「ん………………」
 低く呻き、二階堂は眠りから覚めた。瞼を開けようとすると、どこか重い。
 目を開いて広がる視界は、見知らぬものだった。少しだけ考えて、昨日の出来事を思い出そうとする。


 ――――確か、雷雷軒で響木監督や地木流監督と話をしながら飲んで、地木流監督と二人で店を出て、地木流監督の家でまた飲んだんだっけ。



キャンディ
- 前編 -



 手の甲を額に当て、ふーっと長い息を吐く。
 記憶が確かならばここは地木流の家だった。感触は恐らくベッドの上。次の日は休みだからと後先考えずに飲んでしまったせいか、時刻は恐らく朝なのに酒の気配が抜けきれていない。
「はぁ」
 気だるくて、寝返りをうとうとする。他人の家の布団は寝心地が異なり、あまり落ち着けはしないが、そんな事がどうでも良くなるくらい気だるかった。
「……………………………」
 だが寝返りを打った先にあった地木流の顔に、二階堂の意識はより鮮明になる。
 布団の中で温まっていた身体が、一気に冷えた。
 二人が同じベッドで寝ている事実に、夢心地は去ってしまった。
 しかも、だ。布団の隙間から見える地木流の素肌はさらにぞっとする。自分の身もすかすかと風の通りを感じて、冷や汗が滲む。
「ん?」
 瞼を震わせ、地木流が目覚めた。二階堂と視線を合わせ、彼らしい声で挨拶をする。
「二階堂監督、おはようございます」
「あ、おはよう……ございます」
 対して二階堂の反応はぎこちない。
 地木流は気にせずに枕元の横に置いてあった携帯を手にしようと身を乗り出す。裸の背中が露になり、思わず二階堂は目をそらした。
「ふむ……こんな時間か」
 地木流は形態の画面で時刻を確認すると、二階堂に目をやる。
「どうしました?なにか用事があるのですか?」
「いえ……」
「まだ朝の早い時間です。私はもう少し眠っていようかと」
 布団を被ろうとする地木流だが、二階堂の様子に崩れた髪をかき上げながら問う。
「さっきからどうしたんです?」
「ええと……地木流監督……」
「はい?」
「服が……」
「服ならそこらへんにありません?」
「そうではなくて、昨日そんなに我を失うほど飲みましたっけ」
 申し訳なさそうに二階堂が言う。
「ああ、そういう事ですか」
 微笑むように目を細める地木流。
「確かに、それはもう飲みましたねえ。おかげさまで頭が痛いですよ。二階堂監督も顔色があまり宜しくない。昨夜はあんなに気持ち良さそうにしていたのに、ふふ」
「良さそうって」
「そんな事を言わせないでくださいよ。野暮ですね。二階堂監督、寝るなら寝る、起きるなら起きてくださいませんか。布団に風が入って寝心地悪いです」
「すみません」
 布団に潜る二階堂。大人の男二人にベッドは狭く、肌と肌がくっついた。二階堂の日に焼けた肌と地木流の青白い肌はコントラストを浮かせやすく、妙にいやらしく映る。
「すー……」
 地木流は二階堂に摺り寄せるように、頭のすぐ横で寝息を立てた。
 伝わってくる熱――呼吸――。二階堂には覚えがあった。
 逃れられない睡魔で目を閉じれば、瞼の裏で昨夜の出来事が蘇る――――。






