悪事
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豪炎寺は正直に語った。
戦国伊賀島の監督に薬を貰った事、どんな薬かという事、それを昨夜二階堂の牛乳に混ぜた事を。
二階堂は軽く息を吐き、話を理解したと頷く。
「なるほど、な。俺はお前に騙されたって訳だ」
「す、すみません……。こんな事になるだなんて」
「冗談だよ。それにしても、俺を思い通りにしたいなんて。可愛い奴だな」
よしよしと豪炎寺の頭を撫でる二階堂。事態を把握しきれなかった豪炎寺を慰めてくれているのだ。
「事情はわかった。若返りは悪くないし、原因がわかってホッとしたよ。豪炎寺は戻る理由とかは知らないのか」
「いいえ。学校に伊賀島からの引き抜き選手がいるので、この後戻ったら監督と連絡が取れないか聞いてみます」
「うん。さて、俺も仕事しないとな。今日はサッカー部の担当だけだから、学校の業務がなくて助かったよ」
二階堂はぶかぶかの衣服を軽くまくって、ベッドを降りる。
「二階堂監督、まさかその姿で」
「子供になっただけじゃ、休む理由にはならないだろう?豪炎寺もそろそろ着替えなさい。裸だと風邪ひくぞ」
「はい……」
項垂れるように豪炎寺が頷き、下肢を毛布でまいてベッドを降りた。二人並ぶと、ほとんど背丈は変わらない。少しだけ、豪炎寺の方が高く見える。
「こうして見ると、豪炎寺は結構背が高いんだな」
二階堂が二人の頭の高さを手で示して、くすくす笑う。彼としては若返ったせいか、上機嫌のようだった。無精髭もなく、屈託のない笑顔は友達に向けるかのよう。なのに、豪炎寺の胸はどきどきと高鳴った。彼へ向ける好意は、ひょっとしたら監督だからとかではない彼自身だからかもしれない。ひょっとして、ひょっとしたら、それはとても恥ずかしいものかもしれない。己でさえも見えていなかった想いを自覚し、一人照れ臭くなる。
「なんだよ、ジロジロ俺を見て」
二階堂は腰に手をあて、背をやや屈めて挑戦的な眼差しで見上げてきた。
「たぶん、同年代くらいの俺はどうだ?」
「どうって……」
顔が熱くなり、返答に詰まる。
「はは、困ったか?……それにしても俺は何を着ていこう。予備でたまたま持って帰っていたユニフォームがあったと思うが……」
背を伸ばし、室内のタンスを漁りだす二階堂。彼が背を向けている間に、豪炎寺は手早く着替えてトイレに行く。反応してしまった自身が治まらず、自慰で処理をした。射精を促す妄想は、先ほどの若い二階堂。ギャップとでもいうのか、落ち着いた大人の彼の子供の姿は新鮮で頭に焼き付いて離れない。本当のところ、そそるのだ。おまけに上機嫌な様子は隙だらけに見えて、尚更どうにかしたい衝動に掻き立てられる。
豪炎寺が気持ちを落ち着かせてからトイレを出れば、二階堂が木戸川のユニフォームを着て朝食の準備をしていた。
「お手伝いします」
二階堂の持っていた皿を受け取り、代わりにテーブルに並べる。
「二階堂監督、ユニフォームお似合いですよ」
「そうか?着てみたは良いが、どうも落ち着かなくてな」
朝食が整い、向かい合わせに席を座った。
「なあ、煙草吸って良いか」
「良いですよ」
手を伸ばして灰皿を前に置き、煙草を吸い出す二階堂。だが、豪炎寺はその姿に違和感を覚え、ハッと目を丸くした。
「いけませんっ!」
「うわ、なんだよ」
豪炎寺が席を立って二階堂から煙草を奪い、灰皿に擦り付ける。
「今の監督は未成年です。それに、木戸川のユニフォームで煙草だなんて、監督自ら風紀を乱しています」
「厳しいなあ」
尤もな意見なので、二階堂は大人しく灰皿を片付けた。
朝食を終え、豪炎寺が稲妻町へ戻ろうと帰り支度をしていれば、二階堂が驚かすように後ろから抱きすくめてくる。
「かんとくっ?」
「…………しー」
びくんと身体を震わせる豪炎寺に、二階堂はそっと耳打ちした。
「豪炎寺。俺は今、未成年なんだよな」
「……え…………?」
二階堂の手が学ランのボタンをなぞって撫で上げ、心臓に近い第二ボタンが外される。
