どくん。
 どくん、どくん。
 どくん、どくん、どくん。
 豪炎寺の鼓動は大きく高鳴り、速めていく。
 彼の手に持つのは小さく古風な小瓶。目の前に広がるキッチンに置かれているコップには牛乳が入っていた。研ぎ澄まされた神経、澄ました耳にはシャワーの音が聞こえる。



悪事
- 1 -



 ここは二階堂の家であるマンション。密かに彼と関係を持った豪炎寺は今日、止まりに来ていた。今、時刻は夜を回って二階堂は風呂に入ってシャワーを浴びている。今、豪炎寺の動きを知る者は誰もいない。
 ごくん。豪炎寺は生唾を飲み、握り締めた小瓶を胸の前へ持って行く。
 この小瓶。実は曰くつきの代物である。
 数日前、ひょんな事から豪炎寺は戦国伊賀島の校長を助けた。
 なんのことはない、練習試合中に腰を痛めた伊賀島が“熱いシュートをくれ!”と叫んだので、そのままを実行したに過ぎない。彼は大そう喜んで、お礼にと小瓶をくれたのだ。
 なんでも“飲ませた人を思い通りにできる”秘薬らしい。豪炎寺が真っ先に思い浮かべたのは二階堂であった。想いを通じ合わせ、こうして泊まりに行くくらいの仲ではあるが心が満たされた分、欲求も深まって新たな不満が出てくる。
「二階堂監督……」
 内緒で道具を使ってしまう事を心の内で詫び、小瓶の中の液体を牛乳へ流し込む。
 丁度、二階堂が上がってきて、さっそく持って行った。
「二階堂監督。風呂あがりにどうぞ」
「お。気が利くな。有難う」
 受け取り、ごくごくと二階堂は気前良く飲み干してくれる。
「ふう。美味いな」
「監督、ついてますよ」
 豪炎寺は己の口の端を指差し、二階堂に牛乳がついてしまっている事を伝えた。
「おっと」
 軽く拭う仕種に、前回泊まりに来た時の甘い夜を思い出して、豪炎寺は一人頬を染める。
「豪炎寺。牛乳は嬉しいが、先に寝ていろって言っただろ。湯冷めするじゃないか」
 豪炎寺は二階堂の前に風呂を済ませ、濡れた髪はすっかり冷たくなってしまっていた。
「すみません……」
 詫びる声は細く、じっと二階堂を見上げた。
 牛乳に混ぜた秘薬を二階堂は飲んだ。効果がどうなるのか気になる。
 二階堂をどう思い通りに出来るのか気になる。決して弄びたいとかそんなものではない。ただ、ただ――――。
「豪炎寺?」
 瞳を瞬かせて、二階堂が豪炎寺に視線を合わせる。その距離はとても遠い。
 身長、年齢、立場――――二階堂と豪炎寺を阻む壁は分厚く、溝は深い。想いは通じ合っているのに、どうしても遠くて歯がゆい。