 昨夜。二階堂は雷雷軒へ訪れた。
 この店はフットボールフロンティアで豪炎寺を通して知り合った、雷門中の監督の響木が運営をしている。そこで以前、彼から地木流を紹介されて、こうしてよく三人で話しながらラーメンを食べ、酒も飲んでいた。地木流は一見変わり者で、中身もやはり変わり者であったが面白い人物で、二人は仲が良かったように思うし、響木もそんな事を言っていた。
 けれども二階堂は、酒は好きだが強くはなく、酔うとふにゃふにゃとカウンターに突っ伏す。
「二階堂監督、またですか?」
 グラス片手に地木流はもう片方の手で二階堂を突く。
「はは、またですう」
 赤い顔をして、浮いたような声で答えた。
「しょうがない人ですねえ」
 肩を抱き、顔を寄せて甘く囁く。そうしてから耳元に息を吹き込んだ。
「やめてくださいってば」
 口ではそういうのに、二階堂はへらへらと笑って満更でもない様子だった。
 地木流は二階堂が酔うとこうして際どい真似をして、笑って受け止める二階堂はいつもの事なのだが、だんだんと際どさを増しており響木は“いつか喰っちまうんじゃないか”と呟いていた。
 二階堂が完全にダウンしかけたところで、地木流が肩を貸して店を出る。
「では響木監督、私たちはこれで」
「ああ、また来いよ。その酔っ払いには控えるように言っておけ」
「はい」
 にっこりと地木流は笑った。
 夜風にあたり、しばらく歩けば二階堂は次第に酔いから回復してくる。
「いつも申し訳ないです」
 歩けます、と呟いて地木流の肩から腕を下ろす二階堂。
 ふー、と息を吐いて伸びをした。
「今日も飲みましたね」
 回復は早く、声もはっきりとしていた。
「さっきまでベロベロでしたのに。二階堂監督、明日お暇ならこの後私の家で飲みませんか」
「え?いいんですか?」
 少し考えた後、二階堂は頷く。
「はい。ではお言葉に甘えて」
 地木流の家は稲妻町の隣町にあり、徒歩でしばらく歩けばたどり着いた。
 家は一軒家で、明かりは消えている。
「ここです」
「どなたかと暮らしているんですか?」
「いえ、一人暮らしですよ」
 鍵を通し、扉を開けて二階堂を招く。
 明かりを点ければ、二階堂は思わず声を上げた。
「うわ」
 一般的な建物だった外観に比べ、内装は尾刈斗中の監督らしい造りである。まるで怪物の口の中のように、おどろおどろしく、気を抜くと呑み込まれて胃液で溶かされそうな油断のならなさに本能が騒いだ。
「凄いというか……貴方らしいですね……」
「ふふ、有り難うございます。さあこちらへ」
 地木流が前を歩き、居間へ案内される。彼はアンティークの家具に怪しげな宗教の儀式で使うような装飾品で飾られた部屋をそう呼ぶらしい。
「ん?」
 恐らく棚であるものの上に載せられた籠を二階堂は見据える。
 それは部屋の雰囲気とは明らかに異なり、中には鮮やかな包みで包まれたキャンディが入っていた。
「どうしました?」
「地木流監督、これは?」
「ああ…………」
 地木流は籠の中からキャンディを一つ取り出す。
「もうすぐハロウィンでしょう?子供たちにあげるお菓子ですよ」
「これ、地木流監督が包んだんですか?」
「そうですよ」
 くすりと微笑む地木流。地木流という男は怖い印象があるが、ふとした時に生徒思いな一面を見せる。二階堂が地木流に微笑みを返せば、彼は真顔になって、ずい、と顔を寄せてきた。
「おや。二階堂監督、ひょっとして惚れ直しました?」
「惚れって……。いつ、誰がです?」
 ジト目になる二階堂。
 そんな彼を、地木流は腰に手を回してグッと引き寄せる。
 目を丸くさせて顔を強張らせる二階堂に、地木流はしてやったような、満足そうに笑う。
「ホント、貴方って面白い」
 二階堂を解放し、ソファに座らせると酒とグラスを持って隣に座る地木流。


「さ、飲みましょう。家で一人もいいですが、家で二人もいいですね」
 グラスの一つを二階堂に渡し、酒を注ぐ。薄い緑色をしていた。
「このお酒は?」
「魔法のお酒です、なんてね。変わった色でしょう?付き合いでね、よくこういった珍しいものを戴くんですよ。ただ、分け合う人がいないので他人に見せるのは二階堂監督と、昔付き合っていた彼女くらいでしょうか」
「彼女いたんですか」
「昔の話ですよ。頭を三針縫いましてね。あっはっはっは!」
 笑い所がわからない。二階堂は愛想笑いに口を引き攣らせる。だがそんな事も、酒を口に含めばどうでも良くなる。
「あ……美味い」
「わかります?他にもあるんですよ。癖が強いんですが、これが大丈夫ならご馳走しますよ」
「では、せっかくですから、お言葉に甘えて」
「はい」
 地木流は他の酒も色々と持ってきた。どれも見たことのないようなもので、再び酔いが回り、いる空間が空間のせいか、夢の世界のような感覚がする。
「はぁ」
 一つ一つはそんなに飲んでおらず味見程度でも、数が増せば変わってくる。
 二階堂は熱い顔で目を半眼にさせ、地木流の肩にもたれかかった。
「飲みすぎましたね」
「…………………はい」
「これでは、お家に帰れませんか」
「…………………すみません」
 二階堂の声は浮いており、話を聞いていない適当な相槌のように思えてしまう。
「ウチに泊まります?」
「…………………すみません」
「その返事はどっちなんです?泊まるんですか?」
「…………………すみません」
「しょうがない人ですねえ」
 地木流は二階堂の腕を持って立ち上がり、引いた。
 二階堂は起き上がるが、地木流に抱きつくように重心をかけてくる。
「貴方重いんで、自分で歩いてください。さ、寝室はこっちです」
 地木流は二階堂を支えながら、寝室へと連れて行く。寝室も尾刈斗らしいセンスに溢れていた。
「ここに眠ってください」
 転がすように二階堂をベッドに寝かせ、座って彼の顔を見下ろす地木流。
「お休みなさい」
 挨拶をかけるが二階堂は目を瞑らずに、じっと地木流を見上げた。
「どうしました?」
「……………………………」
「うん?」
「……………………………」
「……………………………」
 二階堂は視線をそらし、なにかを言いたそうに口をもごもごとさせる。
 地木流は顎に手を添え、凝視した後に閃く。
「ひょっとして」
 視線が顔から胸へ映り、下肢へと向かえば二階堂は膝を合わせて股を閉じた。
「お酒の中には、アルコールだけではなくて媚薬入りのものもありましたからね……。私はそうなった時にはスプラッタ映画で処理していますけど」
「どうやって、とは聞きません」
 ぽつりと呟き、顔もそらした。
「お酒で動けないんでしょ」
 ぎし。ベッドを軋ませ、地木流が身を乗り出す。
「トリック オア トリート。手持ちのない貴方は、悪戯されるしかないですよね」










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