キャンディ
- 後編 -



「悪戯とか、やめてくださいよ」
 二階堂は動揺を隠してさりげなく言うが、自分の声が随分と心細い呟きに聞こえた。
「ふふっ」
 喉で笑う地木流の声に、ひくりと肩を揺らす。
「二階堂監督って、生徒さんたちによくからかわれるんじゃないですか?」
「悪かったですね……」
「貴方の生徒さんたちは、退屈しなくて楽しいでしょうよ」
 地木流の瞳が二階堂の中心を見下ろし、そこへ手を伸ばす。
 ひたりと触れる手の感触。恋仲でもない、しかも男の手は、なんとも言えない不思議な感触だった。
「勃ってますね」
 冷静に放ち、摩ってくれば二階堂は短い悲鳴を上げた。
「ひっ」
「そんな驚かれる事もないでしょう」
「驚きますよ。こんな事されたら」
 訴える二階堂に、地木流は四つんばいになって顔を寄せてくる。
「そう怖がらないでください」
 耳元に口を寄せ、ふーっと息を噴きかけた。
「……っあ」
 舌を出し、頬を舐め上げる。
「…………あ、あっ」
 ひくひくと震え、掠れた鳴き声をあげる二階堂。
「そんなに敏感にならないでください。キスくらい、したでしょ私たち」
 雷雷軒で飲んでいた時に、二人は酒の勢いで冗談程度に口付けをした事があった。
「媚薬の効果ですか?それとも、本当の貴方は淫らだとか?」
 手首を捉え、滑り込ませるように指を絡ませてシーツへ押す。
 瞳を細める地木流の瞳は鋭く、逃がすまいと射抜いてくる。
「さあ、答えてください」
「……………………………」
 二階堂は唇を噤み、答えようとしない。
 そんな態度に、地木流の眠れるもう一人の人格――――灰人が顔を出す。


「………………おい」
 低く、凄むような声を放つ。
「人の質問に答えろって言ってんだ」
「……………………………」
 チッ。舌打ちをする。
「じゃあ、こっちから暴いてやろうか」
「……………………………」
 二階堂に跨り、腰の位置に腰を下ろす地木流に、彼は鼻で息を吐く。
 地木流の二重人格はときどき姿を現すのだが、こんな時に出てくるのは厄介であり、危機を抱いた。
 ――――地木流監督に、大事なものを奪われるかもしれない。
 危機的状況なのに、呑気な妄想が過ぎった。
「……………………う」
 身を硬くする二階堂。灰人の手がズボンを下ろし、下着から性器を取り出してくる。
「おや、なかなか」
「じろじろ見ないでください」
「ふぅん」
 手で性器を捉え、じろじろと眺めてくる灰人。手元のランプ型の電灯を点けて、ぼんやりとした光が性器の輪郭に影を映し出す。
「だから、やめてください」
「命令するな」
 性器を捉えた手が、柔らかく扱いてきた。媚薬で既に反応しており、さらなる刺激を受ければ血液を集め、先端から蜜を滲ませる。
「んっ…………ふぅ…………うっ………!」
 声を出すまいと耐えるが、隙間から息がいやらしく漏れてしまう。
「へえ……」
 二階堂の鳴き声が気に入ったのか、地木流は舌で己の唇を舐め、扱く手を強める。ぐちゅぐちゅと音を立て、二階堂の腰が一瞬浮き、膝がかたかたと揺れた。
「はぁっ…………あう、ぅ」
 呼吸し、吐かれる息は熱く、頭は快楽を直接的に求める、欲に満ちている。
「……あ………は…………ああ………」
 触られ、扱かれるだけでこんなにも乱れてしまう。媚薬のせいと、媚薬による羞恥がそうさせていた。
 瞬きをする度に目元は潤み、口内には唾液が溜まった。
 灰人は玩具でも弄るような企んだ表情で、二階堂に射精を促せようとする。
「おっ……くるか?」
 にやりと口の端を上げれば、ほぼ同時に二階堂の欲望がはじけた。
「あっ……………はぁ……」
「早い……。興奮してるのか?それとも、俺が怖くて本能が判断したのか……」
 精が付着し、どろどろになった手を見詰め、灰人は言う。
「野生動物ってのは性交時に狙われたら大変だろ?だから早いほどいいんだ」
 ティッシュで汚れを拭い、二階堂に向き直った。
「さて、気持ち良かったか?」
「さぁ……」
 視線をそらし、呟くように答える二階堂。
 男の手で欲望を放たれたのは羞恥と屈辱が入り混じり、動揺を隠せず目を合わせられない。
「素直じゃないねえ。出せないのをだしてやったのに。感謝してもらいたいもんだ……といっても、してもらえないんだろう。なら……」
 灰人は己のズボンの金具に手を這わせていき、外す。
 そうして驚く二階堂の目の前で、性器を取り出した。
 腰を近付け、性器を持って二階堂の口元へ向ける。


