕を組んで頭を振る。
円堂は見つけた時の状況を語った。
「えーと、二人は部室で倒れていたんだよ。見つけたのが豪炎寺で、俺は呼ばれて皆を連れて来たんだ」
「私が来た時にはもう倒れていたんだ。折り重なるように倒れていたし、頭でもぶつけたんじゃないか」
「頭、か。お互いにこれは困る状況だな。まず、病院に行ってみようか。事実が明らかになると混乱が起こるから、木戸川や雷門の皆には黙っておいた方がいいのかもしれない」
「……そうですね」
秘密の共有を約束する四人。二階堂(風丸)が大人を意識した口調で木戸川と雷門を説得して帰らせ、選手はユニフォームから制服に着替え、四人で木戸川近くの病院へ足を運んだ。道を歩きながら、円堂が二階堂(風丸)の横に並んで見上げた。
「なあ風丸、大丈夫か?」
「円堂お前、ちっちゃく見えるな」
引き攣った顔で答える二階堂(風丸)。顔色があまり良くない。
「変な感じだよ」
無理もない。女が男、子供が大人になり、正反対になってしまったのだから。
一方風丸(二階堂)は気楽なもので、スカートの裾を摘まんで豪炎寺に笑いかける。
「スカートってすかすかするなぁ。めくれたらパンツ丸見えだろ?豪炎寺はスパッツ履いているから安心だな」
そう言って隣の豪炎寺のスカートをめくるような振りをしてからかう。
「もう」
豪炎寺は風丸(二階堂)の手をかわして払う。
「二階堂監督は大丈夫なんですか?」
「俺は大丈夫だよ。はは、お前が同級生になったみたいな感じで新鮮だな」
「それならいいですけど……」
からかわれても心配そうな顔をする豪炎寺に、そっと風丸(二階堂)は耳元に唇を寄せた。
「こうして同じ背丈になると、お前の可愛さがよく見えるよ」
「!」
カッと顔を熱くさせた豪炎寺は持っていた鞄で風丸(二階堂)を殴りつける。かわされるとわかっていてやったのだが、見事に命中してしまった。
「がはっ」
風丸(二階堂)は腹を押さえて蹲り、円堂と二階堂(風丸)が何事かと振り向く。
「ど、どうした?」
「なんでもないっ」
豪炎寺は慌てたように風丸(二階堂)の背を撫でて抱き起こしていた。
こうして病院にたどり着き、診察を受けたが当然治るはずもなく、しばたく様子をみてみたらどうかと告げられてしまった。信じられていない可能性もあるが、信じてもらおうとすれば精神異常者に見られかねない。
「もう一度、頭を強く打ってみるって手もあるが……」
「どれくらいの衝撃なんだ?豪炎寺わかるか?」
「い、いや……。記憶を辿れば思い出すかもしれないが、少し待ってくれないか」
病院から出た四人はこれからの事を話し合う。
「さて、どうしようか。家に帰ってもこの姿で説得するのは難しそうだ……」
二階堂(風丸)は大きな溜め息を吐き、その場にしゃがみこんでしまった。落ち込む彼女に風丸(二階堂)が話しかける。
「風丸さん、提案なんだが明日は日曜だが学校や部活はどうだい?ないのなら今日は先生の家に泊まって、今日あった出来事を思い出しながら戻る方法を探してみないか?」
「そう……ですね。早く、戻りたいですし」
項垂れるようにして風丸は頷く。
「では、私も泊まります。風丸も二階堂監督と二人きりなんて緊張するだろ?」
豪炎寺が小さく挙手をして言う。
「そうか。二人は二階堂監督の家に泊まるのか。あの、俺も行っていいですか?俺も力になりたいんです」
円堂も挙手をした。
「わかったわかった。じゃあ四人で泊まるか、随分と賑やかになるな。狭くなるだろうけど、我慢してくれよ?」
「はい!」
話が纏まり、四人は病院から二階堂の家へ向かう。
二階堂の家はマンションの一室であり、玄関を上がって居間に入るとソファやカーペットの上に腰を置いた。
「お茶でも入れてくる。監督、台所お借りしますね」
豪炎寺が立ち上がり、台所に入って湯を沸かしだす。
円堂と二階堂(風丸)はソファに並んで座って、足を伸ばしていた。
「はは、風丸なっがい」
「へへ、どうだどうだ」
二階堂(風丸)に漸く笑みが戻り、円堂も微笑んだ。
居間に戻って来た豪炎寺はソファ前の硝子テーブルにカップを四つ置いて、紅茶を注いでいく。
カップは二色あり、豪炎寺は円堂と二階堂(風丸)に同じ色のカップを差し出した。一口紅茶を含んでから、二階堂(風丸)は自分と円堂のカップが来客用なのではないかと察する。豪炎寺の慣れた様子に、もしかしたらという可能性が過ぎり、一人顔を赤くした。
だが、紅茶を半分飲んで身体が温まってきた頃、生理的な衝動に二階堂(風丸)は追い詰められていくのを感じていく。
「風丸?どうした?」
口数の少なくなっていく二階堂(風丸)に、円堂が様子を伺う。
「…………えっと……」
言葉を濁す二階堂(風丸)。
正直なところ、尿意に襲われていた。男の身体で用を足すなど、やり方はなんとなくわかるが実践はまた別の問題である。しかも他人の身体なのだから、尚更躊躇っていた。
「かーぜーまーるー?」
ぺちぺちと円堂は二階堂(風丸)の腕を叩く。
――――た、た、叩くんじゃねえ!刺激させんな!
