共同生活
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「風丸、しゃがんで」
 トイレの個室内で、二階堂(風丸)が背を屈めると円堂がタオルで目隠しをする。
「円堂、ごめんな」
 背を伸ばし、二階堂(風丸)は詫びた。彼――いや、彼になってしまった彼女は、男の身体で用を足すのを拒み、円堂に手伝ってもらう事にしたのだ。かなり恥ずかしい行為ではあるが、身体が入れ替わっているせいか二階堂(風丸)に羞恥の気持ちはあまりない。
「立って、するんだよな?」
「ああそうだぜ。あったりまえだろって、風丸は女の子だから座るんだよな」
「うん……」
 羞恥はないが緊張はしており、便器の前に身体をがちがちにして向けた。
「下、下ろすぞ」
「うん……」
 円堂が二階堂(風丸)のズボンを下ろそうと触れてくる。
「今、尻触っただろ」
「触ってないって。どうにもなるもんじゃないだろ?」
「そうだけど……」
 目隠しをされ、視界が塞がれる中、円堂が傍にいて動かれる気配に落ち着かなかった。
「次、パンツ下ろす」
「う、うん……」
 下着を下ろすと、性器が露になる。
 二階堂の大人のそれは成長期の円堂のものとは明らかに異なっていた。
「でかっ」
 思わず感想を口にする円堂。
「じろじろ見るなよ。に、二階堂監督にも失礼だろ……」
「そうだけど」
 同性といえども、他人の男性器などよく見た事がなかったので、つい凝視してしまいそうになる。
「持つよ」
「えっ」
 円堂の手が二階堂(風丸)の性器に触れた。
「や、やだ、触るなよっ」
 真っ赤になって首をぶるぶる振る二階堂(風丸)。
「持たないと照準合わせられないだろ?」
「けど……!」
「俺がついているから」
 どくん。円堂の言葉が二階堂(風丸)の胸を打つ。
「わかった。円堂……」
 二階堂(風丸)は覚悟を決め、円堂が性器の方角を定めた。
「さ、風丸。していいよ」
「うん。有り難う」
 二階堂(風丸)は下腹部に力をこめ、小水を出す。
 便器に入る音、息を吸えばアンモニアの匂いがする。鼻孔をくすぐった時、二階堂(風丸)はスイッチが入ったかのように羞恥が爆発した。
「え、え、え、円堂…………えん、円堂…………」
 タオルの奥の目が潤み、涙が滲んだ。
 小水の勢いは止んでいくが処理が出来ない二階堂(風丸)に、円堂が代わりにトイレットペーパーで汚れを拭った。肌に触れる紙の感触はとても優しく、二階堂(風丸)はまた泣きだしそうになる。
 下着とズボンを上げて、軽く背中を叩く円堂。
「はい、おしまい!スッキリしたか?」
「えんどう〜〜」
 タオルを外した二階堂(風丸)は目元が真っ赤で、その場にしゃがんで円堂に抱きついた。
「とにかく恥ずかしい。でもお前がいてくれて良かった」
「風丸、困った時はお互い様っていうだろ?俺だってお前の立場だったらすげえ、絶対困るって。だからさ、風丸は気にせず俺を頼ればいいんだ」
「うん、うん、円堂」
 円堂は二階堂(風丸)の後ろ頭を撫で、慰めた。
 目に見える姿、耳に聞こえる声も違うが、身体の中心にある魂は風丸だとわかる。大好きな風丸だとわかっている。






 それからしばらく経つと、買い物から豪炎寺と風丸(二階堂)が帰ってきた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
 玄関まで迎えに来る円堂と二階堂(風丸)。
「今日は大人数だからな、頑張らないと」
 くすりと微笑む豪炎寺。
「先生も微力ながら手伝うからな」
 風丸(二階堂)は豪炎寺より買い物袋を多めに持っており、爽やかに笑う。
「俺たちも手伝います」
「有り難う円堂くん。けどね、台所が狭くて二人が限界なんだよ。風丸さんとテレビでも観て待っていてくれ」
 そう言って豪炎寺と風丸(二階堂)は台所へ入る。台所から聞こえてくる調理の音や会話は息が合っており、二階堂(風丸)は手馴れているように感じた。
「風丸、どうした?」
 つい台所を覗いて立ち尽くしていた二階堂(風丸)に豪炎寺が問う。
「いや、その……飲み物ないかなって」
「じゃあジュースがあるから。ほら」
 冷蔵庫を開け、迷いもせずジュースのパックに目をやる。
「あの、豪炎寺……」
「ん?」
「なんでもない」
 首を横に振った。
 ――――豪炎寺と二階堂監督って付き合っているのか?
 と本当は確かめたかったが、真実でも嘘でも性質が悪いだろうと思い直した。
 二階堂(風丸)はジュース片手に居間に戻り、ソファでくつろいでいた円堂に声を潜めて話しかける。
「なあ、円堂」
「うん?どうしたんだよ」
「豪炎寺と二階堂監督って仲いいよな」
「そうだなぁ。風丸と二階堂監督が倒れて保健室に運ばれた時、豪炎寺はすぐに付き添うって言ったんだぜ。そういえば、風丸と二階堂監督をアイツしきりに探して居場所を聞いていたな」
「居場所を?」
「ああ。なにか用事でもあったんじゃないかな」
「へえ」
 話しかけた内容に対し、答えは違う話題となりながらも風丸は相槌を打った。
 雑談を交わす内に料理が出来上がり、四人で食べる。
「風丸さん。俺の身体は慣れたかい?」
「はい……少し」
 笑ってみせる二階堂(風丸)の表情はまだ硬い。
「二階堂監督はどうですか?」
「先生としては若返った気持ちだから、悪くはないな。風丸さんの身体は身軽だし」
「それでしたら、二階堂監督の身体は大きくて欲しいものに手がすぐに届きますね」
 二階堂の身体のメリットを語る表情は楽しそうで、三人は密かにホッとした。
 話題の行き着く先は、やはり身体を元に戻す内容になる。
「やっぱり入れ替わった原因の行為を、もう一回やってみるべきかと思う」
 二階堂(風丸)の意見に風丸(二階堂)が頷く。
「だけど、頭をぶつけたんだろ?当たり所が悪いと怖い結果になりそうだ」
 円堂の意見に豪炎寺が頷く。
「あの…………」
 豪炎寺が口を開く。下を向いていた瞳が、顔を上げて二階堂を見据える。
「二階堂監督。一つお訊ねしたいんです?」
「ああ、言ってみなさい」
「監督と風丸はどうして部室にいたんですか」
「ストレッチをしていたんだよ」
「それは、聞きました。でもどうして部室で?」
 豪炎寺は硬い表情で問い詰める。
「部室にトレーニング方の本があったんだ。どうした豪炎寺、疑っているのか」
「豪炎寺、二階堂監督の言っている事は本当だ」
「………………………………」
 口を閉ざす豪炎寺に、今度は風丸(二階堂)が問う。
「豪炎寺。お前……なにか隠していないか。目撃者のお前には全てを話して欲しいんだ」
「………………………………」
 豪炎寺は目を瞑り、開くと立ち上がって円堂を呼んだ。
「円堂。話がある。外へ出てくれないか。監督、風丸……少し時間が欲しいんだ……」
 円堂は首を傾げながら、彼女と共に外に出た。