ぷつ。隙間から指が滑り込んできた。
「こんな真似しても、青少年同士のやり取りでしかない」
耳へ唇を寄せ、ふーっと熱い息を吹きかける。
二階堂が豪炎寺に一線を越えた接触をするのはいつも確認してからしてくるのに、不意打ちに豪炎寺の脳は眩暈を覚えて甘く揺さぶられた。
「豪炎寺。お前、さ。俺を見る目がやらしすぎるんだよ。俺が気付かないとでも思っているのか」
――――トイレで抜いてきただろう。
低くめられた濡れた声で囁く。
身体を竦ませた豪炎寺の胸を、二階堂はシャツ越しにさわさわと撫でる。
「俺を思い通りにしたいだとか……薬を盛るとか……気が抜けないな」
腕を離し、解放させる。よろけながら振り返る豪炎寺に、二階堂は悪戯が成功した子供みたいに口を押さえて笑っている。
「なんてな。この姿って案外楽しいな。邪魔して悪かった」
「監督、子供みたい」
「俺は今、子供だし」
開き直る二階堂に豪炎寺は困ったように微笑む。醸し出す雰囲気から、はしゃぐ様子がよくわかった。
気が抜けないと言っておいて、浮かれている。
豪炎寺は思う。俺の変化はわかっているくせに、二階堂監督は自分の変化がわかっていない――――。
二階堂の浮かれる様子は危機能力の薄れた温室育ちの草食獣のようだった。豪炎寺からしてみれば危なっかしい。
「……監督」
神妙な面持ちで豪炎寺は二階堂を見据えた。
「俺が稲妻町に帰っても大丈夫ですか?一人で、大丈夫ですか?」
「説明が厄介そうだが、心配はいらないだろう」
「車で行っちゃ駄目ですよ」
「ああ、そうだった」
手を合わせる二階堂に、豪炎寺の心配は募っていく。
「今日は大した授業も無いので、貴方と一緒にいます」
「こら。ちゃんと学校は行きなさい。そろそろ出ないと間に合わないだろう」
「ですが監督」
詰め寄り、二階堂の腕を掴む豪炎寺。二階堂の身体が揺れたような気がした。
「豪炎寺」
「……………………………」
たとえ子供の姿をしていても二階堂の声には“力”がある。大人しく従うしかない。
「わかりました。終わったらすぐに来ます」
「慌てるのは危ない。お前のペースで良いんだよ。ほら、行っておいで」
そっと二階堂が顔を寄せ、豪炎寺の頬に口付ける。
同じ背丈から施されるそれは、たくましさより愛らしい気配がした。いつもより柔らかくて甘い気がした。まるでふわふわのマシュマロのように、とろけてしまいそうになる。一瞬なのに、妙に感覚が残った。
きゅっと胸が温かくなって、どきどきしてくる。二階堂が変化してから、豪炎寺の胸はどきどきしてばかりだった。
「行ってきます……」
「いってらっしゃい」
挨拶を交わして豪炎寺は二階堂の家を出る。外に出て、数歩進んでから彼は気付いた。
“行ってきます”と家を出たのは、思えば初めてだ。何気ない挨拶に、たまらないときめきを覚えた。
「ふう」
豪炎寺が行ってしまってから、二階堂は息を吐く。
彼が言っていた通り、木戸川サッカー部への説明が頭の中でまとまらない。しかも車が使えないなんて不便すぎる。
「なんとかなる、か」
まだ時間があるので、なんとなく洗面所に行って、自分の顔を鏡で映して眺めてみた。
豪炎寺と同じくらい――十代の二階堂が目の前に立っている。頬を軽く叩いてから、なんとなく上着をまくって腹筋を確かめてみた。薄っすらと形のいい筋肉がついており、未成熟で瑞々しい少年独特の健康的な裸体が晒された。二階堂は当時なんとも思っていなかったが、妙ないやらしい身体に見えてくる。年を取って若さの良さを知ったからかもしれない。
「なにやってんだ、俺は」
衣服を整えるが、どうも時間の持て余し方が普段とは異なる違和感を覚え、そのまま衣服を脱ぎ捨ててシャワーを浴びた。体毛も薄く、体臭も大人のものとは違う感じがする。肌の張りや艶は湯を流せば違いが分かる。
ふと、この姿を見ていた豪炎寺の瞳を思い出した。一丁前な男の顔をする裏で、下心をチラつかせていたあの目を。普段だったら可愛いものだと思うのに、なぜだかどきどきしたのだ。興奮したのだ。