声に出来ない心の叫びが胸に渦巻く。
「なあ、ひょっとして」
風丸(二階堂)がじっと二階堂(風丸)を見据えた。
「トイレに行きたいんじゃないか?」
「!!!」
図星に、二階堂(風丸)は俯く。
「我慢は良くないぞ。先生の身体でするのは嫌かもしれないが……」
「二階堂監督はどうなんです?」
「え?さっき済ませてきた」
風丸(二階堂)の発言に硬直する豪炎寺と二階堂(風丸)。
すなわち、風丸(二階堂)は下着を下ろし、性器を露出させたという事になる。
「変な事はしていないからな」
フォローのつもりなのだが、逆効果であった。
「あたりまえですっ!」
突っ込む豪炎寺。二階堂(風丸)はあまりの羞恥で肩をぶるぶる震わせていた。
「出来ない!無理!できない〜〜〜〜!!!」
両手で顔を覆い、頭を振るいながら嘆く二階堂(風丸)。姿が姿だけに、やや気持ちが悪い。
「か、風丸さんっ。先生が手伝うから、な?」
「脱げません〜〜!!」
「じ、じゃあ、目隠しはどうだ?」
円堂の案に、二階堂(風丸)は顔から手を離して瞳を瞬かせる。
「めか、くし?」
「そうだよ、目隠しだ。そうすれば見えないだろ?俺が付き添うから、な?」
「わ、わかった……」
タオルを持って円堂と二階堂(風丸)は共にトイレに入った。二人を待つ間、豪炎寺は風丸(二階堂)と夕食の買い物をしに、家を出て行った。
二人きりになるなり、豪炎寺は風丸(二階堂)を肘で突く。
「二階堂監督、少しデリカシーがなさすぎではありませんか」
「すまん。だけどな、俺まで落ち込む訳にもいかないじゃないか。それに女の子らしくなんて、知らない人の前なら演技と思えば出来るが、知っているお前たちの前でやる意味もないだろう」
頬を指先で掻き、ポニーテールに軽く触れて揺らせた。
「そうですけど……」
唇を尖らせる豪炎寺。彼女としては、なぜよりにもよって二階堂と風丸が入れ替わってしまったのだという、運命の悪戯が納得できなかった。
「私と監督が入れ替われば、問題なかったのかもしれませんね」
「俺は嫌だな」
即答する風丸(二階堂)。
「どうしてです?」
「豪炎寺と入れ替わったら、俺は気が気じゃなくなるよ」
「………………………………」
豪炎寺の頬が染まり、二階堂の頬も染まる。
「今日の監督、変です」
普段はあまり、二階堂が豪炎寺に好意を口出す事は多くはない。豪炎寺が何度も強請った時に、少しだけ囁いてくれる程度だった。
「今日は外見からして丸ごと違うし」
照れを誤魔化すように、風丸(二階堂)は豪炎寺より前を歩く。
「なあ豪炎寺、夕飯の他に、なにか殴るものを買った方がいいかな」
「えっ」
「夜、皆が寝静まった頃に、風丸さんの頭にぶつかろうと思っている。それか、豪炎寺にも手伝ってもらって、殴ってもらうかもしれない。どうにかしないと……」
「二階堂監督、待ってください。あまりに強い衝撃は危ないですよ。それに、まだ頭をぶつければいけない、という訳でも……」
風丸(二階堂)は足を止め、振り返って豪炎寺を見た。
「俺たちは頭をぶつけていたんだろう?」
「そうです、けど……」
表情を硬くする豪炎寺。
その顔を見て風丸(二階堂)は悟った。豪炎寺はなにかを隠している、と――――。
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