「豪炎寺。話ってなんだ?」
 マンションの通路の手すりを掴み、円堂が言う。
「円堂……さっきの二階堂監督の話を聞いて、どう思った?」
「話?トレーニング方に入れ替わった原因があるとか?」
「違う。なにも思わなかったか?」
「豪炎寺?よく意味がわからないんだけど……」
 豪炎寺から苛立ちの空気を察し、円堂は困ったように頬を掻く。
「二階堂監督と風丸が部室で二人きりでストレッチをしていたんだ」
「ああ。それが?」
「二人きりだぞ。ストレッチは身体に触れるものだ」
「???」
「二階堂監督は男で、風丸は女なんだぞ」
「それのなにが違うんだ?」
 ちっともわかってくれない円堂に、豪炎寺が直接的な言葉を放つ。
「嫉妬しないのか」
「しっ……と?」
「私は、二階堂監督が女子生徒と二人きりで部室でなにかをしていたら、嫌な気持ちになる。円堂はどうとも思わないのか?風丸が男にべたべた触られているんだぞ」
「けど相手は二階堂監督だし。風丸が望んでストレッチをしていたんだろ?」
「風丸が嫌じゃなければいいのか?円堂の気持ちはどうなんだ?お前は風丸が好きじゃなかったのか?」
 好き。たった二文字に、円堂の胸は漸く遅れて短い痛みを発した。
「言われてみれば……そうだな……。ちょっと、複雑かも」
「そうだろう?円堂がそう思うなら……本当の事が言えそうだ……」
「ホントの事?」
 豪炎寺は頷き、声を潜めて出来事の真実を語る。
「私は、二階堂監督が風丸を連れてどこかへ行ったと聞いて、二人を探していた。理由は嫌な気持ちになって……落ち着かなかったからだ。二人は部室にいた。ベンチに並んで座って、風丸の腕を二階堂監督が支えて伸ばしていた。見つけた途端、私の血は上った。ショックで、二人を引き剥がしたくなった」
 語る豪炎寺の手は拳を作り、ぶるぶると震えていた。
 マグマのような“嫉妬の熱”に円堂は戦く。
「二人はまだ私が見ていたのには気付いていなくて、足元にボールがあったのを見つけた。二人の間めがけて、それを蹴りこんだ」
 ――――おいおいおい……。
 円堂は突っ込みたい衝動を抑え、最後まで豪炎寺の話に耳を傾ける。
「二人はよけた。けれどバランスを崩して倒れた。その時、私は見てしまったんだ。二人が、二階堂監督と風丸の口が、触れていたのを」
 豪炎寺の目がギロリ。いや、チラリと円堂の目を見据えた。
「頭をぶつけた、というのは嘘なんだ…………すまない。だが、二人の記憶がない、という発言はおかしい。記憶が飛ぶ行為で思い付くのは、キスしかない」
「キス…………」
「二階堂監督と風丸が、もう一度キスしたら、戻るかもしれない」
「じゃあ、さっそく二人に話して」
「駄目だ!」
 豪炎寺の振り上げられる拳が円堂の胸倉を掴む。
「円堂はいいのか……?二人がキスするんだぞ。今度は偶然じゃない、意識してするんだぞ」
「でも、しょうがないじゃないか。二人が戻れるかもしれないなら、やってみる価値はある」
「…………私はまだ、心の整理が出来てない」
 胸倉を解放させ、豪炎寺は頭を振るう。
「なあ豪炎寺。キスしたからって、どうにかなる訳じゃ……」
「どうにかなったから、入れ替わっているんだろう……」
 またもや遅れて、円堂は豪炎寺の葛藤を悟った。
「少し、時間が欲しいんだ……。頼む、まだ二人には話さないで欲しい」
「今日まで待つよ。明日になったら、俺が話す」
「……わかった」
 豪炎寺が俯きかけた顔を上げて空を見れば、すっかりと日は暮れて真っ暗だ。
 今夜、答えを見つけなければならない。










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