 一度でいい、少しでいい、二階堂と並べる時間が欲しかった。


「ん?」
 二階堂はしゃがみこみ、豪炎寺に視線の高さを合わせる。すると豪炎寺は彼の首に腕を回してしがみつく。
「すみません」
「どうした?」
「……………………………」
 ぎゅう、と腕に力をこめた。
「仕方のない奴だな」
 詫びるだけで何も答えない豪炎寺を二階堂は抱えて立ち上がる。
「監督っ」
 落ちないようにしがみつく腕の位置を変える豪炎寺に、二階堂は“違うのか?”と問う。
「……………………………」
 俯き、口をつぐむが、微かにはにかんだように微笑む。二階堂に包まれると甘えたくなって、二階堂が笑ってくれると素直になれた。
 寝室へ連れて行かれれば、真っ暗な室内のベッドに下ろされて、二階堂が隣に潜り込んでくる。
「豪炎寺。すっかり湯冷めしているじゃないか」
 抱き寄せられるように身体を撫でてきた。
 二階堂に触れられると豪炎寺の胸はドキドキと高鳴り、落ち着かなくなってくる。愛おしい気持ちが溢れ出して、愛した分、愛されたくなってくる。
「二階堂監督」
 二階堂の肩口に顔を埋め、摺り寄せた。
「ん、なんだ?甘えん坊になって」
 髪を撫でながら顔を上げさせ、豪炎寺の瞳を凝視する二階堂。
「かんとく」
 瞳を揺らして、唇を薄く舌で濡らして見せた。濡れた真っ赤な舌を覗かせて、目を細める。
 子供っぽい仕種で誘い込んでおいて、ぞっと脳髄を凍えさせる色香をチラつかせて二階堂の理性を揺さぶった。
「かんとく」
 細い子供の指が二階堂の顔の輪郭を這い、力を加えずに引き寄せて唇へ唇をくっつける。けれども指は小さく震え、精一杯の誘いであった。精一杯、肉欲の海へ引こうとする。
「こら、そんな顔するな。しちゃ駄目だって言っただろう」
 言葉とは裏腹に、首を突き出すように豪炎寺の顔の至る箇所に口付けを施しながら、上着を捲し上げた。
「さっき、牛乳飲んだ俺のこと、ずっと見てたろ」
 目を細め、射抜くように見据える。
「またこの間みたいに、しゃぶられたいのか?」
 この間――――前回泊まりに来た時に、豪炎寺は二階堂に性器を舐られて愛撫をされたのだ。心地良さに嬌声を抑えきれず鳴きながら、二階堂の口内に果ててしまった。その時の二階堂の唇から零れた己の精液が忘れられない。しかし、確かに焼き付いてはいるが豪炎寺は一方的な愛撫は好まなかった。
「違い、ます。一つに、なりたいです」
「豪炎寺。駄目だって、秘密だって言っただろ」
「はい」
 真っ直ぐ、一心に豪炎寺は二階堂を見詰めて、熱視線でおねだりをする。もうこうされてしまうと二階堂は断る術を失ってしまう。豪炎寺に求められるままに、彼を愛し尽くしたくなる。
「いい子にできるか」
「はい」
「どういい子にするのか、わかるか」
「わかりません」
「…………いい子だ」
 二人は硬く抱き合い、二階堂は豪炎寺の衣服を剥ぎ取って全裸にした。まるで皮を剥ぐ獣のように、あっという間に剥かれてしまう。だが、獣なのはここからが本番なのだ。
 弄られて、舐られて、甘く噛まれて。豪炎寺は全身を二階堂に侵食されて抱かれる。ベッドが軋み、突かれる度に、骨がぶつかって柔らかな尻の肉が音を立てる。
「あ、………っ……はぁ………!ああっ……!」
 うつ伏せにへばりつき、シーツを掴んで頬を擦り付けて豪炎寺は二階堂の突きに耐えた。豪炎寺も理性を脱ぎ捨てて、獣のように本能に忠実に、快楽に酔う。惜しげもなく喘ぎ、涙と唾液を流して善がった。
 二階堂と一つになると、身体がしっくりと来て最高の快感が得られる。豪炎寺は二階堂とのセックスが好きだった。
 けれどもこの時でさえ、二階堂との距離を感じてしまう。まず二階堂は衣服をずらすだけで脱がないし、合わさっている最中は目を合わせようとしない。それが二階堂の癖であり、監督という立場の罪悪感の表れなのかもしれない。
 二人が並ぶ事は到底無理な子供染みた幻想――――けれども、願うだけならば自由だと思いたかった。
「豪炎寺」
 二階堂が呼んだかと思えば自身を引き抜かれ、背に射精をされる。
 ここで物足りない、なんて口にしたら“悪い子だ”と言われてしまうだろう。
 いい子にすると約束したから、胸の内にしまっておいた。


 もし、もしもだ。秘薬が効いたのなら悪い子にさせてくれるのだろうか。
 情事の終わった気だるさの中で、二階堂に薬を盛った事を思い出す。
 たぶん、飲み物に混ぜたから効果は出なかったのだ。元から大した期待はしていなかったし。自分で自分に言い訳をして、豪炎寺は体液で汚れた身体をシャワーで流して夢の中へ沈んだ。






