女の子の世界
- 吹雪×染岡編 -



 雷門と木戸川清修の練習試合から数日経ったある日。
 早朝、部室にてマネージャーにて理事長の娘・夏未から嬉しい知らせを受ける雷門部員。
「皆、聞いて。今度、白恋中から監督さんと吹雪くんが東京に来る事になったの」
 吹雪は共にエイリア学園と戦ったかけがえのない仲間。一同は喜び、中でも親しかった染岡は胸がいっぱいになる。その気持ちを見透かされてか、半田が茶化してきた。
「染岡、彼氏と久しぶりに会えて良かったな」
「ばっ……彼氏じゃねえ!」
 静粛に、と夏未がジト目になり、染岡は小声でもう一度“彼氏じゃない”と言い直す。
 こほん、と咳払いをして続ける夏未。
「ええと、どこまで話したかしら。白恋中の監督さんは来年にフットボールフロンティアに出る際、手続きなどをしにサッカー協会に用事があるのよ。それで、せっかくだからって吹雪くんも同行して来るらしいの」
「そうなのか。じゃあ歓迎会でも開かなきゃな!」
 部で唯一の男子部員にてキャプテンの円堂が、皆に笑いかけ、仲間たちも同意する。
 話し合いが終われば、円堂まで染岡に吹雪の事で話しかけられた。
「染岡、吹雪とは久しぶりだろ、良かったな!」
「だから違うって!」
「へ?」
 きょとんとする円堂に、染岡はずかずかと大股で部室を出て行ってしまった。
 誰よりも早くグラウンドに来た染岡は、ウォーミングアップをしながら吹雪との思い出を頭の中で呼び起こす。
 吹雪の事は好きだし、仲は良い。けれどもそれは恋愛関係ではない。
 しかも、だ。染岡はサッカー一筋で恋愛沙汰などもっての外だと思い込んでいた。それだけサッカーに情熱を注ぎ込んできた。皆が全員とまでいかないが、同じ気持ちだと信じたかった。中でもFWの豪炎寺は同じであると思いたかった。しかし現実は残酷である。
 豪炎寺は転校前の学校の監督・二階堂に現を抜かしていた。媚びた声で男と話す豪炎寺が浮かべば、気持ちはぐしゃぐしゃに乱れる。
 豪炎寺だけは、彼女だけには、同じだと信じていたかったのに――――。
 染岡は強引に吹雪への感情が恋愛じゃないと頑なに否定に否定を重ね、とうとう吹雪がやって来る日が訪れた。






「やあ皆、久しぶり。元気してた?」
 柔らかに微笑む吹雪が雷門部員たちの前に姿を見せる。
「吹雪!」
「吹雪くん!」
 集まり、握手を交わす仲間たち。やや離れた場所で見詰めていた染岡と目が合えば、吹雪は飛んでくるかのように彼女に大接近した。
「染岡さん!会いたかったよ!」
 腕を引き、踵を浮かせ、染岡の頬に口付ける。
「………………………………」
 染岡の思考が停止し、何かが割れるような感覚がした。
 雷門の仲間たちも呆気に取られて固まるが、すぐさま復活して二人を祝福する。
「おめでとー!」
「お、おめでとうじゃねえええ!」
 べりっ。吹雪を剥がし、ぽかりと彼を小突く。
「痛ったあ!染岡さん痛いよ」
「てめえが変な事するからだろ」
「変な事って……恋人なら感動の再会ぐらい、それくらい許されると思うんだけどな」
 吹雪は自分の頭を撫でながら、しゅんと髪の毛を垂れさせた。
「誰が恋人だ」
「僕と染岡さんがでしょ。もう、久しぶりなんだからもっと優しくしてよ」
 ぴん、と髪の毛の勢いが戻る。
「お前と恋人になった覚えなんてない」
「今時ツンデレは流行らないと思うんだよね」
「ふん。もし恋人がいるとしたら、そりゃサッカーだ」
 吹雪は漸く勘違いを理解し、大きな溜め息を吐いた。
 仲間たちは吹雪を慰めながら歓迎会を行い、中頃が過ぎると円堂が質問をする。
「なあ吹雪、どれくらいまで東京にいるんだ?」
「んー、三日ぐらいかな。稲妻町の隣町のホテルに監督と泊まっているんだ。良かったら遊びに来てよ」
「ああ、雷門にも遊びに来いよ」
 歓迎会は時間が経つのが早く、あっという間に終わってしまう。吹雪はホテルに戻る前に染岡に声をかけた。
「染岡さん、さっきはごめんね。僕、君に会いたくて浮かれちゃったみたいだ。染岡さんも良かったら、遊びに来てね」
 じゃあ、と吹雪は帰っていく。すると、豪炎寺が話しかけてきた。
「染岡。いくらなんでも吹雪に冷たすぎないか」
「お前には言われたくないな」
「……なにを?」
 染岡は移動し、仲間から距離を離して豪炎寺に言う。
「豪炎寺はサッカーと男と、どっちが大事なんだよ」
「おとこ?」
「こないだ…………木戸川の監督に媚びやがって」
 豪炎寺が息を呑む瞬間を染岡は悟る。
「媚びてなんか……っ……」
 否定したいのに、後ろめたさから豪炎寺は強く出られない。
 穏やかじゃない二人の様子に風丸が仲裁に入る。
「二人とも、一体どうしたんだ?」
「なんでもねえ」
 染岡は風丸の横を通り過ぎていった。
「けっ、どいつもこいつも」
 一人捻くれるが、熱が過ぎていけば、確かに吹雪には冷たすぎたという自覚が芽生えてくる。
 ――――染岡さんも良かったら、遊びに来てね。
 吹雪の言葉が脳裏に浮かび、謝るなら早い方がいいと帰宅の途中で吹雪が校長と泊まっているホテルへ寄っていった。