「しゃぶれよ」


「こればっかりは出来ません」
 唇を硬く紡ぎ、怒りを覗かせる二階堂。
「どうかな?」
 性器の先が二階堂の唇に、ふに、と触れた。
「俺もあんたも酒に流されているんだ。こうまでされてあんたは顔を背けはしない。……わかるだろ?」
「……………………………」
 灰人は二階堂に否定の言い訳をさせようとしない。
 ここでなにかを口にすれば、性器が口内へ侵入してしまう。
「その気になれば催眠術でなんだってできるんだ。けど、俺はしてこないだろう?……わかるな」
「……………………………」
「……………………………」
「……………地木流、さん」
 二階堂は顎を引いてから、口を開く。
「いえ、灰人さんは素直じゃないんですね。して、くらいは言えないんですか」
「は?」
 呆気に取られる灰人と、二階堂が性器を銜え込むタイミングが重なる。
「…………………ん」
 喉を鳴らし、歯を立てずに灰人の性器を舐りだす。
 身体の中心に施される快楽に、灰人は快楽に吐息を漏らした。
「う」
「………ん、んう」
 そっと手を添え、唾液を絡めて二階堂はさらなる愛撫を施す。
 じゅぽじゅぽと卑猥な音を立て、淫らに高めていく。
「あんた、上手いんだな」
「どう、いたしまして」
 灰人は二階堂の頭に触れ、腰をもっと寄せようとした。
 二階堂は半眼で、一心に性器の愛撫に集中している。そこに情は存在せず、作業的なものであった。見下ろす灰人は、彼の中で眠らせていたものを目覚めさせてしまったのだと悟る。
「強制じゃ、なかった」
「なにをいまさら」
「……………………………」
 灰人は沈黙する。この先に言うべき言葉があるならば、それは恐らく、詫びだろうから。
「うぅ」
 やがてぶるりと震え、灰人は果てる。吐き出した精は二階堂の口内に注がれた。
「ん」
 二階堂は灰人に向けてひらひらと手を振り、合図をさっしてティッシュを渡す。
 受け取ったティッシュの中に精を吐き出し、顔を見上げて漸く目を合わせてきた。
「催眠術をかけてもらった方が、良かったんでしょうかね」
「もう遅いでしょ」
 笑みを浮かべ、二階堂を撫でる灰人は地木流に戻っていた。
「貴方、やっぱり面白い」
「そうは言いますけどね、貴方こそ随分面白いですよ」
 交差する視線に、微弱な電流を感じた。
 流されゆく空気というものを、今になって悟る。
「ああ、私たち酔っているんですね」
「ええ、酔っているんです」
 地木流の手が二階堂の上着の首元を掴み、ボタンを外した。






「うう…………」
 昨夜の出来事を思い出した二階堂は頭を抱える。
「どうしたんです?二日酔いとか?」
 半分眠りながら地木流が言う。
「いえ、そうではなく。……ああー……」
 頭を抱えた手が滑るように顔を覆う。羞恥に真っ赤になり、焼けるように熱い。
 二人は情欲のままに身体を重ねていた。媚薬に酔わされているせいにして、無我夢中で抱き合った。タチかネコかは、二階堂がネコを請け負った。いいですよ、と軽い返事で。
「今更恥ずかしがっているんですか?」
 顔を覆う指の隙間から、地木流が表情を覗き込もうとしている。
「男と寝るの、そんなに久しぶりなんですか?それとも、初めてという初々しい演技ですか?」
「久しぶりって……」
「貴方、初めてじゃないでしょ」
「……………………………」
 手を浮かせ、薄く瞳を開けば地木流と目が合う。
「昔の話です。現役の頃、少し、ですよ」
「二階堂さん、抜けてますからね、少し。隙見せてヤられちゃったとか?」
「……………………………」
「おや、図星」
「は、はずれですっ」
 枕を取って地木流の顔に押し付けて背を向ける二階堂。
 ――――図星すぎたか。
 枕を抱いて二階堂の真似をするように背を向け、地木流が言う。
「良かったですよ、二階堂監督。また、しましょうか?」
「地木流監督は……そういう趣味なんですか?」
「わかりません。だから、確かめてみたいと思うのです。貴方のこと、私は好きですよ」
「からかわないでください」
「素直じゃないですね」
 昨夜、灰人に放った言葉をそっくり返された。
「貴方って……」
 言いかけた所で電話が鳴る。相手は響木で、忘れ物をしているから取って来い、というもの。
 地木流と二階堂は二人で向かうが、響木に出会ったところで一夜を共に過ごした事がバレてしまったと悟るがもう遅い。
「ほらよ」
 袋を二階堂に渡す響木。彼はなにも言わないが、呆れられたような雰囲気を感じた。
 二階堂はそのまま駅から木戸川に帰る事となり、道を歩きながら彼は問う。
「地木流監督。さっきなにを言おうとしていたんですか?」
「え?知りたいんですか?」
「知りたくないから、言わないでください。そう言おうと思いましてね」
「残念。では今度までにとっておきましょう。お菓子を持ってきてくれるのなら考えますけれど」
 ハロウィンの話をいきなり持ち出し、相変わらずの食えない態度を取る地木流に、二階堂は相槌を打つ。
 どこか期待をさせてくれるような、わざとらしい曖昧さをチラつかせて。
「ぞくっとしました」
 ふふ。地木流はくすりと微笑んだ。










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