 夜が空けて、カーテンの隙間から差し込む朝日が豪炎寺の顔にあたった。
「う」
 閉じた瞼を強く瞑ってから、豪炎寺は目覚める。
 大欠伸をするだけで、まだ身は起こさない。腰がだるく、動かなければならないのはわかっているが気が乗らない。
 ん、と低く呻いて寝返りを打つ。転がれた余裕具合から、二階堂は既に起きたのだと察した。
 だが、しかし――――。
「すー…………」
 明らかに自分のものではない、心地良さそうな寝息が聞こえてくる。豪炎寺が音のした方へ顔を向けた。
「…………――――!!」
 豪炎寺は目を丸くして飛び起き、反射的に壁に下がる。全裸で眠っていたので、ひやっと肌が冷える。隣で眠っていたのは二階堂ではなかった。
 自分と同じくらいの年の、少年が眠っていたのだ。
 眠っているのを良い事に、四つんばいで近付いて姿を眺める。
 濃い青をした短髪、健康的に焼けた褐色の肌、睫毛の感じがなんとなく二階堂のようだと思った。


「ん」


 喉を鳴らし、瞼を震わせて少年が眼を開ける。
「ああ…………」
 息を吐くように少年は豪炎寺を見て薄く笑う。
「おはよう豪炎寺。ちゃんと起きられるお前はしっかり者だなぁ……」
「え」
 驚愕し、思わず声を漏らす豪炎寺。少年が豪炎寺を知っていた事に驚いたのではない。声が二階堂そのものだったのだ。
「なんだ?俺の顔になにかついているのか?」
 ふわぁ。上半身を起こし、伸びをした。目元を擦りながら、二階堂はある事に気付く。
「豪炎寺。お前ひょっとして背が伸びたか?会うのは夜ばかりだし、朝も慌ただしいから気付かなかったよ……」
「いえ…………」
 豪炎寺はぶるぶると首を振り、震えの止まらない人差し指を二階堂へ向ける。
「二階堂監督が縮みました」
 搾り出すような掠れた声で伝えた。
「はぁ?」
「事実なんです!」
 豪炎寺が二階堂の肩を掴み、揺らす。
 けれども力が強すぎたのか二階堂は後ろに倒れ、豪炎寺が被さる体勢になってしまう。
「元気がいいなぁ」
「す、すみません……」
 苦笑する二階堂、詫びる豪炎寺の視線が交差する。


 どくん。
 豪炎寺の鼓動が高鳴った。なぜだか、嬉しくなった。
 少し力を入れただけで二階堂が反応してくれて。いつもは、顔を合わせるためには視線の高さを合わせなければ出来なかったのだから。
 これが、伊賀島からの秘薬の効果なのだろうか。初めは驚いたものの、思い当たる節があるので気持ちは落ち着いてきていた。
 これなら、確かに思い通りに出来るだろう。豪炎寺はチームの中では身長は平均だし、体力もあって力もそれなりにある。今こうして押し倒すのも容易かった。行動次第で大人で、監督で、体格の大きかった二階堂を好きに出来る。子供で、生徒で、彼に比べれば小さかった豪炎寺には魅力的過ぎる。
 どくどく、どろどろと豪炎寺の胸の内が欲望で渦巻いた。
 視線を少し下の方へ向けてやれば、二階堂のぶかぶかの衣服が目に入る。肌蹴た胸元に突起が覗いている。舐って転がして愛でたい衝動が沸き起こった。
 昨夜、二階堂が豪炎寺にむしゃぶるように愛撫したように、豪炎寺も二階堂の身体のそこら中に愛撫がしたかった。二階堂が吃驚する程いやらしい真似をする“悪い子”になりたかった。
 ごくん。生唾を飲んで音を立てる。凄く、凄く、興奮した。発情を全身で感じている。全身の毛が逆立つようにビリビリ感じている。
「―――豪炎寺?」
「!」
 二階堂に呼ばれて、豪炎寺は我に返った。
 冷静になれば二階堂に内緒で薬を盛り、身体に異変を起こした。当の二階堂は理由も知らず、不安がらせている。
 俺は監督と並びたいんじゃなかったのか――――?これじゃただの我侭の発散だ。
 己を心の内で叱りつけるが昂ってしまった自身は抑えきれず、二階堂に悟られないよう毛布で股間を隠した。
「俺は本当に縮んでしまったらしいな」
 豪炎寺が退き、二階堂は身を起こしてサイズの合わない衣服を掴む。
「一体どうしたんだか。夢だと良いが……。豪炎寺は大丈夫か?」
「当たり前です。……二階堂監督……俺……」
 項垂れるように俯く。
「俺……俺………………貴方に………………」
 ぼそぼそと、事情を語りだす豪炎寺。
 だが毛布を掴んで股間へ押し付ける手は、膨張する二階堂への肉欲を押さえ込んでいた。










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