 鞄を何度も持ち直しながら、染岡は扉の前で吹雪が出てくるのを待つ。
「やあ染岡さん。こんなすぐに来てくれるなんて思いもしなかったよ。上がって」
「邪魔するぞ……」
 吹雪が大きく扉を開けて染岡を招く。靴が吹雪のシューズしかないのを、染岡が指摘する前に吹雪が説明した。
「監督はまだ帰ってきてないんだ。遅くなるかもって。僕一人だから、好きにくつろいでね」
「ああ……」
 一瞬、どきりとする。吹雪も口に出してみて、どきりとした。
 染岡は居間に通され、ソファに座る。窓の景色は日が傾いて夕焼けが染めており、夜の訪れを知らせていた。
 吹雪がトレイに紅茶と茶菓子を載せて、ソファ前のテーブルに置き、染岡の隣に座る。
「これ、白い恋人。北海道土産の定番だけど、美味しいよ」
「食べたことある。美味いよな」
 染岡が白い恋人と呼ばれるホワイトチョコサンドクッキーを手にしてかじれば、吹雪が微笑む。
「それで染岡さん、急にどうしたの」
「ん……吹雪に謝ろうと思ってさ。さっきは悪かったな。言い過ぎたと思う」
「そんな、気にしなくてもいいよ」
 そう吹雪は言うが、染岡の顔は浮かない。
「染岡……さん?一体、本当にどうしたの?なにかあった?君はすぐ顔に出るよね」
「……お前には敵わないな」
 ふー。染岡は息を吐き、ソファの背もたれに寄りかかる。
「実は……さ、豪炎寺が」
「豪炎寺さん?」
 染岡は豪炎寺をライバル視しており、実力も認めているストライカーの少女だ。染岡の心を揺らすのは、いつも彼女の存在だった。
 ――――相変わらずだなぁ。
 吹雪は変わらない彼女を微笑ましく感じながら、染岡の話に耳を傾ける。
「豪炎寺がさ、男に現を抜かしやがって……」
「お、男っ?彼氏なの?えっ?」
「知らねーよ!」
 染岡は答えたくないらしく、吹雪に教えてはくれない。
「で……さ。吹雪が会うなりあんな事しやがるから、お前までそうなのかって」
「ああ、そうだったんだ。君らしいなぁ……」
 染岡の様子に彼女の言う豪炎寺の"男に現を抜かす"が、大げさな表現なのかとも思えてきた。
「染岡さんはサッカー一筋を貫くの?」
「あったりまえだ。サッカーと男の二股はかけられねえ」
 きっぱりと言い切る染岡に吹雪は一人肩を落とすが、首をぶるぶる振って気を持ち直す。
「でもさ、染岡さん。サッカーと人は切り離せないと思うよ。一人で試合は出来ないもの」
「………………………………」
 染岡の脳裏に部員が足らず、練習試合さえも出来なかった記憶が蘇る。
「豪炎寺さんだって、サッカーが弱くなったんじゃないんでしょう?」
「……見てきたように、言うんだな」
「君と、サッカーした仲だからね。君の事、少しはわかるつもりだよ」
 染岡の口元が薄く綻ぶ。
「まあ……吹雪の言いたい事もわかる。お前と話したら、気が楽になったよ。明日、豪炎寺にも謝ろうと思う」
「うん。君の役にたてて嬉しいよ」
 吹雪も彼女に向けて微笑みかける。
 安らかな気持ちになれば、この二人きりの空間にドギマギとした"ときめき"が入り込んできた。
 吹雪は勿論の事、染岡もだ。お互い好意を持つ男女のいい雰囲気のそれだった。
「な、なんか、暑いね」
 へへ。吹雪ははにかみながら言う。
「そうだな」
 染岡は腕を組み、視線をそらした。
「クーラーつける?」
「いや、いい」
「……そう」
 吹雪が座り直すように染岡に近付くが、彼女はなにも言わなかった。


 翌日。朝、部室に入るなり染岡は豪炎寺に詫びる。
「豪炎寺。昨日はすまなかった」
「……その……私は…………」
 表情を強張らせ、なにかを言いかける彼女に染岡は首を振った。
「そんな顔はなしだ。それより、油断すんなよ。お前のエースストライカーの座は常に狙われてるんだってな」
 口の端を上げる染岡に、豪炎寺もつられるように不敵な笑みを浮かべた。










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