――――この姿で狙われたら俺も危ない。
少年が男になる瞬間を想像すれば、ぞくぞくする。豪炎寺が帰ってきたら、誘って、引き込んで、焦らせる駆け引きがしてみたくなった。
歪んだ楽しみに二階堂は舌を覗かせ、ゆっくりねっとりと下唇を濡らす。昨夜の豪炎寺がした仕種とは違う、企みという毒を含んだ舌先の動き。やるだけやって、くすりと微笑んで舌をしまう。たぶん姿は若くても、童心には戻りきれない。自嘲気味に口の端をあげた。
それから風呂場を出て外出の準備を整え、家を出る。鍵を閉めようとすれば滑って床に落とし、背を屈めて拾う。高さの感覚がまだ慣れない。持つ鞄も大きいような気がした。
伸びをしながら、二階堂はマンションの階段を下りていく。木戸川へは電車で行き、集合場所の校舎からやや離れたグラウンド――――雷門にとって河川敷に似た場所へ向かった。着く頃には既に数人おり、二階堂は道路の道から階段を下りて彼らに声をかける。
「おーい」
二階堂の声に、その場にいた部員は全員振り向く。しかし、見知らぬ少年に彼らは困惑した。木戸川のユニフォームは着ているので仲間だとわかるが、当然覚えがない。
「ええと……新入部員かい」
段堂が問う。
「……いやぁ、それが俺、監督なんだよ」
「はぁ?」
「監督の、二階堂なんだ」
ぽかんとしている部員に鞄から取り出した免許証を見せる。写真と見比べれば似ているは似ていた。
「だろ?」
「ご親戚の方ですか?」
「違うって、本人だよ。んー……そうだなあ…………」
二階堂は部員を見回し、中井を見つけると“おっ”と目を丸くする。
「中井。俺に昨日、相談して来たよな。内容は……」
手招きをして呼んで屈ませ、そっと耳元で言う。相談内容は女生徒から貰った差し入れのお礼をどうしたら良いのかという、二階堂だけに話したもの。中井は驚いて一歩下がった。
「お前の監督は、生徒の悩みをベラベラ話すような男か?」
「い、いいえ」
ふるふると首を振るう中井。
「信じてくれるか?」
「俺は…………信じます……」
部員が注目する中、中井は頷いた。
「でも、どうして」
「実は、伊賀島の秘薬を盛られてしまってな!」
あははは。参った参ったと、豪快に笑う。
「あの伊賀島にですか!やばくないですか、あいつら忍者ですよ」
「暗殺とか企てられていません?縮むだけで助かりましたね……」
「狙われたら終わりですよ」
伊賀島の名前を出すなり、部員は信じだし、二階堂を心配しだした。こればかりは予想外で、二階堂はどう話を戻せば良いのか悩んでしまう。
「ま。大丈夫だって」
「甘い!甘すぎます監督!」
楽観的な意見をビシッと返されて二階堂は肩を竦める。
「木戸川清修はサッカー名門校。幾度となく他校との試合を経験しています。戦国伊賀島の身体能力はわかるでしょう?あいつらがサッカーというルールから抜けだした時、どうなるかわかるでしょう。危険すぎます」
「ま。そうなんだけど……」
「縮ませたのは失敗なのかもしれない。監督をまだ諦めていないかもしれません」
二階堂の身を案ずる部員の目は本気と書いてマジだった。
「監督。気をつけてください。俺たちもなるべく目を離さないようにしますから。な!皆!」
「おう!」
彼らの気遣いは涙が出るほど嬉しいが、正直ありがた迷惑である。
その内、他の部員もやってきて事情を説明する毎に話が大きくなっていく。異様な雰囲気に、とうとう二階堂は声を上げた。
「お前ら!違うんだよ!!」
「監督は騙されています!」
「ちっがーう!!お礼として伊賀島の監督さんから薬をもらったんだ!」
豪炎寺の名前は出せないので、仕方なく真実を捻じ曲げる。
「しかし監督!盛られたって!」
「先生だって若返りたいなんて恥ずかしくて言えないだろう!」
「な、なんだぁ…………」
どっと一斉に肩の力を抜く部員。
「さあお前たち、サッカーやるぞ!」
「はい!」
なんとか無事に朝練が始まった。
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